ぐすんぐすんと、人通りが少なくて有名な階段に座ってわたしは泣いていた。薄暗くて誇り臭いけど今のわたしにはぴったりのロケーションだった。しかし問題は、そこに偶然通りかかったクラスメイトの心操で、彼はわたしを見るなりびっくりした顔をして「あー…」と気まずそうに一瞬目を反らし、

「飴ならあるけど」

と言った。飴…”なら”?ならってなんだ…?一体なになら、わたしの涙を止められるんだろう。









「心操っていっつもタイミング悪いよね、わたしに対して」
「そんなことないと思うけど」
「この前転んだときも心操に助けてもらっちゃったし」
「まあ」
「あ、でもお弁当ひっくり返したときに焼きそばパンくれたのはありがとう」
「どういたしまして」
「でも今回は…」
「…」
「今回ばかりは、よくないよ」
「なんかごめん」

謝罪しつつ、心操はちゃっかりわたしの隣に座り込んで、この場から去ろうとする素振りがなかった。いやここであっさり去られても心操って冷たいな、って思うかもしれないけど、こんなグシャグシャの泣き顔をクラスメイトの男子に見られ続けているのも結構キツイ。どっちにしろ辛いのだ。じゃあもうどうでもいいや。それに心操なら隣でクラスメイトの女子がぶっさいくな顔で泣いてても、やーいブースブースなんて思ったりしないだろう。

「なんで泣いてんのって聞いた方がいい?」
「いいけど余計にぶっさいくな顔で泣くよ」
「じゃあやめとく」
「ありがとう」

ぶっさいくな顔ってところは否定してほしかった。それからもわたしは隣に心操がいるにも関わらずまったく止まらない涙と格闘し、ぐすっ、ひっく、おえっとひっどい泣き方をしていた。その間、隣のクラスメイトは何をするでもなく言うでもなく空気のようにそこにいる。少し落ち着いてきてやっと普通に息ができるようになった。

「…落ち着いた?」
「ぐすっ…おかげさまで…」
「飴いる?」
「いらない」
「お茶ならあるけど」
「飲む」

きっと近くの自動販売機で買ったんだろうペットボトルのお茶を差し出された。泣きはらしてすっかり喉が枯れていたので遠慮なく水分を受け取る。ごくごくと豪快に飲む姿を心操がめちゃくちゃ見ていた気がするけど知らないふりをした。ぷはーっと飲み終わってお茶を返す。あ、落ち着いた。結構落ち着いたぞこれ。カテキンすごいな。

「みょうじってさ」
「うん」
「男を見る目ないと思う」
「…今…言う…?」
「今だからこそ言う」

ペットボトルの蓋を締めながら心操はいつもの他愛ない話をするみたいなテンションで言ってきた。こっちは今まさにその男が原因で泣いていてやっと落ち着いたというのに。

「付き合う前に、やめとけって言ったの覚えてる?」
「…覚えてる」
「最初に浮気された時に、もう別れなよって言ったのも覚えてる?」
「…お、覚えております…」

そこまで言って心操は深く溜息をついた。そう、そうなのだ。わたしの好きになった先輩はわりとあっさり彼氏になってくれたものの、実は知る人ぞ知る浮気男でそれはもう何回も泣かされた。過去形で言ってしまったけどまだ過去形じゃない、多分。ああでも、冷静に考えてみると本当にわたしは彼女なのかも疑わしい。酷い話だ。それでもここはヒーローを志す生徒が集まる雄英だし、普通科にも当然本当に悪い人なんていないと信じていた。いや、そう思うようにしていたのかもしれない。そうじゃなければあの人を好きになったわたしの心が壊れてしまうから。かっこいいし、優しいし、一緒にいるときはいい彼氏なのだ。一緒にいないときはいい彼氏じゃないだけで。ずず、と鼻水がたれそうになったので慌ててすする。じわ、とまた視界が霞む。

「ばかだね、わたし」
「…うん」
「否定してよ」
「バカだよ」
「まだ言うか」
「だから、俺にしておけば良かったのに」
「うん……え?」

霞んでいたはずの視界が晴れた。それは別に涙がこぼれたからではない。引っ込んだのだ。まるで何かに吸い取られたみたいに。隣を見ると彼は何食わぬ顔で前の方をぼーっと見ていた。さっき聞こえた言葉が嘘みたいに思える。いや、嘘かも。ていうか空耳かも。だってそんな、そんなのおかしいもの。

「し、心操ってそういう冗談言うタイプ、だっけ」
「絶対言わないタイプ」
「だよね」
「みょうじ」

名前を呼ぶと同時に心操がこっちを振り向く。返事しそうになるのを堪えた。だって、今、返事をしたらいけないと思った。なんでか知らないけど、今まで心操が日常で個性を使ったことなんて見たことないけど、けれど返事をしたら、心操に委ねたら、いけない気がした。

「みょうじ、聞いて」
「…っ、」
「俺もう見てらんないんだよ」

隣の心操の手が、わたしの手に重なる。振りほどかなきゃ、拒否しなきゃ。そう思えば思うほど動くことができなくて、我に返りたくてあの人を思い出そうにも顔なんて全然浮かんでこなかった。その代わりまるで頭の中を駆け巡るみたいに、タイミングが悪いときに限ってわたしの傍にいてくれる心操ばかりが浮かんでくる。やめてよ、違うよ。これじゃあまるであの人と同じ、わたしも酷いやつみたい。

「みょうじ」
「心操、」
「目、閉じて」

返事をしたらきっと体が動かなくなるって分かってたのに結局名前を呼んでしまった。わたしは酷いやつかな、あの人と同じになってしまうのかな。薄れかける意識の中で、心操の酷く優しい声だけが響いた。

「ぜんぶ俺のせいにしていいから」

そうしてなんにも見えなくなる。薄暗くて誇り臭い階段も、揺れる心操の瞳も、あの人の顔も。最後に聞こえたのは震える唇が重なり合う軽やかな音だった。次に目を開けたら、わたしの涙は止まっているのかな。

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