制服の下の隠し事
 ミーティングを終えて診察室へ向かう途中の出来事だった。

「私、チョコラータ先生の秘密知ってます。」

 すれ違いざまに腕を掴まれ、はっきりとした女の声で耳に届いた言葉に、俺は前へ出した足を引っ込めて振り返る。俺の腕を掴んでいたのは麻酔科医の名前だった。今までチームを組んだ事は無かったが、数少ない病院お抱えの麻酔科医の名前ぐらいは記憶していた。

 秘密、と聞いて思い当たる事はひとつだけだった。

 女を見つめるとそいつは満足げに笑った。見る人が見れば愛嬌のあるそれも、今の俺には苛つかせる要因でしかない。

「今日の夜9時、206号室で待ってます。」

 そう告げてあっさりと腕を放した。俺は後ろ姿を少しだけ見た後、踵を返してまた歩みを進める。明日の手術の計画を考え直しながら……。



 医者という立場を利用して行っていた観察に、俺は行き詰まりを感じ始めていた。他の医者や患者の家族の目を盗んでの人体実験ではやれる幅は少なく、1人では不可能な事も多い。次第に不満を感じ始めた俺は、当初とは打って変わった熱の冷め具合だった。
 金も貯まったのでいっそプライベートクリニックでも開業して、そこで好き放題やるのも手だなとも思案していた矢先のことだ。

 掛けられたあの言葉は想像していなかった事ではなかった。ただ予想よりちょっぴり早く、そして一介の平凡な女医が俺に辿り着いたことは想定外だった。それだけだ。

 指示された病室でノックすると直ぐに扉が開いた。

「良かった。来てくれたんですね。」

 心にもない言葉を女はぬけぬけと言う。自分の方が立場が上だと思い込んでいる女の態度を内心笑いながら、俺は要件を促す。

「端的に言いますとね、先生。私、これからこのビデオテープを使って先生を脅します。」
「人殺しを脅すと?」

 はい、とはっきり彼女は肯定した。そして続けてこう言った。

「チョコラータ先生、わたしを彼女にしてください。」

 思わぬ発言に言葉に詰まる。
 馬鹿らしい、なんなんだこの女は。そう思いながら俺は改めてまじまじと目の前の女を見つめた。言ってる事とは裏腹に、女の目は真剣であり熱ぽかった。


「彼女にしてくれたら私は告発しません。先生のお手伝いだってする。」
「手伝い?」
「麻酔に関して先生は手出しできなくて、色々と不満だったんじゃあない……?」

 ひそめく声が妖しく部屋に重く響く。
 その言葉は今の俺にとって最も興味深く心を惹かれるものだった。

「間抜けな部下を知っています。麻酔が全く無ければ痛みで気絶や最悪死ぬことだってあるけれど、私がいればこっそり意識だけを途中で覚まさせることも出来る……。ね?悪い話じゃあないですよね?」

 確かに思わぬ話だったが全てが良いこと尽くめではない。この女が果たして使える奴か疑問だし、仲が拗れて私を売る可能性だって十分にある。だいたい付き合うって何だ。




「手術中のチョコラータの顔大好き。」
「そーかよ。」

 ビデオを停止して名前と俺は死体をそっちのけに録画の確認をし始めた。

 ふと俺はある疑問をぶつけた。
「なぜおれだと分かった?」
「────半分は、女の勘。」
「残りは」

 名前は妖しく口を歪め、俺の頬を撫でた。

「別の勘」

 俺は顔をしかめた。頬を滑る手が不快に感じて手首を掴んで拒絶する。ビデオを取りあげテープを抜き取とって本体は名前に渡してやった。

 協力者として一緒にいる時間が増えてこの女を知るようになったが、やはりどうにもいけ好かない。

「別に嫌いで構わない。でもこのチョコラータを知っているのは私だけよ?他の誰かに教えたら殺してやる。
 その人も、あなたも。」

 余命数ヶ月の患者に慈悲深い言葉をかけるような優しい声色に似つかわしくない言葉を吐き出した。相変わらず何時もの笑顔で、けれどもその目から女の情熱がみえた気がした。

「悪くないな。」

 その目は悪くない。殺されるのも、

 ……なんて、所詮世迷い言だ。

「本気なんだから」
 名前は俺の返答の真意には気付いてないようで先程より少し不機嫌そうにそう言った。俺のほうも訂正するつもりはなかったので、鼻で笑って片付けにとりかかった。


 翌日、まだ朝も空けたばかりの人もまばらな院内にあるレストランテでは、テラス席に名前と見知らぬ男の2人がみえた。一人は名前と同じ椅子に座り、話ながらパソコンでせわしなく打ち込んでいて、片方は時折カメラを名前に向けてシャッターを押していた。
 そういえば取材があると言っていたか。

「なるほど、だからより専門性が求められるのですね。」
「ええ。」
「しかしDr.名前、なぜ効くのか解明されていないものを責任をもって取り扱うのは怖くないのですか?」
「医者が怖がっていてはいけませんし……不安なのは患者でしょう?」
「そうですね。」
「執刀医が患者様の健康のためだとするなら、私たちは意識のないオペ中の患者の代理です。意識がない患者様の為に麻酔科医がいるます。ですから…………」

 愛嬌のある笑顔で明朗快活に話す名前に俺は胡散臭さしか感じなかった。

 ……成る程もう半分の勘はこれか。


END

20190701
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愛してなじって罵って