「それでね!一年も付き合っておいて、実は既婚者でした…なんて、どう反応したらいいわけ!?」
 ぐずぐずと涙を浮かべながらお酒を煽るこのお方は、一体あとどの位私の恋人の隣を陣取るのだろうか?


 久々に上陸した島での宴。
舟番を除いたクルーの宿も確保して、酒場でも船と変わらず食えや飲めや歌えやの大騒ぎだ。
 居合わせた客は、私たちのテーブルの騒々しさに唖然としているものや、和に加わってくるものや、様々。

 その中の一人、カウンターに座っていた女性がいつの間にかサンジの隣にグラスを持って座っていた。
 「こんな美しいレディとご一緒できるなんて、身に余る光栄!!」などといつもの調子で賛美を送るサンジに気を良くしたのか、その人はお酒が進むにつれて泣き上戸になり、別れた恋人の愚痴を垂れ流していく。

 そして今に至る、というところだ。


 酔っ払いの愚痴を律儀に聞いてやるなんて流石サンジだ。
女限定だろうけど。

 この状況に置いてけぼりな自分は、ぼんやりと、自分の恋人がさめざめ泣く女を慰めている様子を眺めながらお酒を煽った。

ーーまずい肴だ。


「なまえ、大丈夫?」

 斜め後ろのテーブルで飲んでいたロビンに視線を向けると、綺麗な青緑色の瞳と目が合って。
 少し憂慮を携えた瞳をただ見つめ返していると、酷い顔してるわ。と伝えられた言葉。

「まだそんなに飲んでないんだけどな…」
「原因は別にあるんじゃない?」

 つまりロビンは、私の目の前で繰り広げられているこの状況に原因がある、ということを言いたいのだろう。

 「まあ、これがサンジだから。」
 サンジに聞こえないような小さな声で自分に言い聞かせるようにでた言葉。

「もう少し素直になっても良いのに、貴方もサンジも」

 ロビンが眉を少し下げて言った言葉の意味。私が素直じゃないのは自分でも良くわかっているけれど、サンジも、とはどういうことだろうか。
 私の目に映るサンジは、いつも自分の思いをストレートに伝えているように見えていた。


「貴方が恋人だったらよかったのに〜」

 そんな声にサンジの方へ視線を戻すと、サンジの胸に泣きついている女が目に入る。

 何かを言おうと吸い込んだ空気は、結局言葉にならずに短いため息として吐き出した。

「ちょっと…トイレに行ってくるね。」

隣のロビンにだけ聞こえるように告げ、見たくないものに背を向ける。
 トイレの鏡に映った顔はなるほど、確かに酷い顔だ。
ひとりで納得して、すれ違った店員に船に戻っているとロビンへの伝言を頼んで店を出た。



 とぼとぼと、狭い歩幅で進みながら、自分の可愛げのなさに嫌気が差してくる…

 宿もサンジと一緒にしてもらっていた。
今日は朝までサンジを独り占めできるチャンスだったのにな…、
素直になれていたなら棒に振ることもなかったのだろうか…。

 鼻の奥が熱くなって涙腺が緩んだ気がして、
どうにか隠そうと視線を地面に落とす。



「なまえちゃん!!」

 聞き馴染んだ声に振り返ると、スーツを手に持ちこちらに走ってくるサンジの姿。

 顔を見られたく無い

 反射的にサンジに背を向けて走りだした。

「、えっ!?ちょっと、なまえちゃん!?」


 急に走り出した私に驚くサンジの声が耳に届いたけど、それを無視して全速力で船の方向へ走る。

 当然、どれだけ全力で走ろうと距離が開くのは一瞬だ。
すぐに追いつかれ、手首を掴まれ引き止められた。

「どうして逃げるの?」

 呼吸を整えながら「追いかけられたら逃げたくなるでしょ」と素っ気なく言うと、
「あぁ、そっか」とだけ返ってきた。

 掴まれた手首は離してもらえずに、サンジの反対の手が頬に添えられて、落ちた視線がサンジの整った顔にまで持ち上がる。
添えられた手の親指が優しく目尻を撫でて、
「泣いてたの…?」と問われた。

 走ったことで、涙が飛んで証拠がなくなったと思った愚かな私は、「泣いてない」と嘘をついた。
泣くのは嫌だった。
言いたいことも言わないで泣くのは、自分勝手で卑怯な気がした。


「ごめんな、俺のせいだよな」

ぽすっ、と腕の中に納められて、サンジの匂いに包まれて。
それだけで、心に出来たとがったものがまあるくなっていく感じがする。

泣いてないって言ってるのに、
サンジのせいなんて言ってないのに、

サンジの胸の暖かさに身を委ねて、口から出そうになる素直じゃない言葉を、心に留めて考えた。
言いたいことは、これじゃない気がする。
でも、自分でも、いったい何をサンジに伝えたいのかよく分からなかった。


「…なまえちゃん、今思ってること、聞かせてくれねぇかな。」

サンジの片手が、私の頭を柔らかく撫でた。

「頭に浮かんでること、全部聞かせて?」

 すっかり緩められた心に、グズっと鼻を啜って「サンジ」と呼ぶと、少し身体を離して「ん?」と返ってくる。

「……喉渇いた」

 予想外の第一声に、ふはっと笑い声を漏らして
「くくっ…すまねぇ…うん。走ったもんな。船に戻ったらお水飲もうな。」
でも酒飲んで走ったらダメだよ、と注意されてしまった。

「…寒い」
「ならもっとくっ付こうか」
「サンジのにおい、落ち着く。サンジの手、大好き。」
「…いきなりきたね」
「髪も、眉も、目も、口も、頭のてっぺんから爪先まで全部大好き。」
「っ…自分で言っといてあれだけど、俺はこの破壊力に耐えられるのか?」

 何やら顔を赤くして唸っているサンジを無視して、バケツをひっくり返すように思いを吐き出した。

「料理してる時の楽しそうな顔も、タバコを吸ってる時の顔も、ゾロとケンカしてる時の顔も…サンジが女の人にも、誰にでも優しいところも、全部、全部好き。」
「うん」

 僅かにサンジの腕の力が強くなって、再び埋められる距離。

 顔を見たくて、身を捩ってサンジを見上げた。
 海の濃淡を表している様な色の瞳。
綺麗だなぁと思って、無意識に頬に両手を添えて覗き込む。

「それが…全部私のものになったらいいのに…」

私のものになってよ、サンジ

 精一杯背伸びをして、口付けた。
サンジが目を見開いていた気がする。
頬に置いた両手を首に回して、すぐに離れていかない様に深く唇を押し付けた。

 結局、嫉妬心なんてない様に思い込んで、見ないようにしていただけだった。
 貴方から伝わる愛と貴方を愛する気持ちを糧に押し込めた不安も、すぐに顔を出し全身に浸食し流れ出る。
 それを堰き止める術はやはり、貴方しか無いのだ。

 息苦しくなって、腕を緩め酸素を取り込むために唇を離した。
が、充分な空気を吸い込めぬまま、腰に回っていたサンジの手が片方後頭部を押さえ、隙間を無くすように私を引き寄せ唇を塞いだ。

「…っ…ふ…、さ……んっ、」

待って、と伝えようと口を開くと、直ぐにサンジの舌が入り込んできて、一層息苦しさが増す。
 呼吸さえも食むようなキスに力が抜ける。
サンジの腕の中で折り畳まれた私の腕に、彼を押し返すだけの力も込められない。
 侵入した舌を押し出そうと自分のそれを動かすと、捕らえられ、絡められ逃れられない。

「んっ…んんっ、…ふぅっ…」

 震え始めた脚に気づいたのか、下唇を舐められてからゆっくりと唇を離された。
 酸素を求めて荒んだ呼吸を整えながらサンジを見上げると、同じだけキスしていたのにほとんど呼吸を乱さずに熱を孕んだ瞳をこちらに向けていて。

 なんだか腹が立って、自由になった手でサンジの両頬を外に引っ張った。

「い゛っ…でででででっ!」
「死ぬとこだったんだけど」
「ごめんごめん」

 へらっと笑いながら謝られたのは腑に落ちなかったけれど彼の顔をこれ以上痛めつけるのがかわいそうで、頬から手を離す。

「なまえちゃんが俺を見てくれるずっと前から、頭のてっぺんから爪先まで俺はなまえちゃんのものだよ。」

 ぎゅうっ、と音がしそうな程抱きしめられ、また息が詰まる。
「くるしい…」と伝えると「あ、わりぃ…」と腕を緩めて「俺はさ、」と言葉を続けた。

「一日中なまえちゃんと一緒にいたいし、キスだって全然足りねえ。船でだってどこでだって抱きたい。」
「んなっ…!」
「だけど今みたいに抑えが効かなくなって、抱き潰しちまいそうで怖え。だから出来るだけ自制していたんだが、もうだめだ…。可愛すぎる…。抑えられねぇ。」

だからもう我慢しねえ。
なまえちゃんが不安になる暇すら無いほど俺の愛を伝えてあげるから覚悟して。

 耳元で呟かれた不穏な言葉に思わず「ひ、人前では控えめにしてね!?」と焦る。
「善処します♡」と何とも信用できない返事に、今度は別の類いの不安がよぎった。

「もう大丈夫?」
「また別の不安が出てきたけど、とりあえずは…」
そう?と満足そうに笑うサンジの胸に顔を隠して、「それに…」と呟く。

「不安になったらまた充電してもらう、サンジに」
「またそういう可愛いこという…」



「とりあえず、今夜の行き先は?」
「………宿で、」
「承知しました。」

 サンジが手に持っていたスーツを肩に掛けてくれて、ありがとう、言おうとした言葉は「失礼」というサンジの言葉によって遮られて。

 膝の裏に差し入れられたサンジの腕と浮いた身体。
突然の所謂お姫様抱っこというものに焦り、
「じ…自分で歩けるよ!?」
暗に「降ろして」と言ったつもりだが、
「悪いが、これ以上待てねぇんだ」
と返されて口を噤んだ。


 耳元で聞こえる早い鼓動は、きっと走っているせいだけではないのだと思う。

 

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