どうしたらもっと大切にできるんだろう、といつも思う。

「本当にもう大丈夫だ」
「でも、頭に包帯…」

 怒られた子犬みたいに肩を縮めて俯く姿はこれまでにも何度か見たことがあった。決まって俺がボロボロになって帰ってきた時で、自分のほうがずっと痛そうな顔をしながら、泣くのを堪えて怪我をしたところに触れる。そっと伸びてくる指先はひんやりしていて、本当はまだじわじわと痛む傷には気持ちよかった。
 「痛い?」と何度目かわからない問いに思わず笑うと、憤慨したような顔で俺を見る。ぷくっと膨らませている片方のほっぺたがやわらかそうだなと思ったものの、話の趣旨と違うことを急に言うといつも怒られるので口には出さないでおいた。

「頭だから大袈裟なだけで見た目ほど痛くない」
「でも恵くん、この前も頭怪我してた」
「そうか?」
「うん」

 思いつめた顔をして、また俯く。ベッド脇に虎杖たちが勝手に置いていった椅子に座るその膝の上で、小さい手がかたく握られていた。
 途端に静かになる部屋のなかで、俺はどうしても沈黙を持て余す。こんなときになにを言えばいいのかとか、そういうのはきっと虎杖が得意で、でもここに虎杖はいなくて、たぶん虎杖を真似するのはダメというのも本当は分かっていて。
 頭のなかをぐるぐる巡らせてみたのにかっこつくようなセリフはなんにも思い浮かばずに途方にくれる。どうしたら顔をあげてくれるのか、何回おんなじようなことを経験してもいまだに分からない自分に辟易した。
まるい頭のうえにぽん、と自分の手のひらをのせる。そのままぽんぽん、とできるだけの優しい加減でそうすると、まるく見開かれた目がこちらを向いた。

「心配かけて悪い」
「恵くん…」
「やっとこっち見たな」

ゆらゆら、ゆらゆら、瞳が揺れる。時々まぶしさを感じるくらいのそれに、俺はいつも心を締め付けられる。これは縛られているというには優しい痛みを伴う鎖みたいなもので、どこへ行こうとここまで引き戻してくれる命綱のようだった。だから俺は、これが切れないようにできるだけそっとお前に触る。
 頭の上に乗せていた手を持たれて膝の上に持っていかれ、そのままやわやわと握られる。両手で確かめるように、大切なものを撫でるように。俺の触り方に似てるのか、俺が似てしまったのかはもう覚えていない。
 触れているところから絆されるようなあたたかさを帯びていったのは、おそらくふたりともだったように思う。

「もう誰も恵くんに触らないでほしい」
「触らないでほしいって…」

 それは少し違うと思う、と言うと本気なのか本当はふざけてるのかよくわからない顔でこちらをじっと見る。澄んだ瞳の中には俺だけがしっかりと映っていた。

「次はいつ…?」
「分からない」
「わたしも一緒に行けたらいいのに」

 ぎゅっ、と俺の手を握る手に力がこもった。
 俺たちと違って呪力が少ないせいで、現場に来ることは滅多にない自分を自分で責めるのはもうクセのようなものなんだろう。窓になりうる人材に求められるのは現場経験よりもまず事務能力や管理能力のようで、よく補助監督たちの書類の整理を手伝っていると話していたのを覚えている。自分が学校でのんきにパソコンと睨めっこしているあいだに、俺たちが死にかけの体で帰ってくるのが心臓に悪いんだそうだ。
 言っても仕方のないことというのはこの世に溢れていて、たとえどうにもならないと分かっていても口に出してしまう。その気持ちは、こうして好き合うことで俺も気づいた。ぶつけあうことが正しいのかどうかはいまだに分からないでいる。

「一緒に来ても結果は同じだ、と思う」
「そんなのわからないよ」
「…五条先生が、言ってたんだ」
「うん」
「死ぬときは独りだって」

 痛いくらいに手を握られる。伝わる熱と震えと一緒にそのまま全部こっちに流れてくればいいと思った。まるで片割れのように一緒に傷つくのとか、そうやって俺の代わりに泣くように流す涙とか。そういうものが全部、お前のなかからなくなってくれたらいい。
 小さな手をようやく握り返す。それでも震えたままだったから静かに引き寄せて抱きしめた。かすかに甘い匂いが香って頭に顔を埋めながら目を閉じる。

(泣いてる顔、きれいだったな)

 腕に力を込めて生きていることを確認しあう。こんなに体の奥は熱くなるのにそれがどこか一方的な感じがして俺はこれ以上触れることができない。なにか少しでも間違ってしまったらがらすのように傷つけそうで怖かった。できる限りの優しい声で「心配かけてごめんな」ともう一度謝ったけれど、結局嗚咽以外は聞こえてこなかった。

 俺のために心を揺らす姿が、くるくる変わる表情が愛おしくないと言ったらウソになる。そのすべてをいつか暴いてしまいたいとか、考えないわけじゃない。踏みとどまらせるのが理性なのか臆病なのかは分からない。
 ぐちゃぐちゃな想いのなかで確かなことと言えば、結局俺は、お前には泣いてほしくないと思うんだ。



(泣かないで)*Twitter再掲
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