路地裏で三つ編みの迷い犬を保護したあの日から今日で丁度一週間。家と仕事場の往復といういつもと変わらない日常と再びの残業で草臥れた体を引きずるようにして辿り着いた築古アパートな我が家の前。
カバンの中の鍵を取り出すために下げていた視線を上げれば疲れた脳内に飛び込んできた見慣れない黒と金。
脳内処理が追いついていない私の視界に場所は違えどまるであの日の記憶をなぞるようにしゃがみ込んだ黒と金のツートーンカラーの髪を三つ編みにした男のコの姿が映った。


「蘭くん」


あの時は知らなかった彼の名前を口にすれば三つ編みくん、もとい灰谷蘭くんはその整い過ぎた顔をあげる。
一週間前と変わらない綺麗な藤色の瞳が私の姿を捉えると「おねーさん、おかえり」と笑みを浮かべた。


「もう、来ないと思ってた」


一週間前の帰り際に「また」なんて意味ありげに告げられたけれどそんな言葉は年齢のわりに遊び慣れた様子の彼にとってはきっと社交辞令のようなもので正直本気にしていなかった。

立ち上がらせるために手を差し出せば蘭くんは私のその手を素直に取り、立ち上がるのと同時に繋がれた手を勢いよく引っ張った。


「なんで?俺言ったじゃん、また来るって」


バランスを崩した私の体は蘭くんの胸に体当たりするようにぶつかる。
人ひとり分の重さがぶつかり結構な衝撃だったはずなのに身動ぐことなく受け止めた蘭くんはその大きな体で私の体をすっぽりと覆い隠すと優しく抱き込んだ。
ふわりとこの間はしなかった甘いバニラにほんの少し苦味を足したような蘭くんの香水らしき良い匂いが香る。
下手をすれば香害にもなりかねない重めのそれは、近付いたらほんのり香る程度で蘭くんの上品なイメージにピッタリだった。
腹が立つことにイケメンは香りひとつとってもイケメンらしい。


「俺こう見えておねーさんには忠犬のつもりだから、言ったことはちゃんと守るよ」


だから可愛がってね、と耳元で囁いた蘭くんは犬のようにワンと鳴いた。

くらくらと目眩がしそうなのは蘭くんの甘ったるい声のせいか重ためのバニラの香りのせいか。彼は本当に17歳なのだろうか。
囁かれた方の耳を手で押さえながら存在自体がもうエロテロリストの蘭くんをぐいぐい部屋の中に押し入れた私は悪くないと思う。


乱暴に靴を脱がせ、部屋に入るなり「ちゃんとマテしてた俺偉くない?」という蘭くんを「偉い、良い子」と存分に褒めた後、だけどずっと外で待たせるの申し訳ないし心配だから、と連絡先を交換した。ちなみに壊れたと言っていた携帯は買い替えたらしく最近発売された新機種に変更されていた。
その際に名乗れば、なまえね了解、と自然に呼び捨てで呼ばれたがもう気にしないことにした。些細なことにいちいち反応していたら私の心臓がもたない。命大事にだ。


その日以来本当に蘭くんは大体週に2回ほどのペースで我が家に訪れるようになった。


連絡先を交換したことで蘭くんが来る日は『今日行くから』とメールが入り、私は了解の旨と帰宅予想時間を返信するといったやりとりが出来るようになったので扉の前で歳若い男の子を待たせるというご近所さんたちの噂になりそうな事態は防げている。
まぁ一緒に家に入っていく姿を見られたら同じなのだが気持ちの問題だ。

そうして過ごすうちに新たにわかったことは蘭くんはなかなかにスキンシップが激しいということ。

手当てした時の押し倒し事件のことがあったからか最初のうちは私の様子を窺いながら遠慮がちに触れて来ていたのだが、私が嫌がらない様子を確認すると今度はまるでその限界を探るように徐々にエスカレートしていっている。
とはいっても押し倒し事件のように無理矢理に行為に及ぼうとする気配はなく、例えるならば飼い犬が飼い主に甘える感じだ。



「ねぇ蘭くん、火使ってるから危ないよ」


コンロやシンクの前に立つ私の後ろ、それが最近のご飯の用意をする間の蘭くんの定位置。ただ私の後ろに立って閉じ込めるようにシンクに両手をついたり、腰に手をまわして抱きしめてきたりと引っ付き方のバリエーションは様々だ。



「邪魔しないでくれると嬉しいなあ」


なんて言いながらも邪魔と強く怒れないのは本当に邪魔になりそうな時や移動する時などは言う前に自分から少し離れてくれるし、先回りして食器を用意してくれたりするからで、言い換えるとそれ以外は基本引っ付いている。基本作り置きを温めて味噌汁を作るだけの約20分間ずっと。


「んー、だって良い匂いするし柔らかくて気持ち良い」


蘭くんは腰からお腹にまわした手を服の上からさわさわと動かした。

このくらいのスキンシップにも正直もう慣れてしまった自分がいる。最初のうちは照れてしょうがなかったのだが来るたびに繰り返されれば嫌でも慣れる。
心を無にし、これは懐いてくれているわんちゃんの愛情表現だ、と極力気にしないように自己暗示をかけた。

大根とにんじんが煮込まれた鍋に味噌を溶かしていると私が何の反応も示さなかったのが不服だったらしく、蘭くんは私の襟ぐりが広めに開いたニットの肩口を下げ露わになった左肩に唇を落とした。



「ひゃっ、ちょっ?!くすぐったい!」



今までも後ろから抱きしめられた状態で髪にキスされることはあったが、彼の唇が肌に直接触れてきたのははじめてのことでびっくりして体を反転させ蘭くんと向き合う。


「だってちゃんとなまえが構ってくれねぇんだもん」

いたずらっ子の顔をした蘭くんは後ろに一歩下がることで私から体を離しもう何もしない、と両手を上げた。
その悪びれてない態度に多少腹を立てながら、



「出来るまで蘭くんはこっち、キッチンは出禁です!ハウス!」



蘭くんをリビングに押しやり勢いよく扉を閉めた。

両手で顔を覆った私は扉にもたれかかるとそのままズルズルと腰を落とし床にへたりこんだ。

羞恥心で死にそうだ。

こんな地味でパッとしない女を飼い主と呼ぶ遊びなんて早々に飽きるだろうと思っていたのに、その考えに反して日に日に激しくなっていく4歳も年下からのスキンシップに正直もうお手上げ状態である。

どんなに女性の扱いに慣れていても、大人っぽくみえても蘭くんは未成年で、成人済みの私が未成年に手を出せばその時点で犯罪。
同意の上なら犯罪ではないかもしれないがいち社会人としてのモラル的にはアウトだ。

その事実と以前言われた「全然タイプじゃない」という言葉が勘違いしそうになる私になんとかブレーキをかけさせている現状。

蘭くんの訪問がない時にキッチンに立てば背中が寂しく感じるし、慣れているはずの1人でのご飯が物足りないと感じてしまうほど私の生活はもう蘭くんに侵されている。

まるで灰谷蘭という死なない量の毒を体に馴染ませるように、毎回ゆっくりゆっくりと流し込まれているようだと私は重々しくため息を吐いた。





「うん、美味い」


今日の献立は肉じゃがと炊き込みご飯、大根とにんじんの味噌汁にほうれん草の胡麻和え。
目の前で味噌汁をひと口啜った蘭くんはいつものように私に味の感想を伝えてくれる。

あれからお皿を食卓に運んでいけば、何事もなかったように蘭くんはそれを手伝ってくれ、そのまま2人揃って定位置に座った。

そんな蘭くんの態度に合わせるように私も何事もなかったかのように振る舞う。

さっきの件に触れてこない蘭くんにどこか安心する。この距離感が一番なのだ。




その日の帰り際、

「来週弟紹介したいんだけどいい?俺がここに来てる間弟ひとりにしてるからさ」

心配なんだわ、という蘭くんはお兄ちゃんの顔をしていた。
蘭くんと2人きりという状況に限界を感じていた私は逆に助かったとばかりになんで今まで紹介してくれなかったのか訪ねれば、なんでも「もうそろそろいいかなって思ったから」らしい。
もうそろそろが何にかかって、何がいいのかはさっぱりわからなかったが取り敢えず弟くんを紹介してくれるのは理解出来たので私はわかったと返事をし、蘭くんは帰って行った。



弟くんを紹介すると言われた日の前日。
カフェかどこかで3人でお茶をしながら挨拶をする、程度に考えていた私の予想を裏切るように、『明日は俺ん家に行く、最寄りが六本木だから15時に駅前』という蘭くんらしい簡潔なメールが届いた。
そのメールの内容が理解出来ず、思わず私は3回程読み直した。
当たり前だが何度読み直しても内容が変わることはなく『わかりました』と震える指で返信を打つ。
蘭くんのお家とか、いきなりハードルが高くないですか?


そして一夜明け運命のお宅訪問日。

蘭くんとの待ち合わせ場所に行く途中、前に蘭くんが美味しいって言ってたケーキ屋さんの前を通ったので手土産を買うために立ち寄った。

なかなか有名なお店らしく注文待ちに数人並んでおり、最後尾に並んでいた金髪に水色のメッシュの男性の後ろに並ぶ。
ショーケースのなかの商品を見ながらどれにしようか、なんてうきうきしながら順番を待っていれば並んだ時には10個強あったモンブランがあと3個になっていた。

私の前の前のマダムが2つ買って行ったので残ったモンブランはあと1つ。


「チーズケーキとモンブランひとつ」
「あ」


前に並んでいた水色メッシュさんが最後の1個を店員さんに注文したのを聞き、思わず声が漏れてしまった。
私の声に振り向いた水色メッシュさんは私の視線がモンブランに向いているのに気付くと、「なに、あんたもモンブラン買いにきたの?」とぶっきらぼうに話しかけられた。

「し、知り合いがっ、ここのモンブラン好きらしくて」

慌ててそう言い訳をすれば、数秒何かを考えてた男の子は店員さんに「やっぱりモンブラン辞めてこっちのください」とフルーツの乗ったタルトを指差した。




箱に詰めて貰うのを待つ間に、同じく箱詰め待ちをしているモンブランを譲ってくれた水色メッシュさんに恐る恐る話しかける。


「あの、モンブランありがとうございます」


背のないパイプ椅子に座って携帯をいじっていた水色メッシュさんは私の言葉に顔をあげた。
水色メッシュさんの顔をはじめてちゃんと見たが、思っていたよりも若くて丸眼鏡の奥の垂れた目と青みが強い紫の瞳にどこか既視感を覚える。

「いや、違うの買いたくなっただけだから別に気にすんな」

あんたのためじゃねぇし、と言うとまた手元の携帯に視線を戻した。


「ここのモンブラン有名なんですね」

待っている間特にすることもないので迷惑かとは思いつつ独り言覚悟で勝手に会話を続ける。

「きっと美味しいんだろうなぁ」

と呟くと、


「食べたことねぇの?」


と返ってきた。
返事をしてくれるとは思わなくて、驚いて水色メッシュさんを見ると彼は手元の携帯の画面を閉じた。
迷惑そうな顔をしながらも律儀に話し相手をしてくれるらしい。


「味にうるさい知り合いが好きだって言ってて、気になってたんですけど、でもなかなか買う機会がなくて」

「ふーん、じゃあ俺が譲ってやったんだから味わって食えよ」


なんて嫌味っぽく彼は言ったが「やっぱり譲ってくれたんじゃないですか」と言えば顔をそらしてうっせと返された。え、可愛い。


「でもこのモンブラン、その人への手土産なんです」

私の口には多分入らないかな、なんて笑って言えば、

「は?他にもケーキ買ってんだろ?そいつには違うの食べさせてモンブランはお前が食えばいいじゃん」

なんて私がモンブランを食べれる方法も考えてくれた。見かけいかついけど親切で良い人だ。



「いいんです、その人が美味しく食べてる姿見るの私好きなんで」

作ったご飯を美味いって言って食べてくれる蘭くんの顔を思い出しついつい頬が緩んだ。

水色メッシュさんはまるで未知の生物に遭遇したみたいな表情で私を見る。
会話を続けようと口を開いたところで水色メッシュさんの番号が呼ばれたためこの会話は終了した。

ケーキを受け取りにいった彼と退店する直前に再び目があったので軽く会釈しておいた。



私もケーキを受け取り待ち合わせ場所に向かう。待ち合わせ場所で蘭くんと合流して連れてこられたのは六本木駅近くにある有名なタワーワンション。

え、嘘でしょ??
私は地上からタワーマンションを見上げ固まった。
予想通り蘭くんは良いとこの御子息だったみたいです。

コンシェルジュが常駐するエントランスロビーを通り抜けエレベーターに乗り込む。
エレベーターも数台配置されており、目的の階数により使い分けられているらしい。

蘭くんが乗り込んだのは上部フロア直通のもので、私はさっきから冷や汗が止まらない。


「らららら蘭くん、つかぬことをお聞きしますがご両親とかも今日お家にいるの?」

私のその問いに蘭くんはらが多いと笑いながら「あれ、言ってなかったっけ、俺弟と二人で暮らししてんの、ついでに弟は俺の一歳下ね」と言われた。

うん、何も聞いてないかな?!
心の中で蘭くんに文句をいいながらも、取り敢えずはいきなり親御さんとばったり!なんて宜しくないハプニングは回避出来たようで胸を撫で下ろす。

最上階に近い階でエレベーターは止まり、蘭くんの後について私も降りた。
共有フロアを少し歩いた先、ただいまと蘭くんはひとつのお宅の玄関を開けた。


「お、おじゃまします」


恐る恐る蘭くんに続いて玄関に入り、自分のと一緒に蘭くんの脱いだ靴も揃えていれば


「兄ちゃんおかえりって、は??」


リビングの方から誰かが出てきた声がした。


「お、竜胆、いいとこに」

「兄ちゃんどういうことだよ」


のんびりとした蘭くんの声と対照的に相手は声を荒げている。


「兄ちゃんが今日は家に居ろって言ったから待ってたのに、女連れてくるとかなんなわけ」


蘭くんの背中越し、弟くんと思わしき男のコと目が合うとお互いに目を丸くさせた。



「あ、さっきの!」


数十分前にケーキ屋さんで会話をした水色メッシュさんがそこにはいた。
丸眼鏡の奥の垂れ目は蘭くんにそっくりで、瞳の色も似通っている。
そりゃ既視感がある訳だと1人納得していると、蘭くんがそれぞれ紹介をしてくれた。


「なまえ、言ってた弟の竜胆、竜胆、これなまえな、なに?二人とも顔見知りなわけ?」


蘭ちゃん知らないんですけど?と拗ねたように言う蘭くんにさっきケーキ屋のことをかいつまんで話すと蘭くんは私たちを交互に見てにんまりと笑った。


「竜胆もなまえも俺のこと、だあいすきじゃん♡」


俺も2人とも大好きだぞ、と私と竜胆くんの頭を撫でて何やらご機嫌だ。
好き、だなんて、蘭くんにはじめて言われた。たったその一言に心臓が騒ぎ出すので、落ち着かせるためにも私はひとつ深呼吸をした。


そのままリビングに案内される。

広々としたリビングは男のコの二人暮らしにしては片付いているが、何故か個人宅にあるDJブースにキッチンカウンターの上に並べられたお酒の瓶とツッコミどころも満載だ。
これだけは言わせて欲しい、良い子のみんな、お酒は20歳過ぎてからだぞ!


高そうなソファに蘭くんと私、離れて竜胆くんが座る。

蘭くんは中性的な魅力を持つ男のコだけどそれに対して蘭くんの弟、竜胆くんは蘭くんより若干男らしさがプラスされている。
2人の違いを例えるならば蘭くんが美人で高貴な雰囲気のボルゾイで竜胆くんはしなやかな筋肉をもつ訓練されたシェパードって感じ。ちなみにどちらも大型犬だ。



「えと、なまえ、さん、は兄貴とどういう関係なんすか?」


竜胆くんが聞きづらそうに尋ねてきたため答えようと蘭くんの顔を見るが、私と蘭くんの関係性を適切に表せる言葉がなかなか出てこなくてあーとかうーとか言っているとそんな私を見かねた蘭くんが答える。


「んー、飼い主?俺、なまえに拾われて餌付けられちゃったの♡」


蘭くんの返答にまだ腑に落ちてない顔の竜胆くんに、取り敢えず買ってきたケーキを食べよう、竜胆くんの買ってきたやつもあるよね?!と私は話題を逸らした。

そうだな、と言った竜胆くんに着いてケーキの箱と一緒にキッチンに向かえば、「モンブラン、兄貴のだったんだな」と竜胆くんはどこか苦しそうに笑った。

蘭くんにモンブラン、竜胆くんはチーズケーキ、私にはショートケーキを乗せたお皿を持ちリビングに戻る。


ケーキ屋さんの味を確かめるならショートケーキを食べるのが一番という謎の自論により私に選ばれたそれをひと口食べれば、スポンジはキメが細かいので舌触りがよく、クリームも丁度いい甘さでとても美味しかった。
さすが有名店なだけあるなとふた口目を食べようとした時、

「なまえ、ほら、あーん♡」

蘭くんが私にひと口分のモンブランが乗ったフォークを差し出してきた。

モンブラン食べたかったんだろ?と誘惑してくる蘭くんに私は意を決してフォークに齧り付いた。

念願のモンブランだが、こんな風に食べさせられて味なんてする訳がない。

満足気な蘭くんに顔を赤くさせる私。
そんな様子を見た竜胆くんが「なぇ、なまえは兄貴のこと好きなの?」なんて爆弾を落としてきた。



「え?!そんなこと、ない、よ!」


「じゃあ俺のことも面倒みてくれる?」



竜胆くんは蘭くんと反対側の私の隣に座り顔を近付けてきた。
この兄弟は人との距離感バグってるのかな?!


「ちょ、ちょ、ちょ、竜胆くん、近いって!」


こつんとおでこがくっつきそうな至近距離。

慌てて唇を隠すように私と彼の顔の間に両の掌をすべりこませる。




「兄ちゃんばっかりずりぃよ」




れろ、と掌を舐められたかと思えば、ちゃんと俺も構え、とばかりに私を真っ直ぐ見つめた竜胆くんは親指の付け根側の柔らかく盛り上がった部分に優しく歯をたてた。







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