千空が話すことといえば、わたしでは分からない科学の難しい言葉ばかりで、クラスメイトたちのようにふざけあって笑い合うなんてことはなかなかない。それでも、いつも遠く空の上を眺めるその横顔が、どうしても、好きだった。


「なまえ、これやる」
「ん?…なに、これ?」
「あー、超小型簡易望遠鏡・試作19号だ」

超小型というわりにテレビのリモコンぐらいのサイズがあるその望遠鏡は、千空曰く星が見えるだけでなくその他もろもろかなりハイテクな機能が付け加えられているらしい。一応すべて説明してもらったけど、方角や星図、緯度経度から始まり赤道座標がどうのこうのとどんどん難しくなってしまったので結局よく分からなかった。そうだ、わたしはアホなのだ。けれど千空はそんなアホのわたしをバカにするでも笑うでもない。まるで小さな子供にオモチャの使い方を教えるように、「つまり、」と言いながら実際に使ってみせてくれた。いくつかあるメモリのようなものを調整し、「これで月ぐらいなら見えるだろ」と差し出された望遠鏡をのぞくと、うっすら浮かぶ白い月が見えた。

「すごい!ほんとに見えた!」
「あたりめーだろ。まあ、まだ月面のクレーターまでズームできねえからな、感動するようなもんじゃねえ」
「大丈夫!これだけで十分感動した!」
「……単純」
「なに!?なんか言った?!」
「いーや」
「わたしの部屋からもちゃんと見えるかな〜」
「余裕で見える。つーわけで、なまえ。お前は今日から天体観測係だ」
「エッ、わたし!?」
「試作19号つったろうが。まだまだ改良するからなァ。ま、使い心地のレポートを毎日提出でOKだ」
「毎日…?」
「毎日」
「毎日…」

意外と大変なノルマにゲンナリすると、千空は意地悪そうに笑って再び変な機械で作業をし始めた。仕方がない。科学部の幽霊部員として、たまには活動しようじゃないか。小型望遠鏡を握りしめ、またレンズを覗き込む。つまみをいじると月が遠くなったり、近くなったり。つばめが映ったり、映らなくなったり。

「あ、ちなみに星図の位置情報記録するために試作品は全部俺のスマホにつないでるからな」
「…どういうこと?」
「あー…、その望遠鏡を起動させるとまずお前の位置情報が俺に送られてきて、そのあと見た座標の情報がさらに俺に送られてくるってことだ」
「…つまり」
「しばらくお前の動向は全部俺に筒抜けってこった」
「ヒッ…!!」

なんとなくプライバシーの侵害を感じて恐れおののくわたしとは反対にククッと楽しそうに喉を鳴らしている。千空は別にこっちのプライベートなんか興味ないだろうけど、相手にとったらそれが嫌なことだというのは分かりきっているのでそれが楽しいんだろう。嫌なやつなのだ、この幼馴染は。

作業に集中する千空をジト目で睨みつつ、教室の窓のほうへ移動した。外から直接月を見たほうがもっと綺麗に見えると思った。千空がいつも見つめてやまない宇宙を照らすまあるい星を。いつか、千空はあそこへ行ってしまう。出会った頃からずっと、ひとつも目をそらさずに見ていたあの遠い空に。

「いいよなあ、宇宙はよぉ〜」

誰にも聞こえないように壮大なヤキモチの相手に愚痴をこぼした。かち、かち、と適当にメモリを回しながら空を見る。しばらくそうしていると遠くのほうで、なにかが光った。

「…なんだろ、あの光……」

望遠鏡から覗き込むのをやめて自分の肉眼でしっかりと空を見た。空の奥から、緑色の不思議な光が地上に向かって落ちてくるように広がってくる。どくん、と嫌な予感がした。それぞれ作業に集中しているみんなはまだ気づいていない。

「せ、千空!外!なんか変な光が!」
「あ?」
「あっちのほうで、」
「ッ――!! なまえ!!こっちに来い!!」
「せんっ、」

千空のあんな慌てた顔、初めて見た。ゴーグルを外して真っ先に手を伸ばしてくれたのに、その手をとることができなかった。体が重くなっていく。まるで意識そのものを奪おうとしているかのような、重々しくて心地の悪い感覚が一瞬で体中に広がっていくのが分かった。ああ、もう真っ暗だ。千空、やっぱりきみには、わたしの手は届かないみたい。









「ここまで来たぞ。やっと」

声が聞こえる。うっすらと、意識の遠くで。夢の中にいるような離脱感のなかでわたしはきみのことを思い出していた。眠ったり起きたり、そんな感覚を繰り返しながらどれくらいの時間が経ったのだろう。生きているのか死んでいるのかも分からない。ただ暗闇の中に、自分という個体が存在だけしている。

声が、聞こえる。

「…もう少し待ってろ、なまえ」

わたしの手に、誰かの手が触れた気がした。
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