告白未遂

「レイノちゃんの、こと、――」
「ファイさん…?」
「す、――」

 ぎし、とベッドのスプリング音が響き渡る。端正な顔立ちが近付いて来て、互いの顔の距離が狭まって行く。透き通る様な蒼い瞳が酷く真っ直ぐで、引き込まれそうに、なる。――そう言えばこの国に来てからと言うものの、かなりの時間を黒鋼さんと過ごしていたなぁ。ここまで至近距離になるのは、久し振りかも知れない。きらきらと輝くファイの金髪が、レイノの鼻先に掛かってくすぐったい。――あ、やっぱり、綺麗、だなあ。
 レイノとファイの影が重なる、そう思った時だった。豪快に開けられた扉の前には、片手をポケットに突っ込んで「帰ったぞ」と言葉を発する黒鋼の姿があった。その瞬間、不意打ちの力でファイの身体は後ろへと傾き、仕切りの役割を担っているカーテンから顔を覗かせる事となったのである。


「…何やってんだおめーら」
「あ、あはは。プロレス?」
「何で疑問形だよ。つかすげぇ一方的だし」

 おそらく気付いているのだろうが、わざと気付かない振りをしてくれている黒鋼は、何時か絶対何処かで損をしていると思う。先程の事をどうにか水に流そうと変な空気の中で会話をする三人だったが、そんな中に朗報が入って来る。サクラが優勝したのだ。それを聞いた三人は医務室から飛び出したのである。




「「ひゅー」。さすがサクラちゃん」
「だから、その口で言うのヤメろ」
「だって『夜魔ノ国』でも練習したけど出来なかったしー。じゃ、お医者さんに見せにいこっかー」

 壁に取り付けられているパネルを観ると、モコナと喜び合っているサクラの姿が映っている。それを観ているファイは、吹けもしない口笛をどうにか表現しようと言葉で言ってみた。桜都国から続けられているそれに、黒鋼はそろそろうんざりしているのだ。それさえも笑って過ごすファイは、ある意味大物なのかも知れない。そんなファイは黒鋼に近寄り、リタイア後から常に隠している左手を晒した。そこには、鋭利な何かで削られた傷跡がはっきりと残っていた。


「面倒くせぇ」
「だめですよ。パパがそんなんじゃ子ども達が真似するでしょう? 特に小狼くんとか」
「だからそれもヤメろ! つかパパって何だ。わざわざ、んな戯言言いに来たのかてめぇは!!」
「それもあるけどー。まぁ、一番はレイノちゃんだけどね。ちょっと気になって」
「間欠泉ですか?」
「うんー。何か違う気がしてねー」

 ファイが問題視しているのは、予選のレース、本線のレースの第一チェック地点、第二チェック地点とレイノと黒鋼がリタイアした間欠泉の危険性の高さの違いであった。考えてみればそうである。驚きやそれから来る不安定な操縦から誘発された連続リタイアはあったものの、命に関わる事ではない。しかし、間欠泉は違う。明らかに命を奪いに来ていた。それは、その身を持って体験した彼女が一番良く分かっている。


「…最後のはモロくらったら、怪我だけじゃ済まなかっただろうな。現に小娘は息止まってたしよ」
「お医者さんも言ってたもんねー、生きてるのが奇跡だーって。サクラちゃんが気付かなかったって事は、自然なものじゃないのかなぁ。他の間欠泉は避けてたしねぇ。やっぱり、知世ちゃんが言ってた通り、不正を働いたのがいるってことかー」

 水の中に居る事は特別苦じゃない筈なのにあの水の塊にぶち当たった瞬間、痛くて堪らなかった。今まで感じた事のない痛みで、心臓を思い切りわし掴みにされた様な、そんな感じ。死ぬかと思ってたけど、本当に死んでたんだ、びっくり。この国の医者には感謝してもしきれないだろう。そんな事を思っている間にもファイと黒鋼の会話はどんどん進んでおり、その足は医務室ではなく、外の大広場へと向かっていた。――何だかんだでファイさんも甘いよなあ。――そんな事を思っていたその時、黒鋼はぼそり、と一言呟いた。


「…二派、な」

 それがやけに重くて、この人には隠し事は出来ないと、そんな事を思うのだ。




『さぁ! 遂に決まりました!』
『『ドラゴンフライレース』優勝者は!』
『誰よりも可憐に! そして、誰よりも速く空を駆けた『ウィング・エッグ号』だー!!』

 ゴール地点に設営されたステージには、数え切れない程の人々が集まっている。そんな中でスポットライトに当てられたのは、優勝者であるサクラであった。目立つ事に慣れていないサクラは少し照れ臭そうである。周りで騒ぐ煙幕やファンファーレによって、その場は一気にお祭りムードとなった。そんな中に奈落からゆっくりと現れたのは、優勝賞品である充電電池を持った知世である。


「おめでとうございます」
「ありがとう!」
「やっぱり女の子は目に優しいー。勝ったねぇ、サクラちゃん」
「勝てて良かったです……!」
「…何で泣いてるんですか」

 多くの歓声の中、サクラと知世は笑顔で言葉を交わした。二人の間には紙吹雪が舞っており、それが何より二人の笑顔をより魅力的なものにしている。その様子をスポットライトで照らしながら、アナウンサーの実況は続いていた。しかしそれは段々と脱線し始め、隣に居た女性アナウンサーが男性アナウンサーを回収して行った。何処かシュールな光景に目が点になったサクラだったが、小狼と目が合うと嬉しそうに手を振った。何と愛らしい光景だろうか。
 そんな光景に対して率直な感想を言った龍王は、無意識に小狼を照れさせる。先程までレイノに冷たい一言を浴びせていたとは思えないくらい純粋な反応である。その横では、ファイが大袈裟なくらいにサクラに対して手を振っていた。


「怪我、酷いのにちゃんと固定しないんだからー」
「ふん」
「あんまり大げさにしたらサクラちゃん、責任感じちゃうもんねぇ」
「面倒だっただけだ」
「照れ屋さんですねえ」
「ああ!?」
「そうしといてあげよー。お父さん」
「だからてめぇ!」
「でもさー、変わったなぁと思わない?」

 ファイのこの振りっぷりはレイノ5割、ファイ4割、黒鋼1割と言ったところだろうか。今更ながらに思うが、レイノのサクラ愛はどうにかならないものか。そして、再び家族ネタで黒鋼を弄り出したファイは、黒鋼の肩を軽く叩いた。そんな二人の絡みを見て吹き出したレイノは、何時ものごとく黒鋼に頭を鷲掴みにされていた。馬鹿である。


「小狼君、旅の最初は全然、笑わなくて、苦しそうで。レイノちゃんもいつも苦しそうで、泣きそうですぐ壊れそうだったもん。サクラちゃんは記憶が揃ってなかったせいもあるけど、不安そうで。黒るんは怒ってばっか、なのは今も一緒かー」
「あぁ?」
「でも、旅の間に辛い事もあるけど楽しい事もあって、ああやって、あの子達が自分で頑張って笑ってるのを見るとさ、変わったなぁって思って」
「――そう思えるお前も変わったんだろ」
「え…」

 けれど、そんなレイノも旅の最初は大人しかったのだ。こうやってファイと黒鋼がコントの様な事をやっていても、モコナがうざったく絡みに来ても当たり触りのない反応を示すだけであった。それが何故こうなったのか。それはやはり、ファイが根気強く側に居たお陰でもあるのだ。
 ――ああ、この人は本当に周りを見ているのだな。馬鹿みたいに優しくて、笑っちゃうほど不器用で、びっくりするくらいに人の事しか考えてなくて。けれど、そんな人だからこそ見えているものもあるのだろうか、とそう思うのだ。自分の事は二の次で、自己犠牲がひどくて、彼はわたしの事を壊れそう、と表現したけれど、わたしからしたら貴方の方がずっと儚くて、どこかに行ってしまいそうなんだよ。そんなファイの驚きの声は、周りの煩いくらいの歓声に掻き消されて行く。


「そうですよ。最近のファイさんの笑顔、わたし好きですもん」
「レイノちゃん…」
「だから、笑ってて下さいね」

 そんな喧騒の中だったからか、レイノの笑顔は一際目立って見えた。――ああ、オレ、ちゃんと笑えてるのか。作ったものじゃない、ちゃんと自然に出来ているのか。何でだろう。そう考えた時、一番最初に出て来たのはやはり、きみだった。何でこうもすきなんだろう。何でこんなにばかみたいに惹かれてるんだろう。

 ああ、離したく、ないなあ。




「では、乾杯」

 ドラゴンフライレース、表彰式が終わった後に、知世は宴席を準備していた。真っ暗な夜空はライトや花火で色鮮やかに彩られている。船内からも僅かだが、花火が打ち上げられる音が聞こえる程だ。そんな中、彼女の掛け声によって宴会は始められ、各々好きな場所に腰を落ち着かせた。


『サクラ、かっこよかったよー!』
「本当にねー」
「黒鋼さん、手、大丈夫ですか?」
「ああ」
「ファイさんは!?」
「全然。平気ー」
「小狼君、怪我は!?」
「大丈夫ですよ」
「ほんとに!? 嘘じゃない!? 我慢してない!?」

 一行は一つの場所に固まっており、レイノはサクラの横に座っている。黒鋼に続いてファイ、小狼と次々に問い掛けるサクラを見れば、記憶が戻って来ている事が分かり、少し嬉しく感じる。それはレイノだけでなく他の人々も思っているが、何よりもその気持ちが強いのはやはり小狼だろう。記憶を失う前のサクラを知っているのは、この場では小狼のみであるから、と言うのが理由である。


「ほ…本当です」
「良かった……あとね、レイノちゃん、ごめんなさい。わたしのせいで、こんなに大怪我…」
「サクラちゃんのせいじゃないよ。身体が勝手に動いちゃったの、仕方ないもん。それに…戻って来れたから、良いかな、って」
「レイノちゃん…うん。有り難う」
「死にかけたくせ、――」

 力んだ身体を落ち着かせたサクラだったが、視界の端に入ったレイノに眉を下げた。そして、控えめに固定された腕をギプス越しに優しく撫でたのだ。感覚は、ない。当たり前だ、神経が切れているのだから。それなのに、何故だろう。暖かい。神とかは信じないクチなんだけど、本当にサクラちゃんは「神の愛娘」なんだろうなあ、と僅かながら思う。だって、とっても優しいんだもの。
 そんな良い雰囲気に包まれていた筈なのに、黒鋼の言葉で台無しだ。思わず彼の足を踏み潰してしまったが、絶対謝ったりなんかしてやんないんだからね。


「ってえな! 何しやがるクソアマ!!」
「だーれがクソアマですか! 余計なこと言わなくて良いんですよ! 何なんですか! 馬鹿ですか!」
「んだと!?」
『まーまー。仲良くしようよー』

 けれど、それが痛い箇所に当たってしまったらしく、怒られた。――いや、怒られた、なんてものじゃない。暴言だよね、暴言。サクラちゃんに聞こえてなかったから良かったものの、本当有り得ない。多分こう言う雰囲気が苦手なだけだと思うけどね、許さないんだからね。レイノと黒鋼の言い合いにモコナも混ざってじゃれ合っている隣では、サクラが微笑みながらサクラの羽根が入ったトロフィーを強く抱き締めていた。


「開けないんですか?」
「開けて羽根が戻ったら、眠っちゃうかもしれないから。知世ちゃんにちゃんとお礼、言いたいの。主催者さんで、まだ忙しいみたいだから」

 とても嬉しそうにトロフィーを抱くサクラに惹かれ、小狼は問いを投げ掛ける。その答えは、人との繋がりを大切にする彼女らしいものであった。優しいこの子は近い将来きっと、損をする。そんな時、今のこの笑顔を守れたらな、と思うのだ。そんな彼女の目の前にふと、一輪の花が差し出される。


「おめでとうございます。そのトロフィーは美しい貴方にこそふさわしい」
「しかし凄いな。まさか、あそこで滝につっこむとは思わなかったぜ」
「不正を行ったものは誰か、分かりましたか?」
「いや、それが…」

 差し出された花によって、今まで繋がっていたサクラと小狼の手はあっさりと離されてしまった。それを行ったのは残であり、そして、その横には笙悟が居た。もう見慣れた構図である。その間にファイはレイノの代わりに新しい飲み物と軽めの食事を取って来てくれた。今の怪我の状態では多くは持てないだろうと言う、ファイの気遣いである。トレーに並べられたのはスパークリングのジュースとヘルシーなサラダを乗せたお皿である。美味しそう。


『お耳がいたいー』
「どうしたの?」
「っ…何か、来ます……」

 海藻サラダを一口、口に含んだところで顔を歪めたレイノは、とある違和感に頭を悩ませていた。――頭が、痛い。割れそうな痛みとか、そんなんじゃない。たまに思い切り痛みが来る。その一撃が、とてつもなく重いのだ。ファイに支えられる身体を震わせ、彼の肩に額を押し付ける。――痛い、痛い、やだ、助けて。――船の円型の窓が震える。嫌な音。ガラスを爪で掻いた様な、そんな音。その場の空気が静まった次の瞬間、強風に呷られて思い切り窓がぶち破られた。咄嗟の判断で彼女を庇った彼のそれは決して間違っていない。

 ああ、この旅に平穏はないのか。




 急に訪れた襲撃に会場は一気に混乱の渦に巻き込まれた。煙幕と窓ガラスの欠片が人々を包み込み、視界の悪化が余計にその場の混乱を推進させていた。窓枠に留まっていた窓ガラスは軽い衝撃でも床に落ちて行き、人々はそれを避けるだけで精一杯である。この会場内での大きな変化はそれだけでは終わらなかった。サクラが抱えていたトロフィーにヒビが入ったのだ。


「社長!!」

 ヒビが入ったトロフィーを見兼ねた知世は衝撃銃を持って前線に立ち、それをしっかりと構えた。その間にもトロフィーに入るヒビは増え続けている。その瞳は酷く真っ直ぐで、ただただ前を見据えていた。それを見つめるレイノはやはり、と言った気持ちを持つ事になったのだ。


「知世ちゃん!?」
「羽根をサクラちゃんの中に!」
「「え!?」」

 衝撃銃を構えたまま叫ばれた知世の言葉は不可解なそれだった。それを聞いた一行は、驚く者と納得する者に分かれる。そんな中、レイノは後者の方に位置付けられていた。予選も含めた今回の「ドラゴンフライレース」の全貌が明らかになって来た気がするからだ。
 そんな時、トロフィーが砕け散り、サクラの手から羽根が滑り落ちる。それに反応したレイノとファイ、黒鋼は走り出したが、頭上から落下して来た瓦礫によって行く手を阻まれてしまう。しかし、レイノは違った。それを本能的に感じ取り、片腕がない状態で避け切ったのだ。心の中で訓練を受けていて良かった、とほっとするレイノだが、もちろん持ち前の運動神経のお陰である。しかし羽根には一歩届かず、それはカイルの手に渡ってしまったのだ。一番避けたかった事態である。羽根を取り戻そうと走り出した小狼だが、実際に功績を上げたのはモコナだった。


「早く!」
『うん!』
「待って……!」

 サクラの羽根を口内に含みきったモコナは、手(と言って良いのか分からないが)に力を込めてしっかりと決めてみせた。こう言うところのノリはさすが侑子が作ったもの、と言うべきか。知世が急かす間にも装飾物は崩れて行き、会場内はもはや原形を留めていない状態になっている。サクラの羽根は本人に取り込まれて行き、何時もと同様激しい眠気に襲われた。――だめ、まだ眠っちゃだめ。――そう思うがサクラにそれに逆らう術はないのである。


「…まったく。ジェイド国と言い、また妙な邪魔をしてくれたな、その生き物は」
「ジェイド国!? じゃあ、あなたはカイル先生!?」
「おまえ達だけが次元を渡れる訳じゃない。異なる世界には同じ顔をした別の人間がいる。けれど、本当に別人かは分からない」

 カイルは割れた窓の縁に体重を掛け、未だに見慣れないニヒルな笑みを浮かべた。彼の隙を逃がさない様に目を細めて睨んでいると、ふと互いの視線が絡み合う。しかし、互いにすぐには口を開かなかった。警戒心が前面に出て、言葉が出て来ないのである。けれど、そんなピリピリとした空間を破ったのは目の前の彼だった。


「…レイノ・アン・クォーツ、やはりお前は『そちら側』につくか」
「…目が覚めたの、馬鹿みたいな夢からね。――いけない?」
「お前がいてもいなくてもあのお方の考えは変わらない」
「わたしがいなくなる事で変わるならとっくの昔に脅迫でも恫喝でもやってるんだけど」
「だが忘れるな。お前は『呪われた運命』だ。幸せなど、誰が譲るか」
「っ…それ以上喋るならその口…」

 その瞬間、内側から込み上げるかの様に沸き起こった嫌悪感を抑え込み、レイノは鼻で笑ってみせたのだ。その時、僅かに歪んだファイの目元には気付いていないようである。絡み合う視線はどんどん熱を帯びて行き、鋭いものとなっている。こう言う話は一行の、特に黒鋼の前ではしたくなかったが、後の祭りであろう。余裕を持てていたのは、それまでだった。「呪われた運命」、久し振りに耳にしたそのフレーズは昔から見る後味の悪い夢を思い出させた。しかし、その理性は知世の掛け声によって留まる事となる。一斉に放たれる銃弾はカイルには一発も当たらず、カイルは次元の狭間に消えて行ったのだ。


「社長!!」
「私は大丈夫です。皆さんにお怪我がないか、確認を。気球を安全な所におろして、『ピッフル・プリンセス社』が責任をもってお送りして下さい」
「は!!」
「――レースは終わったしー、もう事情を教えてもらってもいいかな? 知世ちゃん」

 何とか落ち着いた会場には煙が立ち込めており、周りの人々が助け合いながらも立ち上がる姿を見る事が出来る。迅速に部下に命を下した知世はしっかりとサクラを支えており、よほど大事にしてるのだとすぐに理解できた。そんな知世に優しく、しかし、断る事は許さないと言わんばかりの表情を浮かべたファイは、問い掛けた。
 トレーラーに戻って来た一行はレイノとファイが用意してくれた紅茶を一口飲み、喉を潤した。皆、知世が口を開くのを待っているのだ。そして放たれた知世の言葉は、自分が犯人だと自白しているものであったのだ。