赤い外装が目を引く花屋の、軒先には本来なら様々な花が置いてあるはずだった。今日は祭りの初日、彼の花屋でもまた、赤い花と黒い花が大量に並べられている。花屋『Fleurette』。そこは私の隣人である”彼”が店長のお店だった。
ガラス張りになっている窓の隙間から中を見やる。よく知る彼の姿が見えて少し微笑んだ。いつもは不定期のこの店も、今週はずっと営業しているのだと以前聞いた通りである。玄関に手をかけて店の中に入ると、黒猫のイーサンが小さく鳴いた。
「いらっしゃいませ……ああ、フィッツさん」
「こんにちは。ふふ、イーサンさまは今日も可愛らしいですわね」
「ちょうど紅茶を入れたところです。飲んでいかれます?」
「あら、そうなんですの? ふふ、ではいただきますわ」
椅子を勧められて座ると、イーサンが足にすり寄ってきた。そっと撫でると、イーサンは嬉しそうに頭を擦り付ける。
「今日は?」
「ええ、ええ、お祭りで配る赤い花を買いに参りましたの」
「ですよね。もう始まりましたしね」
「花屋ですぐ思いついたのがこちらでしたので。ふふふ、それにしても今日はかなり赤と黒が賑やかなお店ですわね」
ネイサンが紅茶と共に小さなおさらにのったお菓子を持ってきた。二人分を机に置き、向かい側に彼が座る。甘いりんごの香りが鼻を掠めてお腹の虫をくすぐった。ネイサンがどうぞ、と言いながら紅茶をすすった。
「まあ! 今日はアップルパイでございますか? 美味しそうですわ……!」
「ええ、下の層はさつまいもの生地になっていますよ」
「まぁ、まぁ! 早速いただきますわ!」
フォークを手に取り、一口サイズを切り分けて口に運ぶ。舌の上に広がる甘さとサクサクした感触ののちに、スイートポテトのもっさりとした甘さが続いた。美味しさに感動しながら紅茶をすすると、それはぴったりお菓子に合っていて、さらに旨味が増す。
「素晴らしいですわ*! とっても甘くて美味しいです。紅茶もぴったり合いますわね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
ニコニコと優しい笑顔を湛えながら、彼は私が食事をするところをゆっくり眺めていた。仕事が忙しいのではないかと思ったが、ちょうど客は私以外に誰もいなく、タイミングがよかったのかもしれない。
「そういえば……ネイサンさまはお祭りの内容を覚えておりまして?」
ふと、今回の円玖での祭りのことを思い出して彼に尋ねる。ほんの少しだけ心に引っかかるのは、この祭りの内容をあまり覚えていないことだ。何年もここにいるはずなのに、どうしてか毎年行なっているこの祭りの認識が曖昧だった。
「え? ああ、そうだね。一年も前のことだから、あんまり覚えていないかもしれない」
「そうでございますか。やはり、そうでございますよね」
そういうものなのかもしれない、と思い直す。一年もすればなにをするかなど忘れてしまうのか? 毎日目まぐるしく新しいもの、人に出会うこの円玖では、やはりそれは普通のことなのかもしれない。そう、きっとそうだ。
ネイサンが長い指先で紅茶をすする。自分も濁すようにカップに手を添えた。暖かなその温度が、心の中に染み渡るようだ。
「ええ、ええ、けれど、それはそれで構わないのですわ。きっと。お祭りはその時々で楽しむものでございますものね」
「ああ、俺もそう思うよ。最終日の花火、とても楽しみです」
「わたくしもですわ!」
ささやかな懸念などどこかに吹き飛んでしまうかのごとく心の底から祭りが楽しみに思えてくる。今日かうはずの赤い花もまた、小さな子供達と黒い花と交換できることがただ楽しみだった。
ありがたくお菓子を食べ終え、紅茶も飲み干したところでネイサンが奥から赤い花を持ってきた。それはまるで血のように赤く、この無彩色の空間ではひときわ大きく映えている。
「バラ、でございますか?」
「はい。俺は気に入っている花なんです」
少し嬉しそうに微笑む彼に、花の代金を渡す。毎度、と彼はぺこりとお辞儀する。
「それではまた。居住区でも」
「ええ、ありがとうございます。またお部屋にお邪魔させてくださいませね」
赤いバラの花束を抱え、お店を出た。口の中には、まだ彼のアップルパイの味がほのかに残っていた。