幸せな未来へ
「レイノちゃん!」
ファイと黒鋼はレイノを探す為に領主の城の長い階段を上り詰めていた。痛む体など気にせずに心の衝動に身を任せてただただ走り続けている。階段の頂点に辿り着いた後、歩を止めて辺りを見渡す。すると、巨大な柱に寄り掛かり眠っている彼女が視界に入った。ファイはすぐさま彼女に駆け寄り、彼女の顔色を覗き見る。それは、何処か青白い様に見えた。
「…寝てんのか?」
「顔色悪いし、気を失ってるのかもー。黒様、おぶって」
「ああ!? …ったく」
眠っているレイノの前髪を、黒鋼は雑に上げてみせる。確かにその顔色は悪かった。それを確認した後に続いたファイの言葉に黒鋼は溜め息を吐くが、何だかんだで彼女に背中を見せる黒鋼は優しいのである。その時、彼女は意識を取り戻したのか、ゆっくりと瞼を開けた。しかし、その瞳に何時もの温かさは無く、代わりに見えたのは吸血鬼の様な鋭い金色の瞳だった。そして、その事に一番最初に気付いたのはファイだったのである。
「っ、黒んぷ危ない!」
それに気付いたファイはボロボロになった黒鋼の服を掴み、後ろへとやる。そして二人はレイノと距離を取ったのだ。魔力の持たない者でもすぐに分かる程、彼女の体内は邪悪な何かに侵されていた。魔力を持つ者なら尚更、である。しかし、彼女の右手には僅かに彼女自身の魔力が纏われていて、今目の前に居るのは確かに「レイノ」自身なのだと理解した。
「こいつ…」
「――妖刀『梅桜』」
黒鋼は警戒心を露わにしてレイノを睨み付けるが、双方の視線同士が絡み合う事は無かった。そして、何時もとは正反対の冷たい声色が廊下中に響き渡る。その直後、彼女は突然ファイに向かって刀を突き立てたのだ。その動きを見切った二人は左右に分かれて避けたが、刀が突き刺さったのはファイの顔のすぐ横なのである。――レイノの狙いは完全にファイに定められ、素早い動きで彼を確実に追い詰めていた。ボロボロになった木棒は捨てて来てしまったため、今の彼は丸腰なのである。それは黒鋼にも言える事だった。避ける事しか出来ないファイは何時の間にか壁まで追い詰められていたらしい。そんなファイを前に、彼女は刀を壁に突き刺して身体を支える様に立つと、ファイの頬に冷たい何かを落としたのである。
「っ、――え」
それは紛れもない、涙だった。
「に、げてよ……」
「…嫌だ」
「な、んで…」
「泣いてる女の子置いて、逃げれる訳ないでしょ」
途切れ途切れに言葉を紡ぎながら涙を流すレイノの両目からはボロボロと涙が溢れ出ている。そんな彼女の懇願を、ファイは一言で斬ってみせたのだ。――何で、なんて。分かってるくせに聞くなんて案外君は意地が悪いんだね。そんな心を持って苦笑を浮かべた彼は人間臭くて、何も出来ない黒鋼は思わず目を見開いたのだ。しかしその後、黒鋼はもっと目を見開く事となる。
「っ、止めろ!」
響いたのは黒鋼の叫び声だった。それは、何処からか取り出した短剣をレイノが首に構えたからである。それを視界に映したファイも目を見開いている。しかしその直後、廊下にはパリン、と言った聞き覚えのある音が響き渡った。良く見ると彼女の首には見覚えのない首輪が付けられている。その後、急に崩れ落ちた彼女の身体は二人の手によって支えられる事となったのだ。
「レイノちゃん!」
「っ…ご、ごめんなさ…」
「大丈夫?」
「っ…は、はい……?」
身体に力が入らない状態のレイノを見ると、先程の動きはかなり身体を酷使していたものらしい。謝罪の言葉を放つ彼女の声色は何時ものソプラノで、戻ったのだと、身が沁みる様にそこで理解した。その後に投げ掛けられたファイの問いと共に降りかかって来たのは紛れもない、彼の温もりだったのだ。
「顔色、戻ってるな」
「へ、変でした……?」
「お前も操られてたのか」
「領主に変な物着けられちゃって…」
「多分秘妖さんと同じ仕組みかなあ」
「秘妖さん?」
「その人がレイノちゃんの居場所を教えてくれたんだよー」
戸惑うレイノをよそに、しゃがみ込んだ黒鋼は彼女の顔を覗き込んだ。何時もの健康的な、少し白い肌である。しかし、当の本人はどうやらその変化に気付いていないようだ。そんな彼女を安心させる様に先程の真顔は何処へ行ってしまったのか、ファイは優しげな笑みを浮かべたのである。
「そろそろ行くか」
「レイノちゃん、本当に大丈夫ー?」
「…小狼くんはもう、領主の元に着いてるんですよね」
「ん? うん」
「じゃあ、わたしも休んでる暇なんてないですもん。行きますよ」
抱えた問題の一つを解決したファイと黒鋼は最上階へ急ぐ事になった。しかし、今の段階で一番心配なのはレイノの身体の状態なのである。その事を案じたファイだったが、それに対して返って来たのは小狼の居場所だったのだ。どうやら彼女は小狼の事を酷く気に掛けている節がある。その事を言っている時の彼女の顔は何時も何かを決意した様なそんな表情を浮かべていて、小狼が居る限り彼女の心が折れる事は無いのだろうと、そう確信したのだ。
「あれー? なんだか人いっぱい?」
『二人とも遅いー!!』
「こっちも色々あったんだよー。ごめんねぇ」
『レイノ! 無事だったんだね!』
「えへへ、何とか。心配かけてごめんね」
痛む身体に鞭打って、レイノらはやっとの事で最上階に辿り着いた。そこには人だかりが出来ていて、この城に来ていたのはどうやら一行だけではなかったようだ。そんな中、レイノらを見付けたモコナは黒鋼の額に向かって頭突きを喰らわしている。それを咎める黒鋼は傷だらけだが、やはり何時も通りだった。その後に飛び付いて来たモコナを、レイノは優しく撫でたのである。一方で領主が居る空間では、トーンを落とした小狼の声が響いていた。
「それはサクラ姫の記憶だ……返せ」
「小狼君…」
「ま…待て!」
冷たい視線で領主を見やる小狼は、手を差し伸べて歩き出した。しかし、領主は青ざめた顔をしながら小狼の歩みを止めようと足掻いていたのである。その時に口から滑らせた言葉は春香の地雷だったらしい。――お前が殺したくせに。お前に言われなくても、母さんに言われなくても、失った命が戻らない事くらい知っている。なのに、なのに、どうしてお前がそれを言うんだ。
「どんなに私が会いたくてももう母さんとは会えないんだ!!」
それを私がどれだけ望んでいるか、知りもしないくせに!
「それなのに、そんなたわごと!」
「…春香、仇を討ちたいか」
涙を流して激昂する春香は母親に会う事を何度も何度も願ったのだろうと思う。けれど、分かるのだ。もう会えないと、ただ願って幸せを祈る事しか出来ないのだと。この場に居る全員、それはきちんと理解している。そんな中、小狼は静かに、言い放つ様に問い掛けた。その瞬間、春香は目を見開く。
「それで、気が済むならいい。けれど、春香が手をかける価値のある男か?」
「こんな奴…殴る手が勿体ない!」
春香は悔しい想いを抑える様に目を瞑り、ボロボロと涙を零れさせた。――殴りたい。感情に身を任せて殴りたい。けれどこんな事をしたら、絶対後悔する。一生後悔する。ごめんね、母さん。私まだ、そっちには逝けないみたいだ。そう心の中で呟くと、母さんが「良いのよ」って、いつもの優しい笑顔で赦してくれた気がする。――コツコツ、と靴音を鳴らしながら距離を縮めて行く小狼に、領主は慌てふためいた。そんな領主は、皆の目には酷く滑稽に映っただろう。そんな中で領主の顔を受け止めた長い爪は、領主の息の根を止める様なものだった。
『そこまでだ。――よくも私をこんな城に閉じこめてくれたな』
「ひっ」
『この領主は私が預かろう……ゆっくり礼をせねばならん』
「い…いやだ!!」
「信用しても大丈夫そうだよー。その秘妖さん」
横目で見た事により視界に入った人物は、自身が今まで手駒にしていた秘妖だ。彼女から逃れる為に領主はジタバタ、と子供の様に暴れるが、助けてくれる者は誰一人として存在してはいなかった。これが今までの所業の報いだとすれば、軽いものである。身を持って恐怖を知る領主とは反対に、秘妖は酷く楽しげである。
「やめろお!」
『安心しろ。秘妖の国で、息子共々最高の持て成しをしてやろう』
「いやだぁー!!」
『――春香とやらはおまえか』
「…そうだ」
秘妖の背後にはドス黒い穴が現れ、領主を引き摺り込んでいる。これから彼とその息子の身には、秘妖の国で地獄の様な報いが待っているのだろう。それに対して同情の思いをぶつける者はこの場には居ないのだが。そんな領主を置いて、秘妖は春香に声を掛けた。春香の母親をライバルとして認めていた秘妖もまた、春香の母親の死を悲しんでいる人間の一人なのだ。
『強くなれ、私と秘術で競えるほどな』
その言葉に強く頷いたお前を、私は信じよう。
『では、またな』
「ひっ」
『可愛い虫けらども』
今まで止まっていた動きが再び始まり、領主は穴に吸い込まれて行く。彼は浮かんだサクラの羽根に手を伸ばすが、それは届かない。秘妖の国へと続く穴は消え失せ、サクラの羽根を包んでいた光の珠はパリパリ、と音を立てて割れて行った。小狼は浮かんだサクラの羽根に手を添え、そんな小狼を不安そうな瞳でサクラは見つめている。そして、破片がなくなった羽根は淡い光を放ちながら彼女の体内へと取り込まれたのだ。
先程の羽根で取り戻した記憶は、自身の誕生日会の事だった。目の前には兄である桃矢と神官である雪兎が座っている。幼いサクラは、桃矢に暴言を吐かれては怒り、を繰り返している。そんな彼女が桃矢の「大食漢」発言を否定する先には、誰も座ってはいなかった。――誰もいないのにどうして、どうして私はそんなに嬉しそうなんだろう。
「どうして……誰もいないのに……」
「羽根、もうひとつ…取り戻せた」
サクラは、不思議な言葉を呟きながら床へと倒れて行く。しかし、彼女の身体が床とぶつかる事は無く、それは小狼によって優しく受け止められたのだ。それを心配げに見つめる春香の手には強く力が籠っている。そんな中、レイノの視界はだんだんと狭まって来ていた。――あ、これは、倒れるかも。
「…ファイさん」
「なあにー?」
「っ…ごめんなさい。ちょっと、無理……」
「え、――」
意味が分からない言葉を残したレイノは戸惑うファイの声に気付かず、重力に身を任せて崩れて行った。そのせいで別の場所ではドサ、と言った音が響いている。ファイが何度も彼女の名を呼ぶが、どうやら起きてはくれないらしい。彼女の口元に耳を寄せると、規則正しい寝息が聞こえて来る。どうやら疲れから気絶しただけらしい。その事実に安堵の息を吐いたファイらは春香の家へと歩を進めたのである。
「異世界へと渡る力を持つ者は、既にいる」
そんな一行と春香を巨大な鏡で見つめる者が一人居た。それは、全ての元凶である飛王・リードである。そして次に映るのは玖楼国の神官である雪兎、セレス国の魔術師であるファイ・D・フローライト、日本の次元の魔女である壱原 侑子である。そして、ミッドガルド国のハンターであるレイノ・アン・クォーツだ。
「あの玖楼国の地中深く埋まったものは、それらを遥かに凌ぐ力だ。今、育まれつつある力は、世界を変えることが出来る力。その力を得るために長い時間をかけて来た。必ず手に入れる」
飛王がつらつらと並べる言葉達は全て自身の願いを叶える為のものである。どれだけの時間を費やして来たか、今はもう分からない。けれど、これを成しえなければ自身が存在する意味がなくなってしまうのだ。彼は目の前の鏡に映るサクラと小狼に手を伸ばした。どれだけ犠牲を伴っても、必ず、我が手に。
「あなたの出番はまだ先みたいよ」
漆黒のふんわりとしたワンピースを着た女性は、靴音を立てながら水中に幽閉されている少年の前へと立った。彼の全身には、痛々しい程の入れ墨が彫られている。蝙蝠の紋章により、顔を見る事は叶わない。――早く目覚めたいでしょう。早くあの子に逢いたいでしょう。
でも、目覚めるのが、あなたのためになるかは分からないけれど。
「ありがとう。領主をやっつけてくれて」
「おれは何もしてないよ」
「あの城の秘術が解けなかったらずっと領主には近付けなかった。だから小狼達のおかげだ」
「いや、本当におれは何も…」
「こっちこそありがとぉ。春香ちゃんにもらった傷薬、良く効いたよー」
「母さんがつくった薬なんだ。私にはまだ無理だけど、でも頑張って。母さんに恥じない秘術師になる」
煌びやかな太陽の真下、民達は一行にお礼の言葉を送っていた。もうこの国に居る必要がなくなったため、この町を出る事になったのである。それが良い事なのか悪い事なのかは良く分からないけれど。しかし、春香の笑顔を見てしまえば、これはこれで良かったのかも知れないと、強くそう思うのだ。
「なれるわ、きっと」
嬉しそうに笑った春香の手を、サクラはぎゅ、と優しく包み込んだ。それに対して春香も涙ぐむ瞳にサクラを映し、同じ様に強く握り返す。――ああ、姉がいたらこんな感じなのかなあって、馬鹿みたいな事を思った。話が一段落したところで、モコナの背中から大きな翼が生えたのである。
「モコナ、もう行くの?」
『行く』
「なんだ!? どこ行くんだ!? なんであれ、羽根が生えてるんだ? まだ来たばかりなのに…!」
見た事のない不思議生物の背中に羽が生え、民達は今までにないほどに驚きの表情を露わにしていた。いよいよ次元移動する時が来たモコナは大きな口を開き、五人を吸い込んで行く。五人の周りには風が漂い始め、何時も思っているが、その中は酷く不思議な空気が充満しているのだ。そんな中でレイノは笑みを浮かべて高麗国の青空を瞳に焼き付けた。
「やらなければならないことがあるんだ。元気で」
また会える事と幸せな未来を、祈って。