お腹を空かせて待っています

――一緒に寝ましょうか。
いつもと変わらない表情で添い寝のお誘をしてきたのは、オペラさんからだった。

 夜、部屋に戻らずぼんやりと窓の景色を眺めていると、オペラさんから「おやすみ」の挨拶をするみたいに、とんでもないお誘いを受けた。
 今から二ヶ月ほど前、私はオペラさんへ募る思いを打ち明けた。
 入間くんとは少し形が違うけれど、私もサリバン様に拾われた身で、なにかとオペラさんにはお世話になっている。
 子供としか見られてないことを薄々感じ取っていた私は、オペラさんのことが好きだと伝えた直後、オペラさんの返事も待たずに「私のこと、嫌いじゃないなら……知る期間を作ってください!」と、身勝手でずるいお願いをした。オペラさんは数秒考えてから、優しく頷いてくれた。

 私のことを知ってもらえたからといって、女の子として見てもらえるだなんて、そんな烏滸がましいことを思っているわけではない。こんなの、恋心の延命処置に過ぎないって分かってる。だけど、この羽化心をすぐに手放すことも出来ない。
「私を知って」なんてお願いをしてしまったから、オペラさんになりに、私に向き合ってくれているのだと思うけど、それにしたって、急展開すぎる。
 
「一緒に、寝る……?」
「? 日中は給仕と教員の仕事があるので、時間を取れそうなのが就寝前くらいなのですが、都合が悪いですか?」

 驚く私を、オペラさんは不思議な生き物でも見るような目でじっと見つめた。ゆっくりと瞬きをした後、何かを切り出そうと開かれた唇に気づいて、弾かれるように「寝ます!」と答えた。
 オペラさんは私の懇願通り、「私を知る」時間を作ってくれている。SDのお仕事とバビルの教師のお仕事でただでさえ多忙なのに、私の想いにも誠実に向き合ってくれる。そのお誘いを断る理由なんてないし、少しでも一緒にいられる時間が長くなるのは、私も嬉しい。
 オペラさんのこと、やっぱり好きだと思った。
 私の心を柔らかくして、何度も形を変えてくれる人。

「私がナマエ様のお部屋にお伺いする形でもよろしいですか? もしくは、こちらに来ていただくか――」

 ぼうっとオペラさんに見蕩れている間にも、話はどんどん進んでいく。オペラさんと同じ空間で眠るということ自体、発熱してしまいそうなくらい緊張するというのに、その上オペラさんの部屋で眠るなんてことになったら、心臓が持ちそうにないので、「お部屋を片付けて待ってます!」と、咄嗟に言ってしまった。

「……では、そうしましょう。か」

 食い気味に返事をした私に、オペラさんはふっと柔らかく笑った。

「さっそく明日、就寝時そちらへ向かいます。待たなくて結構です、眠たくなったら先に寝ていてください。勝手にお邪魔するので」


 ◇

 そうして迎えた、翌日。
 私は部屋に髪の毛やホコリのひとつも無いように、片付けに全力を注いだ。(と、言っても普段オペラさんのお陰であまり散らかることも無いのだけど)
 入念に身体を洗い上げ、髪の毛も肌も丁寧に手入れをした。寝る、と言っても添い寝をするだけ。オペラさんからして見れば、寝かしつけの仕事が増えたようなもの。
 少しでもオペラさんの負担が増えないように素早く寝付くことが、1番迷惑にならないと思い、オペラさんが来るギリギリまで趣味じゃない難しい本を読んで眠気を誘発していた。
 夜も深け、本を五分の一程読み終えたところで、控えめに扉がノックされた。反射的に、ぱたりと本を閉じてしまう。
「どうぞ!」と私も控えめの声で答えると、オペラさんが入ってきた。
 
「お邪魔します。……やはり、起きてましたね」

 髪を解き、普段よりも幾分ゆったりとした寝間着姿。その姿を初めて見る訳じゃないけれど、どうしてだろう。妙に目を合わせづらい。
 
「ほ、本を読んでました!」
「なるほど」

 くすりと小さく笑うオペラさんには、きっと全部お見通しだと思う。

「さっき読んでた本は、すごく難しかったんです。哲学的な、すんごいやつで」
「面白かったですか?」
「……ちっとも!」
「ふっ」

 それから、小一時間ほど他愛のない話をした。普段は、サリバン様や入間くんとみんなでお話することが多く、オペラさんと二人きりで話す時間はあまり長くない。今、この瞬間だけは私がオペラさんを独り占めしてるんだ、って思うと、擽ったいような、なんとも言えない気持ちになる。

「ナマエ様」

 オペラさんは撫でるように優しく、私の名前を呼んだ。慌ただしく胸を叩いていた心臓は、ロウソクの火がふっと吹き消されたみたいに、静かに煙を上げていた。
 そろそろ寝ましょう、と言いながらオペラさんの手が私の後頭部へ回される。数センチ寄せられたオペラさんの顔に、窓から差し込んだ月の光が、美しい輪郭をぼんやり照らしていた。
 距離の近さに身を固めていると、結っていた髪ゴムにオペラさんの指が差し込まれ、しゅるりと簡単に解かれた。たったそれだけのこと。丁寧にドライヤーされたことも、寝起きのボサボサ髪を整えてもらったことだってあるのに、解かれるのは初めてだった。
 顔が、熱い。
 指先が微かに触れた項も、同じくらい熱い。
 私を知ってもらうどころか、オペラさんを好きになればなるほど、私は本当の自分を見せることへ臆病になってしまう。感情が雪崩みたいに溢れて、オペラさんを困らせてしまいたくないから。
 ふかふかのベッドに身体を沈めると、オペラさんも同じように横になった。普段きっちりとまとめられている髪がシーツに広がって、私の肩に触れた。
 いつもは一人で眠るこの部屋に、オペラさんが居る。
 ドキドキして落ち着かないのに、安心感もあって、不思議な気持ちだ。
 
「オペラさん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 ――そう挨拶を交わして、どれくらい経っただろう。目を閉じているのに、眠気は一向にやってこない。隣から聞こえるオペラさんの静かな寝息。
 その気配を意識するたび、夢見心地から現実に引き戻されて、どくんと大きく胸が波打つ。
 右を向いて、左を向いて、また仰向けになる。何度目か分からない寝返りを打ったところで、「……眠れませんか?」と、静寂を静かに紡ぐ声がした。
 それは、オペラさんの声だった。
「実は、少し……」
「そうですか」
 隠すことも出来ず、でもやっぱりやめましょう、って言われるのも嫌なので、濁しながら答えてしまう。
 
 「では、眠くなるまでこうしていましょう」
 
 そう言って、オペラさんの手が再び私の背へ伸ばされ、とん、とん、と、一定の間隔で、ゆっくりと背中を叩かれる。子供を寝かしつけるような、優しいリズムだった。

「……なんだか私、子供みたい」
「そうですね」
「うう、不服です」
「ふふ。では、訂正しましょう。よく眠れるようにしているだけです」
「……はい」
 
 背中を叩く手は、一定のリズムを崩さない。そのたびに身体の力が少しずつ抜けていく。温かな手のひらで、背中に残る小さな緊張を解きほぐされるようだった。さっきまであんなに騒がしかった心臓も、いつの間にか穏やかになっている。
 それら全部に包まれていると、瞼が少しずつ重くなっていく。緊張の原因である人に、その緊張を解いてもらっている、不思議な時間。

「……おやすみなさい、オペラさん」
「ええ。おやすみなさい、ナマエ様」

 最後に背中を、とん、と優しく叩かれた。その安心感に身を預けるように、私はゆっくりと眠りに落ちた。
 

 目が覚めた時、部屋の中はまだ薄暗かった。
 カーテンの隙間から差し込むのは、ほんのり青白い朝の光。ぼんやりと天井を見上げているうちに、昨日の出来事がじわじわと蘇ってくる。
 ――オペラさんが、隣にいるんだ。
 そう思った瞬間、胸の奥がくすぐったくて、緩む口元を抑えきれずにいた。最初はあんなに眠れなかったのに、一度落ちてしまえば驚くほどぐっすりだった。
 身体を起こそうとしてふと隣を見ると、オペラさんが、寝ている。私がオペラさんの前で眠りこけるなんてことはよくあるけれど、反対にオペラさんの寝顔が見られるのはかなり珍しい。
 チェリーレッドの髪が枕の上にふわっと広がって、頬にかかっている。目を閉じている横顔は、普段より少しだけ幼く見えて、息をのむほど綺麗だった。
 起こさないように息をひそめて、そっと横向きになった。頬杖をついて、じっと見つめる。静かな寝息。規則正しく上下する胸元。昨日、優しく私の背中をトントンしてくれた手は、今はシーツの上にぽんと置かれている。
 ――この手に、安心して眠らせてもらったんだ。
 思い出すだけで、また胸の奥がじんわりと温かくなる。
  とん、とん、と。あの心地いいリズムを思い出していると、また瞼が重くなってきた。
 もう少しだけ、このままでいたいな。
 抗えない眠気に負けて、ゆっくり目を閉じる。意識が遠ざかるギリギリのところで、すぐ隣から小さく息を吐く音が聞こえた。
「……?」
 一瞬、起こしてしまったのかと思ったが、それを確かめる前に、私はまた心地よい眠りの中へ落ちていった。


 ◇
 
「おはようございます、ナマエ様」
「……ん」
 大好きなテノールの声に揺り起こされ、ゆっくり目を開ける。
「……おはよう、ございます」
「よく眠れたようですね」
「……はい」

 そこには、給仕服に着替えてきっちひと髪が整えられたオペラさんがいた。
 改めて、オペラさんの朝が早いことを再確認する。それなのに、遅い時間まで付き合ってくれて、その上寝かしつけまでしてもらったなんて……!
 昨晩、オペラさんに背中をトントンしてもらいながら寝たことを思い出して、全身の血液が顔に集ってくるのがわかった。
 
「……あの」
「はい?」
「昨日のこと、なんですけど」
「なんでしょう」
「背中……」
 言いかけて、急に恥ずかしさが限界を迎えて口をつぐんでしまう。小さな子供みたいなことを、よりにもよって子供として見られたくないオペラさんにさせしまったんだ……。
「眠れましたか?」
「……はい」
「それなら良かったです」
 昨晩のことをそれ以上つつかれることはなく、オペラさんはいつものポーカーフェイスでベッドから立ち上がった。
「朝食の準備をしてきますね。また呼びに来ますので、もう少しゴロゴロしていても大丈夫ですよ」
「はい、ありがとうございます」

 では、と踵を返すオペラさんの背に向かって、思わず名前を呼んで呼び止めてしまう。速やかに進められていた足が止まり、オペラさんが振り返った。
 
「……今日も、一緒に寝てくれますか?」
「ええ。そのつもりです」
「……じゃあ、お願いします」
「承知しました」
 
 オペラさんはそう言って、パタンと静かに扉を閉めて出ていった。一人残された部屋で、枕に顔をうずめる。
 今日も、オペラさんの隣で眠れる。胸がはちきれそうなほど嬉しくて、その後の朝食は喉を通らず、入間くんにもサリバン様にも心配をかけてしまった。

  それから、オペラさんと一緒に眠ることが、少しずつ日常になっていった。寝る前に他愛のない話をして、同じベッドに入り、「おやすみなさい」と挨拶をする。それだけ。特別なことではないように思える日常の一コマが、私にとっては夢みたいに幸せな時間で、毎晩オペラさんが部屋に来る時間を心待ちにしていた。
 最初の頃は隣にいるだけで緊張していたけれど、何日も続けば、少しは慣れた。……はず。
 安心感があるのに、そわそわと落ち着かない気持ちも抱かせてくる。正反対ともいえるふたつを兼ね備えて与えてくるのは、オペラだけだった。

「おやすみなさい、オペラさん」
「おやすみなさい、ナマエ様」

 目を閉じて、しばらくすると、隣から聞こえる規則正しい呼吸に安心して眠くなってくる。
 そんな夜が、何日か続いた頃。散々甘やかされた私は、とあることをオペラさんに強請りたくなってしまった。

「……オペラさん」
「はい」
「ひとつ、お願いしてもいいですか?」
「ええ。なんでしょう」

 薄暗い部屋の中で、オペラさんがこちらを向いた気配がする。いざ言葉にしようとすると、急に恥ずかしくなって、私は服の端をぎゅっと握った。

「……手」
「手?」
「その……手を繋いで、寝たいです」

 言ってしまった――!
 子供みたいだと思われるだろうか、呆れられるかもしれない、やっぱり言わない方が良かったかな。
 想いが言葉という形に変え、心から喉を通って外へ出ていくと、羞恥心がカンストして、逃げ出したくなるくらい心が騒がしくなる。
 ぐるぐると思考をめぐらせて、ほんの少し後悔し始めたけれど、オペラさんからの返事は、驚くほどあっさりしていた。
 
「構いませんよ」
「……いいんですか?」
「はい。――どうぞ」

 探るように伸ばされた指先に、おそるおそる自分の指を重ねた。触れた瞬間、指先からじわりと熱が広がっていく。オペラさんは何も言わず、そのまま私の手を包み込んでくれた。

「オペラさんの手だ……」
「ふ、そうですね」
「暖かくて、優しくて、安心感のある手」
「……お気に召していただけたのなら、良かったです」

 繋いだ手がほんの少しだけ動く。指の間に、オペラさんの指が滑り込んでくると、しっかりと指を絡められた。
 これは、恋人繋ぎってものではないでしょうか……!?

「……オ、オペラさん?」
「この方が眠りやすいでしょう」
「……はい」

 胸がいっぱいになって、それ以上何も言えなかったし、何か言って、手を離されるのも嫌だった。
 私が願ったから、応えてくれただけ。広い優しさで包んでくれたオペラさんの心遣いだけが、現実なのだと分かっている。幸せだなあ。このまま朝にならなければいいのに。
 そんなことを考えながら、私はゆっくりと目を閉じた。


 ◇
 
 翌朝、私の名前を呼ぶ大好きなテノールは、珍しく焦っているような声色だった。早く起きなきゃ、そう思うのにベッドの中はいつもに増して寝心地が良く、瞼が重い。

「……ナマエ様」
「ん……」
「起きてください」

 ゆっくりと意思が浮上して、ぼやっとした思考が徐々にクリアになっていく。

「……おはようございます」
「おはようございます」

 今日のオペラさんは、まだ寝間着のままだった。あれ?今日はそういう日なのかな?なんて考えながら、回ってない頭でオペラさんを見ると、なぜか私を見下ろしたまま動かない。

「……どうしました?」
「いえ」

 ほんの一瞬、オペラさんの視線が私の腕へ落ちた。つられて自分の身体を見る。寝心地の良い温もりの正体が、そこにはあった。

「…………」

 私の腕は、オペラさんの腰にしっかりと回っていた。
 
「…………え!?」

 状況を理解し、慌てて腕を離すと、そのまま勢い余ってベッドの上で後ずさった。おしりの下で、シーツにシワがよるのが分かる。

「す、すみません!! 私、とんでもないことしてませんでした!?」
「とんでもないこと、というほどのことではありませんよ」
「オペラさんに、その……抱きついて!?」
「ええ」
「いつから!?」
「明け方頃でしょうか」
「…………」

 今日ほど、消えてなくなりたいと思ったことはない。一思いに叩き斬られたいし、スっと蒸発するみたいにいなくなりたい。
 
「わ、私、寝ぼけてたんだと思います」
「そのようですね」
「ご、ごめんなさい……」

 言い訳を並べる声は脆く、情けないくらいに小さなものだった。どこまでも恥を上塗りしていく自分が、ここまで来ると恐ろしく思えてくる。

「謝る必要はありません」
「……でも」
「むしろ」
「……?」

 目にかかりそうな前髪を、指先で分けながら「よく眠れていたようで、何よりです」と静かに笑った。どこまで、オペラさんはオペラさんのままで、自分だけが大事件のように思っていることが、余計に恥ずかしい。
 オペラさんはそれ以上何も言わず、ベッドから立ち上がった。
 その背中を見送りながら、私は胸元を押さえる。恥ずかしくて仕方がないのに、オペラさんから感じた温もりを思い出してしまう。
 ――もう一度、抱きつきたい。そんなことを考えてしまった自分に気づいて、私は布団の中へ顔を埋めた。
 まだ朝なのに、顔が熱くて仕方がなかった。

 ◇

 添い寝生活が始まって、一ヶ月が経った。
 オペラさんは、ずっと優しかった。肩が触れ、体温が分かる距離になっても拒むことはなく、「手を繋いで眠りたい」なんて子供みたいなことを言う私のお願いすらも、受け入れてくれ、抱き枕のように巻きついても嫌がる顔ひとつ見せないでいてくれた。……思えばオペラさんが優しくなかったことなんて、出会ってから一度もない。
 だからこそ、分かってしまった。
 あれは、相手にその気がないからこそ向けられる、余裕のある優しさと甘やかしだった。つまり、オペラさんは私を欠片も意識してないからこそ、親切で、優しいのだ。

「オペラさん、このひと月本当にありがとうございます。夢みたいに、幸せでした」

 これ以上、オペラさんの貴重な時間を割いてもらうのも、ズルズルと恋の消費期限を無理矢理延ばそうとするのも、もうやめよう。
 手を背に組んで、ぎゅうっと指を絡める。勇気を注入するように、涙が出ないように、強く握った。
 オペラさんは、ふっと息を抜くように笑った。いつも隙のないオペラさんが時々見せる柔らかい表情が、本当に好きだった。ううん、きっともう暫くは好きなままだ。
 
「私も、楽しかったですよ。誰かと眠るのは、かなり久しぶりだったので」
「……ふふ、良かった。だから、その、もう大丈夫です」
「……。」

 すうっ、と息を肺に送り込んで、「もう、一緒に眠らなくても大丈夫です」という言葉と一緒に吐き出した。

「私がいると、よく眠れませんでしたか」
「あ、いや、違います。オペラさんの時間をもういただく必要は無いというか……!」
「?そうですか。私はナマエ様が隣にいると気持ちよく眠れて大変助かります」
「ええっと」

 どうしてだろう。そんなはずはないのに、オペラさんは遠回しに私の申し出を却下している。……ように聞こえる。多分、私が遠慮していると気遣ってくれてるのだと思うけど、その優しさは今はとても困る。

「気分転換に、次は私の部屋に来てもらいましょうか」
「あ、いや、」
「ナマエ様、昨日は寝言も仰られていましたし、眠れていないようには思えなかったのですが」
「――あの! 私、これ以上いるともっともっとオペラさんのこと好きになってしまうので、もうやめたいんです!」
「……」
「……」

 しん、と部屋が静まりかえる。居心地の悪い静寂が、私の体に絡みつくようだった。
 暑くもないのに、手のひらがじっとりと汗ばんでいく。
 もう少し丁寧に形を整えて伝えるはずだった言葉は、なんの加工もなく飛び出してしまった。心の音を等身大で曝け出すのは、とても恥ずかしい。
 オペラさんはつり上がった目をぱちくりさせて、「だったら尚更、どうして?」と訝しげに呟いた。

「なったらいいじゃないですか、私は困りません」
「そ、それって優しさでしょうか!? 今回ばっかりは残酷です!」
「優しさではありません、私の欲です。私が、ナマエ様と一緒に寝たいんです」
「……オ、オペラさんは、普通だったじゃないですか。私が好きだと伝えた時も、一緒のベッドで眠った時も、お仕事の時と何も変わらない」
「……」
「ドキドキしてるのは、私だけ。好きなのも、」

 ――私だけ。
 そう紡ごうとした唇は、オペラさんの長い人差し指によって閉ざされる。
 深紅の双眸は、相変わらず静かで、波ひとつ見せない。

「どうしてナマエ様だけだと思うのですか?」
「……」
「私の心音を、聞いたことがありますか?」
「そ、」
「まるで私の頭を切り開いて見たような、決めつけですね」
「……いや、」
「普通に、欲情してましたけど。当たり前じゃないですか。まだ、枯れてませんので」
「!? げほ、けほ、」
「寝返りを打つ時に漏れる声や、明け方に腰に巻きついてくる大胆な行動にいつも理性と欲が戦っていました。もし私がSDでなければ、あなたなんてとっくに――」
 そこまで口にすると、オペラさんは私の両肩を掴んだ。何も出来ず、おずおずとオペラさんの表情を覗きこんだ。その一瞬で、突如、耳たぶに鈍い刺激が生まれた。ほんの、1秒にも満たない早さ。
 
「食べていました、かぶりと」

 言葉通り、耳たぶには歯が立てられている。それは紛れもなくオペラさんのもので、起こっている事実を肌で理解すると、身体中が燃え上がるように熱を持った。
 ふっ、と甘い息が首筋に当たり、ビクリと肩が跳ねる。
 どくどくと脈打つ心臓が、これは夢ではないと私に訴えかけてくる。

「ナマエ様こそ、私を知るべきです。――この悪魔が、どんな目であなたを見ていたのか」
「……お、ぺらさ……っ、」
「どんな風に、触れたいと思っていたのか」

 耳輪から首筋、鎖骨と柔らかなものが撫でるように触れる。生暖かいそれの正体は、オペラさんの唇だった。
 優しい触れ方なのに、普段お世話をされている時のものとは、何か、違う。
 擽ったさに似た感触に、ただ息を飲んで耐えることしか出来ないでいると、今度はしなやかな指が私の顎を捕えた。そのまま上を向くように促され、オペラさんの視線と私の視線が重なる。普段湖のように静かなオペラさんの瞳は、相も変わらず静か。だけど、静かな深紅の奥は熱っぽく揺れていた。私の、知らない顔をしてきた。
 ドクドクとうるさい心臓の停止ボタンを探してみても、見当たらない。
 
「わかりました?」
「……っ、」

 素早く頷いてみせると、オペラさんは満足そうに瞳を細め、ぱっと手を離した。

「それは良かった。では、次は私を知ってもらう番ですね」
「オペラさんを……?」
「一緒に寝ましょうか、引き続き。今度は私の部屋で」
「!」
「私にどう見られているのか理解したナマエ様が、一人で、私の部屋にいらしてください。」

 導火線に火がつけられたみたいに、じりじりとタイミリミットが迫ってくる。
 触れたことない感情が顔を見せ、私の覚悟を見定めようとしてるみたいだ。……私はまだ、オペラさんのことを、三分の一も知らないのかもしれない。
 オペラさんの袖を掴み、深く頷いて見せた。

「……待っててください」
「ええ。お腹を空かして待っています」

 そう言って微笑み、オペラさんは去っていった。
 静まり返った部屋で、私は自分の胸にそっと手を当てる。手のひらに伝わってくるのは、延命処置から目覚めた恋心だった。
 ――私を知ってほしい。
 そう願ったはずなのに、いつの間にか私は、オペラさんという底知れない深淵に足を踏み入れていたらしい。
 今夜、私は彼の部屋へ行く。
 私を知ってもらうためではなく、オペラさんをもっと、知るために。
 その優しさの奥に隠されていたものに、触れるために。