血の涙

「あたし達『鈴蘭一座』は、紗羅ノ国中を旅しながらこうやって芸を見せて廻っているんだよ」
「じゃあ、わたし達が寝かせてもらっていたあの建物は…」
「あそこはあたし達の長屋みたいなもんだよ。遊花区っていってね、一座の連中はここに戻った時はみんなあそこに住んでる。でもって、一座には女しか入れないから勿論、男子禁制」
「す…すみません」
「なぁに! 一度請け負った客人、最後まで、もてなすのがあたしらの流儀だ!」

 舞台は火楝の見せ物で大盛り上がりだ。そんな中、鈴蘭は自身の一座について語り始めた。そんな一座は基本的に男性は駄目らしいが、客人となれば話は別、との事である。その懐の広さは、やはり主人である所以なのだろうか。そんな鈴蘭の頼もしい笑みに、レイノらは思わず笑みを溢した。


「一年に一度、月が綺麗な今頃の時期にここに帰って来るんだ。紗羅ノ国、どこで興行しても楽しいことに変わりはないけど、やっぱり自分達の家があるこの場所は特別なんだよ」
「本当に、みんな楽しそう」

 暗闇の中に映えるのは小さな三日月である。鈴蘭は、それを見つめていた。それに映るのは何なのか、それを理解できる人物は、この場には彼女以外存在しないのだ。四六時中笑顔の一座を見て、レイノらは微笑む。しかし、問題はある。それは「阿修羅像がこの国に来ると必ず陣社の夜叉像に怪異が起こる」と言うものである。感情論ではどうにもならないそれを考えてしまった鈴蘭は、側にあったカーテンを握る手に力を込めたのだ。




「血!?」

 一方、陣社ではファイと黒鋼が蒼石の話を聞く為、夜叉像が祠られている部屋に案内された。目の前の像を見つめ続け、しばらく経つ。すると、像の右目からは血の涙が流れ出たのである。そんな異様な光景に思わず目を見張った二人の眉間には、深く、皺が刻まれている。


「一年に一度、月が美しい秋頃になると、この夜叉像は傷ついた右目から血を流すのです。それが遊花区に居を構えている『鈴蘭一座』が旅から戻ってくる日と毎年一致しているものですから、陣社に仕えてくれている氏子達が…」
「遊花区のヤツらがどうのこうのと騒いでやがったのか」
「毎年って、どれくらい前からなんですかー?」
「私がこの陣社を受け継ぐよりもっと前。先々代の陣主であった曾祖父が残してた文に、血を流す夜叉像のことが書き記してありました。『鈴蘭一座』の前身である旅の一座が今、遊花区と呼ばれる所に住み始めてから怪異が起こったことも」
「しかし、なんでその一座が戻って来ると、この像が血を流すんだ?」
「曾祖父は『鈴蘭一座』が守り神としている阿修羅像が関係していたのではないかと考えていたようです」

 そうやって話し始めた蒼石の口からは「氏子」と言う単語が飛び出して来た。先程の事を思い出した黒鋼は、後ろに居る男らを睨んでいる。そんな光景を見た蒼石は苦笑するしかない。右目から流れ出ている血は頬を伝い、落ちて行く。そんな中、蒼石の口から出た「阿修羅」と言う名にファイは反応したのである。黒鋼がそれに気付かない筈がないのだ。


「阿修羅か。この国でも戦いの神なのか」
「戦いと、災いを呼ぶ神とされています。夜叉神は、夜と黄泉を司る神。阿修羅神が呼ぶ厄災は、人々を黄泉の国へと送るものではないか。夜叉像の血の涙は、阿修羅像が呼ぶ厄災への警告ではないかと、曾祖父と祖父もそう考えて…」

 黒鋼も戦いに身を置く者だからか、「阿修羅」と言う名だけは知ってるらしい。阿修羅の説明をした後、蒼石は呟きを残して夜叉像を見上げた。そして再び言葉を紡いでいたが、その途中に挟まれた声によって蒼石はこの場から姿を消す事となったのだ。すると、その場には扉が閉まる音のみが響き渡ったのである。


「何か言いたそうだな」
「うーん。というかー、この像、警告とかそんなので泣いてるのかなぁ」

 扉が閉まる音を聞き届けた後、黒鋼はファイを怪しむ様に問い掛けた。それに気付いたファイの推測では、蒼石の言った事はあまり信ぴょう性がないと、そう言うのだ。きちんとした理由は良く分からないけれど、悶々としたそんな気持ちが心を支配している。――まあ、良く分かんないんだけどね。


「もっと何か別の理由があるような気がするんだけど」

 右目から流れる血の涙は、未だ止まる気配は無い。




「綺麗……」
「かなり丁寧に作られてるんですね、これ」
「よほどの名工が創った像なんでしょうね」

 レイノらと鈴蘭は興業を抜けてとある部屋へと来ていた。その部屋の真ん中には阿修羅像が祠られていて、それはとても美しいラインを象っている。そんな像に、レイノらはただただ見惚れていたのだ。端正な顔立ちに細い髪質、細い体のラインがより目立つそれはただ仏像とは思えなかったのである。それを見て興奮を抑え切れなくなった小狼は像の全身を隈なく観察し始めたのだ。気付いた頃には、後ろに居る女性陣が呆気に取られていた。


「す、すみません」
『小狼、すっごくテンション上がってたー』
「仏像が好きなのかい?」
「はい」
『小狼は歴史があるものとか不思議なものとかを、見たり調べたりするのが大好きなんだよね!』
「わたしも、この像好きです。とても綺麗……」
「わたしもです。厄災を呼ぶものには見えないよね」
「レイノと小狼とサクラだったね」
「「「はい」」」
「遊花区は、一度迎え入れた仲間は最後まで面倒みる。また旅に出るまで、ここがお前さん達の家だ。その良くしゃべる白いのと一緒にゆっくりしておゆき」
「「「有り難う御座います!」」」

 余りの食い付き様にレイノらは呆気に取られる。だが、それほど好きなのだろう。そう思うと、嬉しくなって来る。しかし小狼は恥ずかしかったのか、微かに頬を赤らめていた。そんな彼を微笑ましく見つめながらもレイノとサクラも阿修羅像を気に入ったのだ。そんなレイノらに、鈴蘭は笑顔を浮かべたのである。話がひと段落付いたところで、レイノは彼の横にそっと並んだ。そして、ただ黙って像を見上げたのである。


「レイノさん、モコナ、羽根の気配は?」
『やっぱり感じない』
「けど、何だろう……もやもやした感じはしてますね」
「あるかも知れないしないかも知れない、ですか。黒鋼さんとファイさんともまだ会えてないし、探すしかありませんね」

 やはり小狼は何時でもサクラの事なのである。それをレイノとモコナに問い掛ければ、返って来た答えはやはりどちらも同じ様な事を意味する言葉なのである。今回の国も桜都国と同じく、気配が曖昧なのだ。神経を研ぎ澄ませていても靄が掛かった様な感覚が抜けない。彼の言葉に軽く頷いたレイノは、笑みを浮かべてサクラの隣に戻って行く。


「さ! そうと決まったら、歓迎の宴でもしようじゃないか!!」
『宴会だー!!』
「と。その前に、ちょっと準備をしなくちゃね!」
「「え?」」
「準備…?」

 モコナはまた飲む気なのか、酷く喜んでいる様子である。しかし、鈴蘭はどうやら何かを企んでいるらしく、妖しい笑みを浮かべていた。彼女が言った「準備」と言う言葉に眉を顰めたレイノは思わず首を傾げる。それはどうやら隣に居たサクラと小狼、モコナも同じらしい。そうしてレイノらは鈴蘭に連れられて長屋へと帰る事になったのだ。




「今日も興業、大成功だったわね!」
「お客さん、喜んでくれてたし!」
「これであの陣社のヤツらが騒がなかったら最高なんだけどなー」
「――姐さん達、お疲れだったね!! さあさあ! せっかくの月夜だ! 今日の興業が無事終わった祝いと! もうひとつ! この遊花区に客人として迎えたレイノと小狼とサクラの歓迎会といこうじゃないか! さあ! 三人とも入っとくれ!!」
「し…小狼君…」
「何、そっぽ向いてんだい。この、すっとこどっこい!!」

 お互いのお猪口が音を鳴らし、触れ合う。宴会の始まりだ。同僚らは楽しそうにはしゃいでいるが、火楝だけは表情が優れなかった。そんなところに、笑顔の鈴蘭が現れる。そんな鈴蘭の言葉で、一座は一気に盛り上がりを見せた。鈴蘭に呼ばれたレイノらの内、何故か小狼は隠れていて、そんな彼にレイノは苦笑を浮かべたのである。そんな彼を見兼ねた鈴蘭が服を引っ張り出せば、宴会部屋には喜びを孕んだ悲鳴が響き渡った。


「遊花区は男子禁制。客以外に男が出入りしてると分かっちゃ一大事。興業打ってる舞台や外は良いけれど、遊花区にいる間は女の格好でいてもらおうと思ってね!」
『きゃー! 可愛いー!』
「何これ何これ!!」
「あたしも触るー!!」
『小狼モテモテー!』

 サクラは桜をモチーフにした長い着物で、桜の髪飾りを付けている。小狼は女装させられたらしく、彼女と同じ様な物を着させられていた。モコナもサクラと同じ飾りを付けている。ちなみにレイノは、着崩した着物を腰で緩く止めていて、その上に淡い桃色の上着を羽織っていた。髪には桜の髪飾りでサイドアップにされている。女装をした彼は一座に押し倒されていて、それを見たレイノと火楝は顔を見合わせて笑みを溢したのだ。しかし、そんな和やかな空気を壊す、地響きが鳴り響き、地面が揺れたのである。


「きゃあああ!」
「何!?」
「地震!?」
「主人…!」
「この地震…また陣社の奴らが阿修羅像のせいにして像を壊しに来るかもしれない……!」

 レイノは思わず近くにあった衝立に手を置き、自身の平衡感覚を保った。脳内に響き渡る様な地響きから、ただの地震ではない事は良く分かる。けれど、外の様子を見る事は出来ない。恐らくこの地震は国全体で起きているものなのだろう。そんな時に耳に入った鈴蘭の怒りを抑えた様な声に、レイノは人知れず眉を顰めたのだ。




「おはよう! いい朝だねぇ。今日もいい興行になりそうだ」
「昨日の地震すごかったわね、負けずに飲んでたけどね」
「悪いね、手伝わせて」
「いいえ」
「こう言う事には慣れてますから」
「泊めていただいたんですから、手伝わせて下さい」
「ありがとよ!」
「昨日は大丈夫でしたか?」
「え? 何が?」
「いや、あの、お酒を飲んでサクラ姫、あの…」

 翌朝の遊花区は昨夜の地震など、なかったかの様に賑やかさで包まれていた。そんな中、レイノらは掃除を手伝っており、地面に水を掛けている。昨夜は地震が落ち着いてから宴会を始めたらしいが、予想はしていたもののサクラは全く覚えていなかったのである。再び猫化してしまったサクラとモコナ、鈴蘭の同僚らに捕まる小狼、と言ったカオスな状況はもう思い出したくない。


「え? え?」
「ううん、何でもないの」
「でも、昨日の地震すごかったね」
「はい。あの後、宴会がお開きになってからもずっと続いてましたけど、眠れましたか?」
「レイノちゃんとモコちゃんが一緒に寝てくれたし…」

 どれだけ記憶を辿っても、サクラは昨夜の宴会の事を思い出せないでいた。それに加え、酔った次の日の目覚めは酷く良いものだから困るのだ。小狼の前に出て苦笑を浮かべるレイノは昨夜、大変な苦労があった事が分かる。そんな事とは露知らず、サクラは小狼にじっと視線を向けたのだ。


「や、ややや、やっぱりヘンですよね! で、でも、着替えると鈴蘭さんが!!」
「違うの。可愛いなって思って。ほんとよ! すごく可愛いし似合ってるし! 大丈夫! 女の子にしか見えないわ!!」
「さ、サクラちゃん…」
『サクラ、それフォローになってないない!!』
「え!?」

 サクラがずっと見ていたのは小狼の服装らしく、それに気付いた彼は顔を真っ赤にして俯いた。彼女はフォローしているつもりなのだろうが、レイノから見たら傷口を抉っている様にしか見えないのである。それを言葉にしてくれたのは眠っている筈のモコナだ。それでやっと気付いたサクラは、申し訳なさげに謝罪の言葉を口にしたのである。


「地震、大丈夫なら良かったよ」
「本当に平気よ。それに、玖楼国でもあったから。紗羅ノ国に来る前の、竜巻さんと会った国。あそこで取り戻してくれた羽根の中にあった記憶。お城から見える砂漠の遺跡があるの。その遺跡は一年の殆どを砂嵐に覆われていて」

 前の国――偶像の国――で取り戻した羽根には、遺跡についての事が込められていた。何処か不思議な雰囲気を纏っている玖楼国のそびえ立つ様な二つの遺跡はその国を象徴する物として何年も発掘が繰り返されていると言う。その事をやっと思い出したサクラは目を伏せて、小さな唇を何度も開く事を繰り返していた。


「…まるで、あの遺跡が砂漠から飛び立とうともがいているみたいに」

 そんなサクラの行動を止めたのは、小狼が呟いたある一言だった。


「え?」
「以前、玖楼国にいたことがあるんです」
「そうだったんだ。どこに住んでたの!? わたし、もう思い出してる辺りかな?」

 小狼の脳裏には桜都国での事が浮かんでいた。サクラが彼の事を思い出そうとする度に起こる拒絶反応は見ていて気持ちの良いものではない。そして、彼はその反応に恐れを抱いている。何時もなら微笑ましい笑顔が、今はとても、痛々しい。そんな彼を見兼ねたレイノは「ちりとりを取って来る」と一言残し、彼の頭にぽん、と軽く手を置いて長屋に入って行ったのである。

 ――ああ、泣きそうだ。




 倉庫の場所を忘れてしまってちりとりを探し当てるのに手間取ってしまったレイノは急いで長屋を出る。その理由は、先程とは違うざわめきが遊花区を包み込んでいる、と思ったからだ。長屋の玄関から足を踏み出すと鈴蘭の怒った様な声が鼓膜を震わせる。――どうやらただ事ではないみたいだ。――そう思ったレイノは近くにあったほうきを手に取り、近くに居たサクラに声を掛けたのである。


「どうしたの? これ」
「陣社ってところの人たちが襲って来たみたいで…」
「…何か、雰囲気悪いね」
「けど、鈴蘭さんが…」

 サクラが言うには、氏子らに襲われそうになったところに割って入ったのが鈴蘭らしい。こんな事になるなら離れなきゃ良かった。そう思ってももう遅いのである。ちらり、と前の彼らを見るとサングラスを掛けていて目の色は分からないが、険悪な雰囲気だけはしっかりと感じ取れた。


「遊花区で暮らす者は、すべて鈴蘭一座の身内! このあたしの目の黒いうちは! 指一本! 触れさしゃあしないよ!!」
「よ! 鈴蘭ちゃん!!」
「格好良いねぇ」

 しかし、どうやら自身が心配する必要は無かったのかも知れない。目の前の鈴蘭は側にあった桶を足場にし、声を張り上げて遊花区の壁になってみせたのだ。そこらの男らよりも男らしい鈴蘭の気迫に、氏子らは思わず後ずさる。そんな彼女に、レイノも茶化す様に口笛を吹いたのだ。


「怪異を呼ぶ阿修羅像を本尊してる一座に、身内も何もあるかい!!」
「不吉な像を後生大事に祠りやがって! 何かたくらんでやがるんじゃねぇだろうな!!」
「蒼石様も何でこんな奴らを追い出さねぇんだ!!!」

 最後の最後に言い訳の様に言い放った言葉に、鈴蘭は目を見開いた。その表情の変化には、レイノとサクラしか気付かなかったみたいだが。しかし、氏子らはその隙を狙い、一斉に棒を振り翳したのだ。けれど、それは小狼が桶を支えに氏子らを蹴り飛ばした事により未然に防がれたのである。それでも諦めない氏子らは近くに居た区民に棒を振り翳そうとする。それに対してレイノは、持っていたほうきを突き立てたのだ。


「これ以上悪さするなら、――刺しますよ」

 ただ一言、それだけを口にしたレイノの視線は酷く鋭いそれだった。とある氏子に突き立てられているほうきはゆっくりと彼の首筋に添えられて行き、少しでも反撃するものならそれはすぐに風を切るのだろう。それに気付いた彼らは「覚えてろよ!」と言う悪役の様な捨て台詞を残し、遊花区を去ったのだ。


「一昨日おいで!」
「塩まいてやる! えいえい!」
「すごいわ! かっこいいわ!」
「小狼強いのね! レイノも!」
「ありがとよ! レイノ、小狼!! ――そうだ! うちの舞台に出てみないかい!?」
「ええ!?」
「ぶ、舞台ですか……?」
「きゃー! 素敵!!」

 逃げて行く氏子らを、レイノと小狼は厳しい視線で見つめ続けている。ただ、彼女は初めて見た小競り合いに戸惑っている部分もあるのだが。そんな二人を鈴蘭の同僚らは押し倒し、抱き締めたのである。そんな光景を見て笑みを溢す鈴蘭だったが、だんだんと歪んで行く悲しげな表情に気付いたのはサクラだけなのである。