幻覚

ENMASAMASUMMER0801

あれ?
 一瞬、別の人がそこにいる気がして、思わず立ちすくんだ。薄暗い教会の中、朝の祈りを捧げているその後ろ姿が、まるで……。
「おや、イヴさん」
 振り返った彼の金髪が揺れて、柔らかな笑みがそこにあった。自分の体に無意識的に力が入っていることに気づいて、ふっと体を楽にさせる。
「おはようございますわ、ミハエルさま。遅くなって申し訳ありません。本日は少し、寝坊してしまいまして」
「いいえ、構いませんよ。お手伝いに来てくださってありがとうございます」
「いえ、いえ、仕事をさせていただいているだけとてもありがたいですわ」
 では、いつもの仕事を、とミハエルがこちらに寄って来たとき、ふと不思議そうに自分の顔を覗き込んだ。驚いて顔が引きつる。顔の布にここまで感謝したのはいつぶりか。
「顔色が悪いように見えます。大丈夫ですか?」
「……あら、もしかしたら寝不足のせいでしょうか。ふふ、本日は早めに寝るように致しますわ」
「ええ、そうしてください。天気も……」
 教会の窓に滴る雫が少しもの悲しげに光る。
「悪いですから」

イヴとヴォルフィアナとすずちゃん「それはまるで手を組むかのように」
 毎日の教会での仕事を終えて街へ出る。すっかり日課となったこの行動を、いつから自分で決めていたのか記憶にはない。わらわらと人々が、穏やかに同じ方向へと向かっているのがわかる。その波にゆっくりと加わって道を歩く。昼飯はもう少し後ででいいだろう。
 閻魔庁の前の人々の集いの中程にいくと、そこにはちょうど夜中にあった人間がいた。
「さて。集まってくれてありがとう、みんな!」
 彼の声が、円玖に響く。否、それは閻魔庁の前に集まったものの前だけに聞こえているのだろうが、しかしそこにはおそらく円玖の住人のほぼ全員が集まっているだろう。街はすなわり、その住人のこと。
「ボクの名前はヴォルフィアナ。今回の『投票』でエンマと戦う候補者さ」
 冷静に、努めて冷静に彼……と、自分の中では結論づけたが、の言い分を整理する。彼は次の『投票』から立候補するという。あのエンマに対抗して。自分たちがこれまでいた、この幸福な街はエンマの理想で固められたかりそめの街であると彼はいう。
 誰かといがみ合うこと、エンマに反抗すること、そして自身の過去の記憶でさえ、エンマが奪った。
 彼は今度の投票で、彼に票を入れればこの街のどこにでも住めるという。どうでもいい、そんなこと。彼は多様性を求める。様々な考えが必要だという。本当に? どうして必要だと思う? エンマを盲信しているわけではない。けれど、彼が与える幸福に不要だというのならば、自分はそれらが不要でも構わない。
「や! 久しぶりだね!」
 するっと懐に入り込んできたのは、ああ、普段ならばこんなことすぐに気づいて避けていたのに。さいとうすず、と名乗る少女だ。彼女は器用に、そしてさも当然のように自分の腕に腕を絡める。考え事をしていたせいか、嫌がる顔を隠すことはできなかった。
「……あら、すずさま。お久しぶりでございますわ」
「なんだ、君は随分不機嫌そうだな。よそ者は嫌いかい?」
 彼女はヴォルフィアナの方を少し向いて尋ねた。それに対して、大げさとも言われるほどかぶりを振って答えた。
「いいえ」
「食わず嫌いはいけないよ、シスター。ボクらというのは救う為の生き物なのだから、あれがなんだろうが、何を言おうが、ボクらは救うだけなのさ」
 アハ! と不愉快な笑みを浮かべる彼女の腕をそっと自分の腕から外して彼女に微笑んでみせた。最悪だ。普段ならこんなこと考えないのに、ああもう、考えがまとまらない。
「だからこそ投票には困ってしまうのだがな、どれ、イヴ、いってごらんよ。今回は君の幸福に一役買ってやろうじゃないか」
 耳を疑うような言葉が出てきて思わず彼女の顔を見た。その小憎たらしい笑顔は嘘偽りなく、その言葉を告げているようだ。
「あら、あら、ええ、そうですか、では、ええ、すずさま」
 なんでもいいたまえよ、とでも言いたげな顔をしたすずはやはりいけ好かないが、協力者が増えるなら嬉しいことだ。無論、あんなホラ吹きに賛同する人もいないだろうが。
「わたくしたちのこの幸せは、エンマさまあってのものですわ。ねえ、すずさま。そう考えればどちらに入れるかはすぐに分かることでございましょう?」

ミハエルさんの教会で幻覚を見る。