「今日はなに作ったの?」

 なまえのまるい目が俺を見る。その眼球はたまに光ってるように見えるから、不思議な奴がいるもんだなと思った。
 俺の作った、大人からしたらほとんどオモチャみたいな科学のかけらたちを部屋で広げては、ああだこうだとイチから全部説明してやるのに、お前はいつも分かったような分からないような曖昧な返事をしてから「千空はすごいね」と笑う。
 その顔を見てると、俺の視界はちかちかする。ここには蛍石も方解石も琥珀もルビーも、星だってないのに可笑しい。今日は特に原因が気になってたくさんの本で調べてみたが結局何も分からなかった。もしかしたらあいつの目は人より水分量が多くて、特別に光を反射させるのかもしれない。

 本棚からやっと取った分厚い本を落とさないよう慎重に運んで床で開いた。小さくて細かい日本語と暗号みたいな数式がずらずら並んでいる。まだ知らない言葉の意味を調べながらひとつひとつを見逃さないようにじっくり読み込む。こういう時、理解することに集中するからどうしても隣で一緒に読んでいるなまえのことが頭から抜けてしまう。
 その日もそうだった。「むずかしくて分かんない」と言いながら、時々もれる俺の独り言を頼りにまた分かったような分かってないような曖昧な返事をするなまえ。本を半分以上読んだ頃、その声が聞こえなくなっていたことに気づいてハッとするとタイミングよく肩にもたれかかってくる熱い体温を感じた。

「…なまえ?」

 聞こえていないわけがない距離なのに返事は返ってこない。代わりに苦しそうな荒い息使いがすぐ傍で響く。頬だけが不自然に赤みを帯びていて、額にはじわじわと汗が滲んでいた。振り落とさないように、正面から支えるようにして抱き抱える。少し触れた手がやけに熱くて、それとは反対に自分の心臓が嫌な感じで冷えていくのを感じていた。
 それからすぐに白夜が帰ってきたのが不幸中の幸だった。なまえをそっと床に寝かせてから、のんきな髭面に事の成り行きを訴えると血相を変えて俺の部屋に走っていった。追いかけるようにしてついていくと、さっきよりも目に見えてぐったりしたなまえを抱える白夜がいた。

「千空は家で待ってろ!」

 見たことない切迫した表情でそう言い残して、白夜は家を出て行った。車が走っていく音が聞こえたから、なまえは病院にでも連れて行かれたのかもしれない。安心したような、そうでもないような変な気持ちが残る。人形みたいに軽々と運ばれていくなまえの姿が頭に焼きついてその日はなかなか眠れなかった。
 日常が変わるのは突然だったが、昨日の流れを考えたら当然のようにも思う。次の日からなまえは俺の家に来なくなった。気づいたら毎日のように一緒に何かしらやっていたから、どこか拍子抜けしたような気分だ。まだ具合が悪いんだろうと予想できたから白夜には何も聞かないでいたのに、「なまえちゃん、元々体弱いみたいでな」とのことだった。
 そんなのわざわざ言われなくてもなんとなく分かる。俺より体力がないし、体育は見学ばっかだし、小学校もわりと休むし、月の光みたいに色が白いし。だから白夜が、どうしてそんな泣きそうな顔をして言うのかが分からなかった。
 それから2週間と3日目、なまえが入院することになったと担任から聞かされる。帰りの会では、みんなであいつに手紙を書いて元気を出してもらおうという話で盛り上がって、明日までに書いてこいという変な宿題まで出た。手紙が病気を治すわけでもないのに、なんだか非科学的で非合理的な提案だと思った。そんなふうに思いながらざわめく教室のなかで俺ひとりだけが静かにしていた。隣の席で大樹が「俺もたくさん書くぞ!」と燃えている姿さえ、まるでノイズで邪魔される映像みたいに遠く感じる。頭の中だけ、冷たい血が流れているみたいだ。
 帰り道では、大樹が手紙に何を書くかああだこうだと話していた。俺は時々大樹の間違った日本語を正してやりながら、足元の石ころを蹴って歩く。

「千空が今はロケット作ってるって言ったら、きっとなまえはおどろくだろうな!」

 何回目かの蹴りで石は割れた。なまえと会えない日が続いても俺のやることは何も変わっていなくて、むしろ没頭レベルが上がってるぐらいだ。実験が失敗しても成功しても、ただ本を読んでるだけでも、あんまり一緒にいたからあいつがどんな顔をするか想像できる。そう、簡単に、思い出せるんだ。

「千空はどんなこと書くんだ?」
「…俺は書かねえ」









「かわいい!ロケットの模型だ!」
「いやかわいくはねえだろ」

 真っ白なベッドの上で、死ぬほど不釣り合いなロケットの模型を待ってなまえがはしゃいでいる。近くのキャビネットの上にはそれこそ"かわいい"花が生けてあって、その言葉はこういうのに使うもんだろうと思ったが、昔から俺と同じそういう気質の奴なのでつまらないことは言わないでおくことにした。
 なまえはあれから入退院を繰り返していて、それでもなんとか学校には通っている。昔にいつも俺の部屋や近くの河川敷でしていたことを、今ではなまえのいる病室でしている。場所が変わっただけで俺たちは何も変わっちゃいなかった。俺が作ったなんやかんやを、なまえが目をまるくして見る。その度に昔と同じようにお前の眼球が光って視界をちかちか照らす。それだけの日々を、ずっとここで過ごしている。

「わたしも宇宙に行きたいなあ」
「んな気軽なもんじゃねーぞ。だいたいテメー泳げねえだろ」
「えっ!?泳ぎ関係あるの…?」
「あ"ー?白夜から聞いたことねえのか?」
「なにを?」
「あいつ…カッコつけてそこだけ話してねえなこれは…」

 白夜が宇宙飛行士試験に落ちた時の話を改めてすると、なまえは自分も泳げないくせにころころと笑った。揺れる肩に合わせて、昔よりずっと伸びた髪がさらさらと流れていく。口元を覆う手は、同じように時間を進んできたはずなのにあの頃のまま小さく見えた。
 真っ白な空間のなかでお前だけに色がある。それなのにどうしてか、この白のなかに消えていきそうな気がした。あり得るはずもない非科学的な妄想をかき消すようになまえが見たいと言ったものは全部作って待ってきた。ゴテゴテの科学アイテムでこの部屋をごちゃごちゃさせれば、仰々しい儚さを演出する空間も少しはマシになると思った。それがいちばん、なまえと俺の灯火にもなる。

「まあいいや!それなら泳げなくても宇宙に行けるようになるまで待ってるもんね」
「バーカ。どんなに科学が発達したって訓練は必要だっつの。宇宙サマの無重力ナメんな」
「大丈夫だよ」
「出・た・よ。根拠もねえのに…」
「…だって、千空が作ってくれるんでしょ?わたしでも宇宙に行けるような、スーパーアイテム」

 まるで願うようになまえの瞳は揺れていて、それでも世界の光をうけて煌めいていた。
 ちかちかするんだ、ずっと昔から。
 お前を見るたび、俺は宇宙を思い出す。解き明かせそうなのにすべてを知るのが勿体無くて、釘付けになったままでいる。出会ったその日から目を逸らしたことは一度もない。でもこいつはきっと知らないんだろうな、そんなことは。
 ロケットの模型をなまえがそっと抱きしめる。前に会った時よりやっぱり指が細くなっている気がした。そんなに大事そうに抱えなくたっていいのに。壊れたらいくらでも作り直してやれるんだから、わざわざお前の力をかける必要はない。
 なまえは目を伏せながらぽつりぽつりと話を続ける。澄んだ静かな声は、なんだか病人みたいだった。

「今度ね、いつもより長く家に戻れるみたい」
「ほーん。良かったじゃねえか。白夜に寿司でも奢らせっか」
「ふふ、いちばんはしゃぎそうだね。でも、大丈夫」
「あ"?どっか行きてえところでもあんのか」
「…千空の部屋に、行きたい」

 知らないものがたくさんあって、きらきらしてて、宝箱みたいで大好きだったから。
 もう戻ることはできない思い出を浮かべるみたいな顔をして言う。バカだこいつは、ほんとうにバカだ。そんな遠いものみたいな雰囲気を出さなくたって、お前が望むならちゃんと叶う。俺の部屋なんて余裕だし、宇宙に行くことですら、夢なんかで終わらせたりしない。
 ちかちかする視界のままなまえを見つめる。真っ直ぐな視線がすぐに俺をとらえたが、頼りなげに睫毛が震えていた。
 部屋のなかを照らしていた太陽はいつのまにか夕焼けになっている。深海へ落ちるついでになまえのことを連れ去りそうだったから、お前が俺の作ったロケットにそうしているように、できるだけしっかりと抱きしめた。
 熱くも冷たくもない体温は少しだけ無機質に感じて、俺の熱を分け与えるように力を込める。何の匂いもしない髪に顔を寄せてそのまま目を閉じても、ちかちかは止まなかった。



(child universe)
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