達人くんのチームメイトだと言って紹介された隠岐くんはハッとするような格好いい男の子で少しびっくりした。彼だけにしかないどこか特別な雰囲気をまとっていて気を付けていないと目を奪われてしまう。「まあ、仲良くしたってな。俺より仲良くなったらあかんけど」と言いながら肩をぽんと軽く叩く達人くんの、照れくさそうな顔を見てわたしはやっと我に返った。

「ええなあ、イコさん」

 それでも、わたし達を微笑ましそうに眺めながらそう言った隠岐くんの顔は今でも頭に残っている。

 達人くんはボーダーの任務で忙しくて、たびたび授業を欠席することがあったし、デートがドタキャンになるもの珍しくなかった。最初は寂しい気持ちもあっていじけてたこともあったけれど、ネットニュースに「深夜未明、ボーダーの戦闘によりネイバー迎撃」なんていう記事を見かけるようになってからは、どんなときだって平気な顔をして会いに来てくれる彼の優しさに気づいて気持ちに折り合いをつけることができるようになった。
 例えばその優しさのひとつとして、彼はわたしの言ったことをなんでもマメに覚えていてくれる。今日だってこうして、自分でも言ったのを忘れていたような行ってみたいと話したカフェに連れてきてくれた。
 お店の中はオシャレな雰囲気に反してがやがやと話し声が響いていた。ログハウスにありそうなウッドテイストのテーブルの上には、変な名前の甘いミルクティーと難しい名前の綺麗な色の炭酸ジュースが並んでいる。隣同士に座る形のカップルシートに通されたのものの、わたしと達人くんのあいだはバッグ一個分ぐらいの距離が空いていて、その隙間が逆に意識しあっているみたいでちょっとだけ照れる。

「ここオシャレすぎてちょっと照れるわ」
「ふふ、そうだね」
「…」
「どうしたの?」
「いや、なまえちゃん映えとるな〜思て」

 ミルクティーを飲みながら笑っていると達人くんが真面目な顔でそんなことを言うので急に飲めなくなった。映えてるってなに…と思わず呟くと、それが聞こえたのか聞こえていないのか「なまえちゃんの写真撮ってええ?」とスマホをかまえられたのでやだやだとなんとかそれを阻んだ。しょんぼりしながら自分のドリンクを飲む彼の姿は、映えというわけではないかもしれないけど、かわいくてわたしもちょっと写真に撮りたかった。
 じっと見つめていると達人くんがまたすぐにこっちを向いた。視線に気づかれたのかと思ってどきっとしたけれどそうではないらしく、またスマホをかまえている。

「せやったらふたりで撮ろ」
「それはいいけど…待ち受けとかにしちゃだめだよ」
「…なんで?」
「は、恥ずかしいからだよ!達人くん、ロック画面にするじゃん!」
「ホーム画面もやで」
「そんなキメ顔で言われても…!せめてホーム画面だけにしてよお…」
「それはできんねん。すまん。ほんまそれは無理。ほんま無理やねん。ほんまにもうマジで」
「(すごい頑なだ……)」

 わたしの懇願も虚しく達人くんは一切の譲歩もなく断った。観念して諦める素振りを見せたけれど本当に心底嫌なわけではない。好きって言われなくても好きって言われているみたいで、一緒にいるだけでくすぐったい気持ちになる。
 達人くんがスマホのカメラをインカメにしてかまえたので、わたしも恥ずかしながらちゃんと顔を作ってそっちのほうを見る。カシャ、とシャッター音が何回か響いてどんな写真かをふたりで確認しあう。最初はバッグ一個分くらい離れていた距離が、いつのまにかなくなっていた。
 前に撮った写真にもさかのぼって思い出を語っているとふいに電話がかかってきた。達人くんのスマホの画面には”隠岐孝二”と表示されている。何も、ないはずなのに、心臓がびくりと動いた気がした。「ちょっとすまん」と言いながら席を外して電話に出る彼を見送る。任務の連絡だろうか、ただの暇電だろうか。達人くんが戻ってくる間、わたしは隠岐くんの顔ばかりが浮かんでいた。
 たいした時間ではなかったように思う。それでもしばらく待ったような気持ちで戻ってきた達人くんを迎える。いつもと同じ表情だったけれど、どこか浮かない感じだった。その原因はだいたい急な任務のお知らせだ。

「ほんまにすまん…。この後ボーダー行かなあかんくなった…」
「ううん、いいよ。任務なら仕方ないもんね」
「……ごめんな、なまえ」

 達人くんは表情がくるくる変わるタイプではないのに喜怒哀楽がわかりやすい。わたしが今感じている寂しさよりもずっとずっとつらそうな顔をしてこっちを見るから、胸が痛くなる。

「こんなんばっかやけど、俺なあ、いつもなまえともっと一緒におりたいなあて思うとるよ」
「うん。わたしもだよ」
「ぐ、このまま持ち帰ってしまいたい…神様…」
「た、達人くん…(神様…?)」
「…今日、ほんまは話したいことあってな」
「え、」

 急に緊張が走った。一瞬で血の気が引いていくように、指先がびりっとする。気まずそうに目を反らされて嫌な予感が煽られる。「達人くん…?」と呼ぶと、彼は自分のウェストポーチからなにかを取り出した。

「俺の部屋の合鍵、持っとってほしいな思て」
「いいの…?」
「おう。一個おかんに渡してもうてるからこの前やっと作ってん。いつでも来てええからな」

 少しだけ赤い彼の頬は、今日どんな気持ちでわたしと会っていたのかを想像させるのには十分すぎるくらいだった。自分のゲンキンさに吃驚するぐらい胸がいっぱいになってなんだか泣きそうになる。いつだってわたしと過ごす時間のことを大切に考えてくれる達人くんが好きだと思う。抱きつきたくなるのをぐっと堪えて、鍵を受け取った。彼もまた安心したような穏やかな顔をしていた。
 まるで告白して気持ちを確認しあった時のように満たされて、えへへとにやつきながら達人くんにくっつく。腰に回された大きな手がおんなじ気持ちであることを教えてくれた。

「そんで早速なんやけど。今日、俺んちで待っててほしいって言うたら怒る?」

 ふいに耳元で囁かれた声に返事を返せずに振り向くと、初心さをはらんだ困った微笑みで彼がわたしを見つめていた。そういうことなのかそういうことじゃないのか、どっちでもよかったけれど、そんなふうに伺われたら照れてしまう。声に出すのが恥ずかしくてこくんとゆっくり頷くと、達人くんは少しだけ腰を引き寄せて一瞬だけわたしの頭にキスをした。
 いつもなら離れがたく思うのに、このあと待っているふたりの時間を想うだけで、気恥ずかしさと嬉しさで頭の中が変なふうになりそうだった。心臓の音がうるさい。別に初めてなわけじゃないのに、こんなにもドキドキする。誤魔化すようにミルクティーに手を伸ばすのと、達人くんがスマホを見るのは同じタイミングだった。ごく、と一口飲んだところで、「あ」と声が聞こえる。

「隠岐、来たみたいや」

 ごくん。と思わずもう一口飲んだ。そっか、と適当な返事しかできなかった。
 そろそろ出ようという雰囲気だったのでそれは良かったのだけれど、ふいな登場人物になんだか気持ちが追いつかなかった。そうやってもたもたしているあいだに達人くんがさっさと会計をすませてしまう。お礼を言いつつ自分の分を出そうとするけれどいつも通り彼は受け取ってくれなかった。財布をバッグにしまいながら店を出る。財布の表面に覚えのない傷がついているのが見えた。どこで引っ掛けたんだろう、やだな、気に入ってたのに。
 店を出ると、まず達人くんが彼に気づく。「おう、隠岐!」と呼ばれて振り向いた彼は達人くんを見たあと、すぐにわたしを見た。その視線が少し怖く感じて達人くんの後ろに隠れるようにして一歩下がる。

「いやいや〜、デート中にすんません」
「ほんまやで。現地集合でええやろ」
「や、でもやっぱ隊長の彼女さんには挨拶せなと思って。俺、そういう礼節重んじるタイプやから」
「まあそれは大事やな」

 彼はわたしを確実に視界に入れていた。話題だってわたしのことなのに、こっちには話しかけようとしてこない。不自然なくらいに蚊帳の外に出されている。自分から隠れたはずなのにそれが少しもどかしく感じた。
 だんだんと悪くなる居心地に自分の足元を見ていると、「みょうじさん」と呼ぶ声がする。顔をあげるとこちらを見下ろす彼と目が合ってしまった。

「詳しく言うたらあかんのですけど、今日は多分早くすむやつやからすぐイコさんと会えると思いますよ」
「ちょ、そんな俺らが離れたら死んでしまうラブラブカップルのようなはずいこと言いなや隠岐。イコさんを照れさすな」
「いや、今のはみょうじさんを照れさそう思ったんですけど…」
「まあええわ。基地行く前になまえのこと駅まで送ってええか」
「もちろん」
「え、大丈夫だよわたし、」
「…ん?って、あかん!店にスマホ忘れた!」
「ベタやなあイコさん」

 わたしの言葉よりも早く達人くんの大きな声が響いた。「すまん!ちょい待っとって!」と言いながら店の中へ戻っていく。隠れていた壁が唐突になくなってしまい逃げ場がなくなってしまったような気持ちになる。
 残された、ろくに会話もしたことのない二人のあいだには気まずい沈黙が流れる。バッグの持ち手を必要以上に強く握ってみる。わたしは彼のほうを見ないように必死だった。

「…なんか俺、怖がられてます?」
「いや、そんなことは…」
「だってみょうじさん、全然こっち見てくれへんやん」

 寂しげな声色にどうしてか心臓が跳ねて自分でも驚くくらい勢いよく彼のほうを振り向いた。まるでなにかをねだるような目つきがわたしを見ている。ダメだと思った。気を付けていないと、目を奪われてしまうのだ。

「やっと見てくれた」

 その目が三日月のような形にやわく曲がっていくのがスローモーションで見える。眼球に映るわたしの形がゆっくり歪んでいく。微笑みが美しくて目を離せなくなりそうだった。
 一歩、彼が近づいた。わたしは後ずさるのを忘れてしまったように動かなかった。上から覗きこまれると、ひどく甘くていい匂いが、鼻についた。

「俺と目合うの、そんな恥ずかしい?」

 そんなふうに、囁かないでほしかった。顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。彼に見つめられるとなにも言えなくなる。じわじわと耳までに熱を感じて、ここにいるのさえ辛くなる。わたしは最後の力を振り絞るようなそんな大げさな感覚で、隠岐くんを見つめた。

「あー、よかったよかった。あったわスマホ」

 扉についた鈴の音が夢を覚ます合図のように鳴って、我に返った。達人くんがスマホを持って戻ってきた。彼といえばすかさず「イコさんしっかりしてくださいよ〜」と軽口を言っていて、さっきまでの妙な時間がなかったかのように振舞っていた。そもそも妙だと感じてドキドキしていたのは、きっとわたしだけだ。達人くんと一緒にいるというのに自分の心が自分のものじゃないみたいに感じていたたまれない。
 二人の他愛ない会話を聞き流しながら駅までの道を三人で歩く。達人くんが真ん中にいるから、彼の声は少し遠い。わたしは安心と裏腹に名残惜しい気持ちがあるのをかき消すのに集中していた。
 駅の入口まで来て、ここでいいと二人に伝える。達人くんは改札まで送ると頑なだったけれど断った。今すぐに二人きりになるのは少し怖かったのだ。

「任務がんばってね」
「おう」
「もう〜、イチャつかんでくださいよお」

 いつもみたいにバイバイと手を振って背を向ける。名残惜しかった。急に寂しくなった隣の空間を気にしないようにしながら歩き始める。
 知らず知らず緊張していたのか、思わずふう、と息が漏れる。このあとどうしようかなと考え出したところで、ぱしっと後ろから腕を掴まれた。

「なまえ。絶対早く帰るから、待っとってな」

 甘いというよりもどこか迫るような真剣さをはらんだ達人くんの表情に、頭の中がぐらりと揺れた感覚になる。そんな顔をさせてしまっているのはきっと、やっぱり、カフェの前で彼と話しているわたしを見られてしまったからなのだろうと思った。なかなか彼の顔が見られなくて、それなのに熱い衝動のまま結局は釘付けになっていたせいだ。こんなのは違うはずなのに。
 腕を掴む力が強くなった。そこから伝わる熱に心臓は確かに高鳴る。それなのに俯くふりをして、視界にちらりと見える彼の足元を見てしまったわたしにも、達人くんは気づいてしまうのだろうか。

「…ほんま、目の前でイチャつかんでくださいよ」

 彼の穏やかな声のあと、達人くんの手が名残惜し気に離れていった。

「なまえ、」
「うん。またあとでね、達人くん」

 わたしの返事に心底安心したような顔をして、二人は去っていった。そんな顔をしなくたって心配いらないのに。そんな顔をさせてしまうほど、だったのだろうか。改札へ向かう足が意識を外れてどんどん早くなっていくのがわかった。まるでなにかに駆られているみたいだった。
 1回家に帰っていろいろ準備してから達人くんの部屋に行こう。彼の部屋で彼のことを考えて彼を待っていよう。帰ってきた達人くんはきっとわたしのことを優しく見つめて、いつものようにいっぱい名前を呼んでくれる。世界にひとつしかない愛しいもののように触れてくれる。そうしたら、そうすれば、わたしは彼のことを、きっと。



(I don't want to notice his brilliance.)
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