「こら、そこの女子高生。スカートでヤンキー座りはやめなさい」
「げげげ、傑せんせい」

 センスのないジュースしか売ってない自販機の前で、好きでもないジュースを片手に座り込んでいたらやけに楽しそうな顔をした傑がやってきた。なにを言われるかだいたいの予想はついているけれど、なんとなくそれらを口にするのが嫌でプイッとそっぽを向く。
 「あーあ、嫌われちゃったかな」と、絶対そんなこと思ってないような軽いセリフが聞こえてきた。それでもなにも返事をしないでいたけれど、傑はとくに気にもせず自販機の隣にあるベンチに座り、空いてるほうをとんとんと叩く。

「せめてこっちに座りなよ、なまえ」
「…」
「意地になってないでさ。話なら私が聞くから」
「……」
「なまえ」
「………」
「おいで」

 そこまで言うなら仕方ない、というオーラをめいいっぱい出して、ついでにこれでもかというくらい渋々というふりをしながら傑のとなりに座った。おそらく彼にはそんなのは見透かされている。無駄なふりだ。でもわたしにだってプライドがある。傑に「おいで」と微笑まれたくらいで簡単に言うことを聞く女だと思われたくないのだ。いや、実際聞いてるんだけど。でも渋々だから、あくまで渋々だから。
 ムスッとしてるわたしの隣で、ただ穏やかになんでも受け入れる体勢の傑。こうなるともうわたしはとことん傑に甘えてしまう。どうせどんな態度をとってももろともしない男だから、本当はそんなでもないのに機嫌の悪いふりをして面倒を見てもらいたくなる。自分でもヤバい女だと思うけれど、傑がそれを良しとしてくれているので(多分)良いのだ。

「で、なんで悟とケンカしたの?」
「…別に、深い意味はないけど」
「うん」

 本当に、ただ何気ない言葉が発端だった。

 呪術師でもなければそもそも呪力すらない普通の人間である姉が、最近結婚した。分かりやすいくらい幸せオーラプンプンで、なんかもうすごかった。ハイだった。ちょっとだけうんざりしていた。でもわたしは、姉があんまり幸せそうな顔をしているから、教室でつい「わたしも将来、結婚とかして幸せになるのかなあ」なんて呟いたのだ。なんの意味もない。それが絶対だとも思わない。本当にただ頭に浮かんだ言葉をそのまま口にしただけだった。なのに、あのアホ、いやバカ、もとい五条悟が急に突っかかってきたのだ。

「呪術師なのに、非術師みたいな普通の幸せが手に入ると思ってるのかよって…」
「……そうか」
「…悟もそこまで深い意味で言ったんじゃないのは分かってるけど」

 まるで呪術師は幸せになっちゃいけないと言われたようで悲しかった。それはわたしだけじゃなく、まるで悟が自分自身にも言い聞かせているような気がして、余計に腹が立ってしまったのだ。皮肉めいた、自嘲めいた、悲しい声が今も少しだけ耳に残っている。結局、言い合いは平行線で教室にいるのが嫌で逃げてきた。
 そりゃあ決着なんてつくはずもない。なんの意図もなく言った言葉から始まった争いなのだから。わたしも悟も、答えなんて持っていないのだ。

「悟はまあほら。わたしはよく知らないけどさ、五条家で色々見てきたからなんか考えがあったのかもしれないけど。だからってそんな突っかかってこなくてもよくない?八つ当たりされた気分というかさあ」
「はは、そうだね」
「なんか思うことがあるなら、それをちゃんと言ってくれたらいいのに…」
「…なまえは優しいな」
「そういうんじゃなくてさ!」

 ベンチに座っているというのに、行儀の悪いわたしは両膝を抱えながらぶつぶつと悟への文句を垂れ流した。傑はいつものように優雅に足を組んでただうんうんと話を聞いてくれている。

 悟は時々、汲みとりきれない理解しがたい表情をして大きな感情をぶつけてくる。それがどうしても重くてなかなか上手に返せない。きっと傑ならもっと綺麗に返せるだろうに、なぜかわたしにだけ難しいやつをぶつけてくる。傑も硝子も頭がいいから、もしかしたらわたしが勝手にそう思ってるだけかもしれないけれど。とはいえ今の時点ではどう頑張っても難しいのだ。その度にあいつは少しだけ悲しそうな顔をするから、わたしはその場から逃げ出すしかなくなる。悟は本当に嫌な奴だ。それぐらい許してくれてもいいのに。クラスメイトじゃん。 

「悟は少しなまえに甘えてる節があるからなあ」
「甘え!?なにそれ!ないない!ない!!!」
「もっと分かってもらいたいからこそ、本音をぶつけてるんだと私は思うよ」
「……そ、そんな可愛い感じじゃなかったよ?もうあれは、油断したらいかれてた。六眼でいかれてた。完全に」
「あははっ!」

 悟のモノマネのつもりで、指で上瞼と下瞼を無理やり引っ張って目をかっぴらいて見せたら思いの外ウケた。滅多に見られない傑の爆笑を勝ち取ることができ、悟との仲直りがちょっぴりどうでもよくなってきた。

「まあ、悟とはあとでゆっくり話すとして」
「むむむ…」
「大丈夫。なまえには、ちゃんと幸せになる権利があるよ。もちろん悟にもね」

 彼の澄んだ目が真っ直ぐにこっちを見る。その綺麗な視界に映り込んでいるのかと思うと、なんだかおこがましい気がしていたたまれなくなってしまう。傑に言われると、それが絶対に正しいことのように聞こえるから不思議だ。呪いを祓う力を持っているくせに救えない命のほうが多いわたしでも、笑って生きることを許されている気分になる。

 けれど、本当に優しいのはどう考えても傑だ。眩しいまでの高潔な想いはいつか本当に人類を救っちゃうかもしれない。そう感じさせるのに、こうして日常のささいなことにさえ目を向けてくれる繊細なところが、あたたかくて、危うくて、引き寄せられる。

 これ以上見つめていたらそんな心の声が聴こえてしまいそうだったので自分の両膝に視線を戻した。

「そうだといいんだけど」
「まあ、理想を叶えるために努力し続けることは必要だけどね」

 少し遠くを見るように傑は視線を宙に向けた。整った横顔に見惚れながら、わたしも傑と同じ景色が見られたらいいのにと思った。隣でも後ろでもちょっと先走って少し前でもいいから。なるべく近くには悟も硝子もいて、灰原も七海もいて、みたいな。そこまで考えてわたしは顔をあげる。

「なるほど、わかった」
「急にどうしたの?」
「理想とかはよく分かんないけど、案外簡単なのかも。幸せになるのって」
「え?」
「傑とこうやって話してるだけでも、わたしは結構幸せだから」

 語尾の終わりに笑顔をつけて傑を見ると、彼は驚いたような顔をしてすぐにやわらかく笑った。

「な、なに…」
「え?いや、別に」
「なんかニヤニヤしてる。悟がわたしに意地悪するときみたいな顔してる」
「そんなことないよ。私はもっと上品に笑うし」
「(悟、言われてんぞ!)もう〜、どうせ単純だよわたしは」
「ううん、いいんだよ。それならなまえは、当分のあいだは幸せだろうね」
「え〜!?一生じゃないの〜!?」
「い……一生でいいの?」
「だってこの前、硝子と悟とみんなで我等友情永久不滅也ってプリクラに書いたじゃーん!」

 わたしの言葉に、傑は少しだけ考えたあと「ああ、そういう意味か…」と何かを悟ったような顔をしていた。

「ほかにどういう意味だと思ったの?」
「私と一緒にいると幸せとか言うからてっきり…」
「てっきり?」
「…うーん、まあいいか。やっぱりなんでもないよ」
「なんでよ。教えてよ」
「そうだなあ。卒業したらじっくり教えてあげる」
「じっくり…」
「いや、むしろ叩き込む、かな?うん」
「そんなスパルタなの!?」
「私は意外と情熱的なんだよ」
「熱血じゃなくて?」

 わたしの返事にもう我慢できないと言った顔で、傑は声を出して笑った。そんなに面白いことは言ってないはずなのに。
 楽しそうな顔をする傑を見ながら、やっぱりわたしはこういうのが幸せなんじゃないかなあとぼんやり感じていた。なんでもないようなことが、って歌になるくらいなのだから。悟にもいつかそれを伝えられるといいな。傑と悟と硝子と、みんながいればどうにだって生きていける気がするんだ。

「じゃあ、なまえの幸せのためにも早く悟と仲直りしないとね」
「えー……」
「一緒に行ってあげるから」
「…」
「おいで、なまえ」
「…わかった」

 そう言って先に歩き出す傑の背中を見つめた。悟とそんなに変わらない身長なのに、傑のほうがずっと大人に見える。これを言ったらたぶんまたケンカになるから絶対言わないけど。
 置いてかれないように早歩きでとなりに並んだ。なにも言ってないのにすぐに気づいてくれるその目が、清廉な微笑みが、好きだと思った。

 理想云々とかはやっぱりよく分からないけど、こうして傑とずっと一緒に歩いて行けたら、本当はそれがわたしにとっていちばん幸せなことだ。こんなことを言ったら、ねえ、きみはまた笑うかな。






(Dear I.)
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