世の中にはどうにもならないことというのがたくさんある。なりたい個性があったとか、昨日あんなことしなければよかったとか。それなのに俺たちは、どうにもならないことをちゃんと諦められるほど大人ではないし、ひとりで乗り越えられるほど強くもない。震える携帯に気づかないふりをすればこんな罪悪感を抱くことはないのに、それでもわざと5分待って、待ち望んだ名前を確認する。



夢の中だけで待っていて




「それ飲んだら部屋戻れよ」
「うん…」

ずずず、と、淹れてやった熱々のお茶を控えめに飲むなまえは子犬のようにまるまっていて、いつもより小さく見えた。いきなり「今から部屋に行っていい?」なんて連絡が来て、正直ドキッとしたけれどすぐにその行動の理由には見当がついたので優しい俺は快諾した。こんな夜更けに女子を部屋にいれるなんて、悪いことをしているみたいで背中がぞわぞわする。床に座ってお茶を飲むなまえを後ろから見下ろすみたいに、俺はベッドに座っていた。いつもおろしている髪をゆるく結わえていて、細くて白いうなじがよく見えた。なまえが俺のところにきた理由は解っている。というか、なまえが俺と話す内容なんてそれしかない。

「それで?今日の爆発さん太郎は?」
「なにその、今日のナントカ・みたいな」
「だって恒例だろ」
「恒例…恒例かな。恒例って、やばいよね」
「あ、ワリィ…」
「なんてね」

ことん、とお茶を淹れるには不釣り合いなマグカップをテーブルの上に置いて、なまえは体育座りのようにしていた足の間に顔を伏せる。小さな肩が俺に何かを訴えるみたいに心細げに佇む。でも多分、ここでその肩に触れるのは男らしくないのだと気づいて視線を背けた。なまえにバレないように小さく溜息をつく。

なまえは、爆豪と何かあるたび俺のところへ来る。ツラツラと愚痴を言うでもなく、泣くでもなく、一度立ち止まって自分の気持ちを確認するみたいに俺と爆豪の話をする。そんな、てんで可笑しな恒例のできごとだ。俺は爆豪ではないから本意なんて解らないけれど、それにしたってあいつがなまえのことだけ特別に思っているのは傍目から簡単に解る。

単純で真っ直ぐな奴に見えて色んなことを考えてしまって、抱え込むくせに上手にそれを消化できない奴だから、どんなにぶつかり合っても手を離さないなまえに甘えているだけなのだ。なので、なまえが不安に思うようなことは何ひとつない。明日になれば爆豪は突き放した存在の大きさにちゃんと気づきなまえに手を伸ばすし、なまえも迷わずその手をとる。問題なのはその"明日"というのが、ひとりで待つには時間が長すぎるということ。だからなまえはすべてが分かっていても不安になって、まるで明日の答え合わせをするみたいに俺と話をする。爆豪しか持っていないはずの答えをなるべく都合よく予想して、少しでもハッピーエンドに近づくために。

「ねえ切島」
「なんだよ」
「お茶飲み終わっちゃった」
「…」
「…もうちょっといてもいい?」
「…ああ、いいよ」
「ありがと」

振り向いたなまえは泣きそうな顔で笑っていた。いや多分、俺の部屋に来る前に自分の部屋で泣いていたんだろう。少し腫れている目元が痛々しかった。ああ、ダメだ。お前を抱きしめるのは、俺の役目じゃないんだ。

なまえに触れようとすると、俺はいつも酷い痛みを耐えている時みたいに息が苦しくなる。こんなに苦しいならいっそ触れてしまえばいいのに、その先にはもっと大きな苦しみが待っている気がして手を伸ばすことができない。だって、どうにもならないんだ。呆れるくらいに爆豪しか見ていないなまえに触れたところで、その先にはなにもない。ただ一生、その体温を忘れることができなくなるだけだ。そうしてどこにもいけないこの想いが、いつか俺の世界を真っ暗にする。

きっとなまえだって爆豪がいなくなったら同じように真っ暗闇にとり残される。たとえその時、俺が隣にいたとしてもこの手をとろうともしないんだろう。だからこのままこの静かな空間で、俺たちは微動だにせずお互いの声だけを確かめ合う。ぜんぶ知らないふりをしながら、どうにかしてここに光を繋ぎとめておくために。
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