久しぶりにケーキを食べたら想像していたよりも甘くて大きくてひとつ全部は食べきれなかった。口の中が甘すぎて頭がぐるぐるする。からんと少し投げやりにフォークを置いたらその反動で少し残ったケーキの欠片がぱたんと倒れた。ケーキはもうひとつ残っている。食べきれるかなあ。

「まだ起きてたのか」
「あ、轟くん」
「…ケーキ…食べてるのか……?」
「………」

ポーカーフェイスの中でもしっかり「うわぁ」と引きの表情を見せた寝間着姿の轟くんがわたしとケーキを見比べる。轟くんが驚くのもしょうがない。1階のロビーのソファに座って、かわいいショートケーキをお皿に乗せて食べるわたし。時刻は0時。のんきにケーキを食べている時間でも、寮のロビーで堂々と起きている時間でもない。ふたつの事実をごまかすように「あはははは」とわざとらしく笑ってごまかしていると、目ざとい…いや、鋭い轟くんはお皿のケーキの他に置いてある小さな白い箱に気づき、そしてその中にはもうひとつケーキが入っていることにも気づいたようだった。

「女子だからケーキなんて余裕だと思ってたんだけどね、意外とそうでもなかったみたい」
「…甘そうだな、生クリーム」
「佐藤くんが作ってくれたシフォンケーキの方が美味しかった」

へへっ、と笑ってフォークを手に取り残りの欠片をいっきに口にいれる。ひとくちでいくには少し大きかったけれどもうあとには引けないので大口を開けて食べてしまった。友達とはいえ男子の前でこんな豪快な食べっぷりを見せてしまい、自分の女子力の無さとそんな姿をイケメンの轟くんに見せてしまった謎の罪悪感がわたしを襲う。轟くんは何も言わずにもぐもぐするわたしを見ていた。気まずいのでおやすみ、とかそんなところで見ていないでこっちに来なよ、とか言いたかったけれどもぐもぐしているので伝えることはできない。いや、鋭い轟くんなら察してくれるはずだ。

「なんかハムスターみてぇ」

ぜんぜん察してなかった。むしろ面白がって見ていた。無表情だったけど絶対面白がっている。ごくんっと飲み込んでやっと喋れるようになったので何か言ってやろうと思ったら轟くんは当たり前のように隣にやってきてソファに座った。

「え、どうしたの轟くん…あ!ケーキ食べたいの?」
「違う」
「違うんかい…」

なんなんだよ、と思ってフォークを手から離す。からんからんとお皿の中で踊るフォークは滑稽で乱暴でうるさかった。隣の轟くんをちらっと見ると、ソファに深く座って背もたれに背中を預けている。両手をポケットに入れたまま澄ましている轟くんはとても絵になる。やっぱイケメンだな、と思いながら見ているとおもむろに轟くんが喋り始めたのでびっくりした。

「…朝、出て行くの早かったな」
「はりきりすぎちゃって」
「何時頃帰ってきたんだ」
「えーと…消灯時間ギリギリ」
「髪型、いつもと違うんだな」
「うん。変じゃないかな」
「いや別に」
「別にって…」

隣でどこでもないところを見ながら、今日のことをなぞるように、それでも深くは聞こうとしないで話してくれる轟くんにわたしも簡潔に答える。だって、わざわざ聞かなくてもクラスメイトなら知っているのだ。わたしが今日という日を先月からずっと楽しみにしていたことも、楽しみすぎて約束は13時なのに10時にはもう学校を出ていたことも、並ばないと買えないケーキ屋さんに昨日のうちに1人で並んでケーキをふたつ買ったことも。轟くんは、ケーキがふたつともまだここにあることに気づいたとき、一体なにを思ったのだろう。可哀想なやつ、とか思ったのかな。

「…髪型、気づいてもくれなかったよ」
「…」
「好きって言ってたからこれにしたのにさ」
「……変じゃねえぞ」
「遅いよ、それ」

ははっ、と思わず乾いた笑いが出た。轟くん、そこは可愛いって言えばいいんだよってアドバイスしようとしたけどこの後に及んでイケメンにそんなことを言わせるのは申し訳なくてやめた。鋭いようでこういうところは鋭くない。手持ちぶさたにフォークをとってかりかりとお皿をけずる。ぜんぜんけずれないけど。轟くんが折角聞かないでいてくれたのにぽつりぽつりと今日のことを思い返す。

「忙しいんだって、ヒーローの仕事。だから今日のことも忘れてたって。ごめんて謝られて、そのあとすぐヴィランが出たって連絡が来て、それで、行っちゃった。なんとここまで、10分です」

可笑しいな。話してみたらこんなにも短かった。13時までの3時間はあんなに長かったのに。かりかり、からん。ごめんよフォーク、何回ももてあそんでは投げやりに手を離してしまって。

別にいいんだ、忙しくて滅多に会えなくても、やっと会えた日がぐだぐだになっても、あとから申し訳程度に「好きだよ」って文字だけが送られてきても。だって誰かのヒーローをしてるあなたが好きだから。それでも痛む心と歪む感情からは逃げられなくて、本当はもう終わりにした方がいいことも分かっているのにわたしにはそんな勇気もなくて、もうとっくに干上がった湖の中心でひとりずっと溺れたふりをしている。

「それですぐに寮に帰るのもなって思って、ギリギリに帰ってきて、急いで冷蔵庫にケーキ閉まって、それから色々考えてたらこんな時間で、それで」
「みょうじ?」
「ケーキ、捨てちゃおうと思っ…たんだあ…」

結局捨てられなかったケーキを思い出したら我慢できなくなって涙がとまらなくなった。夜中にケーキ食べて泣いてる女ってどうなの、泣きたいのは胃袋だよ。轟くんの方なんて見れないけれどびっくりしているのはなんとなく分かった。

ケーキをゴミ箱に捨てたらきっと、ぼとっ、なんて鈍くてぜんぜん可愛くない音がして、一瞬でぐちゃぐちゃになるんだろう。キレイにキレイに、大事に大事に作ったはずのケーキがいとも簡単に。いいんじゃない?可愛くない音、ぐちゃぐちゃのケーキ。今日の結末に添えるにはお似合いだ。

ひっくひっくと泣いていると、ぎし、とソファが動いて反射的に轟くんの方を見るとおもむろにもうひとつのケーキが入っている箱に手を伸ばしていた。

「みょうじ」
「え?」
「ケーキもらうぞ」
「…えっ?」

そう言って轟くんはスポンジの下敷きにされている白い紙を持ち手にして、そのままケーキにかぶりつく。ひとくち、ふたくち、みくち。ばくばくばく、とまるでコミックみたいに簡単にケーキは食べられていき、あっという間になくなった。

「…甘いな」
「と、どろき、くん…」

指についたクリームをぺろっと舐めながら轟くんは普通に感想を述べた。わたしはびっくりして固まってしまい隣の轟くんを見つめることしかできない。こちらの視線に気づいたのかぱちっと目が合う。

「捨てたらもったいねえだろ」
「う、ん、」

ケーキの入っていた箱を丁寧にたたんで、わたしが使っていたお皿とフォークを持って轟くんは食堂の方へと行ってしまった。片付けさせてごめんなさいと言おうとしたけど、轟くんの背中を見ていたら今まで我慢していたものがぜんぶ出てきてわたしはもういちど泣いた。

思い描いていた甘い夢も轟くんが食べたふたつめのケーキもわたしの気持ちも、ぜんぶぜんぶ、簡単には捨てられない。轟くんの言うとおり、もう少しだけ持っていよう。上手に飲みこめる日が来るまで、多分もう少しだから。
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