肩が痛くて死にそうだった。死にそうっていうのはちょっと大袈裟かもしれないけど、とにかくそれぐらいわたしは肩が凝っていた。毎日デスクワークをがんばっている代償に、肩と首と腰の健康が脅かされている。マッサージにも通っているが正直気休めでしかなかった。揉まれども揉まれども体の痛みと重さは消えない。マッサージ屋変えようかなあ。そう思いながら、トボトボと帰り道を進んでいたある日のこと。

「はあ〜、すごいわあ。すっかりよくなった」

雑居ビルから、そんなことを言いながら出てくるおばさんがいた。さすさす、と揉んでもらったのであろう肩をさすりながらどことなく軽やかな足取りで歩いていく。おばさんのあまりの上機嫌に心が揺り動かされたのか、わたしは思わず足を止めた。

店を出てからも思わず独り言を言ってしまうくらい効果が出たマッサージ、ですと…?

ドキドキしながらおばさんが出てきた雑居ビルを見上げてみる。そこには「霊とか相談所」という、レトロというか素朴というか、簡単にいってしまうとうさんくさい看板が出ていた。え?霊?霊…とか…?とかってなに?霊とマッサージって同じ部門で相談できるものなの…?軽くパニックになった。怪しい。明らかに、確実に、絶対に。さすがに大人なので、あからさまな詐欺にはそうそう引っかからない自信がある。しかし、大人とは、疲れには非常に弱い生き物である。ついでにいうと、わたしという人間は変なところで好奇心が働いてしまうタイプだ。それもあって、気づけば雑居ビルの階段を登り始めていた。なんたることだろう。

バカだ。わたし、絶対バカだ。変なお札とか売られたらどうしよう、やばい宗教とかだったらどうしよう、帰してもらえなかったら…。

そこら辺の危機感は一応働いていたものの、なかなか解消されない肩コリへのストレスと、その問題を解決させたかもしれないというリアルな例を目の当たりにしてしまったので、心の天秤は危険よりも肩コリ解消のほうに傾いていた。完全に判断力が鈍っている。こういう時によくわからないものにすがろうとするから人は詐欺に引っかかってしまうのかもしれない。そしてとうとう、霊とか相談所の扉を開けた。







「いらっしゃいませ、霊とか相談所です!」
「え…あ、あの…」
「あ、初めての方ですね!ご予約はされてますか?」
「し、してないです…」

出迎えてくれたのは、わたしとあまり年の変わらなそうな金髪にスーツの男の人だった。霊、なんて言葉を使ってるのでもっとおどろおどろしい人が出てくるのかと思ったが拍子抜けだった。男の人は慣れた感じで「どうぞどうぞこちらへ」と、愛想よくそして丁寧に応接室に置いてあるようなテーブルとソファの方へ促してくれた。言われるがままにストン、とソファに腰掛けるといつのまに淹れたのかお茶を差し出される。男の人は迷いなくわたしの正面に座り、両手のひらを顔の前で組んで急にちょっとだけ神妙な顔をした。

「それで…どんなご依頼でしょう」
「えっ…えっと……わ、わたしこういうところ初めてで、どうしたらいいか…」
「そうですかそうですか。では初めての方にオススメのコースがありますので紹介します」
「(コース!?)」

いよいよマッサージ屋か!?と思った。霊の相談とかしたことないけど、コースっていうシステムでやるとは思えなかった。しかし男の人はさも当然のように、手作り感溢れるメニューを見せてくる。うわ、本当にコースだ。なんと言っていいかわからないけれど、コースが思ったより良心的な価格だったので大人しく説明を聞くふりをすることにした。

部屋の中にはこの男の人しかいないようだった。あまりに未知の世界だったので、男の人にバレないようにちょっと部屋を見渡す。すると壁に、選挙立候補者かと思うほどにでかでかとしたポスターが貼ってあった。よく見ると、そこには「21世紀の新星 霊幻新隆」と書いてあり、今目の前でコースの説明をしている男の人が写っている。なんとなく、マジか…と思った。他意はないんだけど、そういう感想しか浮かんでこなかったのだ。わたしがちょっとだけ冷静になったところで、霊幻というらしい男の人は「それで、」と話を振ってくる。

「霊からどんな被害を受けてますか?」
「………え、えっと…肩…………が、重いような」
「なるほど、肩ですね!」

霊からの被害じゃない。労働による代償だ。なんかウソついちゃったけど大丈夫かな。この人、霊感あるってことだよね?ウソついてることバレて冷やかしだって怒られたらどうしよう。少しの罪悪感にいたたまれない気持ちになり、俯いて自分の膝を見つめる。あ、ネイル変えに行かなきゃ。ちら、と向かいの席を見ると霊幻さんはなにか深く考え込んでいるようだった。…やっぱりバレたか?しかしこちらに何をいうわけでもなく、彼は急に立ち上がりわたしに背を向けてまたなにか考え込み始めた。なんかこの謎の挙動を見るとちょっと霊感ある人っぽく感じるな。ああ、家に帰してもらえますように…。そう祈っていると、ぐるん!と勢いよく振り向かれた。

「わかりました!この霊幻新隆に、お任せください!」
「えっ」

バレてない。

「お客さん、腰にも霊がついてますね!」
「あ、わ、わかります〜?ほんと最近どんどん憑いちゃって…」
「いやあこれ、実は一番の原因は首の霊ですね。首の霊を庇おうとして肩の霊に負担がかかって、その肩の霊を庇って腰の霊にも負担がかかっているようです。これは首の霊を払ってからじゅんぐりやっていかないと、なかなか祓えないですよ!」
「えーそうだったんですね〜!だからどんなに肩やってもらっても治らなかったんだ…」
「ええ!この霊幻新隆がしっかり除霊するので、ご安心を!」

霊幻さんはそれこそマッサージ師顔負けの愛想のよさと分析力で凝りに凝ってバッキバキだった体をどんどんほぐしていった。この人、腕は確かだ。今まで行ったどのマッサージとも違う。

さっきから凝りを霊のせいにして話してくれているが、実はどこまで彼が本気で話しているのかわからなかった。正直、肩凝りの原因が仕事のせいだとわかっているので、素人ながら憑かれているわけじゃないことは確信している。しかし彼はそれを指摘することもなく、自然な流れでこの除霊マッサージ初心者コースを始めた。しかも初回割引だ。

霊能力者なので、本当は憑いていてわたしを怖がらせないためにフランクな感じで除霊をしているのかもしれない、とも思ったがどうやらそうでもなさそうだ。というのも、言うことがぜんぶ今マッサージをして得た事実ベースのリアルタムな情報しかないからだ。イメージだけど、こういうのって普段からこうでしょ?とか本当はこうでしょ?など、証拠を出すかのようにわざと言っていない情報を指摘するのが常套手段。霊幻さんはそれをまったくしてこない。これでもし、除霊マッサージと称してセクハラみたいなことをしてきたら、霊なんて憑いてないと言って、彼を詐欺師としてまつりあげただろう。ただ、あまりにマッサージの腕がいいので、そんなことはもはやどうでもよかった。

霊能力があろがなかろうが、わたしが今、適正な価格で適正な満足度を得ていることは間違いない。むしろ霊に憑かれているとウソをついたのはこちらなので、なんかごめんなさいと思っているくらいだ。ああ、気持ちいいなあ。このまま眠ってしまいたい。

「あの…」
「はい?どこか他に気になる霊が?」
「いえ、ありがとうございます」
「……いえいえ。仕事ですから」

霊幻さんの顔は見えなかったけれど、いやそうな声ではなかったように思う。それからなんとかスプラッシュ!とか言われて変な白い粉をかけられた。あ、さっきのおばさんの肩についてた粉これかな。

「これで除霊は終了です!」と、ほんのり汗をかいて爽やかに笑う21世紀の新星さん。霊になんてとり憑かれていないのに、もしかしたらそれで霊能力者じゃないことがバレてしまうかもしれないのに、客ののぞむことを一生懸命してくれたんだろう。この人、うさんくさいけどいい人なのかもしれない。そう思うのは、大人にしてはチョロすぎだろうか。

「首の霊はしつこいですから、普段からリンパを流すように自分でもマッサージしてみてくださいね」
「霊ってリンパ関係あるんですか?」
「あります!霊体なので、リンパを漂うこともできるんです!」
「へ、へえ…(やっぱうさんくさいなこの人…)」

変だなあとは思ったけれど、それでもあんまり悪い気はしなかった。初回割引の値段を払って、普通のマッサージ屋から出るような気持ちで霊とか相談所を出る。最後に「ありがとうございました!」とバッチリすぎる営業スマイルで見送ってくれた霊幻さんの顔を思い出しながら、わたしはここに入る前に見たおばさんのように肩をさすりながら「あ〜、めちゃくちゃ楽になった…」と、独り言を言いながら雑居ビルをあとにした。





「よかったな霊幻、今日も本物の依頼じゃなくてよ」
「ああ…本当にな…。芹沢が休みの日に限って飛び込みで来るとは…」
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