大局を視るもの

「君は、勝つことが当たり前と思っているようだけれどね」

 盤上に、白と黒の石が、まばらに置いてある。
 そこに、さらに黒石が一つ置かれる。

「負けを知らない人間が」

 相手が白石を一つ置く。
 こちらも黒を一つ置く。

「人の上に立つのは、気に入らないね」

 じゃら、と碁笥から石を取り出す音が、大きく鳴る。
 今まではほとんど、音をたてないように石をとっていた彼が。

「そういうのは」

 白を持つ、その人はいう。

「僕に勝って初めて言えるセリフだろう」

 そう言って白を一つ置く。バチリと小気味の良い音を鳴らして。

「そうだね」

 私は同意する。
 そして黒を一つ取り出して、

「だから、―――」

 盤上を叩きつけるように黒を置いた。


    *       *


 邂逅は偶然。
 同じクラスで、隣の席になっただけ。

「碁、打つんだ?」

 それはたまたま、詰め碁の本を開いていた時だった。
 昼休み。
 誰かと一緒に昼ご飯を食べるわけでもない私は、五分足らずでそれを済ませて、本を読むのが、習慣。
 けれど、その日は小説と間違えて、詰め碁のほうを持ってきてしまったらしい。
 昨日、寝る直前まで開いていたから、きっとそのせいだ。

「……赤司、くん」

 だっけ? と言わんばかりに首をかしげつつ、私は声の主に対峙する。
 ついでに、なんで話しかけてくるんだろう、と思いつつ。

「いつもは緑間と将棋でも指すんだけどね、ちょっと飽きてきてさ」

 ちょうどいいや、という彼に、はあ、と首をかしいだまま、私は彼の言葉の続きを待つ。

「碁、打つんだ」

 暗に、一局やろうと言われているのか。

「明日の昼休み、図書室」

 果たし状に書かれる文書みたいなセリフを告げて、彼は教室を出ていく。
 昼休みが終わるまでまだ三十分以上もある、なにかしらの用事でもあるのだろう。

「や、行くと答えてないんだけど」

 覚えてるかなあ、と自分の記憶力に不安がるも、詰め碁を解きすすめていくうちに、その不安ごとさっきまでのやり取りを忘却のかなたに追いやってしまった。
 もっとも、覚えている必要などなかった。
 次の日、赤司は昼休みになると私を図書室に連れてった。試験前でもない図書室に人影はほとんどない。
 その中でもさらに人気のない本棚の陰に、その準備はしてあった。
 どこからか借りてきたのだろうか、対局時計も置いてある。
 持ち時間十分、それ以降は一手十秒の超早碁だ。これなら昼休みでも一局終わる。

「じゃあ、はじめようか」

 碁笥を手にして、石の色を見る――黒。
 私は石を二つ握って盤上に出す。
 彼がにぎった白石は十。あたりだ。
 私が黒で、彼が白。
 彼が対局時計を押して―――開始。


 それから、数日おきに一局、ぐらいのペースで彼とは対局を重ねていった。
 初めのうちは、対局中に会話など一切なかったが、二度三度と、対局を重ねていくうちに、ぽつりぽつりと会話が起こるようになっていった。
 それはつまり、それだけ数をこなしたということで、
 とどのつまり、知り合い以上には親しい間柄になったということだった。
 その間で、わかったことといえば。
 名前、赤司征十郎。バスケ部。
 今年の夏ごろ、主将になったという。これは本人に聞いたのではなく、クラスの噂を小耳にはさんだだけ。
 棋風は生き方に似る。
 攻撃的過ぎず、保守的過ぎない。そして、多少の犠牲はいとわない。いとも簡単に切り捨てる。切り替えが早いというより、全体を俯瞰できている打ち方。
 人の上に立つ人間だな、と打ってみて思う。
 バスケの主将で、テストの成績は常にトップ。碁も強い。――嫌味な人間だなあ。
 きっと、負けたことがないんだと、思っているし、じっさい、そのようだった。
 息苦しそうな生き方だ。
 つまらないだろうなと、いうのが、彼に対する感想。
 けれど同時に思ったこともある。

 十月から十一月にかけて、私はほとんど学校に行けなかった。
 突然の多欠席に、彼は少なからず驚いていた。

「どうしたんだい?」

 彼は黒を一つ盤に置きながら尋ねる。

「いままでも、ときどき休んではいたのは知ってるけど、こんな長い期間ははじめてじゃないか」

 私は白を置きながら、どう答えたもんかと思案する。
 その理由は単純。
 もともと私は囲碁のプロ棋士予備軍で、多欠席期間はプロ試験期間だった、というだけ。いままでの休みは、院生の対局日だったからだ。
 けれどそれを教えるつもりはない。ついでに言えば、今年の試験に通ったことも。
 だから思案する。
 この眼から、どう逃れようか。

「―――君が、そこまで私に興味を持ってくれているとは思わなかったな」

 彼との関係は、いまだにこの不定期(とはいえ頻繁)に開催される図書室での対局だけだ。それ以外で会話を交わすことはまだない。
 席はとっくに、席替えでばらばらになってしまったし。
 私のセリフに、彼は少なからず眉を顰めたらしい。

「まるで僕が他人に興味のない人間みたいに聞こえるな」

 黒を置く。

「違う?」

 白を置く。
 彼の、全中の試合が終わってからか。よけいに、そう思う。
 人を、試合に勝つための、駒としかみていないんじゃないかと。
 将棋の駒と同じように。
 この盤上の石のように。

「少なくとも」

 黒を置く。

「君には興味を向けているよ」
「そ」

 白を置く。

「ありがとう」

 着々と幾何学めいた模様が出来上がっていく。
 そういえば、と私はクラスで小耳にはさんだ、だいぶ前の噂を口にする。

「全中前に主将になってたんだね」

 黒が置かれる。

「へえ、知っていたんだ。僕にかけらの興味もないと思っていたのに」

 私は碁笥のふたにある黒石を、盤上に無造作に載せた。

「まぁね」


――ちょっと、潰してみたいなあ、とも思ったり。



    *       *


「いままで手を抜いていたのか」

 盤上は、白と黒が幾何学めいた模様を描いている。

「何故だ?」

 その盤上の一角が不自然に乱れた。
 白の碁笥のふたにある黒石が、盤上に無造作に置かれたからだ。

「何故、手を抜ける。手を抜いても勝つならともかく、わざと負けるなど」
「考えられない、かな?」

 彼が掌をめいっぱい握り、小刻みに震えるのを私は見る。それは、いままで手を抜かれていたことに対する、怒りか、悔しさか。それとも、手を抜かれていたことにすら気付かなかった、どうしようもない敗北にか。

「だってさ、疲れるじゃないか」
「なに?」
「君、強いよ。だから、勝とうとして打つと、とても疲れる。正直、今もう一戦やったら負けるね。ガス欠、体力ないんだ」
「……だから、手を抜いていたと」
「そう、だって別に」

「これは譲れない試合などではないからね」

 その全てを見通すような眼と真向に対峙して、私は言ってのけた。


大局を視るもの
(むしろ勝った時のほうが、めんどうくさいと思ったし)





 一切の名前変換なし。どうなの。
 ファンブックに碁も趣味ってあったから、つい。
 碁は得意ですが、将棋は不得手。駒の動かし方しか知らない。チェスに関してはさっぱり。
 赤司くんの狂気をはらんだ眼がすきです。ヤンデレの資質が在りそうですよね、彼。