愛した分だけ締まる首
────この病院には死神がいる。

 そんな噂が流れたのは何時からだろう。

「馬鹿らしいと思わない?」

 知り合いが経営しているレストランでチョコラータと食事をしながら、私はそんな下らない話のネタを振った。
 夜も深く、無理をいって時間外に予約したお陰で店内は私達2人しかいない。

「子供達だけならまだしも、私の患者も言ってるの。この間亡くなった同室の人、あの人が死神に殺されたとか言って。本気なのよ?私もうびっくりしちゃって……」

 最後のレアに焼かれたステーキを一口大に切ってる私の話を、メインディッシュを終えたチョコラータはワインを飲みながら愉しげに聞いていた。そうしてゆっくりグラスを置いて、余韻をたっぷりと楽しんだ彼は、口を開いた。

「馬鹿らしいと一蹴するには余りにも不可解だと思うがな。」

 彼の口から出てきた言葉は私の予想と反するものであり、また、彼らしくもない言葉だったので私は目を丸くした。

「信じられない、貴方も死神を信じているの?」
「信じるか信じないかは別としてだ……実際死亡した患者の中に死神の様なものが見えたと言っている人が何人かいた。しかもその発言をしたうちに、不審な死を遂げている奴もいるんだからな。ああ……なんだ、転落死した…」
「半年前のね?」
 私は眉をしかめた。

 半年前、うちへ入院してきた男性が数ヶ月後に殺されるだの喚き散らして窓から飛び降りたのだ。
 うちの病院を一気に最悪な形で有名にさせたこの事件は、ここら辺で知らない者はいないだろう。マスコミの取材に何度も状況説明をしたお陰で、半年経ってようやく報道や他の患者の転院騒動も落ち着いてきた。そして誰からともなく、関係者でこの事件に関して口にする者はいなくなった。

「実際彼は精神疾患の気があったじゃあない。誰が話をしたか知らないけど、噂話を聞いて本当にそうなんだと、信じてしまったのよ。」
「そうだな、精神面で彼は弱かった。」

 チョコラータは私の言葉をあっさりと肯定した。

「だが他にも不可解な死を遂げた者はいる。骨折で入院してた、ただそれだけのいたって健康な奴が──心筋梗塞で死んだ。深夜に絶叫して息絶えた患者もいたな……。カルテが他の者と入れ替わって片方が手遅れになった事もあったな。」
「あれは不運な事故よ。会社に頼んで調査して貰ったけど、事件性はないと判断されたでしょ。」

 どうして私はこんな馬鹿らしい話に真剣に付き合っているのだろう。

 ふとそんな考えに至る。ただの話題のひとつとして振った話だった筈であり、チョコラータとそんな事に振り回される人達を嗤うつもりだったのに彼はこの件に関してどうにも変に関心を持っているらしい。そのズレが、こんなにも自分をムキにさせているのだろうか。

「さっきはあんな事を言ったが、実は私は、死神はいると思っているんだ。」

 私は顔を上げた。
 チョコラータは教鞭をとるかの様に話を続ける。

「ただ、鎌を持ったとか、そんな胡散くせえものじゃあない。」

 チョコラータは人差し指を動かし顔を寄せろとジェスチャーする。少し躊躇いながらも、私はそれに従った。

「死神は人間だ。」

 ワインの香りと、名前の知らない香水の匂いが妖しく香った。

「あれらは全て人が故意にやったってこと?」
「そっちの方が現実的だ。」
「ありえないわ。」

 私は体を椅子に戻すと水が入った方のグラスを手にとり、喉を潤した。

「そんなこと、ありえない」

 チョコラータの主張を肯定するなら、犯人は内部の者になる。そしてある程度権限のある者……。だがそんな悍ましい性格の者があの病院にいるだろうか?少なくとも私には検討もつかない。

「立派な人格者ほどサイコな奴はいるものだ。例えば、おれ────」
「あなた…」
「成績優秀、市から表彰されたおれは、
実は抑圧された殺人衝動を抱えていた。医者になって患者を見ているうちに、とうとう抑えきれなくなったおれはカルテを誤魔化し、骨折患者に毒を投与して弱った患者に絶望的な言葉を与えて────」
「やめて。」

 私はぴしゃりと言葉を遮った。
 チョコラータは私の態度に少し驚いた顔を見せ、そして笑った。

「失礼。気分を害したかな?」
「馬鹿らしくて聞く気にもならないだけ。」

 ただでさえ今日はオペがあって気をすり減らしたのだ。成功率の低い手術ともあり、その患者も死神を見ただのと言って一昨日から弱気になっていた。

 だが成功した。

 手術は滞りなく終わった。完璧だ。あとはSSIさえ起きなければ……。


 皿の上のステーキに目をやる。すっかり冷めてしまったそれは、未だに鮮やかな赤色で生き物であった事を主張するかの様に見えた。

 どうしてオペの後は、肉を食べたくなるのかしら。

 どうやら私は、声に出してしてしまったらしい。
 私のこの独り言に、チョコラータは愉快そうに笑った。

「自分の地位を確認したいからだろうよ。自分は圧倒的に、死という立場から離れていると認識したい……おっと、

 お前の携帯、鳴ってるぜ?」


────この病院には死神がいる。

 そんな噂が流れたのは何時からだっただろう。

 病院側からの簡潔な報告を聞きながら、私は真剣に、そんな事を考え始めていた。

 何か、手に負えない、ドス黒いものが背後から近付いてくる、そんな不気味さと恐怖を感じながら……。

END

20180112
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愛してなじって罵って