身体が日に日に成熟していくのに対して私は男女の差異が相変わらず実感出来なかった。なぜ個々によって思考の違う人間を、男や女などとカテゴライズして非難や分析をするのか理解出来なかったし、またナンセンスに感じていた。
─────ひとりの男と出会うまでは。
流石の夏でも夜の風はひんやりと涼しかった。反対に鎖骨と胸の中間部の皮膚がまた熱を帯びた気がしてそっと手で触れれば、今日の情事が脳裏をよぎる。
長い年月をかけて知性と理性を身につけた人類にとって、果たしてセックスという行為には「種の存続と繁栄」という意味があるのだろうか?
現代において愛やセックスは、独り善がりの肉欲の成れ果てでしかないのだ。
そしてひとつ分かった事がある。
────どうやら女は愛がないと生きていけない生き物らしい。
一足遅くチョコラータが帰宅してきた。キッチンで買ってきたパンをトースターで温め直してその場で立って食べる私を、彼は非難めいた目で見つめてくる。行儀の悪い女は嫌いなのか、はたまた機嫌がもとより悪いのか……。恐らく両方であろう。
私はとぼけたまま気付かない振りをしてチョコラータと私の分の珈琲を淹れる。チョコラータもそれ以上特に何も言わずにソファに座ってテレビを点けた。今日は毎週欠かさず観ているドラマの日であり、それは貴重な私達のコミュニケーションのツールでもあった。
「ねぇチョコラータ見た!?」
「……うるせえなぁ、」
「今週もこの女の所為でまた最悪な状況に陥ったわ!このグループの存続の為にもこの女を皆はまず殺すべきよ!」
「毎週毎週これだ。そんに苛つくならもう観るんじゃあねぇ。」
チョコラータは嘲笑した。
「なに言ってるの!もう9話よ!?物語の謎がこれから解明されるってのにここで観るのをやめる人なんていないわ。
難病の特効薬があと1日で分かるって確約されてるのに、病気が苦しいからって自殺する人はいないのと同じよ。」
私はやや興奮気味に珈琲を啜った。珈琲の匂いと苦さが幾分か私を落ち着けた。
「とにかくこのドラマはシナリオがだめ。圧倒的にリアリティがないわ。まずこの女はその場の状況や感情に流れすぎなのよ。人って絶対的な優先順位があるはずでしょう?
それにパートナーの男ね。なぜ男はこんな馬鹿な女を見限らないの?いつも彼女の尻拭いばかり、一番危険な目にも遭ってる。彼の能力ならもっと良い相手をゲット出来る筈なのに。」
「この矛盾こそがリアリティだと思うがな。命懸けの状況下で、自分と同じ立場の弱者に慈悲やら母性愛が芽生えたのかもしれん。…まあ確かに、女の行動は理解に苦しむしムカつくがな。少なからず私はこーいうタイプは苦手だ。」
「でしょう?」
するとチョコラータは頬や唇に妖しい魅力を浮かべた。
「だが、恋やら愛は理屈じゃあねーだろ?」
ドキリと胸が高鳴った。
チョコラータは体をもたげるとゆっくりと脚を組み直す。その動きに合わせてゆったりと揺れるピアスの光にくらりとし、目の前が光でパチパチと弾けて爆ぜた。
「馬鹿な女ほど愛らしく感じれる事もある。
男ってのはそういうものだ。」
「もちろん私もな」と続けてチョコラータはそう言った。
蛇に睨まれた様に体が動かない。けれども、とっくに夜のニュース番組に切り替わった男性の下手なリポートも、冷蔵庫の音もチョコラータの息遣いも、感覚だけが研ぎ澄まされて全てがクリアに聞こえてくる。
チョコラータの手が伸びて私の左側の首を掠め、髪を耳に掛けてきた。いつもなら心地よく感じる冷たい掌に、今は少しの恐怖を感じて小さく体が揺れた。目聡いチョコラータはそれに気付くと目を細め、口角の上がった形の良い唇を一文字に結んだ。かと思えばゆっくりと触れてきた手が驚く程早く首もとに移動し、力強く絞めてくる。
「2度目はないと思え。」
驚く程冷たい声だった。右耳から髪越しに、チョコラータの唇の感触がした。湿った唇から生暖かい吐息が掛かって吹き抜けていく度、その吐息は私の心臓を凍らせた。
「いつ私が他の男とセックスして良いと言った?今度こんな事をしてみろ、こいつをお前の穴にぶち込んでイかせてやる!」
反対の左頬に無機質的な冷たい物が当てられる。珈琲には医療用のメスが当てられた私の引きつった顔と、それを見て満足げに、愉しそうに笑うチョコラータが映っていた。
ウククと文字通りにひとしきり笑った後、チョコラータは冷めた顔でメスを落とすと立ち上がって私を見下ろした。
「さっさと風呂に入ってそのメスで胸の汚ねぇキスマークを落としてこい。このソファも今日中にお前が捨てるんだ。」
カップに残った珈琲を掴んでチョコラータは特注のカッシーナのソファにそれを零し、カップを乱雑に床に落とした。解放された私をはたと見て、チョコラータは目を細めると鼻でせせら嗤った。
「下品な女め」
そう吐き捨てて部屋を出て行った。
貴方の言うとおりだわ、チョコラータ。
だって私、裏切って貴方の怒りの琴線に触れても罪悪感なんて微塵も感じやしないんだもの。
寧ろ女としての悦びに、身体は火照り、子宮が熱く疼いて濡れていた。
シャワーも片付けも後回しにして私はソファに横たわって自分自身を慰め始める。
ニュースではローマで発見された、身元不明の男の不審死が取り沙汰されていた。こんな愛の表現もあるのかと知った夜だった。
END
20190705
お題:「男ってのはそういうものだ」
「もちろん私もな」