四面楚歌

 夜叉城の前では多くの兵士らが集ってこの先に待ち構えている戦を心待ちにしている。その中にはレイノらも含まれていた。戦で何時も使う棒を地面に突き刺す彼女の手には、この国に来たばかりの頃にファイに買って貰ったバチ型簪がある。それは、彼女にとっては大事なお守りだ。触れていると酷く勇気を貰えるそれは彼女の精神安定剤で、自然と心に余裕が出来る。戦に出る前の行為としては当たり前の事となったそれを行い、彼女は前を見据えた。
 そして、周りの景色が変わった途端、レイノの斜め前に居た黒鋼が敵を斬り付ける。それに続き、彼女とファイ、が動き出すのである。向こうの方では、小狼が彼女らの名を叫んでいた。


「レイノさん!! 黒鋼さん!! ファイさん!!」

 味方がやられ、阿修羅族は次々と動き出している。そんな中、レイノらはそれらを全て薙ぎ倒して行くのだ。棒を突き、弓矢を放ち、刀を振るう。そんなレイノらに敵う者は居ないのである。ちらり、と小狼の姿を視界の端で捉えれば、レイノは目を細めて笑んでみせた。そんな微かな表情の変化など、この激動の戦場では分かる方が珍しい。


「レイノさん! 黒鋼さん! ファイさん!」
「阿修羅族は、こんな子供まで戦に駆り出さなきゃならん程戦える奴がいねぇらしいな」
「その言葉はわたしの身にも降り掛かって来るので止めて欲しいんですけどねぇ…っ」

 再び戦場で声を張り上げた小狼のそれは、少し掠れていた様に思う。そんな彼に、黒鋼は刀の切っ先を向けたのだ。少しでも動けば、頸動脈にぶすり、である。そんな黒鋼の言葉にレイノは苦笑を浮かべて小言を漏らすが、どうやらそんな暇は無いらしい。衝撃を受け止めた棒の先には毎回お馴染みの相手である倶摩羅が鋭い殺気をこちらに向けていたのだ。彼女の言葉にくすくす、と笑みを溢していたファイも突然の奇襲に、僅かに目を見開いた。


「毎度毎度お疲れ様と言うか、何と言うか…」
「ふざけるな!」
(毎回結構いっぱいいっぱいなんだけどなぁ……)

 ギリギリ、と均衡する力の差に、レイノは思わず歪んだ笑みを浮かべて冷や汗を掻いた。どうやら倶摩羅は彼女を殺したくて殺したくて仕方がないらしい。女だと分かっているのにも関わらず全力で向かって来る彼には「容赦」と言う言葉は存在しないのだろう。棒で彼の武器を薙ぎ払うと、彼女は馬の背を足場にして彼の脳天から棒を振り下ろした。


「っ…女の、分際で」
「貴方の主も女性でしょう」
「阿修羅王は別格だ!」
「うそ吐きだなぁ……」
「誰がだ!」

 レイノの攻撃を受け止めた倶摩羅は悔しげに顔を歪め、恨みが込められた視線を彼女に向ける。その後に続いた、所謂「女性批判」とも取れる言葉に、彼女は思わず苦笑を漏らしたのだ。この半年間、幾ら怪我をしても戦場に出る事は決して止めなかった。それは目の前の彼に負けたくなかったからだ。そんな風に必死に振る舞ってるなんて、目の前の彼は知らないんだろうけどね。
 ちらり、と横に視線をやれば、黒鋼の技達によってボロボロになってしまった小狼の姿が目に映る。小狼の背後にある岩もボロボロに砕けていて、知らないフリをしろ、とは言われたもののフルボッコ状態の小狼を見れば、可哀相になって来るのである。そんな事をここで漏らしたら「甘ったれんな」とか言われそうだけど。――まあ、わたしもこんな事考えている場合じゃない訳で。次々に響き渡る金属音はわたしの腕にどんどん負担を掛けて来る。本当倶摩羅さんって男女の力量差を考えてないと思うんだよね。まあ、考えられても屈辱的なんだけど。けれど、互角の戦いと言うのは少し楽しい、と感じるのである。そんな時に踏み出した右足が少し熱いのである。思わずそこを見れば、足首には一本の槍が刺さっていた。


(やっば……)

 これ、移動する時に黒鋼さんに怒られるやつだ。「もっと周り見ろ!」ってまた怒鳴られちゃう。あの人の拳骨痛いんだよねえ。それに、そろそろファイさんもブチ切れそうな気がする。この半年間、あの人が小言を言いたげにしてるところなんて見てないんだもん。それに、目の前からは突進して来る倶摩羅さんが武器を振り上げていて、横では弓を構えている阿修羅族の皆さんもいる。視界の端には驚いた顔のファイさんでさえいた。ここで大怪我して帰るのもアリかなって思ってたんだけどなぁ。

 そんな顔されたら、意地でもこの場を切り抜けたくなっちゃうんだよね。


 レイノが持っていた棒に魔力を込めると、それにはまるで生きているかの様な水流が絡まり付いた。そして、目の前に迫る倶摩羅の武器を避けると、横で構えている阿修羅族に近付いて阿修羅族の腹に魔力が込められている棒を突き刺したのである。少し回転を加えると、阿修羅族の口からは血が溢れて来る。しかし、無意識に魔力を放出していた彼女は、阿修羅族の体内に取り入れてしまっていたのだ。それに気付いたファイが彼女の肩を引っ張るが、その時の彼女の瞳は月と同じ、金色に輝いていたのである。その事実に思わず眉を顰めるが、ファイは口の形で「やりすぎ」と、そう伝えたのだ。


「ご、めんなさい」

 ファイの言いたい事を理解して我に返ったレイノは武器を手放し、地面に座り込んだのである。そんな彼女の様子に、ファイは周りを威嚇する様に数本の弓矢を放ち、慰める様に彼女の頭を優しく撫でた。その様子を一瞬視界に入れた黒鋼は思わず溜め息を吐いていたらしいが、そんな事は知る由もない。そんな黒鋼が小狼に振り下ろした一撃は、横から襲い掛かった炎により中断せざるを得なくなったのだ。


「配下を助けるなんざらしくねぇな、阿修羅王」

 先ほどの炎を放った正体である阿修羅は、挑発する様な言葉を放った黒鋼に向かって微笑み、刀の切っ先を向ける。そこからは炎で象られた巨大な鳥が現れて彼を覆い尽くす。しかし、彼はそれさえも刀で切り裂いて彼女の元へと踏み出したのだ。それに気付いてもなお馬から降りる気はない彼女はかなり肝が据わっている人物である。


「見事だな」

 黒鋼の刀は阿修羅の喉にあり、何時でもそれを掻っ切れる状態だ。しかし、それを許さない者が一人居る。それは倶摩羅である。ギュルル、と言った勢いのある音を響かせて、黒鋼には武器が近付いて行くが、黒鋼はそれを刀で弾いて阿修羅との距離を取った。そんな黒鋼に武器を振り下ろす倶摩羅だったが、ファイによる攻撃で中断する事となったのである。


「俺の相手だ。手出しすんな」

 先程の攻撃がお気に召さなかったのか、黒鋼は不服そうにファイを睨んだ。しかし、そこから返って来るのはレイノのくすくす、と言った笑い声とファイの無言の笑みだけだったのである。けれど全方位を阿修羅族で囲まれている、今のこの状況は大変よろしくない。そんな時に響いた「夜魔・天狼剣」と言う夜叉の声は、仄かな光と共に彼女らの周りに居た阿修羅族を全て薙ぎ倒したのである。


「おのれ! 夜叉王!」
「だから俺の相手だっつってるだろうが、夜叉王」
「黒鋼さん、一回この技受けましたよね」

 小言の様に加えられたレイノの言葉にファイは笑顔で「しー」と黙っている様に伝えるが、黒鋼の鋭い睨みは止められなかったようだ。これ帰ったら思いっきり扱かれるやつだ。今日は帰ったら大変そうだ、なんて事を思いながら彼女は月を見上げる。それの光が照らす夜叉と阿修羅の双方の視線は真っ直ぐ絡み合っており、そんな二人の高低差がこの先の未来を暗示していた様に思うのはわたしの気のせいなのだろうか。
 月が南中する。この戦場が幕を下ろす時間である。その瞬間、夜叉と阿修羅の視線は絡み合った。それに気付いた彼女は、そっと口を開く。しかし、それは土を踏む音に掻き消されるのである。ユラ、と揺らめくこの場の景色は幻想的でずっとこの場にいたいと、そんな実現もしない願いを望むのだ。


「今度はとどめを刺すつもりで来い、ガキ」

 先程の馬の蹄の音を操っていたのは、黒鋼だった。その後ろにはファイが笑みを浮かべて軽く会釈をして消えて行く。そんなファイが乗っている馬に乗っているレイノも同じ様な表情を浮かべて小狼に向かって手を振った。そんな彼女を見て、倶摩羅は再び執念の炎を燃やすのである。




「……ファイさん?」

 夜魔ノ国に帰ってすぐ、レイノはファイに両腕を握られた。何処か様子のおかしいそんな彼に眉を顰めて名を呼ぶが、答えてくれる声も意味の分からない言葉もない。武器を返したいのだが、彼に両腕を握られているこの状態では叶わない願いである。数秒間、その状態が続いただろうか。目の前の彼は軽く舌打ちを響かせたかと思えば、強引に彼女を引っ張って行ったのである。後ろから呼び掛けて来る黒鋼の声に反応を返せない程、様子のおかしいファイに夢中だったのだろうか。




 城内に入ってからも無言で突き進んで行くファイに何度も何度も声を掛けるが、返って来るものは何もない。この人が無視するなんて事早々無いのに。泣きそう。崩れそうになる自身の涙腺を、歯を食い縛って堪え、レイノは目の前を歩く彼にされるがままになっていた。そうして着いた先は彼女の寝室で、勢い良く襖を開けたかと思えば敷いたままにしてあった布団に彼女の身体を投げたのだ。


「ちょっとファイさん!」
「Почтовый ваши губы」
「ねえ、ファイさん待って、――」

 大きな音を立てて投げられたレイノの身体に覆い被さる様にファイの体重が乗り掛かって来る。迫って来る彼の顔に、彼女は思わず彼の肩を掴んだ。けれど、意味の分からない言葉を投げ掛けられるだけで縮まる距離は留まる事を知らないのだ。そんな時、顔の両隣に音を立てて彼の手が置かれたのだ。


「Дай мне перерыв」

 そう放たれた言葉はやっぱり良く分からなかったけど、暗く歪んでいるファイさんの顔が「怒っている」と言う事を教えてくれていた。そんなファイさんの表情に思わず目を見開いていたけれど、怪我をした足を押さえ付けられたらわたしは顔を歪めてしまった。血が出ている感覚がして、思わず声を漏らす。そんな行為を繰り返していればわたしの呼吸は既に荒くなっていて、そんなわたしに満足したのか、ファイさんはわたしの肩に顔をうずめて来た。


「ファイさ、――」

 ぱちくり、と瞬きを繰り返していればふと、首筋に生温い感触が触れたのである。驚きで思わず肩を跳ねさせると、そんな反応に笑みを溢したファイの吐息がそこに当たり、口から声が漏れたのだ。酷く顔を赤らめるレイノに思わずくすくす、と笑みを溢した彼は彼女の身体の上から自身の身体を退けたのである。そして近くにあった救急箱をこちらに引き寄せ、治療を施し始めた。そんなタイミングで室内に入って来た黒鋼は違和感の感じる二人の雰囲気に、思わず首を傾げた、と言う。




「…想定範囲外の世界に移動してしまいましたね。飛王・リード」

 鏡の中には何時も見える映像がなく、砂嵐が舞うのみである。それを厳しい視線で見つめるしか出来ない「飛王・リード」と呼ばれた男は眉を顰めた。ただただ事実を言っているだけの目の前の女が腹立たしい。その顔がとある人物に酷似している、と言う要因も否めないのである。


「これまで、こちらの思い通りの世界に落とせていたというのに」
「適度に安全な世界に…ですね」
「死なれては、元も子もない」
「けれど、これからはどの世界に落ちるのかコントロール不能です。死に至る可能性もあるでしょう」
「これも、あの魔女の仕業か。――思ったより出番が早くなるかもしれないな」

 未だに消えない鏡に映る砂嵐の音を聞く度に自身の中の焦りがどんどん増している気がした。それは全て「魔女」と呼ばれる侑子によるものだと、飛王は予想する。しかし、こんなもので諦めるほど彼の野心は弱くないのだ。計画を阻む者は全て排除する。その為にはある駒が必要なのだ。


「小狼の。――あれは此度の計画の為に生み出しもの。あの遺跡に埋まるものを手に入れる為、働いて貰わねばな」
「けれど、あの魔女は黙ってないでしょう。――勝てますか? あの次元の魔女に」
「勝つ為に打てる手は全て打ってある。それでも、あの魔女相手には完全ではない。我が血筋であるクロウ・リードが唯一認めた魔力を持った女。次元を超え、他人を異世界に運ぶ術を知る女」

 次々と紡がれる意味深な言葉達は一行の旅路の裏側を覗かせる様な、そんな要素を孕んでいる様だった。しかし、飛王の最大の敵は一行ではなく、侑子なのだ。彼女のその強大な力は脅威である。だからこそ欲しいと、消すべきものだと、そう思うのだ。そして、椅子から腰を上げた飛王は「しかし」と言葉を繋げる。


「あの力はこの手に掴む」

 やっと晴れた鏡には、玖楼国の二つの遺跡がそびえ立っていた。




 怪我による体温の上昇も収まり、無理矢理寝床に収められたレイノは息を吐いて近くに居てくれているファイと黒鋼を視界に映した。そう、ほっと息を吐いた時だったと思う。何かの鼓動に合わせて彼女の左の太股が唐突に疼き出したのだ。内側から沸き上がって来る様に熱いそれは立っていられない程である。強く歯を食い縛っても止まらないその疼きは身体全体にまで及び、その異変に二人は気付く事になった。ビクビク、と痙攣する様に布団の上で跳ねる彼女の身体は明らかに異常を来たしていて、ファイはそんな彼女の肩を揺する事しか出来ない。


「Что мне делать……!」
「っ…氷! 直×●〇!」
「う゛…っん、んん゛…っ」

 身体が焼ける様に熱く、痛い。思わず身体を起き上がらせるも、痛みに我慢出来なくてファイの腕を掴む手に力が込められるだけだった。痛みに堪える声が止まる事は無く、焦りを露わにする彼をよそに襖を開けた黒鋼は、偶然廊下を歩いていた誰かに「氷」を要求しているようだ。バタバタ、と騒がしくなった廊下の様子を耳にしながらも、レイノは太股に感じる痛みと熱さに夢中だった。――痛い、痛い。言葉も喋れないくらいに熱い。初めての感覚にどうすれば良いか分からなくて、彼女の瞳からは生理的な涙がボロボロ、と零れ落ちていた。そして思わず唇を噛み締めていれば、ファイは痛々しい声が漏れる彼女の口元を自身の肩で押さえ付けたのだ。そこを思わず噛んでしまえば彼の肩からは血が流れ、それは着物に滲んで行く。くぐもり始めた彼女の声に気付いた黒鋼は、その様子を見て目を見開いたのだ。
 ファイの肩を噛む力を緩めては込めて、を繰り返すレイノの顔色は熱さからか、酷く火照っている。そして、噛む力が込められる度に彼も顔を歪めるのだ。その様子を見る事しか出来ない黒鋼の表情は酷く固い。彼女はファイの背中に腕を回すと、着物の衿を思いきり掴んだ。その拍子に掠った爪に、ファイは思わず声を漏らした。しかしそれは一度だけで、痛みに耐え切れなくなった彼女はファイの腕で気を失ったのである。

 その時の歪んだ表情のファイさんを、わたしは知らない。




 翌朝、目が覚めて一番最初に視界に入ったのは穏やかなファイの寝顔だった。――いつものように一人で寝ていたと思っていたわたしは気持ち良さそうに寝ているファイさんを思いきり突き飛ばしてしまいました。笑顔が怖かったです。ちょっとだけ怒ってましたね、ごめんなさい。夜になって月の城に行くとなった時、久し振りに夜叉の顔をちゃんと見た気がする。何時もと変わらず、真っ直ぐ前を見つめている。けれど、何かを切望している様な、そんな感じがした。その時、額には骨ばった黒鋼の手が当てられていた。あまりの驚きで瞬きを何回も繰り返していれば、次には黒鋼に雑に頭を撫でられたのである。え、怖い怖い怖い。何この人、何企んでるの。そんな考えが漏れたのか、最終的にはいつもと同じく殴られてしまったけれど。
 黒鋼の一連の行動にたくさんの疑問符が浮かんだレイノはファイの顔を見上げたが、ファイは苦笑を浮かべるだけだった。そして手を包み込まれた彼女は、再びぱちくり、と言った様に瞬きを繰り返したのである。そんな良く分からない二人に悩まされながらも、周りの景色はゆっくりと変化して行ったのだ。半年の間で随分と慣れてしまった殺気が肌に当たる。そんなところに、倶摩羅が攻撃を仕掛けて来たのだ。


「今日こそ決着をつけてやる!」
「わたし一応怪我人なんですけど…」
「関係ない!」

 倶摩羅の武器と自身の棒が接触し合い、その場には金属音が響き渡った。相変わらずこちらに殺気を全力で向ける彼に苦笑を浮かべながらも、レイノは彼からの攻撃を避けるだけだ。今夜は戦うつもりではないのである。ちらり、と横を見れば阿修羅が近付いて来ていた。しかし、何時もと様子が違う。阿修羅のその瞳には狂気じみた、けれど、何かを決めた様な、そんな思いがある様に思う。
 馬から降りた阿修羅は炎を纏った刀を持って、敵陣のど真ん中に立ち竦んでいた。背中に掛かる倶摩羅の言葉を無視して、自身の身に降りかかる攻撃達を全て薙ぎ払って行く。その様子を、レイノらはただ見つめるだけだった。それらを全て倒し切った阿修羅は、夜叉が立つ崖へと降り立った。そして、夜叉の身体を貫いたのだ。血は流れない。痛がる様子もない。それが、全てを物語っていた。仄かに光を放つ夜叉の手は、そっと阿修羅の背に回される。そして、一言だけ呟いたのだ。


「…阿修羅」

 その声色は、酷く慈愛に満ちていた。