「ハナちゃん!これ、届けてきてくれる?」
「え!?配達ですか!?わたし一人で!?」

ヘルサレムズ・ロット(以下HL)と聞けば、たいていのマトモな人間は近寄らない。たとえそこが元大都市ニューヨークだとしても。この国で、もはやHLはひとつの世界と呼んでも可笑しくない。よく言われているのは、『この世界では何が起こるか分からない』―それは誰の日常でもそうだけれど、ここでの『何か』は一味違うのだ。しかし、そんなとんでもない場所だと分かっていてもここで生きている人がいる。そう、わたしのように。

HLの花屋で働いてもううにゃうにゃ年。住めど暮らせどここでのトンデモ毎日には一向に慣れない。いや、慣れたといえば慣れたかもしれない。急にお店の前に大きい怪物がやってきても、道端で変なのが爆発しても、とにかくどんな事件に遭遇してもそんなに驚かなくなった。だがしかし、だ。

「いくらなんでもひとりでウロウロするのは無理です!」
「そんなに遠くないから大丈夫だよー!ね、お願い!」
「もー!なんかあったら配達手当もらいますからね!」
「オッケー!任せてよ!」

奥で作業をしながら店長は軽く返事をした。その軽い返事、忘れないからね店長!と思いながら配達用と書かれた荷物を持つ。ずしっという重みと土の匂いから、おそらく鉢植えだということが分かる。こんな重いのを自転車しか運転できないわたしが配達するなんて。カゴの中に入れて大丈夫かなあと不安になっていると、また店長の声がした。

「そうだ!今日、最近流行りの大道芸人が来ている日だと思うから見ていったらどうだい?」
「え?」
「寄り道くらいオッケーってこと!」

ばちんっ、と華麗にウィンクを決める店長。30代半ばの男性なのに軽やかなウィンクだ。まさかそれが配達手当じゃないでしょうね…と思いながらも、お客さんからもよく聞く噴水前の大道芸人には興味があったので素直に寄り道することにした。紙袋に包まれた少し重い鉢植えを自転車のカゴに入れて、チャリンチャリンとちゃっちいベルを鳴らして花屋を出た。









「む!あの人だかりは!」

店からしばらく行ったところに、不自然なほどに人だかりができていた。中心にある噴水の全体像が見えないくらい囲まれていて、盛り上がりを見てもこれが噂の大道芸人だというのは明白だった。寄り道していいよって言われてるし、評判がいいものは見たくなるタチなので、自転車をとめて人だかりに近づいた。

人だかり、というよりもヒトだかり、だった。わたしのような人間よりも異形のヒトたちがギャラリーに多い。何が起きているか見ようにもわたしの背丈では中々見えない。ピョンピョンと跳ねてみてもやっぱり無理だ。見れたらいいなという程度だったのに見れないとなると途端に残念に思うゲンキンなわたし…。一応仕事中なので、潔く諦めて自転車の方を振り返る、と。

「あーーーーっ!!!」
「ギクッ!!!」

自分でもビックリするくらい大きい声が出た。それも仕方ない。なぜならそこには、わたしの自転車にまたがり「今からこれ盗みまーす!」とでも言いそうな異形のヒトがいたのだから!カゴには鉢植えも入っている。自転車はともかく商品を盗まれたらあの軽い店長でもきっと怒る。さほど距離があるわけではないが自転車のロケットダッシュに追いつけるような脚力は持っていない。それでもダッと駆け出して叫んだ。

「ドロボーーー!!!」
「へっへ〜ん!鍵かけてねえオメーが悪いよ〜!」

異形のヒトは軽快な口調で捨て台詞を残し、自転車でロケットダッシュした。ああ…!終わった…!駆け出した足は追いつけないことを覚り、歩みを止めてしまった。絶望しながらわたしの体はバランスを崩す。鉢植えを盗まれた上に顔面から地面に突っ込むことになるなんて。ああ、店長…ハナは…無力です…!!!

「斗流血法シナトベ――、身刃の伍『突龍槍』!」
「ギャアアアアア!!??!」

ズシャッというわたしと地面のドッキング音と、よく分からないセリフと、断末魔が聞こえたのはほぼ同時だった。

「えっ………えっ!?えっ!?」

すっころんだ体制のままバッと顔をあげて自転車窃盗犯の方を見ると、ちょうど自転車の目と鼻の先に見たこともない赤い槍がビィィイイン!と地面に刺さり、窃盗犯の行方を阻んでいた。あともう少し進んでいたら脳天から綺麗に真っすぐ窃盗犯に刺さっていたであろう。あまりの出来事に、大道芸を見ていたギャラリーたちさえ静まり返ってこっちを見ていた。

「人のものを盗ってはいけませんよ」
「ヒッ…!は、ハイ……ッ!!」

ザッザッという足音がわたしの横で止まる。窃盗犯はすっかり怯え切った顔で自転車から飛び降り、弾かれたように走って逃げていった。赤い槍はいつの間にか消えていた。な、なんだろう、これ…。成り行きを見ていたのにいまいち理解が追いついていなかった。呆然として、上半身だけを起こしたまんまの体制で、中途半端な場所で乗り捨てられた自転車を見ていると「あの…」と控えめに声をかけられる。振り向けばそこには、青い、ヒト。

「大丈夫ですか?」
「……は、い…」

ツヤのある青い肌をした彼(おそらく)は、地面にうつぶせになっているわたしに合わせて片膝を跪き、人間のそれはとは少し違う形の手を差し伸べてくれている。ぱらぱら、と周りに白い何かが舞っているのが視界の端で見えた。綺麗な白は、まるで花びらのようだった。

これが、わたしと彼の出会いだ。


天からの号砲




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