この街には様々な施設がある。娯楽に欠くこともなく、毎日がただただ楽しい。水族館もそのうちの一つだった。赤で染まるこの街の、唯一青がある場所。入場料を支払って、中に入ればそこは明るい赤の世界から、暗い青の世界へとトリップする。大小様々な水槽のなかに、これまた大小様々な魚たちが泳いでいる。
その中でもひときわ、巨大な水槽があった。入り口にいた職員とは別で、その巨大水槽の中を清掃する職員もいるのか、と、初めてこの水族館にきた時に思ったものだ。それ以来、なんとなくこの水槽の前にたち、彼らが水槽の中で餌やりや清掃する姿を眺めている。
今日もまた彼はいた。
素顔は知らない。ダイバースーツとマスクで覆われたその姿は、個人を判別するには一切の情報を与えてくれない。しかしなぜか、何人もいる彼らの中で彼のことだけはなんとなくわかるのだった。
水槽の前、露わにならない瞳で、魚たちとともに青の中を泳ぐ彼のことをじっと見つめていた。
*
「あら、ハシラさま!」
もう何度もみた水族館の展示を、再度じっくり眺めた後。水族館を出てさて今日はどうしようか、と悩んでいた頃、ちょうど外に出てくる人影を見た。彼はここの従業員だと以前、会った時に言っていたが、裏方か何かなのだろうか。
「ああ、どうも。またきてたんだ」
「ええ。この水族館はとても涼しげで、とても楽しいのですわ」
「わかるよ。水と魚のコントラストは、いいよね」
どこか落ち着き払っている彼と出会ったのは、この水族館の中だった。ここに通い詰めているらしく、時折あの大きな水槽の前で一人ぼんやりと眺めていたりする。なんだか同じものを見つめている人がいるのが嬉しくて、自分から話しかけてしまったものだ。
「いつかもっと大きな水槽を見てみたいですわ。もちろん、この水族館に不満があるわけではありませんのよ」
「そうだね。イヴさんも海をみてみたらいい」
「まぁ! そうですわね、この街にはありませんものね。」
「うん。……まぁ俺も実際に行ったことはないけど」
その海の記憶はおぼろげで、もしかしたら自分もみたことがないのかもしれない、と心の中でぼやいた。
「ハシラさま、いつかこの街の外に行くことができる機会がございましたら、一緒に海を見に行きませんか?」
「……いいね、その時はよろしく」
「ええ!」
海も楽しみだけれど、やっぱりこの水族館が好きだ。素敵な水槽と、素敵な友人に会える。
そろそろ仕事に戻らないと、と彼が従業員扉の方へ向かって行く後ろ姿を見送りながら、自分も街に繰り出した。彼の髪が、ほんの少し濡れたままであることには気づかずに。