ここは鳥かごの中、薔薇が咲き乱れ、私は宙に漂っている。




「なぜ喜んでくれないんだ」
 人形のようにきれいな顔をした女性は、少し不機嫌そうにわたしを見据えていた。
 わたしはなにも答えない。
 彼女がわたしに答えを求めている訳ではないことを知っているからだ。以前彼女に口答えをした結果出来た傷はもう癒えているけれど、心に残った傷は癒えるはずもない。
「きみは薔薇が好きだっただろう?」
 そんなことを言われても、「はい」とも「いいえ」とも言えない。
 もう慣れたけれど、ちょっと窮屈。
 わたしに出来ることは、微笑むことだ。
 彼女の宙を映したような瞳を見て、微笑む。
 そうすると、彼女の機嫌はとてもよくなる。知っていた。知ってしまっていた。
「ああ、私のかわいい小鳥」
 間違えてはいない。
 わたしは、彼女に囚われたあわれな小鳥だ。この鳥籠の中から逃げ出すことを放棄した、あまりにも愚かな小鳥。
 だから、わたしはただただ微笑む。
 そうすれば、彼女はわたしを害することがないから。
「ふふ、私の、私のかわいい」
 彼女が手に持った薔薇の花束を落とす。
 ぱさり。
 軽い音を立てて薔薇が床に散った。あまりにも残酷で美しい最期。
 わたしも、この薔薇のように散るのだろうか。
 彼女がわたしを抱き締める。
 わたしは、動かない。微笑みを浮かべるだけ。
「私のかわいい――」
 久方ぶりに呼ばれた名前がわたしのものではないこともわかっている。
 わたしは、いつまで「わたし」でいられるだろうか。
 そんなことを考えながら。
 宙に漂うわたしを、見ていた。ただ、見ていた。


「今日はきみが好きだったケーキを持ってきたよ」
 彼女はふわりと笑みを浮かべて、手に持った箱をこちらに見せてくれた。
 かわいらしい装飾が施された箱。
 中のケーキを、食べさせてくれるわけではない。わたしは彼女の小鳥だから。自分の意思で動けやしないし、彼女が望まなければ食べられもしないのだ。
 だから、きっと今日もそのケーキを床に落とすまでここで問答を続けるのだろうと思っていた。
 ――のだが。
「美味しそうだろう? すぐに切り分けるから、待っていてくれ」
 そんな、耳を疑うような言葉が聞こえて。わたしは目をぱちぱちと瞬かせた。
 今、彼女はなんと言った?
 切り分けるから。
 それは、食べるということで。
 ……まあ、食べるのは彼女だけで、わたしは見ているのだろう。わたしは小鳥だから。小鳥なのだから。
 しかし、鼻歌を歌いながらケーキを切り分け終えた彼女は、あろうことかふたつのお皿にひとつずつケーキを用意し、フォークをわたしに差し出した。
「さあ、どうぞ」
 ……本当に、良いのだろうか。
 最初にそう思った。
 彼女を見る。彼女は、笑顔でわたしにフォークを差し出している。
 ――出会ったときのような、笑顔で。
 恐る恐るフォークを受け取る。彼女はわたしを見る。なにもしない。叩きもしない。罵りもしない。嘲りもしない。
 ケーキにフォークを突き刺して、一思いに口に運ぶ。
 ……。
「おい、しい」
「よかった。……きみの為に用意したからね」
だって、
「これは、「きみ」が好きだったケーキだろう?」
 息を呑んだ。
 ケーキの味を思い出す。箱を思い出す。出会ったときを思い出す。「このケーキ、好きなんです」「そうなのかい。確かに美味だ」会話を思い出す。
 まさか。
「……」
「ふふ、喜んでくれて嬉しいよ。私のかわいいかわいい小鳥」
 ……わたしは、このひとの小鳥のままで良いのだろうか。


「ねえ、――」
 か細い声だった。
 いつも自信に満ち溢れている彼女に似つかわしくないような、か細いか細い声。
 その声は、わたしではない名前を呼ぶ。
 しかし、わたしはその声に返事をすることを許されていた。
「はい」
 だから、わたしは返事をする。彼女の為に。
「私は、きみを愛している」
「はい」
「私は、きみに会いたい」
「はい」
「私は、」

「私は、他の誰でもないきみを愛しているんだ。……―――」

 その声は、他の誰でもない「わたし」の名前を呼んだ。

「……はい」

 だから、わたしは。

「わたしも、愛しています」

 他の誰でもないあなたを。
 そう答えたのは本心で。それがきっと伝わることも信じていたから。わたしは彼女にそう告げる。
 彼女の宙がわたしを映す。揺らめく彼女の宙は美しく。ああ、この中に溺れても構わないと思えた。
「ねえ、―――」
「はい」
「私の名前を呼んで」
「―」
「もっと」
「はい、何度でも」
 わたしは、その夜。彼女が落ち着きを取り戻し、眠るまで。名前を呼んでいた。


「外に出たい?」
「あなたが望むなら」
「そうじゃない。きみの意志が聞きたいんだ」
「……本当に?」
「本当の本当に」
「……少し、出たい。あなたがいる世界を見たい」
「ふふ、やはりきみは私のかわいい小鳥だね」
「あなたは、わたしの鳥籠だから」
「ああ、だから逃がしはしないけれど」
「逃げる気もないです」
「ふふ」
「……ふふっ」
「じゃあ、行こうか。きみのために服も用意したんだ。新しい靴もある。……それと、これも」
「用意が良いですね」
「断られる想定はしていないよ」

 ここは鳥かごの中、薔薇が咲き乱れ、わたしは宙に漂っている。
 きみの為の鳥籠。
 わたしだけの宙。
 それは、きっといつまでも変わらないのだろう。

 彼女が選んだドレス。
 彼女が選んだガラスの靴。
 ――彼女が選んだ指輪を、左手に。

 そうして、わたしは久方ぶりに外への一歩を踏み出す。

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