※2人とも学生です。
何となく見ていた外も茜色に黒みが差し込んだところで見飽きて立ち上がろうとするが、鉛筆が紙を滑る音が聞こえて名前は立ち上がるのをやめた。
「いつからいたの。」
「君があの男の帰りを待っていた時から。」
この詫び入れない露伴の態度に名前は心の中で大きく溜め息をついた。今、名前が余りいい気分では無いのを知っていてこの男は名前のその姿をスケッチしていたのだ。
名字 名前は恋をしている。同級生の男の子に。接点なんてものはひとつも無い。好きになったきっかけも友達から聞く恋バナから比べたら酷く曖昧なものだ。
窓際の席の名前が授業中暇つぶしとして外を見ていた時に、彼は授業でサッカーをしていた。上手いとは言い難いその男につい自分を重ねてしまい、授業である事も忘れてジッと目で追いかける。
(あ、)
相手チームが圧勝ななか、男が1点シュートを決めたのだ。今更1点入った所で勝敗が覆る事もない。けれど混じりっ気のない、嬉しいと心から表れている男の笑顔に名前も同等の感情が沸き起こり、同じ様に笑ってしまう口元を手で隠した。そんなきっかけの恋だった。
周りの男子に去年同じクラスだった子がいて同級生だと知った名前は休み時間になれば直ぐに他クラスの教室を覗きに行った。クラスが分かれば彼と同じクラスの子に聞いて名前や部活等を教えて貰った。彼の部活である美術部に季節はずれの入部届を出したが、話すでもなくただひっそりとキャンパス越しからその男を見つめていた。
「そんなに見てたって何も伝わらないぜ。」
隣から小声ながら良く通る声が聞こえた。どきりとしながら視線を初めてそこに向けると、声の主はつまらなさそうにデッサンをとっていた。先生が用意した目の前の模造の果物には目もくれず、黒板の近くで座っている顧問を描いているそれは、絵に関して素人の名前でも一目で上手いと分かった。
「それとも見てるだけで面白いのか?」
「は、?」
馴れ馴れしい態度に名前は眉をひそめた。覚えの無い人にずけずけと言われた事に不快感を覚え靴を見ると、同じ学年の色だった。嫌悪感を隠さずまた視線を戻せば向こうもまた、名前の方を見てきた。
「僕は前の週も、その前の週もここに座っていた。元々此処は僕の席なんだ。そこを後から入部した君が隣に座ってきたんだ。」
「はあ……」
理解できない話の流れに名前はこの席を選んだ事を心から後悔した。隣の男は尚も質問を続ける。
「あのねぇー、僕はそんなにあの男を見て楽しいのかと聞いたんだ。」
「……貴方さァ、ウザイよ。」
「何ィ!?」
それが名前の世界に岸辺露伴という存在を初めて認識した出来事だった。それからというもの露伴は名前に絡んでくる様になった。
「描き終わった?」
「とっくに。」
「……今度の文化祭に出す為のネタ探したかなんか?」
「どうでもいいだろそんなの。」
「ふうん。ならこの私のデッサンは失恋した女ってところかな。」
すっかり固まってしまった首を露伴の方へ向ければ少しだけ楽になった気がした。露伴はただ「そうか。失恋したのか」と言った。
「私が好きになる前から彼女いたんだって。同じ部活の子だった。さっきも仲良く帰ってたよ。」
「告白したのか。」
「違う。この前他の部活の人達が彼に廊下でその話してからかってた。」
「そうか。」
「露伴も知ってたんじゃないの。」
「ああ、知ってたよ。」
その返事に名前は大きく溜め息をついた。心の中で、ではなく。
何となくそんな気がしていた。露伴は名前の恋心を知っていたが決してその恋に協力的ではなかった。ただ名前の恋のきっかけを聞いてそれっきりだった。
「そんなにショックな事か?名前、君が勝手に相手に期待していたんだろ。関係なんてそもそも無い訳で、崩れる事すらない。なかった事になんて簡単に出来るんだぜ。」
「でも私は、なかった事になんてしたくない。」
反論の言葉は思いもよらず強気な語気となって出てきた。それに驚くも、引くつもりはなかった。名前は鞄を手に取ると露伴に近づきキッと上から見つめた。
「それにやっぱり私彼の笑顔が好きだってさっき分かった。露伴はそんな理由で好きになるなんて、って笑うかもしれない。でもさ、でもね。好きな人の笑顔って幸せな気持ちになるんだよ。それだけで十分理由になるんだよ。」
珍しく口を挟まずじっと聞く露伴を暫く見つめ、名前は勢いよく教室を出て行った。岸辺露伴との奇妙な関係は、名前の失恋と共に解消された。
部活も退部し、また帰宅部へと戻った名前は穏やかな日々を送っていた。四角い自分の教室の内でほぼ半日を過ごして終わり、放課後になれば時折友人と寄り道をして過ごす。特別な楽しみなんてものはなくなってしまったが、素直に楽しかった。
文化祭を迎え宣伝係りとして宣伝するついでに気になった所にふらりと寄る。隣の教室には何となく足は向かなかった。校門近くの下駄箱まで行くとそこに立ち止まり上を見てる人が何人もいた。そういえばと名前は思い出す。
例年そこには美術部の優秀作品が幾つか展示されているのだ。その事を思い出し名前は久しぶりに露伴の事が頭に浮かんだ。
きっとあの彼の事だ。この中のひとつに入っているだろう。
私は果たして彼のネタの一部になり得たのか見ておこうと軽い気持ちで名前も皆と同じ様に顔をうえに上げる。作品だけで作者の名前は控えていると分かり、果たして見つけられるかと心配するもそれは直ぐに杞憂となった。
異才を放つその絵はひと度視界に入れば離すことが出来ない程の力を持っていた。そして露伴が描いた絵の中には名前がいたのだ。
あの日の暗さなんてものはどこにも無く、窓辺で笑う少女を外から見上げた視点で描かれていた。水彩画の軽いタッチと色味は光をふんだんに集めている。口元を手にやる途中の時間を切り取っている為、少女の笑顔は隠しきれてはいない。
こんなにも明るく幸せな絵とは裏腹に露伴が付けた題名は「失恋」だった。
「何で……」
呟くや否や名前は駆けだしていた。
まるであの絵から溢れ出した何かが自分を後ろから押し上げて入るような、そんな不思議な感覚に名前は陥った。
どういった意図で露伴があの絵を描いたのかは分からない。だからこそ、名前は知るべきだと思った。あの絵のモデルである自分が、知るべきだと思った。
同じクラスの友人を見つけ岸辺露伴を知らないかと聞くも、返ってくるのは皆知らないという言葉だった。そう、名前は露伴という男について美術部の同じ学年としか知らなかった。美術部で少々話す程度の仲。少なくとも名前にとって岸辺露伴とはその位の存在でしか無かった。
すると前方に見知った顔を見つけた。大勢の中であれ直ぐに目に入ってしまうのはまだ想いを捨て切れていないという証拠なのだろうか。
「あ、あの!」
声を掛ければ男は振り返り、不思議そうに名前を見る。長い時間名前は男を見つめていたが目があったのも、話をするのもこれが初めての事だった。
「あの私、元美術部員で……えっと、岸辺露伴!岸辺露伴を知りませんか?!」
「岸辺?岸辺なら────」
男が示す様に自分の教室の方に目をやった。名前も同じくそこへ向けると、受付に座る露伴がいた。
「なんだ名前。君、僕もここのクラスだって知らなかったのか。」
声を掛けずとも露伴と目が合う。意地悪っぽく笑う露伴に、名前は無性に落ち着かなくなった。そんな名前を知ってか知らずか、露伴は続ける。
「その様子だとあの絵を見た様だな。」
名前は頷くと疑問に思っていた事を投げかけた。
「あれは想像で描いたの?」
「まさか!僕は君をあの日見ていたってだけさ。
君が窓から見ている時。教室を覗きに来たとき。キャンパス越しに君があいつを見ている時、僕はずっと君を見ていた。」
露伴の告白を夢見心地で聞きながら、名前は最後に話した放課後を思い出す。
笑顔で惹かれた名前を、露伴は笑うと思っていた。しかし露伴はあの時どんな表情をしていただろう。自分が出た後の教室で何を思い、あの絵を描き続けたのだろう。
先程の露伴の絵が頭をよぎり名前は今すぐにでも目の前の男の手をとりたくなる。
「僕も君と同じだった。でも、隣で君があいつを見ているのを見て、このままじゃあ駄目だと思ったんだ。」
モノの本質を見透かした様な目で一歩づつ露伴が近付く。その目で見られた名前は身じろぐ事も許されなかった。
「今じゃあなくったって良い。いつか……なぁ、名前、僕に向かって笑ってくれよ。」
END
20180130
20190707修正