うそさえもあいしぬいて

「オレが、元いた世界、セレス国にサクラちゃんの羽根があるのを知っていた事を」
『え!?』

 ギシ、とスプリング音を響かせながら上体を起こし、ファイは虚ろな蒼の瞳にレイノらを映す。そして、自身が今まで隠していた事を話し出す。その内容に目を見開いたのは黒鋼とモコナのみで、彼女と『小狼』は静かに、そして悲しげに目を伏せた。おそらく「知っている」と言う事実も知られているのだろうが。


『サクラ姫が知ったのは、夢で先を視る力が戻ってからよ。東京で羽根が戻った時』
「あの姫も夢見か」
「――昔、セレスに落ちてきた羽根で、オレはチィを創った。貴方の所で小狼君達に会って、彼らがそれを探していたのを知っていたのに、オレは教えなかった」

 ベッドの脇に腰掛けるファイを見届けて、侑子はそっと口を開いた。その脳裏には常に目元を赤くしていた「東京」でのサクラが浮かんでいる。本能のみとなってしまった小狼を見る事は叶わなかったが、レイノらの記憶に刻まれているその光景こそ、現状の原因である事はうそではないのだろう。


「魔力がある君ならもうひとつ知ってるよね」
「…もう一人のおれを通じて視た。玖楼国の遺跡で姫の記憶の羽根が飛び散った時、神官が言っていた。「散った記憶は既にこの世界にはない」と」

 まるで世間話をするかの様に声を掛けて来たファイに対して、『小狼』は脳みその隅に追いやっていた記憶を呼び起こした。雪兎が言ったであろう言葉にうそ偽りはない筈だ。しかし、阪神共和国に移動した時、ファイは「小狼にひっかかっていた」と、そう言った。もしそうなら、雪兎が分からない筈がないのである。そんな『小狼』の言葉に暫く黙った後(のち)、ファイは再び口を開いた。


「そう、オレは最初から羽根を持っていた」
『モコナ…侑子の店で目が覚めてからずっと羽根の波動感じてたけど、でも…』
「誰が持ってたかは分からなかったよね。だから君はオレと距離をとっていた」

 気付かれていたファイへの気の遣いように、『小狼』はモコナを抱えながら僅かに目を見開いた。こう言うところがこの人の怖いところだ。気付かれない様に距離を縮めて、心の内に割り込んで、けれどこちらに割り込めせてはくれないのだ。レイノが思わず苦笑を漏らせば、ファイの視線を受けた気がする。
 けれどそれはすぐに消え失せ、それを注いだのであろうファイは再びモニターに映る侑子と向かい合い、口を開いた。それは彼が初めて彼女の店に現れた時の事である。そして、雨が降っていた筈なのに濡れる事がなかった彼女を、自身に掛かっていた呪いの存在を知っていた彼女を指摘した。それを聞いた黒鋼は目を見開いて視線をファイの方に向けるが、それに気付く程の余裕は、今のファイは持ち合わせていない。


「知っていたのに、何故、オレを一緒に行かせたんですか?」
『それが貴方の願いだからよ』
「それが仕組まれていた事でも?」
『そうだとしても、出逢って、一緒にいて、想いを抱いて、そしてどうするか、選ぶのは貴方自身よ』

 項垂れるファイの姿を悲しげな瞳に映す『小狼』は、きゅ、とモコナを抱き締める手に力を入れた。何も言えなかった事を、何も出来なかった事を悔やんでいるのだろうか。それを思っても仕方がないし、それはレイノや黒鋼にも言える事だ。だから悔やまなくても良い、と思う。しかし、そう思う事で少しでも前に進めるならばそれで良いと、そう思うのだ。


「…姫は何の為にその中に行きやがった」
『サクラ姫の羽根があるの、夢の中に。夢もまた、ひとつの世界だから』
『それもサクラが夢で?』
『ええ。それを得る為にもう一人の小狼が夢の中に来ると』
『サクラ一人で小狼と会うなんて無茶だよ!』
「…会ったらぶん殴ってやる」
「え!?」
「賛成。わたしもやっちゃおうかな」
「レイノまで!」
『駄目だよ! レイノと黒鋼が殴ったりしたらサクラ、大怪我しちゃうよ!!』
『…そうしなさい』
『侑子!!』

 侑子から知らされた危機にモコナは思わず声を荒げるが、その横では黒鋼の提案に笑顔で乗ってみせるレイノの姿があった。相変わらずこの二人がタッグを組むと恐ろしい事になると言うものだ。何時もならこれを止める侑子も優しい笑みを浮かべて彼のその提案を促した。垣間見える「東京」以前の光景に嬉しくなるのも無理はない。


「体と魂、か」
「やっぱり体の方を急いだ方が良いよね」
『でもでも! 追いかけるにしてもモコナ、次に行く世界は選べないよ!』

 少しこの部屋の空気が軽くなったところで、黒鋼の硬い声色がこの空間に響き渡る。この場に居る者の脳裏には、『小狼』の剣に貫かれたサクラの血に塗(まみ)れた身体が浮かんでいた。セレス国と言う未知の領域に居る以上、早めに解決しなければ問題がそれなのだ。そこで話が纏まった瞬間、今までベッドの脇に座っていたファイがゆっくりと腰を上げる。そして、「願いがある」と言葉を紡ぐ。


「オレが今、使える魔力では、足りないだろうから」
『対価がいるわ』
「オレの右目を」

 たった一言、断言したファイの言葉に、レイノらは驚愕や絶望が混じり合った表情を瞬時に浮かべたのだ。うそだろうと、何を言っているんだこいつは、と、そう思ってしまうのは仕方がなかったように思う。それ程までにファイのそれは突拍子もなく、そして、酷く自虐的なのだ。これを真剣に言っているものだから余計に質が悪い。


『ファイ!』
「本当は眼球ごと抉って渡せればいいんですが、これはオレの魔力そのものだから、両目共に無くせばさすがに死ぬでしょう。でもまた今は死ねない。この目に見える、全てを対価に」
『右目の視力を渡すと?』
「はい」
『その対価で何を望むの?』

 モコナの声はもちろん聞こえてた。「黒鋼」の鋭い視線も、彼の驚く様な視線も、レイノちゃんの縋りつくような視線にも気づいてた。けど、オレは話す事を止める事は出来なかった。魔術具はもうない。魔力も半分は小狼くんに奪われてしまった。こうなれば魔力を渡す訳にはいかない。もう残った右目を差し出すしかなかった。あの子の笑顔とか泣き顔を見れなくなってしまうのは少し寂しいけど、そうは言ってられなかった。何か思う事があるんだろう次元の魔女の質問に、思わずごくり、と喉仏を下に動かした。そして、今まで言う事も思う事もなかった言葉を口にしたんだ。

「――セレス国へ、戻ります」
『だめ! 絶対だめ! そんな事したらファイ、何も見えなくなっちゃうよ!!』
「オレが渡せる対価はそれくらいしかもうないか…」

 ファイが言葉を紡ごうとするが、その場には突如、鈍い打撃音が響き渡ったのだ。それは言わずもがな黒鋼の拳で、それを見つめるファイの瞳は大きく見開かれていた。「東京」以降、黒鋼がファイの過去に踏み込む事はなくなったからか、この行動は何処か懐かしい様に感じる。黒鋼がやらなければレイノが動いていただろうと言うのは、僅かに浮かび上がった彼女の腰が証明してくれていた。


『黒鋼!!』
「ぶん殴るっつっただろうが。なんでおまえだけが対価を払う。姫の体が、そのセレス国とやらにあるなら、行くのはおまえだけじゃねぇだろ」
「でも…」

 先程の打撃音に驚いたのはファイだけではなかった。余りに唐突なそれは、『小狼』とモコナも同じだったらしい。しかし黒鋼はそれには反応せず、ただ一言を告げてその紅の瞳でファイを見下ろした。そして、ファイの首輪に付いていた輪に指を引っ掛け、その身体を引き寄せたのだ。


「これまで姫とおまえの好きにさせたんだ。今度は俺の好きにする」

 我慢の限界だった。何かを思っているくせに何も言わねえこいつらが、弱いくせにグチグチと何かを思うこいつらが。そんなこいつらを見る度に俺の中のイライラは溜まっていて、それを誰に言うでもなくただレイノの側にいた。そのせいで魔術師の歯止めが効かなくなっていた事には気づかなかったが。我慢、なんて俺の性(しょう)には合ってねーんだよ。

 だからもう、お前の言葉は信じねぇ事にする。


「おい魔女」
『失礼極まりない上にセンスの欠片もない呼び方ね』
「うるせえ。姫の魂のほうはどうなんだ」
『追うとしても今は無理。夢の中には魂しか行けないから。それに、もう一人の小狼が来るには、まだ時間がある』
『サクラ、夢の中で寂しかったり辛かったりしてない?』
『…姫は独りじゃないわ。夢の中で出逢う者が、また未来を変える切っ掛けになる』

 ファイの首輪に付いている輪から指を離した黒鋼はそれ以降、ファイと視線を合わせる事はせず、それをモニターに映る侑子に移した。そこで繰り広げられるちょっとした口論は相変わらずで、レイノが思わず笑ってしまえば、黒鋼はそちらに鋭い視線を向けたのだ。離れた場所にいて良かった。ほっと安堵の息を吐いて身体の力をゆっくりと抜いている間にも話は進んで行き、レイノが次に気付いたのは侑子の言葉にはっと顔を上げた『小狼』の姿だった。


『大丈夫よ、四月一日も消えていない。そして、あの子の未来も変わって来ている』
「誰だそれは」
『今はまだ関わりのない話よ、今はね』
「魔女さんってほんとすぐ意味深な言い方しますね」
『あら、回復したの?』
「…ほんっといい性格してますね」
『…それで?』
「やっぱり急ぐのは体か」
『モコナも行く!』
「おう。――レイノ、お前は?」
「行く。まだちゃんと怒れてないし…それに、まだ、ちゃんと仲直り出来てない」
「…おまえはどうする?」
「セレスへ行く。おれを閉じ込めていた者が、姫の次元の記憶が刻まれた体を欲しているなら、何をするか分からない」

 レイノと同じく『小狼』の表情の変化に気付いた侑子は優しげな笑みを携え、囁く様に声を空気に混ぜて行く。――ああ、優しいなあ。その優しさが心に融けて行くようで、とても心地が良かった。そう感じたと同時に、身体にあった穴も完全に塞がったらしい。相変わらず恐ろしい身体だけれど、少しずつ何かに侵食されて行く気がするけれど、まだ、大丈夫だ。ファイさんと、サクラちゃんと仲直りをするまでは死ねない。そう言えば、黒鋼がふ、と頬を緩めた気がした。
 『小狼』の腕の中からファイの身体に飛び移ったモコナは、ただ一言だけ「一緒に行こう」と、そう告げた。その時のファイの表情はやはり驚いていて、ここに来て初めて見せる表情ばかり見る事になろうとは、何とも皮肉だろうか。


『ファイと黒鋼とレイノと『小狼』とモコナ、みんなで5分の1ずつ対価を払って一緒に行こう。サクラを助けに』
「けれど…」
「…おれが知っていたのに何も言わなかったのは、さくら…姫が、貴方を信じていたからだ。嘘をついていたとしても、その嘘ごと姫は貴方を信じてた。あの時、貴方を頼む、と姫は言った。だから、おれも貴方を信じる」
『ファイが独りだったら、サクラ、きっと悲しいよ。みんなと一緒だったら、サクラ、きっとすごくすごく喜ぶよ』
「けど、オレは…」

 今まで真っ直ぐに気持ちを向けられた事がなかったのだろう。無垢な優しさを受けた事がないのだろう。それがかわいそう、だとは到底思えないが。無条件に愛される筈がない、とまだそんな事を思っているのだろうか。もしかして、何かが気がかりなのだろうか。そう考えた瞬間、レイノの身体には何処か申し訳なさげなファイの視線が突き刺さった。その瞬間、今まで我慢していたものが爆発した様に彼女の身体は大きく動いていた。――ああ、その時に黒鋼の事を言えないほどわたしはキレやすいのだと改めて感じたのだ。――その場に再び響いた打撃音は、ファイらの度肝を抜くには充分な威力を持っていた。


「…レイノ…」
「……何なんですか、その目。同情でもしてるつもりなんですか」
「ちが…っだって、オレのせい、でしょう。その怪我」
「何の為に身体張ったと思ってるんですか、全部貴方を守る為ですよ! 怪我を負う事くらい覚悟の上です!」
「け、ど」
「わたしが同情で身体張ると思ってるんですか? 情けで身体許すとでも思ってるんですか……? わたし、そんなに器用じゃないです」
「レイノ、ちゃん」
「嫌いな人に身体を許すほど、わたしは器用じゃないです!」

 隣では『小狼』がひくひく、と口角を引き攣らせている。視界には入っていないけれど、多分黒鋼と侑子は楽しげににやにや、と笑みを浮かべているんだろう。けれどそんな事を気にする暇がないわたしは、自身が飛び蹴りを喰らわせたファイさんを見下ろしていた。少しだけ腫れている左の頬はわたしのせいだ。肌が白いからか、良く映える。
 そんなファイさんが眉を下げる姿を視界に入れて、わたしは言葉を次々と吐き出した。色々と墓穴を掘っている気もするけれど、明らかに赤面しているモコナを見てしまったけど、この際気にする事じゃない。


 暫くの間、この空間は静寂に包まれる。誰か喋れば良いものを。――誰か、と言うかファイさんしかいないけれども。この静寂が長引けば長引くほど、わたしの顔には熱が集まっていた。怒るだけ怒ってしゃがみ込むなんて馬鹿丸出しなところなんて見せたくない。だから我慢して必死にファイさんの顔を見てたのに。

「……えっ」

 そんな真っ赤な顔されたら、わたしはどうすれば良いんですか。


「……っ…もうやだ、知らない、ばか!」
「えっ、は、ちょ、待ってレイノちゃん!」
「やだ来ないで下さい!」
「そんな真っ赤な顔して来ないでとか何言ってんの!」

 なぜか一気にぶわあ、と恥ずかしさが込み上げて来て、わたしは捨てゼリフと呼ばれるものを吐いてこの空間から逃げる事を選んだ。後ろからはファイさんの必死な声と心底おかしい、と言いたそうな魔女さんの笑い声が聞こえる。自動ドアが閉じられて、空間が二つに区切られてからはファイさんの声しか聞こえなくて。追いつかれる事なんて分かってるはずなのに、わたしはなけなしの意地でどこかの部屋に逃げ込んだ。


(気づかれた! 絶対気づかれた! 何で言っちゃったんだろう馬鹿かな!?)
『……レイノちゃん』
「っ…」
『開けてくれない?』
「っ…い、やです」
『…どうして?』
「……かお」
『え?』
「かお、へん、だから」

 自動ドアではない、ドアノブが付いた扉を背にレイノは現在進行形で自己嫌悪に陥っている。きっと顔は羞恥心で真っ赤だ。こんな顔、扉を隔てた向こうに居る人に見せる訳にはいかない。そう、思ってた筈なのに、どうしてだろう。どうして目の前に、彼がいるのだろう。

『顔、見たい』

 ――その理由が、わたしが甘えるような貴方の声に弱いからだと言う事は知ってるけれど。


「…ほんとだ、真っ赤」
「さ、わらないでください」
「嫌だよ」
「なっ…」
「その顔、自惚れても良いんでしょ?」

 僅かに腰を折ったファイは、「東京」以降には見せなくなった優しげな、柔らかな笑みを浮かべてその大きな手でレイノの顔を包み込んだ。温かなそのぬくもりは久し振りに感じるもので、気持ちが向かい合っていないと感じれないものなのだと、今やっと気付いた。けれどそれを認める事は難しくて、その手を払い除けようとする。しかし、その後に続いた彼の言葉に彼女は何時だって折れてしまうのだ。


「…自惚れたら、何するつもりですか」
「何もしないよ」
「……散々襲って来たくせに」
「…ごめんね」

 自身の顔を包み込んで来るファイの手に自身の手を重ね合わせ、拗ねた様に唇を尖らせては視線を逸らす。そんなレイノの様子に苦笑しながらも謝罪の言葉を連ね、彼はそっと彼女の額に唇を落とした。抵抗されない事が、彼女から恐る恐るながらも愛情を注がれているようで、心が優しく、あたたかい。レコルト国から増幅し続けていた黒い感情は何処かに消え失せていた。――ああ、何て単純なんだろう。


「…本当に何もしませんか?」
「うん」
「今、キスしたくせに」
「…キスもだめ?」
「口は、だめ」
「…じゃあ、抱き締めさせて。オレの隣にいて、一緒に寝て」

 舌を絡める、だなんてするつもりはなかった。けれど、舌っ足らずな「だめ」と言うその言葉は可愛げと色気を同時に孕んでいて、ずくん、と悪寒が走るのは仕方ないだろう。――それを抑えるようにレイノちゃんの華奢な身体を抱き締めて、備え付けられていたベッドに腰を下ろす。ギシ、と響くスプリング音は酷く甘美だった。するとふと、オレの背中にぬくもりが増えた。この状況ではレイノちゃんしか有り得ない。


「……レイノちゃん?」
「はずかしい、ので、あまり、みないで……」
「うん」
「ちょっと! 話聞いてます!?」

 抱き締め返して、そのままベッドにオレを押し倒したレイノちゃんは耳まで真っ赤だった。驚いた。恥ずかしそうに途切れ途切れに話すレイノちゃんは甘える事を知った無垢な少女のようで、オレは宥めるようにレイノちゃんの首筋に口づけた。そうすると自然とレイノちゃんの顔は見えてしまう訳で怒られてしまったけど、こんな時間も久し振りだ。その事実が嬉しくて堪らなかった。ぎゃいぎゃいと騒ぐレイノちゃんの声を頭に残しながら、オレは久し振りにゆっくりと眠る事が出来たのだ。




『…良いのか?』
『別に俺はあいつとどうこうなりたかった訳じゃねーよ』
『おっとこらしいわねぇ』
『茶化すなクソ魔女』
『『小狼』は気づいてたの?』
『伊達にレイノの幼馴染みをしている訳じゃない。他人に感情を曝け出せるレイノを見る機会はあまりなかったから、何となく。それに…』
『それに?』
『あれだけの感情を向けるあの人なら、絶対大丈夫だと、そう思っただけだ』

 こんな会話がなされていた事を、レイノらが知る事はきっとないのだろう。