過去と忍びと今とヒーロー
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  • 二十一話

    一部の者にはいろいろとあり、大部分の者には体育祭までの最終調整をしていた一週間。
    いよいよ誰もが待ち焦がれていた雄英体育祭の日がやってきた。

    「先輩、凄い大々的ですね」
    「そうだね。オリンピックの代わりとしてのイベントだけある。オリンピックとやらを見たことはないけど」
    「ですか少々持ち上げすぎでは?所詮一学校の行事でしょうに」
    「まあそれを言ってはおしまいだろう」

    観客席の一角で話す二人のうち一人は、本来ならばこんなところにいる場合ではなく控え室にいるべきだった。だが体育祭への出場を止められたので、庄左ヱ門と一緒に観客席で観ていようと二人仲良く座っている。ちなみに学校関係者用の席でもあるので、周りには参加する必要の無い経済科の生徒達が大勢いるので二人が悪目立ちすることもない。

    「あ、入場が始まりましたね」
    「そうだね。だが説明の仕方があからさま過ぎだ。これじゃあヒーロー科以外の生徒達がおまけだと思ってしまうのも無理はない」
    「確か結果次第ではヒーロー科への編入が出来るんですよね?」
    「その通り。今のご時世ヒーローになりたいやつはわんさかいる。雄英はただでさえ最高峰だと言われる教育機関だ。普通科の生徒はほとんどがヒーロー科の入試に落ちたやつらだし、狙ってくるだろうね」
    「そんな量産型のヒーローを排出したって、無駄死にしそうですが」
    「だからこそヒーロー飽和社会なんて言われているんだ」

    するとヒーロー科の当たりでこちらに目を向けた者が一人。驚いたように周りに知らせた。

    「先輩、参加しないことを話していなかったのですか?」
    「話す必要も義理も何もないだろう」
    「先輩に気がついたのか騒がしくなりましたが」
    「編入した当初からまとわりついてきて鬱陶しかった」
    「お疲れ様です」

    心底煩わしいと言わんばかりのしかめっ面でため息をつく由紀に、庄左ヱ門は同情した。個性のせいとはいえ施設で遠巻きにされていた庄左ヱ門はわざわざ周りと合わせる必要もなく、関わりたくもない人達と関わることはなかった。だが由紀は違う。周りはどうでもいいが、今世では祖父という守りたい存在もできた。その祖父の名前に泥を塗るような行為をするわけにもいかず、周囲とそれなりの接触をしなければならないのだろう。前世で任務として己を殺し、周りと合わせることはしてきた。だがそれはいつか終わりがくるもので、学園に帰ればそんなことをする必要もなかった。けれど今世ではそれがないのだ。庄左ヱ門と再会するまでずっと一人だった由紀は、心でどう思っていたとしても周囲と完全に決裂するわけにはいかなかった。

    「だがもうどうでもいい。私はお前がいればそれでいいんだからね」

    庄左ヱ門に愛しげに微笑む由紀に、庄左ヱ門は照れたように笑った。

    「さて、始まったようだよ」

    競技場では第一競技である障害物競走のために生徒達がスタート地点に並んでいた。その門は参加者の人数に対してあきらかに狭いもの。

    「あれが、第一のふるい……」
    「Plus ultra、か。ここの教師は何かと面白いことを思いつくものだ」

    他人に興味はないしヒーローを理解することもないが、自分がやらないことを思いつき実際にしてしまうことに関心はする。面白そうに顎に手を置いて見る由紀を、庄左ヱ門はそっと見上げた。




    先輩が仰っていることは全て本音なのでしょう。僕にわざわざ嘘をつく必要などないし、先輩はしない。
    先輩は僕がいればそれでいいと仰る。他の学園の皆がいれば皆もその中に加わるけど、今は僕しかいない。それは僕も同じ思いだ。
    けれど。


    庄左ヱ門は初めてこの学校に来て教師達に紹介された時のことを思い出した。


    なぜ、あの人にあんな顔で笑いかけたのですか?
    僕にはあの人までも先輩にとってどうでもいい分類だとは思えません。
    先輩は嘘を言わない。ならばあれは無意識の行動であり、だからこそ先輩の心のうちを雄弁に語る。


    人から冷静すぎだと言われるほどの頭は、前世から引き継いだ優秀なこの頭は、由紀の行動の意味を限りなく正解に近いであろうその答えを導き出す。


    僕は学園の皆だけが大切だ。由紀先輩はヒーロー科なんてものに在籍している。だけどヒーローになるつもりはない。それはいい。あの人の存在もまだ先輩のなかにほんの一欠片入っているだけだろう。まだ吹けば飛ぶような存在しか入っていない。
    でも、でも、あの人がこれ以上先輩の中に入ってきたら。先輩がご自身のことを自覚なされたら。

    ポツリと黒い墨がたれたみたいにジワジワと心に広がっていく。

    先輩はお優しい。それが身内に限定されるといっても、僕達には甘すぎるほど甘すぎる。だからこそ、万が一先輩が僕らよりあの人を選んだら。


    ふと、痛みを感じ手元を見ると、知らず知らずのうちに力を込めていたようで握りこんでいた手が真っ白になっており、わずかに爪が皮膚にくい込んでいた。
    競技に集中している先輩に気が付かれないように細く長く息を吐き、力を抜いていく。

    させない。渡さない。先輩は、僕らの先輩だ。
    ヒーローになんてなったら、世界がまた先輩を殺す。させない。そんなこと絶対にさせない。先輩には僕らがいればいい。絶対に、渡さない。




    鋭さをました視線の先には、放送室にいる包帯でグルグル巻きにされた、重症の男。

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