あんなに大きくそこにあったのに、たやすく砕け散った破片たちが目の前を舞っては落ちる前に空気に溶ける。多分いつかこんな風に、この気持ちもどこかへ消えていくんだ。知らないうちに、きっと。

「かっちゃん」

デク以外で俺をそう呼ぶのはなまえしかいなかった。デクにもなまえにもそんな風に呼ばれるのは好きじゃなかったが、やめろと言うとなまえは悲しそうな顔をするのでそれ以上は言わないでおいた。

なまえの呼ぶ声に足を止める。本当は止めてやらなくても良かったのだけど、俺を追ってくるなまえの声に立ち止まってしまうのは長年のクセだった。俺はなまえの顔を見ずに溜息をつく。多分、知ってる、何を言われるのか。なんとか納めていたはずの、腹の奥底にある熱い、けれど重い何かが瞬時に蘇る。世界が遠のくみたいに耳に靄がかかった気がする。じわり、と変な汗が、掌に滲んだ。

「なんだよ」
「うん、あのね、」

なまえは照れくさそうに笑う。それだけで、掌が燃えるかと思った。じわりと滲み出したのはニトロじゃない。冷たい汗がひとつ背中をつたう感覚がして、そのあとはじんじんと体の奥が熱くなったり冷たくなったりするだけだった。

「わたしね、切島くんと付き合うことになったの」

バカみたいにゆるんだ顔で、クソみたいに嬉しそうな声で言う。言葉の意味を理解して、想像の中で笑い合うお前と切島が見えてしまった。その瞬間、すぐとなりで重いものを引きずる音がした。ずるずる、ずるずる。いやもしかしたらもうずっと前からこの足音は聞こえていたのかもしれない。

お前が見つめているその視線の先に本当は誰がいるのかなんて気づかないわけがなかった。お前が俺を見るよりもずっと俺はお前を見ていたのだから。
ずるずる、ずるずる。
なにかが近づいてくる。真っ暗で大きな何かが、にたにたと笑いながら真後ろまでやってくる。きっと一生知らないでいられるはずだったそれが、絶望とかいうやつが、ずしりとその冷たい手を俺の肩にかける。そして、世界の温度がゼロになった。

きっと祝福されると思っていただろうなまえを生まれて初めて睨みつける。幸せそうな顔で笑うな。俺以外の横で、笑ったりするなよ。

「興味ねーよ、クソが」

背を向けて歩き出すけれど、きっとなまえはもう俺を追ってはこない。嫌な汗が吹き出て、掌は今にも燃えそうだった。自分の心臓を、心を、あいつとの記憶を、壊すならこれくらいだろうと考えて掌の上で小さな爆発を起こす。ほら簡単に、ぜんぶ砕け散った。



(どれくらいの心があれば)
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