盤上の国

「READY…」

 兎らしき動物の声が張り上げられる。その間にピッピッと小さな機械音が響き渡る。その音がきっかけとなり、ゆっくりと瞼を上げる者が居る。――サクラだ。黒を基調としたワンピースを身に纏い、首元には首輪が装着され、それは鎖によって後ろの椅子と繋がっている。目の前には彼女と同じ様に鎖で雁字搦めにされているレイノとファイと黒鋼、そして、『小狼』が居た。そんな一行が居るのはモノクロを基調とした盤上の上だ。その対角線上には白を基調とした「敵」と思われる者たちが居る。


「GO!!」

 再び響いた動物の声と共にピッと首元で機械音が鳴り響く。また、それと同時にレイノらの動きを封じていた鎖が一斉に放たれた。彼女らの手にはそれぞれ、複数の短剣、鎌、ナックル、大剣が握られている。それらで相手の攻撃を受け止め、薙ぎ払い、着実に仕留めて行く。その姿は圧倒的でまさしく「夜叉」、そう言えば適格だろうか。




「凄いですね、彼女とその駒は」

 ある空間に響き渡るのは男にしては少し高めの、ハスキーがかった声色である。そんな彼が居る場所には多くのモニターが設置されており、彼はそれを面白おかしく見つめていた。彼は一行の事を知っているようだった。それはその後に続く一行の行動についての発言がしっかりと証明してくれている。


「この駒、四人共素人じゃねぇだろ。イーグル」
「貴方もそう思いますか?」
「戦闘のプロというなら、あの男だろう」

 ランティスがそう言って視線を寄越した先には大剣で敵を薙ぎ払う黒鋼の姿がある。彼のその顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。慣れた手付きで大剣を持ち、肉を引き裂く感覚に嫌悪感を抱かないその姿は剣士を想像させた。詳しく言うなら「忍」なのだが、西洋の雰囲気を感じさせるこの国ではそう言ったものはないのだろう。


「こっちは戦闘というよりもっと防護術的なものですね。いつもこのスタイルで戦っているわけじゃなさそうだ」

 そう言ったイーグルの視線の先には、鎌を飛ばして敵を牽制しているファイの姿がある。鎖でぶら下がっている椅子に座るサクラを守る様に、ファイはその場に立っている。その姿を見れば、ファイは守る対象を変えてしまった、と言う事が分かるだろう。それは戦場に居るレイノと言う存在が示してくれている。


「この子も同じ感じだけど、戦う訓練は受けてる。それも、高度な」
「どちらもかなりの使い手だ」
「ええ」

 そう言っては目を細め、イーグルはナックルを振り翳す『小狼』を見つめた。モニターに映る『小狼』は背後に居る敵に向かって再びナックルの先端を向ける。するとその場には、血飛沫が舞い上がった。その様子を眺めては、イーグルはふと「そして」と言葉を紡いだのだ。


「あの子が彼女の言っていた『神の娘』ですね」
「普通の娘に見えるが…」
「まあ、厳密に言うと少し『違う』存在ですからね」
「お前が言っている事は相変わらず良く分からんが…あれが本来の力ではないのだろう?」
「ええ。本来はもっと、残虐だと聞きます」

 そしてイーグルが次に目を付けたのは敵に向かって何本もの短剣を投げ付けるレイノの姿である。容赦なく頸動脈や心臓を狙いに行くその軌道はある意味「残虐」と取っても良いだろう。しかし、彼はそれだけでは足りないと言うのだ。苦しげに眉間に皺を寄せ、肉を切り裂く瞬間に目を瞑るその姿からは、彼の言う「残虐性」は見られない。


「そして、マスターの強さ」

 マスターであるサクラを守る様にレイノらは武器を構えて前に出る。その後ろに居るサクラはただただ真っ直ぐに、前を見据えていた。このチェスはサクラの様なマスターの精神力で戦う駒の動ける速さや強さが決まる。マスターの精神力が弱ければ、駒は自分の実力を発揮出来ない。しかし、サクラの様なタイプは初めてだと、イーグルは言う。


「『チェストーナメント』の賞金が欲しいからだろ? このトーナメントを主催しているのはビジョン家だ。表向きは、手広く事業展開してる金持ちだが」
「裏ではマフィア」
「まあ、そうだが。そんな、はっきり言うな」
「事実ですし」

 悠々と玉座に座るイーグルはビジョン家の当主だ。そして、その両隣に居るジェオとランティスはその当主の双璧と呼ばれて、もう長い。そんな彼らが主催しているのがこの「チェストーナメント」である。違法に掛け金を募って、チェスに擬えて戦わせる。勿論、命を落とす事もあるバトルロワイヤルだ。しかし、危険は駒たちだけではなく、マスターも同じ事である。精神力が保てず駒が負ければ、マスターも廃人になるのだ。それを知ってもなお戦う理由を、あれ程真っ直ぐな目をする理由を、イーグルは知りたかった。

「知りたいですね、あの強さの理由を」

 その強さが、一人善がりのものだとしても。




 古びた電灯が立ち並ぶ小さな通りには耳障りな羽虫の音がそこかしこに響いている。僅かに眉を顰めながら通り過ぎれば、廃れたアパートが立ち並んでいる団地が見える。明かりは殆ど灯っておらず、既に皆寝静まっている事が分かるだろう。そんな国は、インフィニティと言う。一行が借りているアパートの階段は所々が錆びていて、少し体重を掛けただけでギシ、と言った嫌な音が響き渡る。それに混じる声は、一つもない。


『みんな! 怪我ない!?』

 ファイが先頭を切って扉を開ければ、そこには真っ暗な街中を寂しげに見つめるモコナが居た。レイノらの帰還に気付いたモコナは悲痛な声をあげながらそちらに飛び乗ろうとしている。戦闘に勝利したらしい彼女らの顔に笑みはなく、レイノの隣に居る黒鋼の腕の中にはぐったりとしているサクラが抱かれていた。それに気付いたモコナは「サクラ!」と声を荒げる。


『サクラ、どうしたの!?』
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから。本当に大丈夫、だから、ね。泣かないで」

 そう言って、サクラはモコナの細い目に浮かんだ涙を指先でそっと拭ってみせる。そして、抱き着いて来たモコナを優しく撫でたのだ。そんな様子を見つめる『小狼』の表情は硬く、そして悲痛だった。また、そんな彼を見つめるレイノと黒鋼も何かを思案しているようなのだ。


「今日はもう休んだほうがいいね」
「でも…」
「この世界に羽根がある事は分かってる」
『うん。微かだけど感じる…レイノは?』
「…あるよ。間違いない」
「もし、小狼君がこの国に来れば、オレが分かる。そうしたら、すぐにサクラちゃんを起こすよ。それにサクラちゃんは明日の『チェス』の為にも少しでも休まないと。勝って、賞金を手に入れるって決めたんでしょう?」
「…はい」

 少しやつれた様なファイの問い掛けに、サクラは眉を顰めて肯定の意を示した。その時の表情は、おそらく小狼が居れば見る事はなかった表情だろう。「東京」で故障した右足を引き摺りながらソファから立ち上がり、歩き出す。しかしバランスが取れなかった彼女は身体を傾けた。それを受け止めたのは、不運にも『小狼』だったのである。


「…ごめんなさい」

 サクラのその言葉が迷惑を掛けた事への謝罪なのか、避け続けている事への謝罪なのか、それとも全く別の事なのか、それは誰にも分からない。彼女が今、どんな顔をしているのかも分からない。けれど、無理矢理顔を上に向かせる事も出来なかった。既に握り締めてしまったこの拳は、また暫く彼女に触れる事は出来ないのだろう。しかしそれは、至極当たり前の事の様に思えた。


「じゃ、部屋行こうか」

 そんなファイの言葉が歯切りとなり、サクラは『小狼』の横を通り過ぎて行く。再び引き摺り出した右足も、隣で支えているファイのお陰で身体を傾ける事はなさそうだ。無情にも閉められた彼女の部屋の扉は、暫く開かれる事はないのだろう。その事が、ただただ『小狼』を空しくさせた。


「…確かにおまえは小僧の元になったかもしれねぇが、おまえと小僧は違う。おまえがやってねぇ事をおまえが責だと思う必要はねぇし、おまえはおまえが思うようにやればいい。姫の事もな」

 やはりこの人に誤魔化しは効かないのだと、改めて考えさせられる。隣に居るレイノもその事に気付いているのだろう。幽閉されていた期間があったとは言え、十年程の付き合いだ。分からない訳がなかった。昔ならズバズバと言い当てられていたが、今ではそう言った姿が見られなくて、大人になったのだろうと、そう思う。


「…それでも、さ…姫にとって小狼は、あの小狼だけだ。あの肩を支えるのはおれじゃない」

 自嘲気味にそう言えば、後頭部辺りに鋭い痛みが走る。思わず目を見開けば、次にガシ、と力強い手の平を感じたのだ。少し前に何処からか溜め息が聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。『小狼』と共に頭を掴まれているレイノは無言で痛みに耐えている。やはり「大人になった」と言うのは気のせいか。そんな事を思っていると、黒鋼は「覚えておけ」と呟き、『小狼』の頭を乱雑に撫で始めたのだ。


「姫は強い、強いからこそ脆い。誰かが、それを教えてやらなきゃきっと折れる、遠からずな。あの魔術師には無理だ。あの二人は同じだからな」

 サクラは強くなった。それは昔からの彼女を知っている人物が見れば皆がそう言うだろう。しかし、その強さは小狼が居なくなったからこそ身に付いたものだ。付け焼き刃の強さとは、そうそう長く続くものではないだろう。常に強さを追い求めていた黒鋼は、それをしっかりと理解しているのだ。だからこそ、同じ弱さを持つファイには無理だと、そう断言できるのである。そんな黒鋼は今まで『小狼』の頭を撫でていた手の力を緩め、そっと唇を開いた。


「…もう寝ろ」
「…ああ。貴方も早く休んでくれ」
「ああ」
「レイノは?」
「シャワー浴びて来る」

 すぐ側にあった『小狼』の部屋の扉は古びた木製の物で、少し押せば耳に悪い音が響き渡る。しかし3ヶ月も聞いていれば慣れてしまうと言うものだ。そんな扉に手を掛けながら、『小狼』はレイノに問い掛け、彼女の顔を見つめ続けた。一向に逸らされる気配のない視線に、気まずさを感じるのは時間の問題である。


「……何? どうしたの?」
「…無理はするな」
「……やだ、心配してくれてるの? 可愛いね、『小狼』ちゃん」
「茶化すな」
「うそうそ! 大丈夫だよ、本当。じゃあお休みね、『小狼』」
「ああ。お休み」

 自身だけに向けられる『小狼』の真剣な表情なんて、何時振りだろうか。何処かくすぐったくて、黒鋼にする様に茶化してみせた自分はまだまだ子どもで、未熟だと思う。そんな考えを振り払う様に笑みを浮かべれば、彼は苦笑を浮かべ、言葉を返してくれた。隣では黒鋼も呆れながらも笑みを浮かべている。――わたしが元気でいれば、少しでも明るくなるなら、

 わたしはいつだって、自分を犠牲にするつもりでいるんだよ。




「サクラちゃん眠ったよ。モコナと一緒に」
「…レイノなら浴室だ」
「…何か飲む?」
「…酒」
「しょうがないね」
「おまえも飲め」

 パタン、と扉が閉まる音に目を向ければ、そこにはサクラとモコナを寝かし付けたのであろうファイが居た。聞いてもいない事を話すファイに何故か苛立って、反発する様に黒鋼も言葉を紡ぐ。――まあ無視される事は分かっていたが。――腰に掛けてあった刀を抜き、手首に深めの傷を作る。その瞬間に鼻孔を擽る血の臭いに、脳が滾る感覚がした。――だからこの時間は嫌なんだ。生かされている事を、自分が人間ではない事を改めて自覚させられる。


「飲まねぇなら好きにしろ。このまま流れていくだけだ」
「…本当にしょうがないねぇ。『黒鋼』」

 何処か陰のある笑みを浮かべたファイは血が流れている方の手首を掴み、舌を這わす。血の臭いが濃くなる度に歯は鋭い犬歯に変化し、魔力の源である蒼い瞳も瞳孔の開いた金色(こんじき)の瞳に変わっているのだろう。――これが美味しいだなんて、もっと欲しいだなんて、本当に馬鹿馬鹿しい。けれど、これに縋らなければ生きて行けないオレはもっと馬鹿馬鹿しくて、本当に惨めだ。そんな時、僅かに身体に突き刺さった視線に思わず眉を顰める。


「……気付いた?」
「ああ」
「見張られてるね」

 まるで気付いて欲しいとでも言いたげなその光は、一体何を示しているのだろうか。