なぜかわたしは米屋くんとラーメンを食べにきている。2人で醤油ラーメンにしっかりタマゴをトッピングした。隣の席のおじさんが肉もりもりのチャーシュー麺を食べていて、米屋くんはそれを横目に「やっぱりチャーシュー麺にすればよかった」と言いながら、自分のラーメンに乗っているチャーシューを美味しそうに頬張っていた。

「いや!どういう状況!?」
「なにがっすか?」
「これ…この、ラーメンの……この…なぜ…」
「…俺が、なまえさんを、ラーメンに誘って、」
「誘って…」
「なう」
「なうて!」

なうはさすがに古いか〜、なんて一人で笑いながら米屋くんはまたラーメンをすすった。ここに至るまでの一連の流れをざっくり説明してくれたが、そういうことじゃない。わたしと米屋くんは、隊はもちろんランクも全然違うし年齢も違う。お互い対戦相手になった時に挨拶や世間話をするくらいで、まあ米屋くんは見た通りコミュ力が高いのでかろうじて知り合いという雰囲気にはなっているけど、いきなり2人っきりでご飯を食べに行くような仲ではないはずなのだ。

米屋くんの説明に少し補足をするのであれば、ランク戦を見ながらぼーっとしていたら米屋くんに挨拶され、他愛ない話をしていたらご飯に誘われ、近くのカフェはのきなみ混んでいて、テーブル席もあるからということでボーダー隊員の一部に人気だというラーメン屋に来た、という流れだった。お互いに慣れないはずの展開に対して全然気にしてないらしい米屋くんに感心しながら、アイスブレイクなんてできるわけもなくただ麺をすすったり、メンマを食べたりすることしかできないわたし。ラーメンが伸びちゃうから話すよりもまず食べよう、と自分に言い訳をして、沈黙から逃げた。わたしのほうが年上なのに上手く気を遣えなくてごめんね、米屋くん。

「なまえさんさあ」
「うん」
「なんか今日元気なくない?」

ちゅるる、と器用に麺をすすりながら言われた。え?わたしの元気?ふいの問いかけに動揺して言葉を返せなくなる。なぜならわたしは今日、米屋くんの読み通りまったく元気がないからだ。ただ、今日の1日の言動を振り返ってみたけどそこまで露骨に落ち込んでいたわけではない。それとも米屋くんのようなカンのいい人達には分かってしまうものなのだろうか。いいなあ、そんなカンの良さがわたしにもあれば…。年下に気を遣わせたいたたまれなさに「あー、いやまあ、そこそこ!でも大丈夫!」と愛想笑いをした。米屋くんはふうんと言っていたけど、一瞬笑みが消えたように見えた。でもそのままラーメンを食べ続けていたので気のせいかもしれない。お店のBGMになっているテレビの音が少し気になってきた。ちょうど夕方のニュース番組が始まったようだ。

「大丈夫そうには見えないんすけど」
「えっ」

そう言って米屋くんはなぜかにやりと笑う。まるで見透かしているぞ、と言わんばかりの含み笑いだ。もしかして、と思ったけれどそれ以上詮索はされなかった。米屋くんは普通にテレビを見て「ニュースはつまんねえんだよな〜」なんて高校生らしいことを言ったりしながら、しっかりお店に馴染んでいる。わたしはというと、ちょっとチャーシューが分厚すぎて2枚目を食べられないでいるし、思ったよりも量の多い醤油味にも飽きてきてどうしようかと思っている。ラーメンは嫌いじゃないけど、捨てるほどじゃないけど、でも頑張って食べるほどの意欲はないという、なんとも罰当たりな気持ち。

けれど多分、あの人もそういう気持ちだったのだろうと思う。わたしのことを顔も見たくないほど嫌いではないけど、顔を見なくてもなんとも思わない、みたいな。むしろこのままダメになるならそれも仕方ないと納得していたのだろう。わたしの知らないところで、いつの間にか。だから呆気なく別れがきて、なんの断りもなく一瞬で過去になった。あの人と時間はさっさと先に進んで行ったのにわたしだけがいまいち整理しきれなくて取り残されている。

「米屋くんはさ、ラーメン好き?」
「あーまあ、普通に」
「毎日ラーメン食べろって言われても平気?」
「毎日はちょっとなあ」
「やっぱり、飽きるよね…」
「んー、だって良くも悪くも変わらないじゃないっすか。料理の味って」

目の前で、どんどん伸びていくラーメンを眺める。ラーメン屋に入る時、本当は少し迷った。そんなにお腹空いてないし、食べ切れなさそうだなとぼんやり思っていた。でもなんとなく言えなくて結局は残す羽目になっている。こうなるのは分かっていたことだというのに。ごめんねラーメン、味は良かったよ。

いつの間にか終わっていたと言ったけれど、あの人とのことだって本当は雲行きが怪しいことにはとっくに気づいていたし何度も確かめようと思った。でもわたしは都合のいいことを信じようとするのに必死で、結局は何も言えずにゆるやかに近づく別れの足音に耳をすませているだけだった。あの時、面倒くさがらないで、逃げないで、きちんと話していれば今ここに米屋くんとはいなかったかもしれない。そんなどうしようもない可能性を見出してしまうくらい、わたし達には時間があった。それこそ、文字通り飽きるほど。

「変わらないことってそんなに悪いことなのかな」
「なんでそう思うんすか?」
「…飽きちゃうんだって。なんか慣れちゃって、ダメになるみたい」

会話の流れで不意に出てきた言葉だったのに、自分で言っておいて思ったよりもダメージを受けた。その瞬間、頭の奥で恋をしていた頃の気持ちが蘇ってきて視界が歪んだ。泣きそうになっているのがバレないように、俯きながら「あ、変な意味じゃなくてね!」と誤魔化してみたけどわたしのチャチな思惑に乗ってくれるほどちょろい相手ではない。それでも気付かれるのだけは嫌で必死に涙を堪えていたら、テーブルの端に置いておいた携帯が目に入って、胸の奥が重くなる。あ、ダメだ。泣くかも。

「でも俺は、なまえさんと食べるなら毎日でも平気かも」
「へ?」
「いや、やっぱ毎日はキツいか…?」
「え…いや、そうじゃなくてね、わたしが料理だとして…」
「えぇ?なんでなまえさんが料理なんすか?」
「だからそれは例え話というか」
「料理と人間じゃ全然違うと思いますけど。料理とは話せないし」
「そうなんだけど」
「てか例え話してたんすか?」
「いや…」

情緒不安定なわたしとは対照的に、米屋くんはいつもの軽い感じで、けどわりと真面目に毎日ラーメンを食べることについて考えているようだった。

「ひとつ言えるのはなまえさんの奢りだったら俺は毎日ラーメンでも全然大丈夫ッス」
「……えっ奢り!?わたしの!?」
「や、それはジョーダンですって」
「うそだ…!目がちょっとまじだった…!」
「普通になまえさんと飯食いたいっていう照れ隠しですよ〜」
「米屋くんさあ…!」

悪戯っぽく笑われて、つられてわたしも笑った。さっきまで重く、鈍く、痛みを感じていた胸の奥が少しだけ軽くなる。涙はなんとか引っ込んでくれたみたいだ。一連のおふざけ会話が一旦落ち着いて米屋くんを見たら思いのほかしっかりと目が合った。米屋くんは頬杖をつきながらこちらを見ているけど、その顔が優しく微笑んでいるような感じがして、なんとなくすぐ目線を外した。

「もー。からかったでしょ」
「んなことないっすよ」
「はいはい」
「マジで言ったのに〜」
「…ありがとね、ちょぴっと嬉しかったよ」

ちらりと米屋くんを伺うと、もうこちらを見てはいなかった。テレビのほうを向きながら、何を考えているのか分からない顔をしている。わたしもテレビのほうを向く。ニュースはちょうど今日の『門』の出現情報を発表していた。ラーメン屋というのは結構うるさくて、テレビや店員さんの声、厨房から聞こえてくる調理の音が、だんだんとわたしと米屋くんの間に壁を作っていってるような錯覚をする。鳴るはずのない携帯が、やっぱり鳴っていないことを確認してバッグにしまった。多分、少しだけ、昨日よりは大丈夫だ。

「米屋くんは、優しいね」
「…と、思うじゃん?」
「え、」

へらりと言った言葉に、思ったよりもしっかりとした返事が返ってきて思わず米屋くんの顔を見る。薄く笑う口元に反して、やけに真っ直ぐな目にたじろいで視線を逸らすことができない。どく、どく、と指先に血が集まるのが分かる。でも、笑えばいいのか泣けばいいのかは分からなくて何も言えずに固まってしまった。

「今がチャンス、って思っただけ」



(優しくないよ)
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