※注意※
・全体的に暗め
・夢主とお相手の子どもが登場します
・妊娠、悪阻、流産、不妊治療の描写あり
不快な気持ちになる恐れがある方は自衛してください。






「ママ、これ読んで!」

 おやすみ前の絵本の音読。娘が持ってきた懐かしい表紙に、私は小さく息を呑んだ。

「…これ、どこから持ってきたの?」
「おもちゃのところ」

 ソファでタブレットと睨めっこしていた蘭世にちらりと目配せしても、"知らん知らん"と首を横に振るだけだった。
 不思議に思いながらその絵本を受け取ると、娘がお気に入りのクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、「お友達に読んであげるの!」と言った。


 やさしい よる の おはなし


 タイトルを指でなぞる。青い夜空に浮かぶたくさんの星が描かれているその絵本は、青と黄色の鮮やかなコントラストがとても綺麗な、私の大切な記憶のアルバムだった。








「…随分と洒落た飲み物だな」

 星空の下、私が浮かれて買ってきた2つのドリンクを見て、蘭世は目を丸くさせていた。

「本当は温かい飲み物にしようと思ったんだけど…」

 綺麗だったから、つい。と言い訳をしながらプラカップを手渡すと、蘭世は神秘的な青紫のグラデーションを目線の高さに持ち上げて「すごい、すごい」とそこに閉じ込められた宇宙の泡が弾けるのを眺めていた。
 私は蘭世の隣に腰を下ろしながらこっそり辺りを見渡して、それから小さく耳打ちをした。
 
「他にも人がいてよかったね」
「ん、あぁ…そうだな」
「やっぱりちょっと恥ずかしいよね、これ」

 私達が購入したペアシートは楕円形のソファのようになっていて、寝転んでプラネタリウムを鑑賞できるところが醍醐味なのだけれど、一般席と比べると圧倒的に数が少ないため目立ってしまうのが難点だった。
 声を顰めていると、蘭世も今更恥ずかしそうに肩を竦めてじとっと私を睨んだ。

「これにしようって言ったのは名前だぞ」
「そうだけど……でも、だって、」
「ん?」
「もし今回うまくいったら、これからなかなかこういうところにも来れなくなるのかなぁって思うと……」

 せっかくならね。と微笑んでみても、蘭世は同じように笑ってはくれなかった。切なく細められたその眼差しは、私の心許ない笑顔を見抜いているようだった。
 押し黙った蘭世が唇をきゅっと結んで、薄く開いて、それから何かを言おうとした時、ドームの照明が一気に落とされて、辺りが暗闇に包まれた。

「あ! パパ、始まるよ」

 前の席に座る少女が父親を揺すり起こしている。その声に誘われるように、私達も空を見上げた。

 スクリーン一面がまるで藍染め液に浸したかのようにしっとりと濃紺に染まっていく。頭上に降り注ぐ低音のヒーリングミュージックは優しく耳を塞ぐようだった。
 やがて、目の前にぽつんと一粒の星影が浮かびあがる。一番星だ。導かれるままに一点を見つめていると、知らぬ間に、すぐ側に小さな星が瞬いていた。視線を移すと、その星の隣にもまた、小さな星が瞬いている。
 そうやって星と星とを繋いでいたら、いつしか私達はすっかり満天の星に覆われていた。
 ため息を吐きたくなるような美しい夜空と、ソルフェジオ周波数528Hzと432Hzの調律が私の胸の中に染み込んで、午前中からずっと止まないざわめきを静かに宥めていくようだった。

 私はその時なぜか、14日前のことを思い出していた。トイレから出てうっかり泣いてしまった私の背中を撫でさする手のひらの温もりを、どうしてか今もまた、胸の奥に感じていたのだ。


 ふと、蘭世が私の手を握る。答え合わせをするような温もりにびっくりして隣を見ると、紅い宝石のような瞳の中に、満天の星の輝きと、今にも泣き出してしまいそうな私が閉じ込められていた。ちぐはぐの世界。まるで万華鏡を覗いているかのようで、私はしばらく動けなかった。

「さっき、」
「…え?」
「言おうと思ったんだが」
「あ、うん……」

 誰にも聞かれないように、こっそりと耳元で囁かれる。

「……大丈夫だ。絶対、絶対」





 午前中、私達は6度目の人工授精を終えた。今回子どもを授かることができなかったら次の段階に進むしかないと、その説明も一緒に受けてきた。
 会計を済ませて自動ドアを出ると晴れやかな青空が広がっていたから、私は眩しくて目を細めていた。

「プラネタリウム。行こう、行こう」

 そんな時、蘭世がわくわくしながらスマホの画面を見せてくる。
 何もわかっていないような顔をしているけれど、蘭世はきっとわかっているのだろう。わかっているのに、わざとわかっていないような振りをして、だらんとぶら下がる私の手を強く握りしめているのだろう。
 だって、おかしな話だ。まるで自分が行きたいみたいな顔で誘ってくるけれど、それはいつだって、数ヶ月前に私が行ってみたいとぼやいていた場所なのだから。




 全てのプログラムを鑑賞した後、私達はドームの横のショップにふらっと立ち寄った。そこで見つけた乳幼児向けの絵本に、どうしてか強く惹かれてしまった。

 "やさしい よる の おはなし"

 タイトルを指でなぞる。背後からひょっこり覗き込んだ蘭世が「いいな、それ」と微笑んだ。

「綺麗だよね……イラストもかわいい」
「買おう、買おう」
「え。いや、でもまだ……その、わからないし…」
「今日から読んであげよう」
「…え?」
「きっと聞いてる。今も、聞いてる」

 振り返るとあまりにも真っ直ぐな瞳と目が合ったものだから、私は息が止まりそうになった。









「おめでとうございます。妊娠5週…といったところでしょう」

 一週間前から妊娠検査薬を使っていたから知っていたけれど、医師の言葉を聞いてもそれでも信じられなかった。ぼんやりとした夢を見ているようだった。まるで無重力空間に放り出されてふわふわと浮いているような、そんな感覚──。
 モニターに映る子宮内膜に、ぽつんと黒い穴が空いていた。まるで一番星を探す時のように、私はずっと、そこから目を離すことができなかった。
 待合室で待っていた蘭世にエコー写真を見せる。「穴じゃなくて袋なんだって」先生の言葉をそのまま繰り返すと、蘭世はそれを目線の高さに持ち上げて「すごい、すごい」と言った。そして私と同じように、それだけしか映っていない空間をどうすることもできずに、何かを探すように、ただずっと、見つめているのだった。


 妊娠6週になると胎芽が映るようになって、同時に1cmにも満たない命の灯火が見えた。
 力強く生きようとする命の音を聞いた。チカチカと白黒の明滅を繰り返す心臓の瞬きが、私には、真っ暗な夜空で光り輝く星のように見えていた。
 私の中に宇宙があった。小さな命の始まりは私にとって、それくらい壮大で果てしなくて、本当に信じ難い奇跡のようなものだったのだ。


「名前、何が食べたい」

 帰宅してから屍のように動けなくなった私の背中を蘭世が優しく撫でさする。
 さっきまでまるでプラネタリウムに行ってきたような心地だったけれど、産婦人科を出て電車に揺られた途端に吐き気が舞い戻ってきた。倦怠感と、行き場のない苛立ちが募っていく。

「食べたいものはいっぱいあるよ……ケーキ、アイス、ハンバーグ……でも、今は無理…」
「そうか。何か食べれそうなものは」
「……酸っぱいやつ。梅干し…そうめん。冷たい、そうめん」

 我儘なことを言っている自覚はあった。梅干しもそうめんも家にはないし、何より蘭世はあまりキッチンに立ったことがない。これじゃあまるで八つ当たりじゃないか。子どもじみた自分の態度が情けなくて、恥ずかしくなる。

「わかった。作る、作る」
「え…」
「そんな不安そうな顔をするな」

 それくらい俺にもできる。と蘭世が意地になって私のおでこを小突くものだから、謝るタイミングを逃してしまった。

 そうして蘭世が一人で買い物に行って一人で作ってくれた梅そうめんに、私は小さな感動を覚えていた。丁寧にきゅうりまで切って、大葉なんか散らしてくれたそれはとっても美味しそうだったのだ。
 ぐう、と素直にお腹が鳴る。お礼を言って、ありがたく一口食べる。「おいしい…」口の中に爽やかな香りが広がって、同時に彼の優しさが染み渡る。ただただ嬉しくて、そうやって調子に乗ってちゅるちゅると啜っていると、やがて様子がおかしくなる。
 あ、やばい気持ち悪いかも…。うぷっ、と込み上げてトイレに駆け込む。瞬間、全てをぶち撒ける。胃液まで搾り取られるようで、苦しくて涙が滲む。そうしていると最後に虚しさだけが残って、涙が溢れて止まらなくなる。
 嗚咽しながらトイレから出ると、心配そうにこちらを見ていた蘭世がギョッとして慌てて駆け寄ってきた。

「どうした、どうした…!」
「ぅ、ご、ごめん…っ」
「大丈夫か? つわり、辛いよな…」
「……っ違うの、蘭世…ごめん。せっかく作ってくれたのに、ごめん…」

 彼の優しさを無下にしてしまったような気持ちになり、胸が張り裂けそうだった。制御できないまま泣きじゃくる私の体を、蘭世はそれでも尚優しく包み込んでくれる。

「気にするな、そんなこと。……もしかして、それで泣いているのか?」
「だ、だって……」
「そうかそうか、悪い。そうだよな…」

 名前は、優しいから。蘭世はそう言って、するりと髪を梳くように私の頭を撫でた。蘭世がくれた言葉は髪の艶を滑るように、フローリングの上に落ちていった。




 妊娠8週に入るとすっかり体調が良くなった。一般的につわりのピークを迎える頃だと言われているけれど、もちろん個人差があり、どうやら私には当てはまらないようだった。

「でも、無理はするなよ」
「大丈夫。ありがとう」

 ごはんが美味しいって幸せだね。そう言って白米を頬張る私を蘭世はハラハラと見守って、そしてどこか不満げでもあった。
 午後に予約していた妊婦健診に付き添えなくなったので、蘭世は朝からひどく落ち込んでいた。急遽、夕方からミーティングが入ってしまったのだ。
 「心配、心配。一人で行かせたくない」と駄々を捏ねていたけれど、たぶん理由はそれだけじゃない。きっと、先週一緒に読んだマタニティ雑誌に各数週の胎児の様子が書かれていたせいだろう。

──もう二頭身になっているみたいだぞ
──わぁ…かわいい。ピーナッツみたい
──次は手足が見えるかもしれない。楽しみ、楽しみ
──楽しみだね。ねぇ、また絵本読んであげようよ

 我が子の姿を思い浮かべながら絵本を読んだ夜が、まるで昨日のことのように思い出される。

「エコー写真、もらってくるから」

 そう言って背中をさすると、蘭世はようやくしぶしぶと頷いてくれた。




 診察室のモニターを見上げるとピーナッツみたいな二頭身が映ったので、私はカーテンで仕切られているのをいいことに思わずクスッと笑いそうになってしまった。
 前回よりも大きく成長していたその姿はまだまだ人間のようには見えないけれど、私はその時初めて強い気持ちで、我が子を愛おしく思っていた。そして、早く蘭世にも見せてあげたいなどと、浮かれていたのだ。

「………」

 打って変わって、診察室には不思議な沈黙が流れていた。クリニックに漂う穏やかなBGMと、何度も角度を変えてマウスをカチカチと鳴らす音が、嫌に耳についた。

「…ごめんね、ちょっといいかな」

 先生の声があまりにも優しかったから、私はその時、反射的に耳を塞ぎたくなっていた。

「心臓が…止まっちゃってるかもしれないね」





 貰ったエコー写真をぼーっと見つめる。心にぽっかり穴が空いてしまったみたいに、切り取られた白黒の世界をがらんとした気持ちで眺めていた。
 産婦人科は賑やかだ。お腹の大きな人、マタニティマークをぶら下げた人、真っ青になってトイレに駆け込む人。各々が診察室や会計に呼び出されて、そうやって世界はいつもと同じように回っていた。
 どこからか新生児の泣き声が聞こえてくる。力強い、命の音。私をひとり置いてきぼりにする、命の音。



 私は悲しいのだろうか? 自分の気持ちがわからない。涙が出なかった。あんなに待ち望んでようやくお腹に宿ってくれた命を失くしても、涙のひとつも出てこないだなんて。

── 名前は、優しいから。
 蘭世の言葉が蘇ってくる。

 優しさって、なんだろう? 帰り道を歩きながら、私はそんなことを考えていた。
 
 なんにもわかっていないような顔。万華鏡のような瞳。見抜くような眼差し。蘭世は全部、わかっているのだろうか。

 最後の人工授精を終えてクリニックから出たときの晴天を、私は疎ましく思っていた。気の遠くなるような治療内容が淡々と書き綴られているこの紙切れ一枚を空に浮かべたら、それが雲になって、あの眩しすぎる恒星を今すぐに隠してくれるのだろうかと、夢のようにあてもないことを思っていた。
 プラネタリウムでペアシートを選んだ時、もし今回うまくいったら…なんて前向きなことを言っておきながら、本当はあの時、私は打ちひしがれていた。生まれてくる確証もない命に絵本を読もうと言った蘭世が、私にはあまりにも眩しかった。

 希望と絶望を繰り返す毎日は宇宙のように果てしない。永遠を追いかけるふりをして、私達はいつも終焉を望んでいる。隣のペアシートに座っていたカップルも、父親を揺すり起こしていたあの少女も、夜空を見上げていったい何を思っていたのだろう。

"赤ちゃん、だめだったみたい"

 蘭世にメッセージを送る指先がしっかりとその文字を捉えて、ひとつの打ち間違いもないことに虚しくなった。
 夕飯どうしよう。私はぼんやりとした頭の中で、冷蔵庫の扉を開いていた。
 ねぇ、蘭世。こんな私のいったいどこが──




 玄関の扉は重たい。今日はやけにそう思える。すぐ横のスイッチを押した時の眩しさを思い出して、伸ばしかけた手を引っ込める。
 暗い廊下を進む。コンビニで買ってきたお弁当をシンクの横に置くと、ビニール袋が騒がしく擦れた。
 レンジフードの照明がスポットライトみたいにコンロの上を照らしている。フライパンが出しっぱなしになっている。蓋がしてあった。見覚えのない光景。何も考えずに蓋を取る。

「…え」

 ハンバーグが入っていた。少し焦げてボロボロになっている。すっかり冷めた身を寄せ合うように、二つ、並んでいた。
 ぽろっと、降り始めた雨粒のように涙が落ちた。空に追いやっていた感情が、どっと私の上に降りかかる。とても抱えきれない。崩れ落ちる。
 冷蔵庫を開けたらきっとケーキが入っている。そのすぐ下を開けばやっぱりアイスが入っているのだろう。
 私は泣いた。声をあげて泣いた。彼と見つけたあの星の瞬きを、この腕に抱いてあげたかった。そしてあなたにも、抱いてほしかった。





 毛布に包まって微睡む背中に、そっと温かい手が触れる。乾いて張り付いた瞼を無理矢理こじ開けると、ぼやけた世界で蘭世が小さく微笑んでいた。

「こんなところで寝ていると、風邪を引くぞ」

 真っ暗な部屋に月明かりが差し込んで、蘭世の輪郭をなぞるように縁取っている。夢を見ていたのかと都合よく思えなかったのは、彼の瞳に哀愁の色が滲んでいたからだ。
 もぞもぞと毛布に包まったまま重たい体を起き上げる。浮腫んだ眼差しを向けると「こっち、こっち」とベランダに導かれた。

「星が綺麗だ」

 夜風がふわりと頬を撫でる。覚束ない足取りで隣に並んで、空を見上げた。雲ひとつなく、澄み渡る夜空。透明の向こう側に、宇宙の全てが透けて見えた。
 散りばめられた星の欠片の中に、チカチカと明滅する星を見つけた。なんだか、そこにいるような気がした。そんなわけないと思いながら、そう願わずにはいられなかった。
 一点を見つめていると、知らぬ間に、すぐ側に小さな星が瞬いていた。視線を移すと、その星の隣にもまた、小さな星が瞬いている。私は無意識に、彼の優しさをそこに重ねていた。

「蘭世、」
「ん」
「…前に、私のこと優しいって言ってくれたでしょ。でも…本当は全然、そんなことないの」

 どうせ、と諦めながら命を待っていた。幸せそうな家族とすれ違うたびに、なんで、と唇を噛んでいた。そんな私のことを、蘭世は本当に、わかっているのだろうか。

「名前」

 囁くように名前を呼ばれて、ゆっくりと振り向く。優しい瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。

「幸せって当たり前にあるものじゃない」

 蘭世の手のひらが、私の手をそっと包み込む。

「名前はそれを知っている。だから、優しい」

 答え合わせをするような温もりが、いつだってここにある。私は蘭世の温かい手のひらを小さく強く、握り返した。
 あの星の瞬きもいつかは終わる。そのことを知っているから、私はきっと、強くそれに惹かれてしまうのだろう。

「…蘭世」
「ん」
「最後に、絵本…読んであげたい」

 星の輝きを詰め込んだ蘭世の瞳は美しい。その瞳が微かに揺れて、綻ぶように微笑んだ。

「…きっと聞いてる。今も、聞いてる」

 星空の下、私達は絵本を読んだ。この絵本はこの子のもの。だから、これで最後。そう決めて、それからどこか奥の方に仕舞い込んだ。

 それは、優しい夜のことだった。







「──はい 、おしまい」

 ぱたんと閉じて、裏表紙を見せる。娘はお気に入りのクマのぬいぐるみと一緒に布団に包まれてうとうとと微睡んでいた。きっとそろそろ寝てくれるだろう。
 反対側で添い寝していた蘭世が柔らかい髪をするりと梳くように頭を撫でた。娘は私達の宝物だ。あの出来事から数年の時を経てやってきてくれた大切な命。かけがえのない、私達の子ども。

「ねぇねぇ…」娘がゆるりと瞬きをする。
「ん…どうしたの?」
「お友達も聞いてた…?」

 「お友達…?」なんだっけ、と視線を彷徨わせる私の代わりに、「ああ。聞いてた、聞いてた」と言って、蘭世がクマのぬいぐるみを同じようにトントンと撫でていた。そういえば最初、娘はそんなことを言ってこの絵本を持ってきたのだっけ。

「ほんと…?」
「ほんと、ほんと」
「ママのお腹の中で、聞いてた…?」
「……ん?」

 私達はキョトンと目を見合わせた。娘が何か不思議なことを言っている。

「この絵本が好きって…言ってるよ…」

 微睡む娘。うつらうつらと瞼を閉じて、開いて、また閉じた。見守っていると、すぐに深い寝息が聞こえてくる。

「…寝惚けていたのか?」

 蘭世は首を傾げているけれど、私は直感的に感じて思い当たることがあった。胸の奥にじわりと熱が広がっていく。頭の中でカレンダーを遡る。14、28、35…。もともと生理不順だけれど、いや、まさか。
 ふと、蘭世と目が合う。紅い宝石のような瞳の中に、やさしいよるの輝きと、今にも泣き出してしまいそうな私が閉じ込められていた。見覚えのある、万華鏡の世界。ドクン、と心臓が高鳴る。だって、おかしな話だ。私達はもうずっと、クリニックには通っていないのだから。

 いったい彼になんと伝えよう。もしかしたら今、私達には不思議なことが起きているのかもしれない。

「ねぇ、蘭世。あのね──」



やさしい よる の おはなし おしまい
 



back