「あら、お疲れ様」
ぱたん、とロッカーの扉を閉めたところで丁度更衣室に入ってきた同じ部署の先輩に話しかけられた。
「お疲れ様です」
こちらを見て微笑んでいる彼女は業務上においては良い先輩なのだが、それ以外では噂好きな一面がありなにかにつけてプライベートを聞いてくる厄介な先輩である。
「みょうじさん、最近帰り支度早いけど彼氏とうまくいってるの?」
予想通り、仕事には関係ない完全にプライベートな話題を振られる。
それに苦笑いしながらどう切り抜けようか考えていれば、あら、とわざとらしく先輩が続けた。
「でも去年の忘年会で別れたって言ってたわよね、なあに、新しい男?」
新しいおもちゃを見つけたとばかりに先輩の目が怪しく光るのを感じた私は
「最近犬を飼い始めたんです」
2匹とも寂しがりやなので、と言うとまだ何か聞きたそうにしている先輩に気付かないふりをして更衣室を後にした。
会社から出てすぐのところにバイクを停めガードレールにもたれかかっている噂の飼い犬の片割れもとい竜胆くんを見つける。
「ごめん、待たせちゃったね」
「いや、気にしなくていいよ、それより買い物寄ってく?」
どうする?と言いながら、彼らは被らないので最早私専用といっても良い黒のヘルメットを被せると竜胆くんはバイクに跨った。
頭のなかで我が家とは比べ物にならない大きさの冷蔵庫の中身を思い出し「行きたいかも」と返事をすれば竜胆くんはわかった、と言い何やら左手で携帯を弄ると、直後ピロンとメールの着信を告げる。
それを確認した竜胆くんは、
「兄貴もそっちで合流するって」
と言い手慣れた様子でバイクのエンジンをかけた。
何やら先程のメールの相手は蘭くんだったらしい。
ちなみにはじめてのお迎えは蘭くんで、その時に無免許運転と指摘したら「バレなきゃ無免許じゃねぇよ」という謎理論をかまされ無理やり後ろに乗っけられた。それからは「1回乗ってんだから2回も3回も同じだろ」とまるで犯罪に手を染める言い訳のように上手く丸め込まれた。この兄弟と関わると私の成人済み社会人としてのモラルはどんどんなくなっていく気がする。なんとも由々しき事態である。
「蘭くん来るの?別に買い物してくだけなんだから家で待ってればいいのに」
竜胆くんの腰に捕まりながらそう言えば、
「兄貴ああ見えて寂しがりやなの」
と竜胆くんが茶化しながら言った。
私は脳内でマテが苦手なもう1匹の飼い犬の姿を思い出し「知ってる」と笑いながら返事をした。
こうして私が2人のお宅にお邪魔してご飯を作ることになるきっかけは遡ること数週間前のこと。
昼休憩に蘭くんから『今日行くから』と連絡が入った。
それは蘭くんの弟、竜胆くんを紹介されてから数日後のことで、あれからはじめて来たそのメールに私はいつも通り了解の旨と帰宅予想時間を伝える。
いつもはそこでやりとりは終わるのだが続いて『今日は竜胆も一緒』と送られてきた。
なるほど、本日は“竜胆くんはじめてのお宅訪問”の日らしい。
終業後、近所のスーパーで買った袋を片手に歩いているとアパートの手前で長身の二つの背中を見つけた。
離れていても存在感のある2人はやっぱり未成年には見えない。
蘭くんと竜胆くんの名前を呼べば整った顔をしている2人が振り返った。
2人はその場で止まって待っていてくれているらしく私は歩くスピードを上げる。
「なに、買い物してきたの?」
2人の元に辿り着くと、蘭くんが自然な動作で私の右手を取り手を繋いだ。
「さすがに男のコ2人のご飯っていうと心もとないからちょっとお惣菜買い足してきたの」
「言ってくれたら一緒にいったのに」
竜胆くんはそういうと「持つよ」と言って買い物袋を持ってくれ、蘭くん同様重さのなくなった私の左手と自分の手を重ねた。
竜胆くん優しい。こういうとこ蘭くんも見習ったらいいのに。
そう思っていれば蘭くんに繋がれた右手が物凄い強さで握り込まれる。
「痛い痛い痛い」
「なまえ今失礼なこと考えただろー?」
語尾にハートがつきそうなほどにっこり笑った蘭くんにひっと小さく悲鳴を上げ「滅相もございません」と弁解する。
竜胆くんは隣で苦笑いしながらその様子を見ていた。君のお兄さんちょっと暴君じゃないですか?!
右手に蘭くん、左手に竜胆くん。
2人に手を引かれ歩く私は俗にいう攫われた宇宙人状態のままアパートに着いた。
ここだよ、と立ち止まった先、アパートの外観をみた竜胆くんは「え、セキュリティは?」と驚いた顔で呟き、続いて玄関に入ると「え、なんで廊下にキッチン??」と再び呟かれたが丁寧に両方とも聞こえないふりをする。
そのまま2人を部屋に通せば竜胆くんはぐるりと部屋を見回し、
「すげぇ、せまい」
なんて3度目の呟きを呟いた。
やめて、私のライフはもうゼロに近いよ、竜胆くん。
「りーんど♡それ思ったとしても口に出しちゃだめなやつだぞぉ」
そんな竜胆くんに蘭くんがお兄ちゃんムーブをかましているが、
「蘭くん、知ってた?それもいっちゃいけないやつだよ」
竜胆くんの数々の言葉に瀕死状態だった私の心は蘭くんにとどめを刺された。
これだから良いとこの坊ちゃんは困る。
築年数は古いが都内の至って普通のアパートの我が家がこの兄弟にかかればまるで人の住めないおんぼろアパートのような扱いである。
ご飯の用意するからここで大人しく待っててと言い竜胆くんから買い物袋を貰うとキッチンへと移動した。
蘭くんはそのまま竜胆くんとリビングに大人しく座っており、弟がいる手前今日はいつものようにひっついてこないらしい。
その様子にほっとしたような寂しいようなどちらとも言えない感情が湧き、これは本格的に蘭くんに絆されてるなと思いながら、手慣れた動作で冷蔵庫から数個のタッパーと出汁ストックの入ったピッチャーを取り出し調理に取り掛かった。
後は味噌汁をよそうだけ、というタイミングで盛り付けた料理たちを運んでもらおうとリビングに顔を出せば2人して机を覗き込んでいる。
「何?なにか面白いものでもあった?」
不思議に思い近寄れば、
「お、これじゃね?」
「うわ、なまえ変わんねぇ」
2人の視線の先、机の上に広げられていたのはどこから引っ張り出してきたのか私の小中高それぞれの卒業アルバムで、それを覗き込みそんな会話を繰り広げる兄弟たち。
「ちょっ、なにしてるの?!」
慌ててそれらを取り上げ抱きしめるように腕の中に隠す。
「何ってウォーリーを探せならぬなまえを探せだけど」
悪びれもせずそう言った蘭くんに「なまえ昔から地味だな」と竜胆くんが追い討ちをかけてきた。
この兄弟ふたり揃うと厄介!
真っ赤な顔で2人の目から隠した卒業アルバムたちを抱えながら「もうご飯にするから遊んでないで準備して!」と私は世の中の母親のようなセリフを吐いた。
食卓に豚バラ大根と味噌汁、たたき梅きゅうりに筑前煮と間に合せで買ったお惣菜のコロッケとマカロニサラダが並んだ。
私の向かいに蘭くんと竜胆くんは並んで座ると「いただきます」と軽く手を合わせ食べはじめる。
「どうぞ召し上がれ」
蘭くんはいつもと変わらず汁椀を手に取り、竜胆くんはお箸を持ち今日のメインである豚バラ大根を掴んだ。
「っうま!」
「ん、今日も美味いよ」
竜胆くんは豚バラと大根を口に入れるとまるでこどものように目を輝かせ、蘭くんは落ち着いた様子で味噌汁を啜っている。
蘭くんの時も思ったけど、竜胆くんも箸の持ち方や食事の作法が綺麗だなと思う。
話を聞く限りネグレスト気味の家庭らしいがこうしてきちんと2人とも躾られている姿を見ると少なくても幼少時は大事に育てられていたように感じ不思議に思うがあまり家庭の事情に首を突っ込むわけにはいかないな、と思い直し私もたたき梅きゅうりを口に運んだ。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
2人とも出した料理を全て綺麗に食べてくれたので空になった食器をシンクに運びながら、我が家の狭いリビングにいる2人を見る。
身長もそれなりに高く図体のデカい男のコが2人いるだけで随分手狭に見える。
「ねえ、蘭くん、竜胆くん。」
2人を呼べば紫の瞳が揃って私を見た。
「ご飯ならいつでも作ってあげるから、次からは君たちの家にしようね」
私の言葉に蘭くんも竜胆くんも賛成してくれた。
といった経緯で、ご飯をご馳走するときは灰谷さんのお宅にお邪魔することに決まったのだがそれと同時に何故かほぼ毎日のように蘭くんか竜胆くんがバイクで会社まで迎えに来るようになった。
マンション近くのスーパーの駐車場にバイクを停め、店内に入ると入口のすぐ横で蘭くんが壁にもたれながら手持ち無沙汰に携帯を弄っていた。
「蘭くん」
声をかければ携帯から目を離した蘭くんは心底鬱陶しそうな顔を浮かべこちらを見たが、私と竜胆くんを見ると「お前ら遅ぇぞ」と文句を言いながら嬉しそうに笑った。
無事に蘭くんと合流出来たので、カートを押しながら商品を見ていく。
マンション近くのこのスーパー、セレブ御用達で有名な店で物価がおかしい。物価というか高級な品が多いので自然と値段が高くなる。
初めてこのスーパーに連れてこられた時はその値段の高さに思わず値札を三度見くらいした。
さすが六本木。さすがセレブ。
お会計が怖くてこのスーパーのなかでも比較的安いものばかりカゴに入れていたら、私の様子を目敏く見ていた兄弟たちに本来欲しかった商品と入れ替えられ、その上支払いは蘭くんがカードで払ってくれた。
悪いからとお金を渡そうとすると「無理すんなって」「作ってくれるだけで嬉しいし、正直外食やデリバリーより安いから」と受け取り拒否された。ちなみに前者が蘭くんで後者が竜胆くんだ。
それ以来お支払いは甘えてしまっている。
年上の威厳?なにそれオイシイ??
「何食べたい?」
隣を歩く蘭くんと竜胆くんに尋ねれば、蘭くんが「味噌汁飲みたい」と即答した。
「いや、メイン聞いてるんだけど...というか何で味噌汁チョイス」
「なまえの味噌汁好き」
何気ないように蘭くんが言った言葉にそういえば蘭くんは必ず味噌汁から口をつけるなと思い出し、少し気恥ずかしくなる。
「竜胆くんは何か食べたいものある?」
「なまえが作ったやつならなんでもいい」
ダメだこの兄弟参考にならない、と結局自分が食べたいものの材料を買っていく。
ほぼ毎日マンションにお邪魔しているので、冷蔵庫の中身は把握しているしなかには作り置きや出汁ストックのピッチャーももう常備されている。
灰谷家のキッチンはもう私の管轄になっている。
買い物が終わると竜胆くんがバイクを押し蘭くんが買った荷物を持ってくれマンションまで3人で歩いて帰った。
もう見慣れた玄関を2人の後に続いて入る。
「お邪魔します」
脱いだみんなの靴を整えて振り返れば、蘭くんと竜胆くんが2人してリビングへの道を塞ぐ。
「違うだろ、なまえ、おかえり」
蘭くんがそう言うと竜胆くんが「そうだぞ、おかえり」と続ける。
「...ただいま、です」
蘭くんと竜胆くんは満足そうにするとリビングへと入っていった。
2人は私がこの部屋に来る度に必ずおかえりと言う。ここがお前の居場所だと私に刷り込ませるように。
本当に厄介な兄弟だと思う。
ジュウ、という油で揚げる独特の音が部屋の中に響く。
下味を付けた鶏肉に小麦粉と片栗粉をつけ油で揚げていく。
揚がるのを待つ間に玉ねぎを微塵切りにし水にさらしていると竜胆くんが「なんか手伝うことある?」と顔を出した。
「じゃあ、ゆで卵剥いてもらってもいい?」
そう頼めば任せて、と竜胆くんは腕まくりをしてシンクで手を洗っている。
その右の腕には蜘蛛を模したタトゥーが顔を覗かせており、まだ見慣れない私はじっと見つめてしまう。
私がはじめて彼らの身体に描かれたそれの存在を知ったのは2度目にこのマンションにお呼ばれした時のこと。
その日のお迎え当番は今日と同じ竜胆くんでどこにも寄らず真っ直ぐマンションに帰ってきた私たちをおかえりと出迎えた蘭くんは直前までシャワーを浴びていたのか上半身裸だった。
蘭くんの左半身には大きくタトゥーが入っていて思わず私はその場で固まる。
「兄ちゃん!」と慌てた声で竜胆くんが蘭くんを呼ぶ声で一瞬飛んでいた意識を戻すと「そんなに見んなって、なまえのエッチ」と蘭くんが怪しく笑った。
その後話を聞くと背中側にも入っているらしく、同じデザインの右半分が竜胆くんの右半身に入っているらしい。兄弟で仲良しかよ。
はじめて会った時、血で汚れているシャツを脱ぐことを嫌がったのも、暖かい日でも長袖を着ていることもそれで合点がいった。
ケンカに飲酒、無免許にタトゥー。
不良ビンゴがあるとすれば2人してもうリーチだ。
ゆで卵を剥きはじめた竜胆くんを横目に、蘭くんを見れば彼は相変わらずソファに座って携帯を見ている。
何でも竜胆くんは多少料理が出来るが蘭くんはやらないらしい。出来ない、じゃなくてやらないってところが蘭くんらしいなと思った。
唐揚げと味変用の自家製タルタル、油揚げとわかめの味噌汁に蓮根のきんぴら、冷やしトマトを綺麗に平らげた2人は、このまま泊まっていけば?と勧めてくる。
その勧めをまた今度ね、とかわすまでがここ最近毎日のように行われる私たちのやり取りだ。
「毎日ここに来てんだし、もうここに住めば良くない?」という暴君蘭くんの悪魔のような誘惑にのれば最後、後戻りが出来ないことになりそうで、そうならないように流されそうになるのを私はなんとか踏みとどまらせている。
蘭くんも竜胆くんもそんな私を無理やり泊まらせようとはせずにまるでわざと逃すようにアパートに帰してくれる。
この家に毎日のように連れ込まれている時点でもう彼ら、蜘蛛たちの巣に捕われているのかもしれない。
「ちょっとコンビニ寄ってもいい?」
牛乳切らしてたの忘れてた、とマンションを出てすぐのところで蘭くんに言えば近くのコンビニの道路脇にバイクを止めてくれる。
蘭くんは私が外したヘルメットを受け取ると「ここで待ってる」といったので、急いで行ってくるねと髪を整えながら店内に入った。
2人の中で協定があるらしく蘭くんが迎えの時は竜胆くんがアパートまで送ってくれるし、竜胆くんが迎えの時は蘭くんが送ってくれる。どっちにしても無免許なので出来れば遠慮したいのだがあの2人が聞いてくれる訳がなかった。
牛乳を片手に持ち蘭くんにお礼に缶コーヒーでも買おうと店内を進む。
「あれ、なまえ?」
流行りの曲がBGMで流れる店内、突然背後から呼ばれ振り返ると、かちっとスーツに身を包んだ男が驚いた顔でこちらを見ていた。
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