「すまない。俺には高田ちゃんという心に決めた――いやッ!!!!'"""魂'"""に刻んだ女がいる」
「ケーキ食べてる時に話しかけないで」

1ピース1500円。目の前には凄まじい単価で容赦なく財を奪う高級ケーキ、そしてこっちは頭のおかしい東堂。

この場の展開にツッコミ始めたらきりがないので、わたしはひとまずなにも見なかったことにした。けれども異様な圧に対し体は正直で、冷や汗が流れる。仕方ないので、ひとつぶまるまる乗ったシャインマスカットを口に運びながらなるべく薄目で東堂を見てみたら、「食事中に悪かったな」と素直に謝ってきた。しかしなぜか向かいの席に座られてしまった。なんにも反省していない。謝罪の概念が違うのかもしれない。
そのまま腕を組みながらこちらをじっと見る東堂。わたしはシャクシャク、とシャインマスカットをひとかみひとかみ丁寧に味わうことに集中しているのだけど、どんなに薄目にしても視界に東堂があふれてしまいだんだん味がわからなくなってきた。

この前の任務で失敗したわたしを励まそうと加茂やんがせっかく買ってきてくれた憧れの高級ケーキなのに、このままではシャインマスカットを見るたび東堂を思い出してしまう。豊かに実るエメラルドの果実、宝石のように輝くみずみずしい球体、その背後には東堂。東堂東堂東堂。――東ど、

「ヒィッ!!!」
「いきなり大声を出すな!なんだ!」
「(こ、コイツ…!)なんか…気持ち悪くなってきた…」
「迂闊にこの俺を見つめるからだ」
「迂闊じゃないよ凄い努力してるよ東堂が現れてからずっと薄目だよわたしは」
「だがわかる。俺も初めて高田ちゃんに会ったとき、魅力にあてられて目眩がした」
「びっくりするほどなにもわかっちゃいない」
「聞けなまえ。こんな歌がある」
「急!体調不良のクラスメイトの心配もせずオススメの曲紹介が始まる!」
「誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いてるよ」
「(宇多田……!?)」
「みんなの願いは同時には叶わない」
「(宇多田だ……!!)」
「偉大な歌だ」
「(高田と宇多田を同時に推すな………!!!!)」
「以上だ」
「(なんだったんだ!!!!)」

東堂という男は簡単にその場をパニックにすることができる。コミュニケーションもなにもあったものじゃない独白とも言える話の流れに、もはや声に出してツッコむことも忘れて呆気にとられていた。一体なにが起こっているんだ。
シャインマスカットはふたくちめぐらいまでは確かに美味しかった。それ以降の味は覚えていない。元々ぶどうは皮を剥がして食べる派なので、皮ごといったせいかもしれないと思った。生クリームは予想より甘くはなかったけれどあまり味もしなくて、これが1500円かあと不思議な気持ちになる。

フォークを置き、手を膝の上に乗っける。教室の電球の光をうけてきらきらしている1500円もといシャインマスカットのケーキを見下ろして東堂にはバレないように溜息を吐いた。
加茂やんと行った任務から帰ってきて、わたしはずっと食欲がない。とくに痩せたわけでもないのだけど、人はお腹がすいたままだと自動的に元気がなくなるらしい。好きなものを食べたら元気になるだろうという加茂やんの優しさ(1500円)の甲斐なく、結局また食べられなさそうだ。今回に関しては東堂のせいもあると思うけれど。

「さっきも言ったが、断っておくと俺には高田ちゃんという魂に刻んだ女がいる」
「わかってるよさっきからわたしが失恋したことにするのやめてくれる」
「本当にわかってんのか?これからなまえにふりかかる俺の罪深き優しさにときめいても知らねえぞ」
「ときめきどころかずっと意味わかんないよ」
「食えなくなったんだろ、飯」

膝の上で握った自分の拳を見ながら聞こえてきた言葉は受け止めるのに少し時間がかかった。やっと受け止めてもどう返事をしたらいいかわからなくてそのままずっと黙っていた。ぎゅ、と拳を握り直す。高田ちゃんのことしか真剣に考えていないくせに、どうしてそんなことがわかったんだろう。東堂って本当に変なやつだ。

任務のあと。とっくに過去になったはずのその日から、手のひらから命がこぼれていく感触がずっと消えないでいる。血で汚れた手ばかりが目に焼き付いていて、その手で食べ物に触れるたび食べ物にも血がついたように感じてご飯を食べられなくなった。きっと一時的なトラウマなんだろうけど、その壁が思ったより険しくて乗り越えるのに少し時間がかかっているみたいだ。
心のなかでは色々な感情が暴れ回っているのにどうしてか涙は全然出てこなくて、ただなにかに縛りつけられているみたいに心臓が苦しい。
うまく言葉を紡げなくて、はははと適当に愛想笑いだけをした。東堂は珍しく静かだった。

「なまえにはケーキじゃなくてこれをやる」

ばさっと頭の上になにかを被せられて、シャインマスカットのケーキが見えなくなる。

「…くさい」
「そんなわけあるか」

そう、そんなわけない。東堂は高専でいちばんいい匂いがする男だ。ふんわりと石鹸の香りがする東堂の上着が、世界の誰にも見えないようにわたしをすっぽり覆う。心臓の苦しいのが和らいだ気がして、その瞬間に視界がほんの少し霞んだ。
わたしのこの涙が一体なんの涙なのかは自分でもわからない。だから泣いてはいけないと思っていた。けれど、胸を締め付ける自分の無力さへの嫌悪感にはもう耐えられそうになくて、こうでもしないと心のなかから出ていかないことはわかっていた。
ぽろり。ひとつぶだけやっと涙が出る。はっ、と自分を鼻で笑って目をこすった。けれどそこからなかなか涙は止まってくれなかった。顔を濡らすたくさんの雫を拭いながらも頭はどこか冷静で、いまだに目の前に座っているであろう東堂を考えるとなんともシュールな状態に顔が緩んだ。

「東堂って、ほんとうは放っておけない女がタイプだったりする?」

泣きながらの軽口は、違うとか黙れとか、そんな否定の言葉で簡単に一蹴されると思ったのに返事はなにも返ってこなかった。上着の隙間から東堂のほうを見ると頬杖をついて窓のほうを見ている。

なあんだ、なんにも聞いてなかっただけか。それなら安心して泣いていられる。可愛くない嗚咽を出しても、きっと誰にも聞こえない。



(知らないまま終わらせて)*Twitter再掲
..