学生の頃から地味であまり目立たなかった私の恋愛遍歴は21歳にして彼氏1人というそれは可愛いらしいものだった。

社会人一年目までの3年間お付き合いをしていたその人は私より3つ年上で優しく穏やかで紳士的な人だった。
そんな彼だから私は好きになったのに、お付き合いが半年過ぎた頃から何故か突然態度がガラッと変わってしまった。

女なら男の後ろで慎ましくあれ、という些か時代遅れな考えをもった彼は私に対して横暴な態度を取るようになり、大学を卒業し一流企業に就職し元々高かったプライドがさらに高くなり私に対する支配欲からくる高圧的な態度を助長させていった。

暴力こそ振るわないものの何か気に障ることがあれば強い口調で非難しお前はダメな人間なんだから俺の言うことを聞いておけばいいと口癖のように繰り返した。
けれどそうやって非難した後、最後には必ず言い過ぎたことへの謝罪とそんなお前のことを一番理解してやれるのは俺だけなんだ、俺にはお前しかいないんだ、と優しく抱きしめてくるのだ。
非難され罵倒され怖くてもう別れてしまおうと何回も思うのに、私が好きだった頃のようなその態度に結局絆されてしまうというのを何度も繰り返した。
その歪な関係はお付き合いというより恐怖による支配関係、典型的なDVやモラハラ加害者と被害者の構図だと別れてみてはじめて気がついた。

そんな最早惰性の延長線上のお付き合いは3年目の浮気よろしく彼が取引先の重役の娘、派手な見た目の綺麗な女の人と浮気をしたことで終わりを告げた。
彼は長年付き合っていた私とそのご令嬢を天秤にかけ迷うことなく私の方を捨てたのだ。






目の前にいる自分を捨てた男を見やりながらそういえば昔職場が六本木だと言っていたことを思い出す。
仕事帰りであろう彼は付き合っていた頃と同じく几帳面な性格の表れた皺ひとつないスーツを身に纏って私を怪訝そうに見ていた。


「なんでお前がこんな遅くにこんなとこにいるんだよ」


ちらりと横目でガラス窓から道路脇で待たせている蘭くんを窺えば彼は店内に背を向けてバイクにもたれかかっているためこちらの様子には気付いていない。
元カレと偶然にでも会ってしまったことを何故か蘭くんに知られるのが嫌でほっとすると目の前の男と向き合った。


「知り合いの、家が近くて」

「知り合い?六本木に?お前六本木に知り合いなんていなかっただろ」


まるで別れた今も私の全てを管理しているかのような言い方に付き合っていた時のことが思い出され自然と呼吸が浅くなる。


「大体こんな時間に一人で出歩かせるなんてきっと碌なヤツじゃないだろ、お前のそういうお人好しなところがダメなんだって何度言えばわかるんだよ」


一人で外出していると決めつけ、蘭くんや竜胆くんのこと何も知らないくせに碌なヤツじゃないと言う上から目線の態度も全部腹が立って、その腹ただしさからなのか過去のトラウマからなのか上手く肺に空気を取り込めず息苦しさを感じる。

なおもまだ何か言ってこようとした彼の口が言葉を紡ぐ前に私は慌てて言葉を被せた。


「ひ、ひとっ、待たせてるから!」


もう行くね、と声を裏返しながら逃げるようにレジを済ませ店内を後にした。

飛び出すようにコンビニを出た先、待ってくれていた蘭くんの顔を見た途端安心して思わずその場にへたり込みそうになった。
それをぐっと我慢して「お待たせしました」と私は無理やり口角を引き上げ笑顔を作ると蘭くんに向けた。

蘭くんは私の顔を見るや一瞬眉間に皺を寄せ、厳しい視線をコンビニの店内に向けると「帰るぞ」と私の頭にヘルメットを被せた。
ヘルメットの留め具がパチンと音を立てたのを確認するとバイクに私を跨がせ私の前に自分も跨った。

ふわりともう嗅ぎ慣れた甘いバニラの香りが鼻に届く。
すると、こわばっていた体から余計な力が抜け今度はその反動からか体が小刻みに震えはじめた。
腰を掴んだ手やぴたりとくっついた背中からそんな私の様子は伝わってしまっているはずなのに蘭くんは何も言わず、何も聞いてくることなくバイクを走らせてくれる。

自分のことでいっぱいいっぱいだった私は元カレが店内からこちらを見ていたことには気付かなかった。



バイクを走らせること数十分、見慣れたアパートの前に着く頃にはもう体の震えは治まっており「送ってくれてありがとう」とお礼を言い私はバイクから降りた。


「ん、じゃあ帰るけど戸締りちゃんとしろよ」

いつもと同じようにそのまま帰ろうとする蘭くんがぴたりと動きをとめ、視線を下に落とした。
その視線の先には蘭くんの服の裾を掴んでいる私の手。
その瞬間、掴まれた蘭くんも、無意識に掴んだ私もお互いに目を丸くさせているというおかしな状況が生まれた。


「ごっ、ごめんっ」


掴んだ服の裾を慌てて離す。

けれどまだ一人になりたくなくて、心細くて何かに縋り付きたくて、掴んでいた手は宙を彷徨ったまま。


「ね、蘭くん、ちょっと、そう、お茶!ちょっとだけお茶飲んでいかない?」


なんて下手な誘い文句のようなセリフが口から溢れた。

そのセリフに蘭くんは俯いてひとつ大きくため息を吐くとバイクからおりた。
その様子に変なことを言ったから呆れられてしまったかもしれないと怖くなりさっきの自分の言葉を誤魔化そうと早口で言い訳を続ける。


「なんてね、冗談だよ冗談、ちょっと寂しくなっちゃっただけ」


体の前で違う違うと手を振ってジェスチャーしていた私の右腕をいきなり少し痛いくらいの力で掴んだ蘭くんはポケットから携帯を取り出しどこかに電話をかけはじめた。
数回のコール音の後、機械越しに竜胆くんの声が聞こえる。


「もしもし、竜胆?そ、兄ちゃん、悪いけどなまえ寝かしつけてから帰るからちょっと遅くなるわ」


電話口で竜胆くんがまだ何か言っているのを無視して蘭くんはそのまま通話を切った。

掴んだ腕はそのまま、もう片方の手を私の頬に添わせると蘭くんはその長身の体を少し屈ませ私と目線の位置を合わせる。


「せっかく人が聞かないでおいてやろーとしてたのに、そんな顔して引き止めんだからちゃんと説明しろよ?」


私を真っ直ぐ見つめる綺麗な藤色の瞳はほんの少し怒りの色を滲ませていて、その目で私が小さく頷いたのを確認すると蘭くんは私の右手を取り部屋まで歩き出した。





あれから本当にお茶を出そうとキッチンに立った私に「アホか、もう寝るんだからシャワー浴びてこい」と蘭くんによって浴室に押し込まれた。

言われた通りシャワーを浴び、部屋着に着替えベッドに寝転んで今現在。

「寝るまで側にいるから」と言ってくれた蘭くんはベッドの脇の床に片膝を立てて座り、片手で寝ている私の前髪を優しい手つきで撫で梳いた。


「で、何があった?」

問いかけられたその声はいつもの彼のものよりずっと優しくて甘くて胸がぎゅうっと苦しくなる。


ちゃんと説明すると約束したので私は独り言のようにぽつりぽつりとさっきあったことを話し出した。


「コンビニで、偶然昔の、知り合いに会ったの」

「正直その人とはあんまり良い思い出がなくてね」

「気に入らないことがあると人が変わったみたいにすごく怒ってきて、」

「それなのに、知りもしないのに蘭くんと竜胆くんのこと悪くいうから私腹が立ってきちゃって」

「上から目線の態度は腹立たしいし、昔のこと思い出して怖くなるしで思わず逃げてきたの」


言いたいこと、伝えたいことを思いついたまま口に出していくので当たり前だが文脈はめちゃくちゃで、それでも私が話しやすいように相槌を打ってくれていた蘭くんは私のその言葉を聞くと「なに、そいつに殴られたりとかしてた?」と撫で梳く手を止め少し言葉の端を尖らせ聞いてくる。


「んーん、直接的な暴力は一度もされてないよ」


蘭くんは首を横に振り否定した私の瞳を覗き込むとそこに嘘がないか確かめてくる。
真っ直ぐ彼を見つめていると嘘じゃないと伝わったのか優しく髪を梳いていた手で私の頭を力強くわしゃわしゃと撫でてきた。


「あ、でもねっ、蘭くんの顔見たらなんかすごく安心したの、蘭くんが居てくれて良かった」


ありがとう、と乱された髪を直しながらまだ頭に乗っかっている蘭くんの大きな手を自分の両手でそっと包み甘えるように頬を寄せた。


「でも、こんなダメな私で、迷惑かけて、ごめんね」


久しぶりに元カレに会ったことで思考が元カレに支配されていた頃の自分に引っ張られている。
そのことに自分でも気付いているけどどうしようもなくて情けなくて蘭くんに謝る。
自分の感情の制御すら出来ないことも、4つも年下の男の子に甘え縋ってしまっていることもいい大人として不甲斐なくて泣きそうになった。

蘭くんはもう片方の手も私の空いている頬に添えベッドの縁に腰をおろすと


「なぁ、なんもしないから隣に寝てもいい?」


そう私の隣を指差した。

いつもなら絶対断るだろうその誘いは心の弱った今の私には随分と魅力的な誘いに聞こえ、どうぞ、と薄いブランケットをめくって自分から蘭くんを布団に迎え入れた。

さっき浮かんだ涙は緊張のせいでもう引っ込み、今度は逆に心臓がバクバクと暴れ回っているようだ。

静かな空間にギシッと人ふたり分の重さを受け止めたベッドが音を立てた。

狭いシングルベッドに2人並んで寝転がる。


「ほら、もうちょいこっち来いって」


せめてもの抵抗とばかりに壁側ギリギリにいた私を蘭くんは自分と向かい合うように引き寄せると私の頭の下に腕を通して抱きしめた。
蘭くんの左側、胸から肩にかけてに頭を預けた私は目の前の胸にそっと耳をあてる。

すると、とくんとくん、と規則正しい心音が聞こえ、その心音が思っていたよりも早くて「蘭くん、緊張してる?」と思わず聞けば、うるせぇと怒られた。

その言い方が竜胆くんとそっくりで兄弟だなぁと思う。

くすくす笑いながら蘭くんの顔を覗こうと上を見れば、優しい目をしてこちらを見下ろす蘭くんと目が合った。

かつてない程に顔の距離が近くて、気恥ずかしさが一気に押し寄せてきたため顔が見えないように体を反転させ蘭くんに背中を向ける。

私が背中を向けたことにより今度は私の体に自分のそれを後ろからぴったりと沿わせるように抱きしめた蘭くんが、なぁ、とうなじに顔を埋めながら話しかけてきた。


「そいつがさっきも、それから過去にもなまえに何て言ってたかなんて知らないけど、なまえはダメなやつなんかじゃねぇよ」

「俺と竜胆の飼い主なんだから自信持ってろ」


話しながら蘭くんはスンッと髪の毛の匂いを嗅ぐ。
向かい合っても、背中を向けても、どう転んでも結局恥ずかしさはなくならなかった。




「なぁそいつ、六本木のヤツなの?」


なんでもない会話をしながら腕枕してくれている蘭くんの左手は私の頭を優しく撫で、体の上からまわされた右手は私の体の前で私の左手と繋がれている。
背中から感じる蘭くんの体温があったかくてうとうととし始めた頃、蘭くんが尋ねてきた。

「んー?しょくば、が六本木っていってたはず」

私の答えに、ふーん、と興味がなさそうな返事が返ってきた。
自分が聞いてきたくせに、と思いながら「それがなあに」と問いかけると、

「なまえ眠い?舌ったらずになってる、可愛い」

と後頭部に口づけられる。

答えになっていないと思うが、もう片足がまどろみの中の私はそれ以上考えることが出来なかった。


「ねぇ、そいつの名前と会社わかる?」


夢と現実の間、うとうとと閉じてくる瞼に逆らえず蘭くんのその問いに何も考えず答えると私は夢のなかへと意識を手放す。
眠りに落ちる直前、蘭くんのおやすみという声が聞こえたような気がした。




朝目が覚めるともう隣には人の気配はなく、そっと触れたシーツにすら蘭くんのぬくもりは残っていなかった。

のろのろと回らない頭で出勤の支度をし、いつもと変わらない日常がはじまりを告げた。



大体今まで交代で迎えに来てくれていたのだが本日のお迎えも昨日に引き続き竜胆くんだった。
不思議に思って聞けば蘭くんは「ちょっと用事で忙しい」らしい。
だから数日は竜胆くんが送り迎えしてくれることを伝えられたので、なにか危ないことに巻き込まれてるわけじゃないかと聞けば「兄貴は強いから大丈夫」と言われた。
違う、そういうことじゃないよ竜胆くん。

そんな竜胆くんは「あ、でも夕飯は食べるからちゃんと残しとけって言ってた」となんとも平和な伝言を伝えてくれた。
前々から思ってたけど竜胆くんって"お兄ちゃん肯定bot"よね。
幼い頃の竜胆くんはきっと蘭くんの下らない嘘に騙されてたんだろうな、と想像し微笑ましくなった。
にやにやと笑う私に、何笑ってんのと竜胆くんは訝しげに私を見ていた。


2人で夕飯を食べ、片付けまで手伝ってくれた竜胆くんは私の手を引くとリビングのソファにどかりと座り、広げた自分の足の間に私を座らせる。

余談だが灰谷家のソファはお高そうな良いソファなので座面が広く2人座れるだけのスペースは充分にあるのである。

竜胆くんは後ろから私のお腹に腕をまわし首筋に顔を埋めた。
蘭くんとは違う、爽やかななかにどこか苦味のある柑橘系の香りが私を包む。


「竜胆くん、どうかした?」

そんな竜胆くんのいきなりの行動に、大丈夫?と聞けば「昨日なんかあったのはなまえだろ?」と返された。


「蘭くんからなにか聞いた?」

「...詳しくは聞いてない」

拗ねたように言う竜胆くんはぐりぐりと額をこすりつけてくる。

「昨日、帰りに寄ってもらったコンビニで昔の知り合いに会っただけだよ」

それだけ?と目で訴えてくる竜胆くんに昨日の夜、蘭くんに説明したことと同じことを竜胆くんにも話した。

私のお腹に巻き付けていた腕の力を強くした竜胆くんは、心配した、と呟き私の首元にもう一度顔を埋めた。




竜胆くんに送り迎えをしてもらうようになって、私がお邪魔するときに蘭くんはやっぱりいなかった。
一度だけ外出しようとする蘭くんと玄関で入れ違ったときに見た彼は特にケガをした様子もなく私を一度抱きしめるとそのまま何も言わず出掛けていってしまった。
何をしているのか知らないけど、無事で良かったと安心した。


それとは別に蘭くんが忙しくなったのと同時期からよく誰かに見られてるような視線を感じるようになった。
ただそう思うだけで確証もなにもないので気のせいかと蘭くんにも竜胆くんにも話してはいない。




「ごめん、今日俺も用事があって送っていけない」


竜胆くんにそう言われたのは、あの日から一週間ほど経ったときだった。

申し訳なさそうにそう言う竜胆くんに「電車もまだあるし、大人なんだから自分で帰れるから大丈夫だよ」と和ませようと彼の頭を撫でる。

それでも心配だからと、マンションの外まで竜胆くんは見送りに来てくれた。

5つも年下に心配される21歳、どうなんだと思いつつも周りを気にして小さく手を振ってくれる竜胆くんはとても可愛かったです、尊い。


少し歩いたところで、突然誰かに腕を引かれ横道に連れ込まれる。

驚いて声を出そうとすれば口を手で塞がれ耳元で、久しぶり、と聞いたことがある声がした。

振り返れば一週間前にコンビニで会った元カレがそこにいて、私の格好を上から下まで眺めたその人は「お前相変わらず地味だよな」と人のことを馬鹿にした笑いを浮かべた。


「そんな地味な格好で六本木歩いてて恥ずかしくないのか?」


余計なお世話だと声を大にして言いたくなったがじっと堪える。

ところで、とそんな私の様子には気付かず元カレは話を続けた。


「この間のバイクのやつとここ最近ずっと一緒にいるさっきのやつ、雰囲気似てるけど違うやつだよな?知り合いって言ってたのあいつらのことだろ」


彼のその言葉に、蘭くんのことはコンビニのときに見られていたかもしれないので知っているのはわかるが何故竜胆くんのことも知っているのだろうか、と疑問を感じる。


「どっちかがお前の男?」と聞いてくる元カレに否定をすれば、


「だよな、あんなタワマンに住んでる男にお前は合わねぇよ」


と言われた。

どうして、蘭くんと竜胆くんがタワーマンションに住んでいることを、知っているのだろうか。

ここ最近感じていた視線のこと思い出した私は、


「ここ最近、私のこと尾けてたの貴方ですよね、今更なんの、ようですか?」

私のその問いに、目の前の男は私の身体を上から下まで舐めるように見ると「あいつらにはもう抱かれたのか?」と下世話なことを聞いてきた。


「二人とはっ、そんな関係じゃない!」


怒りから、かっと頬に熱が集まるのを感じる。

目の前の男は、私とあの二人をどこまでバカにするのだろうかと苛立った憤りがじりじりと胸に巣食っていく感覚がした。


「そうだよな、あんな女を食い物にしてそうな男たちがお前みたいな地味で冴えないヤツ本気で相手にするわけないだろ」


少し考えればわかるだろ、と男は嘲笑うといやらしい視線を私の体に降り注ぎ、


「お前身体だけは良い女だからまた抱いてやるよ」


と上から目線で言ってきた。

元カレがこんなにも最低な男だったとは知らなかった。
取引先の重役の娘と付き合ったことで変に自信を持たせ、ただでさえプライドが高かった男はさらに傲慢な態度に拍車をかけさせたのだろう。


そんな男の支配からもう外れている私は、遠慮します、ときっぱり断る。

こんなやつに肌を許すことも、暴かれることも絶対に嫌だった。


「もう貴方に支配されている、あの時の私じゃ、ない」

「大切な、大好きな人がいるから」


頭の中に蘭くんと竜胆くんの顔が浮かぶ。

もうとっくに私は2人のことが好きなのだ。
飼い犬としてではなくひとりの男のコとして、どちらか片方をじゃなくて両方を。

認めてしまえば今まで喉の奥に留まって詰まらせていたものがすとんと胸に落ちた気がした。


清々しい気分の私とは反対に、付き合っていた期間も含めてはじめて見せた私の抵抗に真っ赤な顔をして怒りをあらわにした元カレは


「生意気なんだよ」


と私の腕を力いっぱい掴むと自身の右腕を振り上げる。

私は咄嗟に目を瞑った。




いつまで経っても思っていた衝撃は来ず、その代わりに数日離れていても忘れることのない嗅ぎ慣れた香りが、少し低い温もりとともに私の体を後ろから包み込んだ。

腕を掴まれてた感触が消え「もう大丈夫だから目、開けろ?」と耳元で言われ恐る恐る言われた通りに目を開けば、私に振り上げられた腕を掴んで捻り上げている竜胆くんが見えた。


「なぁ、あんた、誰のに手ぇ出してんの?」


掴んだ腕と反対側の肩を押さえた竜胆くんはぐるる、と今にも噛みつきそうに唸る犬のように低い声で元カレを威嚇する。



「蘭っ、くん、竜胆、くんっ、なんでここに」


「俺も竜胆も忠犬だからさ、飼い主のピンチには駆けつけんの」


私を守るように後ろから抱きしめた蘭くんが褒めろ?と首を傾げた。


「なんだよお前らっ」


現状への理解が追いついてない様子の元カレが声を荒げる。


「なにって、俺らなまえに飼われてんの♡」

「お前こそなに汚い手で俺たちの大事なご主人様に触ってんの?」


ギリギリと後ろにまわしている腕を締め上げ
た竜胆くんは男の耳元で「食い殺されてぇ?」と牙を剥いた。




「あんた取引先の重役の娘と婚約してるくせに毎日あっちこっち遊び歩いてんだな」


年の割にはお盛んじゃん♡と茶化しながら私の頭に顎を置いていた蘭くんが手に持っていた茶封筒を元カレの足元に投げつける。

衝撃で中身が地面に散らばった。

遠目から見たそれは数枚の写真のようで顔などは確認出来ないが距離の近い男女が写っているのはわかった。
話の内容からきっと元カレの浮気現場の証拠なんだろう、いつの間に、と思うと同時、ここ最近蘭くんが家にいなかったのはこれを集めていたのかと理解した。


「毎回六本木のホテル使ってくれるから証拠集めるのも簡単だったわ」


「なんなんだよ、お前ら?!」


竜胆くんに腕を捻られたまま、俺を誰だと思ってるんだ、こんなことしてお前ら覚えていろよ、と元カレがギャンギャンと騒ぐ。

そんな彼の様子に臆することなく、逆に愉快な映画を見ているかのように2人は楽しそうに笑う。



「"灰谷兄弟"」


「六本木の関係者なら聞いたことねぇ?」



灰谷兄弟、その単語を聞いた元カレは「あの100人以上の不良を束ねてた六本木のカリスマ兄弟」嘘だろと呟くとさっきの威勢が嘘のように顔から血の気が引いたように真っ青になり、大人しくなった。


「その様子じゃ俺たちのこと知ってるみたいだな」


じゃあ話は早いや、ねぇ、おにーさん、と竜胆くんが捻り上げている腕に少し力を入れながら、

「俺関節技かけんの得意でさ、人の身体、何をどうすれば壊せるのかよく知ってんだけど、試す?」


と本来曲がっちゃいけない方向に腕を曲げようとすると、元カレは情けなく「ひぃっ、や、やめてくれ」と泣きながら竜胆くんに懇願した。


「この写真、おたくの会社と取引先にばら撒かれたくなかったら二度となまえに近寄るんじゃねぇよ」


そう蘭くんが言うと、竜胆くんは元カレの腕を離す。

離された元カレは振り返ることなく一目散に大通りの方へと逃げていった。




横道に残された私と、蘭くんと竜胆くん。

後ろから抱きしめていた私を何も言わずにまるで荷物のように肩に担いだ蘭くんは竜胆くんを連れてそのままマンションへの道を進んでいく。

部屋に帰宅したと同時、何やら竜胆くんに指示した蘭くんは浴室へと一直線に向かい、服を着たままお湯の張っていない浴槽のなかに私を落とした。

お尻が浴槽の床に勢いよくぶつかりお尻から腰にかけてじんわりと痛みが広がる。

蘭くんはおもむろにコックを捻るとシャワーヘッドを掴み、勢いよく出てきたお湯を私の頭へとかけた。


「勝手に俺ら以外のオスの匂いつけてんじゃねぇよ」


と唸るように言った蘭くんの藤色の瞳と表情は今までみたことがないほどの怒りを孕んでいた。


頭から髪の毛を伝ってきたお湯が私の体を通り浴槽の栓へと流れていく。

「ら、らんくん」


「なぁ、なまえはもう俺らのだろ?」




濡れて肌に張り付いてしまった自分の服を乱暴に脱ぎすてた蘭くんは浴槽に座ったままだった私の腕を掴み引き上げると横抱きに抱き上げる。

そのまま脱衣所に出ると竜胆くんがバスタオルを用意してくれていて、蘭くんの腕の中から竜胆くんの腕の中に先程とは違いまるで壊れ物を扱うかのように優しく渡された。

濡れた体をふかふかの白い大きなバスタオルで包んでくれた竜胆くんは「服、濡れちゃってるから脱がすよ」と脱衣所の床に私を下ろすと遠慮なく服を剥きはじめた。


「ちょっ、まっ、りんど、くん、自分で、脱ぐっ!」


慣れた手つきで服を脱がしてくる竜胆くんに恥ずかしくて体を捩り抵抗すれば、


「ごめんなまえ、優しくしたいから黙って大人しくしてて」


と優しくも抵抗を許さない力で押さえつけられた。


「りんどー、そのまま寝室連れてって」


ひと回り小さいタオルで自身を拭いていた蘭くんは私の服を脱がしている竜胆にそう言い、それにわかったと返事をした竜胆くんは下着を含めた全部の服を剥かれた私をもう一度バスタオルで包むと、こどもを運ぶように縦に抱きリビングの方へと歩き出した。
いきなりの浮遊感に私は慌てて竜胆くんの首に腕をまわし自分の体を支える。

裸のまま寝室に連れていかれる、その意味がわからないほど私は子どもじゃない。

竜胆くんの首に抱きつきながらどうやればこの状況から逃げ出せるか思考を巡らすも解決策は思いつかず、取り敢えず下ろして欲しくて竜胆くんから離れようとすれば「落っこちるぞ」ともっと強く抱え直された。


竜胆くんはリビングをそのまま通り過ぎ、今まで一度も入ったことのない部屋、二人の寝室のドアを開けた。

はじめて入ったそこはダブルよりも大きそうなベッドがひとつ置いてあり、その上に私はゆっくり下ろされた。

私の家のものとは比べ物にならないほどスプリングの効いた柔らかいベッドが私の体重分だけ沈む。



取り敢えず竜胆くんと距離を取ろうとベッドの足側から頭側の壁際まで下がったところで、蘭くんも寝室に入ってきた。



2人もベッドの上に上がってこようとしてきたので慌てて、



「ちょ、蘭くんも竜胆くんも待ってってば!」


私が声を張って両手を前に突き出しながらそう言えばニ対の紫の瞳が私を見る。
うっ、やっぱり2人とも顔面が良い。



「え、2人とも私のこと、好き、な、の?」



私のその質問に、


「ははっ、俺も竜胆も全然伝わってねぇーじゃん」


ウケんね、と蘭くんは笑い、竜胆くんは顔を手で覆った。


「俺も兄ちゃんも、こんなに大事に扱ってるオンナ、お前がはじめてなんだけど」


呆れたように竜胆くんが言う。


「いいからもう黙れって」


近寄ってきた蘭くんが私の腕を自分の方に引き、前に倒れた私の後頭部を掴み唇に齧り付いた。

蘭くんと、キスしてる。

視界いっぱいに蘭くんの整った顔が映っている。

その顔を見てぼぅっとしている間に私の後ろにまわってきた竜胆くんが私の腰を引き寄せ、ベッドの上に胡座をかいた自分の足の間に私の腰を落とさせた。

一度唇を離した蘭くんは、ちゅ、ちゅ、と私の唇に2度触れるだけのキスを落とすと、首筋の方に下がって、同じような啄むようなキスを繰り返す。


「なまえ、こっち向いて」


後ろから竜胆くんに呼ばれ振り返れば、今度は竜胆くんの唇が重ねられた。
唇を重ねたまま、ちろりと竜胆くんの温かく滑った舌が私の引き結んでいた唇の縁を舐めなぞる。

ひゃっ、と驚いて緩く開いた隙間から竜胆くんの分厚い舌が侵入してきた。

咥内に侵入してきたそれは、私の歯列をなぞると縮こまった私の舌を捕らえ追い立てる。



「なまえが俺らまで堕ちてきてくれるまで大人しく待ってたんだけどさ」


いつの間にか胸元に辿り着いていた蘭くんがやわやわと両手で私の胸を揉み、突き出した舌先で先端の色が変わっている部分を丸くなぞる。

その刺激で、んぅ、と漏れ出た声は未だに私の咥内で動き回る竜胆くんのなかに消えた。



「マテの間に他のオスのマーキングされるとか想定外なわけ」

「そんな危機管理能力ってやつがないご主人様にはちょっと思い知らせねぇとダメかなって」


思うんだけど、覚悟はいい?と怪しく笑った。



「なまえは俺たちにただ愛されてればいいんだよ」







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