「俺はお前のことがまったくタイプじゃない!だがどうしても優しくしてしまう。それがなぜだか分かるか?」
「いやここ女子トイレなんですけど」
「それはなまえ。お前が、俺のデスティニーだからだ」
「いやここ女子トイレなんですけど」

女子トイレの個室から出たら女子トイレの入口で海外の壁ドンさながらドアに寄りかかってこっちをビシィッと指差す東堂がいた。後一歩でもこちら側に足を伸ばせば彼は女子トイレに立ち入った罪により現行犯逮捕ができるのだけど、脳筋に見えてその実冷静で聡いやつなのでそんなヘマはしてくれていない。
体のおおきい東堂に入り口に立たれるとほとんど塞がれたようになる。岸壁を登るヤギのように隙間のほうに身を寄せてギリギリのラインを攻めないと通れない。しかしどう攻めても絶対に東堂には触れてしまうリスクがあるので、つまりわたしは女子トイレから出られなくなってしまった。
休み時間はそろそろ終わる。どうしてこういうときに限って桃ちゃんとか真衣ちゃんとツレションしなかったんだろうと自分の判断を心底後悔した。いやおそらく東堂のことだからわたしがひとりになるのを見計らっていたのかもしれない。どうあがいてもこの事象は起きてしまったということだ。
わたしは盛大に溜息をつきながらとりあえず手を洗うことにした。

「いいか?」
「よくないのがどうして伝わってないのかふしぎだよわたしは」
「俺は知った。恋は理屈じゃない。気づいたら落ちているものだと。すべてが初めてだった中学生――そう、あの桜舞う入学式…運命のあの日、春!!!!」
「同中(おなちゅー)じゃないからそこでの出会いはバグだよ東堂」
「遅刻ギリギリ、食パンをくわえて校門へ向かう俺……」
「お前がくわえてんのかい」

そうして東堂は妄想中学生日記の日々へと落ちていった。以前にもむりやり設定を聞かされたことがある。そのときは確か『恋に自覚が芽生える編』だった。今日は『運命の出会い編』というところだろう。頭がいいせいなのかただの変態だからなのか、リアルな妄想を瞬時にできるのは素直にすごいと思う。
手を洗い終えてハンカチでふく。そのあいだに話が終わればいいと思ったけれど、ここぞとばかりにこくこくと語っている。身振り手振りもついているのに相変わらず女子トイレの内側には一歩も入ってこないので、一向に人を呼ぼうにも呼べない。
もちろん真面目には聞いていないので断片的にしか情報は入ってこないのだけど、食パンをくわえてるくせに曲がり角ではぶつからなかったみたいだ。ぶつかれよ。

「というわけだ。だから俺とお前はデスティニーなんだ」
「俺とお前はデスティニーなんて日本語はありません」
「あるだろ。まったく強情っぱりだな。そんなんだからブラザーにいつまでたっても妹扱いされるんだぞ」
「どういう!?急にどういう設定!?」
「聞いてなかったのか?デスティニーとブラザーは幼馴染でデスティニーはブラザーにシスターのように扱われるのを少し複雑に感じている時期があったんだ」
「カタカナが多いなセリフに」
「その後、なまえはブラザーに振られる。それを優しくなぐさめる俺だ」
「ベタだなあ…!」
「そしてなまえは気づく!!!」
「おいおい盛り上げるな盛り上げるな」
「ここからは前に話した『恋に自覚が芽生える編〜true loveの羽音〜』だ」
「ちゃんと引きの強い終わり方すんな!ていうかサブタイトルダサッ!!!!」
「恋のモチーフは天使だからな。そりゃあ羽音もするだろう」
「シンプルにキモッ!!!!!!」

ひとしきり話し終えて満足げな顔をしている東堂とはうらはらにわたしは当然ながらすでに疲れを感じ始めていた。この男の話にまともにツッコミを入れていたら命がいくつあっても足りない。ストレスで死ぬ。前にブラザーこと虎杖くんと話してるのを見たけれど、虎杖くんはよくノーツッコミで会話できてたな。きっととてもいい子なんだろうなあ。
もはや感覚が麻痺してぼんやりしてしまったが、話し終えたというのに東堂はまだ入り口からどく気配もなければ、入ってくる素振りもない。もうこの際誰でもいいか女子トイレに来てほしい。女子トイレの前で立ち往生する大男に誰か悲鳴をあげてほしい。と思ってもそう都合のいいことは起こらなかった。大人しくハンカチをポケットにしまって東堂をキッと睨みつける。

「ど・い・て」
「まあ聞け」
「まだあるの!?」

こちらの怒りにはもろともしない。東堂はすっ、とわたしをなだめるように片手をかざす。もう片方の手で眉間を抑えながらなにやら悩ましい顔をし始めた。知らんのよ、そんなに激しく恋に悩まれてもわたしは知らんのよ。
こうなったらもう気がすむまで相手をしてあげるしか打開策はない。次の授業までもうそんなに時間がないというのにほとほとマイペースだと思った。わたしは大きなため息を吐いて東堂が話し出すのを待つ。
しばらくの沈黙。鳴らないチャイム。悩める東堂。それらに囲まれて今の感情は「なんやねん」以外なかったけれどこうなってしまったらもう我慢するほかなかった。
そうして東堂の出方を伺っていたら急にカッ!!と目を見開き、ぐりん!と勢いよくこっちを向いた。

「俺の想いが本気だと、伝わっていないようだなデスティニー」
「ずっと思ってたけどデスティニーって呼ぶな」
「怖がるな。こっちへ来い。この手をとれば俺が必ずデスティニーをシャングリラへ連れて行く」
「セリフに新しいカタカナを増やすな!」

すっ…とわたしに向かって伸ばされる手。東堂の手はほかの男の人と比べてもなかなか見ないぐらい大きくて、体と同じようにごつごつと無骨だった。手と東堂を交互に見る。いつになく、と言いたいところなのに、悔しいことにこの男はいつだって真剣な目をしている。わたしを見るときはことさらだ、と加茂やんが言っていたのを思い出した。

(そういえば今日の日直、加茂やんとだったな。すぐ戻るつもりだったから黒板消しをバフバフしてこなかった。任せてごめんね加茂やん…)

教室に帰りたすぎて全然別のことを考えてしまった。わたしは別に東堂の気持ちを疑っているわけじゃない、ただシンプルに受け入れていないだけだ。それなのになぜか全然伝わっていないのでこんなややこしいことになっている。多分、本人のことが好きか嫌いかは置いておいて、呪術師としては本当に尊敬している気持ちがバレているからだと思う。頭はおかしいな、と思うけれど。
はあ、と小さく溜息を吐いてうなだれた。なんとなく東堂の足元が目に入る。そしてわたしは深く深呼吸をして、こちらを見つめる東堂の目をしっかりと見据えた。

「歌姫せんせえー!!!女子トイレに痴漢がァーー!!!」
「!!!」

大きな声を出した。歌姫先生は優しいので生徒の声を聞き逃さない。すぐに遠くから「何ィーーーー!!!」という声と猛烈な足音が聞こえてきた。そう。とうとうやった。東堂はミスをした。わたしをシャンシャン(?)に連れていくと手を伸ばしたとき、勢いあまって右足のつま先が5ミリぐらい女子トイレの領域に入り込んでいたのだ。
さすがの東堂も気づいておらずいきなりの大声にうろたえたのか、「何っ!?」とびっくりした様子で女子トイレからすぐさま離れて廊下をきょろきょろしている。いや、お前だよ。いや、ツッコんでる場合じゃない。その隙にわたしはすたこらと女子トイレから出て教室まで走る。
少しすると後ろの方で「痴漢はどこだ!?」「俺が気づいた時にはすでにいなかった」と会話する歌姫先生と東堂の声が聞こえてきた。
東堂はほんとに意味がわからないなと思ってわたしはちょっと笑った。



(『素直になれない2人編〜Foreign Loveはまだ言わないで〜』)*Twitter再掲
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