何気ない一言
久々に休暇をもらった麗は街に繰り出していた。最近は少しずつ暑さが厳しくなって来たのでブラウンのサマーニットにシースルーの白いワンピースを羽織る。ラインの出るブラックのスキニーパンツを身に纏い、足元は黒の厚底サンダルを合わせている。その恰好でクラッチバッグを持てば、完璧に外向きスタイルだ。久し振りに外巻きにしたヘアスタイルは新鮮で、まだまだ短い前髪を大きめのリボンのアメピンで留めれば違う自分になれたようである。そんな彼女は今日一日、自分の為に時間を使う、と決めているのだ。何時もは雲雀の為に唐突に奪われてしまうそれだが、今日だけは絶対に譲れない。欲しかったマキシ丈ワンピースも買えたし、美味しいピザも食べれたし、――これで穴場的な喫茶店でも見つけれたら最高なのになぁ。――そう思っていた矢先、足元には黒い影が映り込んでいる。
「エスプレッソを頼む」
「ぼ、僕…一人? お母さんは一緒かなぁ?」
「これ以上侮辱するならオレのライフルが火を噴くぜ」
「何この子!?」
黒い影の正体は黒のリクルートスーツにボルサリーノを合わせた奇妙な赤ん坊だったようで、ボルサリーノのつばにはデフォルメされたカメレオンが乗せられている。しかし、奇妙なのはどうやら見た目だけではないらしい。可愛らしいそれでエスプレッソを頼む光景はなかなか見られるものではないだろう。その一部始終を見ていた麗は思わずその場にしゃがみ込み、奇妙な赤ん坊の顔を覗き見た。
「何だおめー」
「…店員さん、エスプレッソとストレートティー、一つずつもらえますか?」
「――よし。行くぞ」
「え? あっ、ちょ、あの!」
視線が絡み合った瞬間赤ん坊にメンチを切られてしまった麗は思わず萎縮してしまったが、笑みを作り、その顔で店員に注文をしたのだ。そんな麗を見て何かを企む様に笑んだ彼は麗の手を取り、店内に入って行ったのだ。焦燥の色さえ見せる麗の事など露知らず、彼は案内されてもいないのに店内へと歩を進めていた。この横暴さは何処か雲雀を思い出させる。
二人が入った喫茶店は古びたレンガで作られているようで、何処か趣がある。あまり人が居ないそこはどうやら麗が探していた所謂「穴場的な喫茶店」らしく、少しの高揚感を感じるのも事実だ。しばらくして運ばれて来た飲み物に二人は口を付ける。淹れたての紅茶は舌先に僅かな苦味を感じさせ、美味しい。少し気持ちが落ち着いた麗は自分の名を名乗ったのである。そして相手から返って来た言葉により、初めて目の前の彼が「リボーン」と言う名前だと知ったのだ。
「お前は『麗』って言うのか。ツナの事も知ってるってなると並盛か?」
「いや、住んでるのは黒曜だよ」
「黒曜中に行かなかったのか?」
「すっごい治安悪くてね、嫌になっちゃって。そこから逃げて来た感じかなぁ」
「お前悪さしそうにねーもんな」
「ふふ、でしょ?」
お茶の力とは素晴らしい。そう思う程とんとん拍子で進む会話は酷く心地良かった。もちろんこの店の雰囲気もそうなのだが、リボーンとの会話がただ単に楽しい、と言うのが大きな要因である。雲雀と居れば一ヶ月に数回は地獄の鬼ごっこが開催されるため、休む暇もないのだ。そんな中のリボーンの会話は、心休まる何かがあった。――きっとそれは、リボーンの本質を知らないが為なのだろうが。
「学校はどうだ?」
「んん…どうだろう」
「色々あるだろ。部活とか委員会とか」
「クラスと部活は楽しいよ! けどなぁ、委員会なぁ…」
「何かあるのか」
「委員長がね、横暴でね。さっきのリボーン君みたいな…」
「あ゛?」
「何でもないです」
次々に話題を出してくれるリボーンは本当に優しくて、イタリアン紳士と言うのはあながち間違っていないのかも知れない。そんな彼の問い掛けに真剣に頭を悩ませる麗もまた、酷く純粋なのである。しかし、たまに一言多いのがキズなのだが。その証拠に、彼はあまり聞かない低い声で彼女を脅している。だが、たまにはこんなゆったりとした時間を過ごすのも悪くないと、二人して同じ事を思ったのだ。
「――ありがとな」
「え?」
「エスプレッソ。奢ってくれただろ、お前」
「…ああ! 良いよ良いよ。仲良くなれた、って事でチャラでしょ?」
太陽の役目も終わってすっかり月に支配された夜の道に、リボーンの声が静かに響いた。唐突に掛けられたお礼の言葉に麗は思わず目を見開いた。どうやら先程の喫茶店での一件の事を言っているらしい。そんな事良いのに。外国人って言うのは小さい頃から女性の対応の仕方と言うものを習うのだろうか、と馬鹿げた考えを脳内に巡らせる。塀の上を歩くリボーンはとても身軽で、小さく動く足が酷く愛らしい。しかし、そんなリボーンは街灯の下で唐突に止まったのだ。
「リボーン、くん?」
「お前…いや、麗と言ったな」
「え? う、うん」
塀に伸びるリボーンの影は不思議なそれで、大人のフォルムを象っていた。それに思わず言葉を詰まらせる麗は戸惑いを隠せないでいる。そんな彼女が暗い道にしゃがみ込むと、互いの視線が絡み合う。彼の瞳は黒一色なので本当に合っているのかは分からないが。――静寂に包まれた後(のち)に放たれた言葉は、わたしの心を射抜くには充分だった。
「――お前、何もんだ?」
――そう言ったオレは、お前の事を何も理解してやれてなかったんだと思う。
「何者、って…」
「麗、お前はそんなに鈍い奴じゃねーだろ」
「そりゃあ、鈍くはない、けど」
「オレの違和感にも気づいてるだろ」
「違和感、って、――」
「……なぁ、麗」
「…な、に?」
尋問のように加えられて行くオレの質問はどんどん麗の核心に近づいて行った。言葉が詰まる頻度が高まって行く。自分の答えから、ただ、オレの質問をオウム返ししているだけの言葉になって行くのを、オレは感じていた。最後に強めに彼女の名前を呼べば、もう、流れはオレのものだ。――その流れの中で、麗が何を思っていたかは分からない。分からないままにこの子どもを責め立てたオレは、きっと未だにこの状況を受け入れてはいなかった。
「――お前、オレが本当に赤ん坊だと思ってるか?」
その時に俯いたお前の顔を、オレはいつになったら見れるんだろうか。
どれだけ時間が経っただろうか。僅か数分だったかも知れない。もしくは何十分も経っていたかも知れない。けれど、それを知るにはもう遅かった。ふと顔を上げた麗はこの数時間のうちに何回も見せてくれた笑顔を浮かべていて、もう戻ってしまったのか、と、少し残念な気持ちになる。そんな気持ちになっているなど露知らず、彼女は普段の調子で言葉を紡ぎ出した。
「ねぇ、リボーン君」
「何だ」
「わたしね、全然鈍くないよ」
「知ってるぞ」
「可愛くもないの」
「まぁそうだろうな」
「口塞いで良い? …人間観察が趣味ってだけなの」
「へぇ、そうなのか。初めて知ったぞ」
「あとね、沢田くんの友だち第一号なの」
「へぇ」
「…わたしの正体って、それだけじゃ、だめ、かな」
初めて見る人種だった。遊び心でちょっとだけ殺気を向けてみたりもしたんだが、どうやら無意識に恐怖を感じているようで。鈍い訳じゃないみたいだが、ある意味では一番最初に死ぬタイプだな、こいつ。――ああ、そうか。こいつがツナが家で良く話してる「友だち第一号」なのか、とそこで初めて知った。戸惑いがちにオレに聞いて来る麗はただの一般人で、そこでやっと張り詰めていた空気が和らいだ。
その時のほっとした笑顔が、今でも忘れられない。
「リボーン! やっと帰って来た! どこ行ってたんだよもー……」
「やっほ。沢田くん」
「えっ、日比野さん!? 何でここに…」
「街中でたまたま会ってね。一緒にお茶して帰って来たの」
「そ、そうだったんだ……何か、ごめんね?」
「ぜーんぜん! 楽しかった!」
「へ、変な事してなかった……?」
「してないよ? ライフルに火が噴くとか何とか言ってたけど」
「してるじゃん!」
リボーンが肩に乗ったおかげで進みやすくなった麗は、彼の案内に頼り、沢田宅に寄る事になった。インターホンを押して現れたのは沢田である。そんな沢田は普通ならば居る筈のない人物がここに居る事に酷く驚き、また、何かを心配している様子だった。そんな沢田が面白くて、ついからかってしまうのは仕方のない事なので許して欲しい。彼女の肩から沢田のそこに飛び乗ると、リボーンは満足した様に笑みを浮かべていた。
「リボーン君。今度は黒曜においでね」
「麗が案内してくれるならな」
「もちろんだよ。じゃあ、また遊ぼうね」
「ああ」
澤田の家の塀に腕を乗せ、麗はリボーンのカメレオンを優しく撫でた。今日のこの数時間で、この真っ黒な瞳と何回ぶち当たっただろう。その事に達成感を覚えた彼女は沢田に軽く手を振り、沢田宅を後にした。この時に「送る」と言う選択肢がない、と言うところが沢田らしいだろう。静かになった玄関先で、あまり聞かない静かな声で、沢田はリボーンに名を呼ばれた。
「…麗、良いやつ、だな」
「でしょ! 自慢の友だちだもん!」
――オレの言葉が正解だと言う事は、目の前のツナの笑顔が証明してくれていた。