02



そういえば、サイタマと別れてからツイてないな。と思った。

就職はうまくいったけど流行りのパワハラ上司に目をつけられ追い詰められて耐えきれず1年経たずに転職。運良くそこそこの会社に入れたけど、残業が多くて毎日家と会社の往復の日々。疲れ切って土日は寝てすごして、趣味だった陶芸教室もやめてしまった。薄々つまらない毎日だということに気づいていたけど、その絶望は漠然としていて特に危機感はもっていなかった。そして去年、1番仲の良かった友達に結婚報告をされハッと気づいた。そうだ、結婚があるじゃん。と。いやまあ「結婚があるじゃん」ってどういうこと?と自分でも思う。でもまあそれはよくて、それからなんとかできた彼氏は、SNSでマウンティングできそうなくらいハイスペックの3高男。なんだわたし、まだまだノってるじゃん。そう思っていたのに。

「グヘヘへ!!俺は、なかなか待ち合わせに来ない彼女を待ち続けて夜になってしまいチンピラに絡まれボコボコにされのたれ死んだと思ったら怪人として復活した怪人・リアジュウゼッタイコ●スマン!待ち合わせしているカップルは皆殺しだあああ!!!」

公園で彼氏を待っていたら怪人に遭遇しました。

「そ、それ彼女そんなに悪くないんじゃ…どちらかというとチンピラが悪いんじゃ…」
「黙れえええ!そもそも彼女が待ち合わせをすっぽかさなければそのチンピラと遭遇することもなかったし、たとえ遭遇してもそのあと彼女が来ていたら助かっていたかもしれないだろうがあああ!」
「えええ!なんかウザい!!絶対そういうところだよ!!」
「どういうところだあああ!!!なんで女は肝心なことをハッキリ言わないんだあああ!!!」
「私怨がすごい!ギャーーーー!!!」

意味不明な動機で怪人となった男(?)は、必死の説得(?)も虚しく元気に襲いかかってきた。ウソでしょ。わたしこんな死に方するの?ショボすぎる。怪人の勢いと自分の人生に対するショックで腰が抜けて、思わず目を閉じた。

ドンッ!!!!

「………え?」

聞いたこともないような衝撃音が響く。しかし、それはわたしに対してもたらされたものではない。いつまで経っても訪れない死に、おそるおそる目を開ける。お昼の太陽に照らされてきらりと光る頭。

「よう。危なかったな」
「サイタマ…!?」

振り向いた顔が予想だにしない人物で驚いた。確かにヒーローやってるとは言っていたけど、本当に、こんな、漫画みたいに現れるなんて。驚きすぎて言葉が出ず、ついでに安心して、もともと抜けていた腰がさらに抜けた。サイタマは特に驚いても焦ってもいなくて、中腰になりながら「おい、大丈夫か?」と冷静に声をかけてくる。

「な、なんでここに…」
「町内パトロール」
「…ヒーローみたい」
「だからヒーローだっつの」
「は…はは、ははは…」
「いや笑うとこじゃねーし」
「いや笑うしかないでしょ」
「立てるか?」
「……」
「ん?」
「腰、抜けちゃって…」

マジかよ、大丈夫か?とサイタマは言った。理解が追いつかないと人は勝手に笑ってしまうらしい。いや今はそんなことどうでもよくて、お礼を言わなきゃと思うのに、まだ冷静じゃなくてうまく言葉が出てこない。立てないでいるわたしを見ながら、「どうすっかな」と頭をかくサイタマは「おぶるわけにもいかねえし」とブツブツ言っている。助けてくれてありがとう、とやっと言葉がまとまって声をかけようとした。

「なまえ!」

わたしがサイタマに声をかけるよりも早く、少し遠くから名前を呼ぶ声がして目線を移す。かなり焦った様子の男が1人、あれは、彼氏だ。しまった。今カレと元カレの邂逅なんて気まずすぎる。しかし今カレはよもやこのヒーローがわたしの元カレだなんて知る由もないので、サイタマのことはとくに気にもとめていない様子でまっすぐ駆け寄ってきた。

「大丈夫!?びっくりしたよ。なまえがいると思ったら急に怪人に絡まれ始めたから」
「えっ…み、見てたの…?」
「ああ。危ないと思って身を潜めてたんだけど、ヒーローが来てくれてよかった」
「…うん、それは…うん」
「あ、ヒーローの方!俺のなまえを助けてくれてありがとうございます!」
「いや別に…(俺の…)」

彼はサイタマに向き直り、とても律儀にペコペコしながらお礼を言いまくっていた。当のサイタマは何を考えているのかよくわからない表情で「まあヒーローだからな」とやや偉そうな調子で相手をしている。わたしは彼の言動に少し引っかかるところがありつつも、気にしないようにした。いつものことだ、こういう人だから、悪気はないし、一応心配はしてくれていたみたいだし。そう言い聞かせて。

「なまえ、今日はもう家に帰ったほうがいいよ」
「…え、えっ」
「怪人に襲われたあとじゃ気分上がらないだろ?無理させたくないし」
「で、でももう映画予約しちゃったし…」
「ああ、チケット代払っといてくれたんだっけ?大丈夫、次のデートでもっと高いご飯おごってあげるよ」
「…そう、じゃなくて…」
「俺買い物したいから一緒には帰れないけど、気をつけてな」
「いやわたし今、」
「あと、ずっと地面に座ってると服汚れちゃうよ?」
「…」
「オイ」
「どうしましたヒーローの方」
「見て分かんねえのか?コイツ、腰抜かして立てねーんだぞ」

ピリ、とした空気を感じた。え、もしかしてサイタマちょっとイラついてる?と思って顔を覗き込んでみたが、まったくの無表情だった。こんなに感情読めないやつだったっけ…。しかし彼は超がつく鈍感なので、この若干ピリッとした空気を察知している様子もなく、ゆっくりわたしとサイタマを見比べてから「ああ!」と何かを察した。

「じゃあヒーローの方、なまえを家まで送ってあげてください」
「…はあ?」
「もしタクシーとか使うんだったら領収書はなまえに渡しておいてくださいね。あとでヒーロー協会にお支払いしておきます」
「いやタクシーなんか使わねえし」
「え?腰抜かしてるなまえを歩かせるんですか?」
「…いやそうじゃねえよ」
「あ、病院も行きます?」
「お前、マジか…」

さすがにびっくりした顔をして、サイタマはいまだに地面にへたりこんだままのわたしに目配せをしてきた。もういいから、という意味を込めてふるふると首を左右に振る。はあ、と短くため息をついてからサイタマは彼に「ヒーローとしてしっかり送り届けます」と伝え、しっかりタクシー代を受け取っていた。そして颯爽と帰っていく彼氏、残されたわたしたち。少しの間、微妙な沈黙が続いたあとサイタマが正面にしゃがみこむ。

「怪我、してないのか」
「うん。サイタマがすぐ来てくれたから」
「…送るって約束したから、嫌がんなよ」
「えっ」

ふわっと慣れない浮遊感に思わず声をあげると、わたしはやっと地面から離れることができた。でもこれは少し離れすぎだし、逆に(?)サイタマが近くなりすぎだ。いわゆるお姫様抱っこというやつである。

「ちょ、これは、はずかしい!」
「ぶっ!オイ暴れんな!」
「いいよサイタマ、1人で帰れるから!」
「いや帰れねえだろ」
「帰れ、」
「ていうか帰せねえだろ」
「…っ」

多分、珍しくサイタマが優しくて気が利いているせいだ。急に現れた怪人が怖くて、やっと来てくれた彼氏は全然心配してくれてなくて、怖かったのか虚しかったのかもはや分からない。もう覚えてすらなかったはずのサイタマの体温に安心してしまい、わたしは泣いた。お姫様抱っこされながら泣いて家に帰るなんて通行人に見られたら恥ずかしくて死ねそうだったけど、今はそんなことどうでもよかった。

しかしサイタマは「お前んちどこらへん?」と冷静に聞いてくるので、泣きながら道案内をした。どいつもこいつも、もう少し弱ってる女に優しくしろ。「多分タクシーよか早くつく」という言葉に対する疑問が解決しないうちに、本当にすぐ家についたのには驚きすぎてさすがに涙も引っ込んだ。抜けていた腰にはいつのまにか力が戻り、自分の足でしっかりと地面に立つ。マンションのエントランスの前で向かい合いながらまた微妙な沈黙が流れるわたしたち。

「…あの、サイタ、」
「公園に前にとめてあった白い車」
「え?」
「あれ、彼氏の車か?」
「…ああ、うん…目立つよね…。2000万くらいするみたい」
「はあ!?」
「あはは」
「どこで知り合ったんだよ…」
「婚活パーティー」
「ブッ!!!婚活!?お前婚活してたのか!?」
「まあね。わたしにだって人生設計があんのよ」

ちなみにもっと詳しくいうとハイスペック男性限定の婚活パーティーだ。でもサイタマはそっちの界隈のことは知らなそうだから言うのはやめておこう。「2000万…2000万か…」とブツブツ言っているのが聞こえる。わたしだって最初聞いたときはすごいを通り越してイカれてると思ったものだよ、というのも言わないでおいた。空気が少し和んで、わたしはちょっと笑った。サイタマはちょっと、多分ほんのちょっと心配そうな顔をしてこちらを見ている。

「アイツ…優しいのか?」
「うん?なんで?」
「いや…」
「あはは。元カノを心配するなんて気持ちわるいぞ、元カレ」
「…」
「…サイタマ?」
「…俺は、」

「先生ーーーッ!!!!!!!!」

「………………ジェノス」
「こんなところにいたんですね先生!大変です、あっちで災害レベル鬼の怪人が出ました!近くにいるのは俺と先生だけのようです!」
「いや待て行くけど待てお前今俺が大事な話を待てマジで待て」
「行きましょう先生!!」
「ちょ、おい押すなって!」
「あ、サイタマ」
「なまえ、また今度な!」
「え、ええ〜……」

突然現れたジェノスと呼ばれたやたらイケメンの男の子にほぼ強制的に連れられて、サイタマは嵐のように去って行ってしまった。せっかく言おうとしたお礼のおの字も言えず、不完全燃焼だ。また今度って、また会えると思っているんだろうか。この前も今日も、めちゃくちゃ偶然だったのに。

「…ばかだなあ、サイタマは」

ツイてるんだか、ツイてないんだか。 ..