建人くんはわたしに名前を呼ばれるのが好きなのだと思う。最初こそまるで助けを求めるようにあげていた声だったのに、いつしか建人くん、と呼ぶほどにわたしに重なる身体が甘く激しく動くようになった。
 汗ばんで顔に張り付く髪の毛を建人くんの長くて綺麗な指が整えてくれる。そのままその手に擦り寄るようにして目を閉じるのと、キスが落ちて来るのはいつも同じくらいのタイミングだ。わたしなんて簡単に閉じ込めてしまう腕のなかで、舌を食べ合いながら必死に呼吸をする。キスに集中したいのにどうしても漏れ出る声が抑えられない。苦しくなって顔をそらすと頭ごと抱きすくめられてすっぽり胸板におさまり、いっそう強く早く身体を揺らされる。建人くんの背中に縋りつきながら「けんとくん、」と呼ぶと応えるように額に優しくキスされた。ふいに抜ける力とやんわりなだれかかってくる重みが、愛おしくてこのままふたりで溶けてあってしまえたらいいのにと思う。

「結局こんな時間になって、すみませんね」
「どうして謝るの?大丈夫だよ、まだ1時だもん」
「……久しぶりなせいですからこれは」
「なにに言い訳してるの、建人くん」

 やけに真面目な顔をしながら言って、建人くんは横になったままわたしを抱きしめる。そういうことをしたあともそうでない日も、閉じ込めるというよりは大事なものを抱えるようにしてそうしてくれる。だからこの腕のなかはいつもあたたかくて幸せだ。シャワーを浴びたばかりのさらさらの素足をお互いに重ねたりさすったりしながら眠気を誘うのにちょうどいいほのかな熱に身を委ねている。
 お互いに任務続きでこうしてくっついて眠るのさえ久しぶりだった。本当はふたりとも疲れていたし、わたしは次の日もまた任務があるし、今日はゆっくり手を繋ぐくらいで終わると思っていたのに、一度くちびるに触れてしまえば結局とめることはできなかった。真っ直ぐ見つめられる瞳の奥にじんわり滲んだ熱と、こちらの意図を探るように腰を撫でる手は、きっと断れば何事もなかったかのように引っ込んでくれたのだろうけれど、それらが持つ芳しい甘さを十二分に知っているわたしでは、我慢なんてするのは到底無理なのだ。好きなひとに触れられたい、触れたいというシンプルな欲望に人類は勝つことができない。
 久しぶりという言葉のとおり、お預けから解放されたようにわたしたちは性急に求めあったものの、建人くんは味わうようにゆっくり執拗だった。ただ建人くんの味わいが長いのは別に今回が特別じゃない。最初からずっとそうだ。丁寧で優しくて、まるで宝物のように触れる。それだというのにわたしを見下ろす視線はずっと艶っぽくて、どうにでもされてしまいたくなる不思議な空気を纏っている。
 わたしの身体を甘く辿る建人くんの指を思い出してそっと手を握って顔に寄せた。少しざらついた指先に軽くキスをしていると、こちらを見つめる瞳と目が合ってお互いに口角がゆるむのがわかった。こつん、とおでこ同士がそっと触れ合う。

「明日、9時でいいですか」
「ううん。建人くん、眠っててよ。ゆっくりしてて」
「どうせ目が覚めるのでかまわないですよ」

 そういって額にキスをされてから、当たり前にくちびるにもキスをされた。しっかり手を繋ぎながら多幸感に包まれてわたしたちは目を閉じる。
 明日は午前中から任務だ。本人は否定していたけれど建人くんに懐いているらしい1年生の男の子と一緒にすることになった。任務が楽しみなんてことはないけれど、彼が一体どんな子なのかとても楽しみだった。

 虎杖悠仁くんはまだ子供だとは思えないぐらい強い呪術師だった。建人くんから聞いていた話で多少は予想していたけれどゆうにそれを上回った。それなのに、普通にしているとあまりに普通の男の子で、呪いの世界とはかけ離れた光のような笑顔がかわいらしかった。
 現場は運良く人死がなく、呪霊も低級だったためたいしたことはなかった。
 ただわたしはしくじって足を挫いてしまった。慢性的な痛みはそれほどでもないものの、自分の体重を支えるには痛みを伴うせいでひょこひょこと歩く。補助監督のもとへ向かっていたのに進むのが遅くていつのまにか虎杖くんの後ろに位置している。先輩なのに情けないと反省していると、いつのまにか立ち止まっていた虎杖くんのらしき背中にぶつかった。ぶっ、と変な声を出すわたしのほうに虎杖くんが振り向く。

「みょうじさん、もしかして足痛い?」
「痛くはないけど、ちょっと歩きにくくて」
「伊地知さんとこまでまだ歩くし、俺おんぶしよっか」
「えっ」

 おんぶ?高校生に?大人のわたしが?いくら相手が結構強い男の子だとしてもそれは憚られた。いいよいいよ!と全力で断ると虎杖くんは心底心配そうな顔で「えーでもなんか痛そうだよ」とわたしの足と顔を交互に眺める。

「あ、でも女の人におんぶって変?」
「そういうんじゃない、そういうんじゃなくてね虎杖くん、」
「じゃあ抱っこにするね」

 じゃあ、の意味がまったく分からないまま気づいたら抱き上げられていた。わたしは自称平均体重なのでそれほど重くないはずだけれど、それにしたって軽々と持ち上げられてしまった。それでいて虎杖くんはわたしの重さなんてないかのような足取りで、むしろふたりで歩いていたときよりも幾分か早く、すたすたと補助監督の待つほうへと進んでいった。
 高校1年生というまごうことなき子供だというのに、わたしを抱える腕は力強くて、触れ合う身体もずっと固かった。太く筋張った首元が視界に入って、やっぱり男の子なんだなあとのんきに感心していると、わたしの視線に気づいた虎杖くんに見下ろされ「どうかした?」と無垢な瞳で聞かれてしまう。なんだか大人として色々なことが恥ずかしくなって、虎杖くんにお姫様抱っこをされながら自分の顔を両手で覆い、「ごめんなさい」と思わず謝ってしまった。
 補助監督の伊地知くんのところに着くと「どうしたんですか」と聞かれた。わたしはもう情けなくて恥ずかしくてずっと顔を覆っていたのでちゃんと見ていないけれど、おそらく引かれた顔をされていたのだろうことは声色から手にとるようにわかった。このことは誰にも、とくに建人くんには言わないでほしいとこっそり念押しした。虎杖くんは、そっとわたしを車の後部座席に座らせてくれて「任務完了!」と眩しく笑っていた。呪術師には珍しい明るさを持っている男の子。太陽のようだと、思った。

 それからは、高専に行くと虎杖くんとよく顔を合わせるようになった。彼が元来人懐っこく他人に対して分け隔てのない気質だというのはすぐにわかり、仲良くなるのに時間はかからなかった。他人を否定せず、個々として当然に受け入れることのできる度量がありながら、その器は穢れなく、少年のまま。人好きのしそうなその天性の雰囲気は大人になった今だからこそ余計に眩しく、特別なものだと痛感する。
 死と、それも凄惨な現場にばかり居合わせるわたしたち呪術師はそのキャリアが長くなるほどにどうしても人格が仄暗く変わっていく。その暗闇に飲み込まれる人も少なくない。そんななかでわたしみたいなたいしたことのない呪術師がこうして正気を保っていられるのは、建人くんがいたからだった。けれど最近は、暗闇のなかで虎杖くんを思い出すことが多くなった。太陽のように眩しくて、あたたかかくて、無垢な虎杖くん。彼を見ると心が浄化される気持ちになる。もちろん建人くんに向ける気持ちとはまったく違う。自分でもこんな気持ちを持っていたことに驚くぐらい純粋な癒しだった。
 虎杖くんは映画の話をよくしてくれた。なかには建人くんの読んでいる小説が原作になったものもあったので、詳しくないわたしでも都合よく話が合った。虎杖くんからDVDを借りて、ひとりで見たり建人くんと見たりして、その感想を虎杖くんに話す。ときには建人くんから原作の小説を借りて、虎杖くんに映画との違いを教えてあげた。一度、新作の公開映画で観たい作品が被ったけれど、さすがに高校生の男の子を連れ出すのは気が引けて誘うことができなかった。建人くんと観に行って、その感想をまた虎杖くんと話すにとどめた。それでも十分楽しくて、わたし達は呪術師の先輩後輩からすっかり映画友達になっていた。

「建人くん。これ悠仁くんから借してもらったんだけど、一緒に見ようよ」
「好きですね、映画」
「悠仁くんと話してたら好きになっちゃった。これね、絶対なまえさん好きそうって」

 目をキラキラさせながらわたしにDVDを渡してくる悠仁くんを思い出すと自然と顔が綻んだ。高専に寄って悠仁くんに会いにいくとこちらに気づくなり子犬のように駆け寄ってきてくれる姿は、あまり仲のいい後輩がいないわたしにとっては新鮮で、正直とてもかわいらしい存在だった。自分でもとくべつにかわいがっている自覚がある。
 ソファに座って、となりの建人くんへ映画のおねだりをする。えへへ、と緩みきった顔をDVDで隠すようにしながら返事を待っていると、すっとDVDを取られて視界が開ける。そこには珍しく、なんだか面白くなさそうな顔をした建人くんがいた。

「この前まで虎杖くん、みょうじさん、だったのに。随分仲良くなったんですね」
「悠仁くんがね、悠仁でいいよって。俺もなまえさんって呼んでいい?って」
「…この前私と映画に行ったとき、虎杖くんも早く見てくれないかなあ、って言ってましたよね」

 かちゃ、と建人くんが眼鏡を外して静かにテーブルに置いた。DVDのパッケージを裏表にひっくり返して眺めているけれど、タイトルやスタッフを見ているわけでは絶対にない。ひやり、と背中に冷たい汗がつたうような錯覚。多分、初めて見た。こんなふうにあからさまに機嫌の悪い建人くんを。動向を見守っているとDVDもそっとテーブルの上に置いた。洋画の、おそらくラブロマンスであろうタイトルのほうは伏せられている。建人くんの視線がこちらに戻って鋭く射止められる。ほとんどわたしのほうを向いている身体になんだか追い詰められている気がして、建人くんのほうを向くことができない。
 だって悠仁くんは高校生で、ほとんど初めてできたような後輩で、かわいくて、太陽みたいで。頭のなかに色々な言葉が浮かんできても、どれも建人くんには正しく伝わらないような気がしてなにも言えなかった。
 ぐっとくちびるを噛んで下を向いていると、くいっと顎を掴まれて半ば強制的に建人くんのほうを向かされる。

「私だけじゃあ、退屈ですか…?」

 それは一瞬だったけれど、細められた目が、歪んだ眉間が、少し泣きそうに見えた。
 「違う」と咄嗟に言おうとしたのに言葉ごとキスに飲み込まれてしまった。そのまま軽々と頭と身体を引き寄せられて建人くんにぴったりとくっつく。開いた口に入り込んでくるなまぬるい舌が聞き慣れない水音を立ててなかを貪る。反射で閉じた目を恐る恐る開けると、そらさずわたしを見つめる建人くんと目が合った。あんまり真っ直ぐだったのでどうしてかいたたまれなくなってすぐに目を閉じると、キスは余計に激しくなった。なにかをぶつけるように何度も繰り返されてわたしは建人くんにしがみつくしかなくなる。
 衝動のような勢いで始まったというのに、なおも優しいこの人は、わたしの頭に手を添えながらゆっくりとソファに押し倒した。キスはやまないまま、服の上から身体の線を辿り、あの綺麗な指が素肌に触れる。びくりと身体を震わせると、建人くんのくちびるが少しだけ離れた。揺れる瞳には、確かにわたしが映っている。

「なまえ、好きですよ、私は。あなたのことだけが」

 わたしも、と言いたかったのに。建人くんは答えを知るのを怖がるかのようになにも言わせてくれなかった。抱かれながら譫言のようにただ名前を呼ぶ。愛しいという気持ちを込めながら、できるだけたくさん呼んだ。建人くんからの返事はなかったけれど、頭の横で指を絡めた手が痛いくらい強く繋がっていたのできっと大丈夫だと思った。

 いつもの浮かび上がりそうなまどろみがうそだったみたいに、すべての体力を持っていかれたような倦怠感でわたしはほとんど眠りそうになっていた。裸のまま、後ろから建人くんに抱きすくめられている。背中や首筋にてんてんとキスをされ、時々ちりっと痛みが走るけれど気にする気力はなかった。後ろから伸びてきた建人くんの腕を抱きしめるようにして、その手に擦り寄る。建人くん、と小声で呼ぶと、応えるように彼の腕に力が入った。その力に安心して目を閉じる。好きだよ、と言ったのは、現実か夢のなかかわからない。









「ごめんね、これ見る暇なかったからいったん返すね」
「えー!見てからで全然いいって!」
「でもいつになるか分からないから…」
「そっかー」

 高専に行く日、悠仁くんに連絡をしてDVDを返した。建人くんと変な感じになってしまった罪悪感があって、ひとりで見る気分にもなれなかった。せっかくわたしのために選んでくれたものなのに申し訳なく思いつつも、悠仁くんはやっぱりからっと受け止めてくれた。
 DVDを返したら建人くんに連絡をして仲直りをしようと思っている。別にケンカをしたわけではないけれど、悠仁くんと仲良くしすぎて少し酷い態度をとっていたのかもしれないと我ながら反省した。悠仁くんが残念そうに「これ絶対好きだと思ったんだけどなー」と言っているのにごめんね、と返していると携帯が短く鳴った。確認するとちょうど建人くんから連絡が来て、心が少しだけ軽くなった。すぐに返信をしようと携帯を見ていると、悠仁くんに「なまえさん」と呼ばれる。

「このあと時間あったりする?」
「うん。大丈夫だけど」
「じゃあさ、俺の部屋で見てかない?」

 名案だ、と言わんばかりの曇りのない目で言われてしまった。とくに断る理由もなかったのと、「他に良さそうなDVDあったら持ってってよ!」と楽しそうに言われたので悠仁くんに誘われるがまま部屋に行くことにした。建人くんへは、今日建人くんの任務が終わったら会いたいと返信をした。

 悠仁くんの部屋は思ったより片付いていて、高校生男子らしく壁には好きなのであろう女性のポスターが貼られていた。こんなにザ・男の子なのに意外と好きなタイプが見えにくい悠仁くんの好きになる女性が外国人女優というのには妙に納得感があった。
 座布団がないからとベッドに座るよう促されて、申し訳なく思いながらも懐かしい寮のベッドに腰を下ろす。悠仁くんはDVDプレーヤーにDVDをセットしてから、「コーラしかないけど」とコーラとポテトチップスを手際よく出してくれた。さっさとわたしの隣に座って「さあ見るぞ!」とはしゃいでいる悠仁くんと、わかりやすいお家映画の鑑賞スタイルに、やっぱりかわいいな、と笑いがこぼれる。ひとりでくすくす笑っているとじっとこちらを見つめる悠仁くんと目が合った。

「よかった。なまえさん笑ってくれた」
「え?」
「なんか今日、元気なさそうだなーって思ってさ。なんかあった?」
「……」
「や、別に無理して話さなくていいんだけど。まあでも俺の部屋ならゆっくり話せるかな、つーか…」

 少し茶化しながら笑っていう悠仁くんの顔を見ていたら胸の奥が苦しくなった。顔をぽりぽりとかくふりをしながら、黙り込むわたしの様子を伺っている。悠仁くん、わたしのかわいい後輩の男の子。一緒にいると心が綺麗になったように思えてどうしようもなく心地がいい。けれどこの感情をどう説明したらいいのかわからない。建人くんにあんな顔をさせてしまうのは嫌なのに、それでもこの子から離れようとは思っていない自分の気持ちに、いちばん戸惑っていた。そうしてぐるぐる考えていると「なまえさん?」と、まるで大人が子供を呼ぶように優しい声に呼ばれる。わたしを覗き込んでくる、光を受けてきらりと光る目。そんな悠仁くんを見ていたら自然と手が伸びて、彼の頭をやわやわと撫でていた。
 ワックスのちょっとベタついた感触が手についた。髪型を崩したら怒られちゃうかな、と心配になって手を引っ込めようとしたとき、やんわりと悠仁くんに腕を掴まれる。やっぱり、年頃の男の子のせっかく決めた髪型を崩してしまいかねない行動はよくなかったみたいだ。そう思って、ごめん、と言おうとしたのにそれはできなかった。

「なまえさんは簡単に俺にさわれるんだな」

 とさ、とやけに静かな音でわたしはベッドに倒れ込んでいた。正確には悠仁くんに押し倒されていたのだ。ふたりでベッドに腰掛けていたのだから、こんな体勢になるのはたやすい。でもまさか、こんなことになるなんて思っていなかった。頭の横で、わたしの手を押さえるというよりほとんど繋ぐようにして悠仁くんの手が置かれている。初めて見上げる悠仁くんの顔は、どこか切なそうな、なにかを許せなさそうな顔だった。ふと視線を動かすと悠仁くんの首筋が目に入る。
 ああ、初めてじゃない。ふたりで任務をしたとき、悠仁くんに抱っこされながらわたしはこの子を見つめていた。建人くんのような、男のようなこの首筋を忘れたことなんて、本当は一度もなかった。
 なにも言えないでぼうっとその顔を見つめていると、頭の横で繋がれていた手のかたほうがわたしの頬を包んだ。形を確かめるようにゆっくり触れる手はあたたかくて、少しだけ震えていた。その震えをとめてあげたくて、わたしは愚かにもその手に自分の手を重ねる。一瞬びくりと反応したものの、すぐにこちらの熱を受け入れて、また頭の横で手のひらを押さえられる。
 ぎし、とベッドのスプリングが鳴って悠仁くんが両足で挟むようにしてわたしにまたがった。これでもう逃げられない。やっと事態を飲み込んだ脳みそが「悠仁くん、」とただ名前を呼ぶだけのことをする。

「なまえさん、好き」
「悠仁く、」
「好きだよ。気づかなかった?全然?」

 ぞくぞく、と身体のどこか、底のような場所からなにかが込み上げてくる。誤魔化しようのないくらい一気に心臓が早く大きく跳ねた。わたしはきっと抵抗しなくちゃいけない。そう思うのに声も出ない。身体に力が入らない。視線はずっと悠仁くんのぎらぎらと揺れる瞳に奪われていて、このまま身を任せてしまえばいいと誰かが耳元で嘯く。けれどそれに負けてしまうほど良心が薄いわけではなかった。やっと身体に力が入る。せめて起きあがろうとして少し腕に力を入れたら、それ以上の力でぐっと押さえられてしまった。悠仁くんの指は太くて硬くて、身体はずっと大きくて、わたしの手ではどうしたって押し返せない。
 わたしは今どんな顔をしているだろう。じっと悠仁くんを見つめて、都合よく、思い直してこの手を離してくれないかなと思った。自分はそうしてとまだ一言も彼を拒絶していないというのに。
 ベッドが軋んだ。悠仁くんが倒れ込んできて咄嗟に目を瞑る。ちゅ、と首筋にくちびるが当たった。わたしのそこに顔を埋めてかすかにくちびるで触れながら、ゆっくり動いてこめかみに辿り着く。そのあいだまるで慈しむように何度もやわらかいキスをされた。その度にまた身体のどこかがぞくぞくと震えて、誤魔化すように手に力を込めて悠仁くんの下でもがくのだけど、指を絡ませ直されるだけで意味がなかった。
 真横にある悠仁くんの息遣いが聞こえる。荒くない、冷静なその吐息にわたしはやっと気づいた。悠仁くんは高校生で、ほとんど初めてできたような後輩で、かわいくて、太陽みたいで。でも、ちゃんと男だった。耳元で聞こえる声が頭のなかに静かに響く。

「ねえ、キスしたい。だめ?」
「だめ、だよ…っ」
「どうして?」
「悠仁くん、悠仁くんっ」
「お願いだからもっとちゃんと嫌がってよ」

 さっきまでと違う絞り出すような悲痛な声に心臓が揺らいだ。自分の身体から力が抜けていった。それを見逃さないように、さっきまで力任せに握りしめられていた手がやわやわと優しい力で握り直される。一瞬だけ目の合った悠仁くんが、ひどく、幸せそうな顔をしていたのが見えた。
 ゆっくり触れる、建人くんと違って少しだけかさついたくちびるが、探るように何度も何度もわたしのくちびるに触れた。そこにいるのを確かめるように繋がれている手を親指ですりすりと撫でられる。

 ベッドから遠いどこかで携帯が短く震える音がする。きっと建人くんだ。わたしが会いたいって言ったから、残業しないで時間を作ってくれたんだろう。今日は何時に終わるんだっけ。悠仁くんにバレないようにこっそり部屋の時計を盗み見てから、わたしは安心して目を閉じた。



(CRAVING)
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