使い捨てるには愛しすぎた
 彼女の世界を鮮やかにするものは、今や指先から伝わる文学しかない。

 本を取りに行った名前が廊下からすっと入って来て私は体を縦にして道を譲った。
 私の隣まで来るとくすりと女から笑いが零れた。

「なに?びっくりしたの?」
「音がなかったから。私には突然お前が現れたようにみえた。」

 体を逸らした時の慌てた足音が女にとっては可笑しかったようだ。なんとなくの決まりと居心地の悪さから部屋を出て行こうとすると名前が声を掛けた。

「お昼に荷物が届いた。」
「お前が読みたがってた本じゃねーか?どこに置いた……ここか。」
「頼んでくれたの?」
「まあな。」

 引き出しからカッターを取り出して丁寧に開梱していく。二冊の本?の上には視覚障害者の集まりの案内が書かれたメッセージカードが添えられているのに気づき、それを緩衝用の紙と一緒に丸めて捨てた。

「窓開けた?風が……」
「ああ、空気がこもっていたから。寒かったか?」
「ううん。けどもう少ししたら閉めた方が良さそう。」

 名前のその言葉の意味が分からず私は返答に困る。変な間が出来てしまい、今更何か言うこともないなと思い結局何も返さなかった。名前は窓の傍までテーブルの角、時計の秒針の音、それらを目印にして歩いていく。

「ねぇチョコラータ」

 呼ばれた私は名前の傍まで歩み寄る。

「月が綺麗よ。」

 言われて上を見上げるが、重く濁った雲が月を隠して半分も見えちゃあいなかったし、考えてみればこいつにその光景は全く見えないではないか。再び返答に迷っていると、左側から1人分の体重が乗り掛かった。

「チョコラータ今見上げてた?」
「当たり前だろ。」
「そう…。私チョコラータの横顔大好き。ちょっと昔を思い出しちゃった。月なんて出てないんじゃあない?」

 愉快そうに名前は笑った。ただの口実だったのかと真意が分かり、名前の肩を抱いて髪を梳いてやった。名前につられて私もふと昔を思い出した。

「出てるぜ。」
「ほんと?」
「ああ。月が綺麗だ。」

 初めて出会ったあの夜、私を見上げるお前の目に映った月が何故だか今でも私の心をかき乱す。
 お前は私を優しいと言って慕うが、それは間違いだ。私は善意で全盲になったお前を傍に置いているわけではないし、ましてやその目の原因は私にあるのをお前は知らない。

 不幸せで愚かで馬鹿な女。

 ただ少し、ほんのちょっぴり、

 お前の目に映し出されたあの月がもう見れないのが、少しだけ残念だ。

「チョコラータがそういうなら相当綺麗な月ね。」
「そうだな」

────すくなくとも私が知る限り、一番綺麗な月だったよ。

 風が次第に強くなってくる。遠くで雷鳴が轟いた。


END

20190710

お題「月が綺麗だな」
top
愛してなじって罵って