思考の海を潜る

携帯が震えたので、何かと思ったら緑間からメールが届いていた。

(――珍しい)

 メールの内容は『図書館にいる』との事だったので、そのまま帰路に着こうとしていた足を、図書館へと向ける。
 試験期間というわけでも、試験間近でもないので、図書館に人は少ない。
 緑色の彼を見つけるのは、そう難しいことでもなかった。
 窓際の席で頬杖を着いていた。勉強でもしていたのか、生物の教科書と授業のノートが広げられている。

(――寝てる?)

 私が近づいても顔もあげもせず、左手も動かしていないことからそう推測したが、果たしてその予想は正しかった。

(今日オフだったんだろ? 先に帰っていれば良かったのに)

 私は緑間の前に座って、まじまじと伏せられた瞼を凝視した。

(――やっぱ綺麗な顔してんなぁ)

 しばらく静かにしていると、すうすうと言う寝息をたてているのに気がついた。

(ガチ寝か)

 規則正しく聞こえる呼吸。開いている教科書のページは異化の単元だ。

(もし、――もし、私が空気だったとして。……いや、空気じゃだめだな。酸素だ。――酸素になったとして)

 彼の呼気を聞きながら私は思う。
 私は彼の気管を通り、気管支から肺胞へ、肺胞の毛細血管で赤血球という船に乗る。
 肺から心臓へ血液が流れ、心臓から大動脈を通り全身へ回る。手の先、爪先、頭蓋の表面ありとあらゆる細胞で私は降りるのだ。そしてその細胞の、ミトコンドリア内膜で水素と一緒に水になる。
 水となった私の一部は、そのまま彼の水分となり、一部は彼の呼気で外に出る。
 外に出た私は、雲になりあるいは地中に染み込み、植物に吸われ――
 ――壮大になりすぎてアホらしくなってきた……

――――――
――――
――


「起きたか」

 気づくと、緑間と目があった。

「……寝てた?」
「ああ、俺もすこしばかり寝てしまっていたが……、起きたらお前が寝ていてびっくりしたのだよ」

 どうやら、思考の海に潜りすぎたらしい。

「起こしてくれれば良かったのに」
「……はじめはそのつもりだったのだが」
「が?」
「お前があまりに気分よさそうに寝ているものだから、少し物思いに耽ってしまったのだよ」
 もし、俺が酸素だったならなど、と。
 緑間がそう言うものだから、私は可笑しくなってしまった。

「なっにも、笑うことはないだろう……! 俺だって馬鹿馬鹿しいと思っているのだよ」
「違う違う、ごめんって。ただ私も、君が寝ているのを見て、そう思ったんだよ」
「! そ、うか……」

 私達は帰路につく。

「で? どこまでいった?」
「どこ、とは」
「君が酸素になって、どこまでいったんだ?」
「……お前の水分になったところで馬鹿馬鹿しくなったのだよ」
「あ、やっぱそこまでいったか。私もそこまで思ってアホらしくなったわ」

 ところで知っているか、と私は話を変える。

「人の細胞って、三ヶ月前に食べたもので構成されるらしいよ」
「……俺は人を喰う趣味も喰われる趣味もないのだよ」
「自身が酸素になるよりは現実味ない?」
「お前は俺を食べたいだとか食べられたいとか思うのか」
「んー、ちょっとね。君の一部になるなら、あるいは君を私の一部にするのも少しいいとは思うな」

 私は緑間より二、三歩前を歩き、緑間の方を振り向く。

「君が好きだよ、緑間。ずっと手元に置いておきたいぐらいには」
「物を愛でるように言われても嬉しくないのだよ」
「それでも君はそんな私が好きなのだろ?」
「自分でいうか」

 緑間は呆れたようにため息を吐いた。

「好きなのだよ、俺も」

 私は驚いて、緑間の前で立ち止まる。

「なんなのだよ?」
「……いや、珍しいこともあるものだと」

 ――思って。
 じわじわと、さっきの言葉が耳朶の奥でよみがえり、首の後が熱を持ちはじめて、私は止まっていた足を無理矢理動かした。
 私の後ろにいる緑間には、私の耳が赤いことなど丸わかりだろう。

「耳が赤いのだよ」
「言わなくていいよ!」
「物言わぬ人形より、生身の人間のほうがいいだろう?」
「うるさい!」

 彼の前を歩いていたはずなのに、緑間はいつの間にか私の隣を歩いている。……くそっ、コンパスの差が憎い。

思考の海を潜る




 緑間の得意科目が生物、化学と聞いて私は嬉しい。きっと彼は代謝の分野は得意中の得意になるんだろうなぁ.
 そして名前変換が一切なかったな…