※モブ男(鼠田くん)が登場します



 『野良猫にエサを与えないでください』

 よく見かける看板の注意書きを知りながら、わたしは与えずにはいられなかった。

 机の端っこに、そっとお菓子を置いてみる。ゲームに集中していた孤爪くんの猫背がビクッと飛びあがり、その真ん丸な猫目がわたしを見上げた。
 ふふふ。どうぞ、召し上がれ。
 にまにまと微笑みながらそうっとその場を離れると、孤爪くんはお菓子とわたしを交互に見やっておろおろと戸惑っていた。
 ──話しかけてみたい。けれど、ダメダメ。まだ我慢。
 野良猫と仲良くなるにはコツがある。ゆっくりじっくり時間をかけて、ゆっくりじっくり近づいていく。これ鉄則。
 初めて孤爪くんにお菓子をあげたとき、わたしは得意げにそんなことを考えていたけれど、それはなんて浅はかで軽率な行動だったのだろうと、今になって思う。


 野良猫にエサを与えないでください


「孤爪くん、チョコ食べる?」
「……ありがとう」

 まるで餌付けだ。そう揶揄したのはいったい誰だったっけ? とにかく“餌付け”の甲斐あって、わたしと孤爪くんはすっかり仲良くなっていた。
 警戒心の強い本物の野良猫を相手にするようなわたしの物腰に動揺していた孤爪くんも、今ではもうすっかり慣れて、わたしの手のひらからお菓子を受け取ってくれるようになった。
 「どうしておれに構うの」って聞かれたこともあったけれど、それは単にわたしと孤爪くんが前後の席であるからというだけではなく、わたしがクラスで浮いている人を放っておけない質であるからというだけでもなく、孤爪くんがかわいいからだった。
 孤爪くんはかわいい。猫みたいで、とっても魅力的だ。

「おい苗字、“モリモリ”やろーぜ」
「あ、鼠田くん」

 孤爪くんとチョコレートを食べていると、クラスメイトの鼠田くんが話しかけてきた。
 “モリモリ”というのは今空前の大ブームを巻き起こしているゲームアプリのことで、どんどん積み上がるブロックを消していくパズルゲームだ。例に洩れずわたしもしっかりハマっている。

「どっちが多くスコア出せるか勝負な」
「えー、鼠田くんには勝てないよ」

 モリモリはLIMEと連携させると友達内で週間ランキングを見ることができるのだけれど、鼠田くんはいつも上位の成績を残している。「わたしじゃ相手にならないでしょ」と敬遠しても「ハンデやるから」と取り合ってもらえない。
 もう、なんでわたしなの? ぶつぶつ文句を言いながら席を立つ。

「孤爪くん、じゃあまたね」
「……うん」

 孤爪くんがちらっと鼠田くんを見上げた。鼠田くんも孤爪くんを見下ろしている。
 交差する二人の視線。ちりちりと火種のようなものが見える気がする。気のせいだろうか。

「なぁ苗字、なんであんなやつに構うの?」
「え? うーん……猫みたいでかわいいから?」
「いっつもお菓子やってるよな。まじで餌付けじゃん」

 鼠田くんの席でいざゲームを始めても、鼠田くんはちらちらと孤爪くんを気にしているようだった。
 あ、思い出した。わたしと孤爪くんの関係を“餌付け”と表現したのは、そういえば鼠田くんだった。





「孤爪くん、クッキー食べる?」
「……ありがとう」

 今日も孤爪くんと一緒にお菓子を食べる。控えめにもぐもぐと咀嚼するかわいい姿を見つめながら、他愛もない話をする。
 ふと視線を感じて振り向くと、鼠田くんと目が合った。「苗字さん」孤爪くんがわたしを呼び戻す。

「ついてる」

 孤爪くんの指が、突然わたしの唇に触れた。ポロッと食べかすが落ちる。「え」とびっくりして、固まって、いったいなにが起こったのか、わたしはお礼も言えずにじわじわと頬を赤らめた。

「──苗字……ッ!」

 鼠田くんが慌ててこちらへやってきた。ふわふわと浮いた気持ちのままぼうっとしていると、わたしや鼠田くんよりも先に孤爪くんが口を開いた。

「……必死だね」
「は、はぁ……ッ!?」
「別に、取って喰おうなんて思ってないよ。でもあんまり目障りな鼠が周りをうろちょろしてると、間違えてそっちを食べちゃうかも」
「……どういう意味だ、テメェ」

 二人の会話の意味はちっともわからなかったけれど、気がつくと目の前にバチバチと火花が散っていた。あの火種はどうやら見間違いではなかったらしい。

「おら、モリモリやるぞ。苗字」
「えぇ……!? また!?」
「俺が手取り足取り教えてやる」

 ヒェーと叫び声をあげながら鼠田くんに引きずられるわたしを見て、孤爪くんはムッと顔をしかめた。

「猫だかなんだか知らねーけど、干支じゃあ鼠が一番だ。猫は鼠に騙されて、そもそも同じ土俵にすらあがれねーんだよ」

 鼠田くんは吐き捨てるようにそう言うと、自分の席に無理矢理わたしを座らせて、イライラしながらモリモリを始めた。
 そんな怖い顔してやらなくても……と怯えていたら「もし俺が今週ランキング一位とったら週末映画に付き合え」となんとも厚かましいお誘いをうけてしまった。
 ヒューヒューと騒ぎたてる面々。四面楚歌。囲まれたわたしは断れず、しぶしぶ頷くことしかできなかった。





 金曜日の昼休み、わたしは憂鬱な気分だった。
 スマホに表示されたモリモリのランキングをじっと見つめる。今のところ、鼠田くんが一位だ。このまま月曜日までランキングが変わらなければ、わたしは鼠田くんと映画デートをすることになる。鼠田くんのことは嫌いではないけれど、やっぱりデートは好きな男の子としたいものだ。わたしは小さくため息をついた。

「……どうしたの?」

 心配した孤爪くんが後ろの席から声をかけてくれたので、わたしは力無く首を横に振った。

「ううん、なんでもない……あ、スコーン食べる? チーズ味」
「え……あぁ……うん……?」
「そういえば孤爪くんってモリモリやったことある?」
「……パズルゲームは、あんまり」
「そっかぁ…………あー! また失敗した!!」

 ゲームオーバーと表示された画面を見て、わたしは頭を抱えた。なんとか鼠田くんのスコアを上回りたいのだけれど、足元にも及ばない。

「難しいの?」
「けっこう頭使うし難しいよ。やってみる?」

 はい、とスマホを渡す。孤爪くんがおずおずと受け取るのを見て、そういえば孤爪くんの連絡先知らないなぁと思った。クラスのグループLIMEにもいないみたいだし、誘ってあげないと──。そう思って口を開いた瞬間、わたしと孤爪くんの上に大きな影が落ちた。

「……苗字、ちょっとこっち来い」

 どす黒いオーラをまとった鼠田くんがすぐ真横に立っていて、またもやわたしは指名されてしまった。
 「えっ、なに……?」とわたしが怯むと、鼠田くんは「いいから」と言って腕を引いた。

「──干支って、所詮ただの空想だよね」

 孤爪くんが真っ直ぐ前を向いたまま静かに口を開いたので、鼠田くんはぴたりと動きを止めた。「……あ?」とますます圧をかけられたところでその冷静さは揺るがない。

「現実的に考えても猫はペットで、鼠はよくても実験台だよね……いったいどっちがかわいがってもらえるか……火を見るより明らかだと思うけど」

 ちらりと向けられた眼差しの鋭さは、思わずわたしまで息を呑んでしまうほど冷徹だった。
 鼠田くんは押し黙り、それから「……行くぞ」と何事もなかったかのようにわたしの腕を引いた。

「ちょ、ちょっと……!」
「いいから。なんの映画にするか決めよーぜ」
「えぇーもう……」

 すでに勝ちを確信したような鼠田くんの発言にわたしはげっそりして、後を追いかけるようにふらふらと立ち上がった。

「孤爪くんごめん。ちょっと行ってくるね……」
「うん……あのさ」
「ん?」
「このまま……昼休みのあいだ、スマホ借りててもいい?」
「え? あ、うん。モリモリ練習するの?」
「まぁ……うん。──ちょっと実験」





 鼠田くんと適当に映画を決めたあと、わたしがトイレから戻ると、なにやら教室がざわざわと騒がしかった。
 「どうしたの?」とクラスメイトに訊くと、「いいから鼠田をなぐさめてやってくれ」と背中を押された。いったいなんなの? 居心地の悪い奇妙な視線に見守られながら、わたしはガックリと項垂れている鼠田くんに近づいた。

「ねぇ、どうしたの? なにがあったの?」

 問いかけても返事はなく、机の上には投げ出された鼠田くんのスマホが光っていた。なんの気なしに画面を覗き込む。

「えっ」

 ──順位が入れ替わってる……!
 表示されていたモリモリのランキングを見て、わたしはすぐに気がついた。なぜなら一位のスコアはゼロがひとつ飛び抜けていて、言葉通り、桁違いだったからだ。
 これ、こんな数字、見たことない。こんなの内輪どころか、全国レベルで一位なのでは? いったい誰が──? 

「誰だよ、unknownって…………」

 ふと、鼠田くんが悔しそうに唸った。
 ──“unknown”。突如一位の座に君臨したその人物のアイコンは、初期設定であるグレーの人影のままだった。それがさらに薄気味悪さを加速させ、それでいて妙な威圧感があった。

「ねぇ……これって、LIMEで鼠田くんが友だちに追加してない人じゃない?」
「……え? そんなやつ──」

 わたしが思い立って問いかけると、鼠田くんはそんなはずはないというように、慌ててスマホを確認した──と思ったのも束の間、鼠田くんは突然、ものすごい勢いでスマホをぶん投げた。

「────クッソ!」

 ガコンッ! と大きな音を立てて、鼠田くんのスマホがゴミ箱の中に入った。
 しんと静まり返る教室。呆気にとられて立ち尽くしていると、鼠田くんは荒々しく扉を蹴って飛び出して行った。
 しばらくして、わたしは導かれるようにふらふらと歩いて、ゴミ箱から鼠田くんのスマホを取り出した。そして映し出された画面を見て、ひゅっと息が止まりそうになる。

 “知り合いかも? ──孤爪研磨”

 わたしの手の中で、鼠田くんのスマホが震える。

 “新着メッセージがあります”
 『UNIVERSE 25』

 誰かがゲームをしている。目立たないようにと一番小さな音量でプレイする音が、水を打ったような教室にはっきりと響いていた。
 あれは、いつもの狩猟ゲーム。クリアしてしまったパズルゲームなんてもう興味ありませんというように、きっと彼は淡々と指を動かしているに違いない。

 ──チュドーンッ!

 ひときわ激しい音がして、ゲームクリア。
 これは世界が破滅する音だ。増殖して増殖して増殖して、楽園だったはずの世界が破滅へと向かう音。

『野良猫にエサを与えないでください』

 わたしはなぜ従わなかったのだろう。
 一度与えてしまったらもう終わりなのに。

「苗字さん」

 振り返ると、孤爪くんがやさしく微笑んで手招きしていた。招き猫みたい。白昼夢のような幻のなか、わたしはふらふらと導かれるように歩き出した。

「手取り足取り、教えてあげようか?」

 孤爪くんが自身のスマホをひっくり返すと、そこにはやはりさっき見た桁違いのスコアが表示されているのだった。
 まるで答え合わせのようだった──いや違う。これは答え合わせなんかじゃない。これは猫の習性だ。狩ってきた獲物をお土産のように飼い主にプレゼントする、はた迷惑なあの習性。
 わたしはどこかぼんやりとしていた。かすかに立ち込めるチーズ味のお菓子の匂い。夢うつつ。にっこりと笑う孤爪くんの口元に咥えられているのは、あれは、鼠の死骸──?

「おれと映画、行ってくれる?」

 答えはYESだ。今度は四面楚歌に苦しめられて出した答えでもなければ、エサを与えた責任をとるために出した答えでもない。
 やっぱりデートは好きな男の子としたいものだから。そんなふうに、思っただけ。

back