朝、目が覚めると隣に寶積がいる。それを言ったらあなたは僕の台詞だよと笑った。あれから幾月もすぎたけれど、やっぱりあなたのほうがずっと寶積のようだ。すこやかな朝日はそれが世界の始まりの合図かのように、銀色の髪を淡く照らし始める。まるでビー玉からのぞきこんだ世界みたいで、このまま閉じ込めたくなった。

「……水飲も…」
「待った」

なるべく音を立てずに起きたつもりだった。ふと呟いたのがいけなかったのだろうか。ベッドから抜け出そうとしたところで、ぱしっと腕を掴まれる。この優しい力をふりはらうことなんてそれこそ朝飯前だけれど、わたしは今まで一度だってそんなことをしたことはない。五条さんは、うつ伏せがちで体を起こして、片方の手で長い前髪を少しかきあげながら眠そうな目をしてこっちを見ている。

「どこ行くの」
「起こしちゃいましたね」
「起きてたよ」
「うそだあ」
「寝言で「五条さんすごい…」って言ってたのも聞いたし」
「絶対言ってません」

もう、と言いながらまくらを五条さんの顔に押し付ける。ごめんごめん、とまったく反省していなさそうな軽い声がまくら越しに聞こえてきた。寝起きからそんなにふざけられるのは、この人らしい。まくらを避けてのぞく不思議な色の瞳が、愛おしげにわたしを見つめる。きっとこれは錯覚ではなく、うぬぼれでもない。今日まで2人で過ごしてきた、何度目かの優しい朝が教えてくれたこと。その目に見つめられたらわたしはもう何も言えなくなってしまうので、心外な寝言に反論するのはやめにした。掴まれた腕をそのまま引き寄せられて、もう一度ベッドの中に帰っていく。スプリングが軋む音がして五条さんの胸板にわたしの半身が重なる。

「何時ぐらいに帰ってきたんですか?」
「うーん、3時ぐらい…」
「わあ、おつかれさまです」
「うん」
「あと、おかえりなさい」
「ただいま、なまえ」

猫が鳴くようなやわらかい声で言いながら五条さんはわたしの頭を静かにひきよせてキスをする。そのまま少し離れてもその瞳はずっと目の前にあって、五条さんの手はするりするりとわたしの髪を梳くように撫でる。それはとても心地よくて、すり寄るように目を閉じる。わたしは、五条さんのこの手が好きだ。紛れもなく男の人のものもなのに、彼を作り出すものはすべてそう決まっているかのようにとても美しい。たとえその手のひらに何を抱えていても、きっと五条さんのものである限り、美しさが淀むことはないのだろう。

深夜3時頃、五条さんが帰ってきたのには気づいていた。正確にはうっすらとしたまどろみのなかで、あなたのゆれる銀色の髪を見たのだ。寝ぼけて意識もままならないわたしに何かを言ったあと、シャワーの音がして、それから少しあたたかくなった五条さんがゆっくりベッドの中に入ってきた。彼が入ってくる側に背を向けていたわたしをそのまま後ろから抱きすくめて、こめかみのあたりにキスをしてくれた。そのあとまた何か言われたような気がするけれど、残念ながらそこでまた眠りにおちてしまったので覚えていない。お互いの体温に安心して、深く深く、夢の中へ入っていった。

「今日ね、おやすみなんだ」
「そうなんですか?」
「うん。久しぶりにどこか行こうか、デート」
「デート…」

わたしの返事を待つ五条さんを見て、少し考える。彼の瞳にかかる前髪をぱらぱらと分けるとくすぐったそうに目を細められた。サイドに流れた長い部分を耳にかけてあげると、さっきまでわたしの頭を撫でていた手がいつの間にか頬にそえられていて、親指で唇をなぞられる。ふと目を合わせると、少しの熱を灯らせた視線にぶつかって、思わずどきりとする。

「どうしたの?デートは嫌だった?」
「…いいです、どこにも行かなくて」
「いいの?」
「五条さんを、ここに閉じ込めておきたい」

不思議な色をした目が、少しだけ見開く。それからくっくっと音にならない声で笑われて、五条さんの両手にしっかりと抱きしめられる。胸板にぎゅむっと押し付けられたので、ちょっと痛くて苦しい。「そっかそっか」と楽しそうな声が頭の上のほうから聞こえてくる。なんとか上体を起こして五条さんを見る。

「ここ僕の家だからね」
「?」
「どっちかというと閉じ込められちゃうのはなまえのほうなんだけど」
「そうでした…」
「よし、閉じ込めちゃおう」
「うっ」

せっかく上体を起こしたのに、また五条さんに思いっきり抱きしめられてしまい、いともたやすく腕の中に閉じ込められた。そのままごろんと2人とも横を向く。わたしの髪に顔を埋めて大人しくなる五条さんは少し猫っぽい。大きな体がわざわざ窮屈そうにまるくなってくれたので、少しも隙間を作らないようにしっかり五条さんに足をからめる。わたしは胸板に頬を寄せて背中に腕を回した。彼がどこへも行かないように、この静かな部屋に、ずっと閉じ込めていられるように。

「五条さん、今日はずっとこうしててください」
「…うーん、困ったな」
「え?」
「今日は僕が甘えようと思ってたんだけど」
「ふふ、そうだったんですか」
「久しぶりだからね」
「…はい」
「僕もなまえも、寂しがり屋だね」

優しさに滲む甘い音が、大好きな彼の声になってわたしを包む。額がこつん、とやんわりぶつかった。そのまま、まるでお互いの体温に沈んでいくようにくちびるを重ねる。ゆっくり、静かに、やわらかい肉を食み合いながらわたし達はキスをする。ひとつひとつ、数えるように。本当は数えていられないくらい気持ちいいから、わたしも、きっと五条さんも、すぐにぬくもりに溺れて目を閉じる。

「ねえなまえ。お昼まではこうしていよう」
「はい」
「それでさ、お昼はあそこに行きたいんだ」
「この前言ってたパン屋さんですか?」
「そう。それで、いつもの公園で食べようよ」
「ピクニックですね、ふふ」
「夜ご飯は一緒に作ろうね」
「今日は何が食べたいですか?」
「なんでもいいよ。なまえの好きなものなら、僕も好き」
「何にしようかなあ」
「それから夜は、早めにシャワーを浴びようか」

いたずらっぽく言う台詞に反応すると、それに反して五条さんはわたしを真っすぐに見つめていた。笑みは相変わらず、泣きそうになるくらい優しいけれど、すべて見透かしたような顔をしていて耐えられない。恥ずかしくなってもぐりこむように五条さんの胸板に頭をぶつけると、またくっくっと笑われて頭を撫でられる。

「そこで照れちゃうの?」
「だって」
「閉じ込めたいのほうが、照れるけどなあ」

聞いてる、ねえなまえ。五条さんの声はまるで風のように軽やかで、耳を澄ませていたら眠気がやってきた。そのままだんだん、声が遠くなる。大きな手が、するりとわたしの手を掴む。「おやすみ、なまえ」と、声がする。こめかみのあたりにキスをされる。

「好きだよ、なまえ」

まるでそれが、幸せの海へおちる合図のように、わたしの体中を満たしていった。浮かび上がりそうな多幸感に身をゆだねて、「わたしも、」とつぶやいた声はちゃんとあなたに届いたろうか。ばさ、と掛けなおされた布団に隠れて、もう一度キスをして、わたし達はどちらともなく眠りについた。

もし誰か、どうか神様が見ているのなら、この時間のなかにわたし達をずっと閉じ込めていてほしい。彼に良く似た綺麗なビー玉のなかにいれて、誰にも触れない宝箱に大切にしまっておいて。そうでもしなければきっと奪われてしまう。だってそれほどに、この人とすごす愛は美しい。




..