先の見えない泥沼を少年はよたよたと歩いていた。何かを探しているのか、それとももがいているのか、少年自身にも判っていなかった。
両手には何も持っていなかったが、類まれな頭脳と容姿で十分だった。宝石のような瞳が、泥の闇の中で爛々と煌いていた。
同じように泥沼を進む人影があった。
少年はそれを見ると、いいことを思いついたと笑った。
そこには誰もいなくなった。
少年一人だけがそこにいた。
骸を積み上げた丘の上。泥沼を骸で埋め尽くして、足場を作った。
これでどこへでも行けると、少年はにっこり笑った。
骸の丘の上で、少年は天を見上げた。
幾羽の黒い鳥が頭上を舞った。
あとは翼があれば、もっと自由なのに、と少年は思った。
* * *
ある金持ちの屋敷で、少年はくつろいでいた。
「……ドンキホーテファミリー…ねぇ…」
新聞にはドンキホーテ・ドフラミンゴの手配書が挟まっていた。ドンキホーテ。天竜人に同じ姓の一族がいる。
「ああ… なんか昔にいたんだっけ、天竜人の地位を捨てた変人」
それは少年――シンがまだ生まれる前の話。
シンは最後の一口をすすってお茶を飲み干す。これが最後の一杯。ここの金持ちのお屋敷の住人はみんな死んでしまった。正確に言うと、シンが殺したわけだけど。
「そういれば、仕事があったような……?」
シンは気まぐれだ。興味のあることはするが、なかったらしない。いろいろな『仕事』を依頼されるが、引き受けることはまれ。一応目は通すんだけどね。
「ドンキホーテ・ドフラミンゴ… 父親が天竜人を堕ちて、その被害をこうむった子供。かわいそうに。決めたのは親父で、自分は何も選べなかったのにね」
手配書の写真は、野心に満ちた目をカメラに向けていた。
いつかまた、その権力を取り戻そうとする目。
自分で這い上がろうとする人、目的に手段を選ばない人がシンは大好きだ。
「そういえば『仕事』の依頼って、ドフラミンゴの抹殺だっけ」
誰から依頼されたのかとかシンはまったく覚えていなかったし、『仕事』をするかどうかも決めてないから、まぁいっかとシンは『仕事』をまるっと忘却の彼方に捨て去ることにした。
とりあえず。ちょっと一目見てみよう。
そんな好奇心。
「――それじゃあね」
シンは屋敷の人に挨拶をした。
屋敷の住人はみんな死んでしまっているけれど、ほら、礼儀って大事じゃない?
「おれを本当の天竜人の子供と思ってくれてありがとう」
シンは屋敷をあとにすると、自分が何者を名乗っていたのかもすっかり忘れて、マリージョアを後にした。
* * *
「げ」
マリージョアに近い島について一息ついていた頃、シンをたずねるひとつの影があった。
その来客に、シンは苦虫を噛み潰した顔をした。
「ずいぶんな挨拶じゃないかシン」
「うるせぇよ。何しにきた」
「暇だと思ったが、違ったか?」
シンのところに来たのはロブ・ルッチだった。シンに『仕事』を持ってくる一人。
「暇でも引き受けるとはかぎらねぇよ。知ってるだろ」
「それでも『仕事』を言わない理由にはならない」
ロブ・ルッチ。
ついこの間、王国の兵士500人の虐殺してきた少年。
シンはこの少年のことがあまり好きではなかった。血と闇が形を成したような人間。一緒にいても面白くもない。退屈。
「新聞は読んだな。ドンキホーテ・ドフラミンゴ。いずれ政府にとって脅威となるであろうと判断された」
「で?」
「潜入依頼だ。ドンキホーテファミリーに入ってこい」
シンは思わずきょっとんとした。……それだけ?
「何? 抹殺とか、ないわけ?」
「いったらするのか?」
「しないけど」
だろうな、とルッチはため息を吐いた。
「期限もない。気が向いたら戻って来い――だとよ」
シンはものすごく不愉快な気分になった。性格を読まれている。いやわかりづらい性格ではないのは、そうだけど。
気楽でいいなとルッチは言った。だったらお前もそうしなよ。
「じゃあな『仕事』は伝えた」
「はいはい、『仕事』は聞いたよ」
ルッチはそういうとシンの前から姿を消した。
シンは前髪をかき上げて長いため息を吐いた。すっごく出鼻をくじかれた気分。
「くっそ〜〜〜、どうしよっかなぁ」
手配書のドンキホーテ・ドフラミンゴの顔を見る。うぅん、顔は好み。
仕方ない、とシンは何度目かわからないため息を吐いて、船に乗る。
見て気に入らなければ、さっさと戻ってくればいいんだし。
シンは、偉大なる航路を抜けて北の海へ舵を切るよう、船員に指示を出した。