02


 その日,学園内が妙な緊張感に包まれているのを感じて,オンボロ寮の監督生――ユウは首を傾げた.グリムも妙な空気に落ち着かない様子である.

「エース,デュース,今日なんかあったっけ?」
「いや……,でも寮長が普段よりもなんかピリピリしてたな」
「寮長がピリピリしてんのはいつものことだけど,確かに? でもなんかあったっけ?」

 デュースもエースも心当たりがなかった.教室を見渡すと,ほかの学生もどことなく,困惑した様子である.

「そういえば闇の鏡のメンテナンスがあるとかで,今日の午後から使用禁止だって」
「あー,その話なら覚えてるわ.でもそれが寮長の様子と関係ある?」
「わかんないけどさぁ」

 めんどうなことじゃなけりゃいいけど,とエースはそう言ってこの話は終いになった.


  *


「――明日ルシア・クロラスがこの学園で講演する!?」

 午後の最後の授業終わりに告げられた情報に,エースとデュースはこの学園の空気を理解した.
 ユウとグリムは誰それ? という具合でエースとデュースを見る.

「超すっげー魔法士! ほら,オレらって魔法使うとブロットが溜まるじゃん? それを,ブロットが溜まらない魔法の使い方を見つけた人!」
「ふな!? そんなことができるのか!?」
「筆記魔法っつって,文字を書いて魔法を使うんだよ.でも俺は論文を読んだけど,正直あんまりわからなかったんだよな…」

 デュースが口元に手をあてて言う.

「なんだっけ,こんなだったような…」

 ノートの端にエースが文字を書き記す.そこから小さな炎が一瞬あらわれてすぐに消えた.

「すっご…」

 ユウは少し焦げついたエースのノートを見て思わず声が漏れた.

「でも長続きしないんだよなー,文字に書いてるんだからもっとずっと魔法がかかっててもいいと思うんだけど.こんなんだったら普通に魔法使ったほうが楽.学園長も言ってたじゃん,オレらの魔力だったらオーバーブロットになる前に魔力のほうが枯渇するって.それってつまり,ブロットを気にしなくていいってことだろ?」
「そういえばそんなことも言われてたね.でもこれ,もっと大きな魔法が使えるようになったら…」
「そん時は世界がひっくり返るっしょ.だってこれ,監督生でもできるってことだぜ.ブロットが溜まらないってことは,自分自身の魔力を使ってないってこと――つまり」
「魔力を持たない人間でも,使える魔法……?」
「そゆこと」

 ユウは腹の底がむずむずするような,今にも走り出したいような感覚を覚えた.――自分でも,魔法が使える? そんなこと,ある?

「明日,楽しみだね」

 ユウは気を抜くと震えそうになる声を抑えながらそう言った.

「――ん? ってことはクロラス先生が明日来るから,今日闇の鏡メンテナンスしてるのか」
「かもね」

 オレも明日が楽しみだわ,とエースが呟いて,各々解散した.


  *   *   *


 特別公演当日,鏡の間では教職員および各寮の寮長が集まっていた.
 闇の鏡を通ってルシア・クロラスはナイトレイブンカレッジに来訪する.

「ようこそ,ナイトレイブンカレッジへ.この度は講演を引き受けてくださり感謝いたしますよDr.クロラス」
「こちらこそ,素敵な招待をどうもありがとう」

 ルシアは,射干玉のような髪に臙脂色の瞳,平均よりやや高い背はまっすぐ伸びて,柔和な笑みを張り付けた顔も相まって,出来のいいお人形のようだった.
 だが,ここにいる教員と寮長達はルシアの姿を見て険しい顔をした.
 突如ぞわり,と背筋が凍るような寒気がこの場にいる全員を襲った.空模様が急変する.日の光は閉ざされて,雷が落ちた.ガタガタと強風にあおられて窓が音を立てる.

 マレウス・ドラコニアがルシアにありったけの殺意を向けていた.

 ルシアは張り付けた柔和な笑みを崩さないまま,視線をマレウスに向けた.その数秒にも満たない間が,永遠に感じるほど空気が重たかった.
 誰も彼もあっけにとられて息を飲んだ中,レオナ・キングスカラーがいち早く立ち直って,ルシアとマレウスの視線の間に割って入る.

「おい,トカゲ野郎.面倒を起こすんじゃねぇ」

 お前が,起こすな,とレオナはマレウスを睨んで対峙する.
 ビシャンと雷鳴と稲光が同時に届く.ごろごろと腹の底に響くような雷鳴が通り抜けた.

「む……,――いや,そうだな,お前が正しい」

 眉間に皺を寄せてマレウスは殺気を抑え込んだ.外ではまだ雷が鳴り響ている.ふっとかすかな燐光を残して,マレウスはその場から姿を消した.誰かがほうと息をついた.

「いやはや申し訳ありません.まさかドラコニア君がああも敵愾心を向けるとは」
「いいえ気にしていませんよ,Mr.クロウリー」
「偉大な魔法士は寛大でいらっしゃる.講演前に学園を案内いたしますよ,キングスカラー君,シェーンハイト君,よろしいですね?」

 頼みましたよ,と言って,クロウリーは鏡の間に残っている寮長や職員に声をかけると部屋を後にした.

「それじゃあ案内しますね.今回先生の対応を任されました,ヴィル・シェーンハイトです.そしてこっちが――」
「レオナ・キングスカラーだ」
「よろしくたのむよ.さっきはありがとう,Mr.キングスカラー」

 レオナは微妙な顔をして,尾をかすかに揺らした.

「ここから近いところの学園の設備から案内します.どうぞこちらへ」

 ヴィルが先導する.ルシアはうん,とうなずいてヴィルの後を続き,レオナはそのさらに後ろをついていった.
 食堂,実験室と通り,中庭の見える廊下に出た.雷こそ止まったが,相変わらず風は強いし,暗雲が立ち込めている.中庭に出るのはやめたほうがよさそうだ.

「本当はこの後,校舎を出て植物園や図書館も案内したいところなのだけれど」
「いいや結構,この天気だしな」

 その天気にした原因はお前にあるが,とレオナは思ったが口には出さなかった.

「――マレウスがあんな風になったのは,あなたのその呪いが原因かしら?」
「そうだろうね.この呪いは妖精にかけられたんだ」
「ただの呪いじゃねぇ,それは妖精が死に際にかける呪いだ」
「よく勉強しているね.その通りだ」

 レオナとヴィルには,ルシアの全身に黒い靄のようなものがまとわりついているのが視えていた.最も,呪いに精通しているヴィルと,人よりも感覚が鋭敏な獣人であるレオナだったから,ここまで視えたともいうし,妖精であるマレウスには,ルシアの顔が分からないほどに呪いが強く視えていたはずである.
 ルシアにまとわりついている呪いは,よくよく見ると時々脈打つように蠢いた.――あれは,対象からエネルギーを吸い上げるものだ.妖精が死に際に,その生を呪うもの.通常,その呪いにかけられたものの命は長くは持たない――にもかかわらず,ルシアにまとわりつく呪いはだいぶ肥え太っていた(,,,,,,,).

「妖精が高い魔力を保持しているのはしっているだろう? でもどうやってその高い魔力を生成しているのか? 私はこう考えた――大気中の魔力(マナ)を効率よく自身の魔力(オド)に変換できる機構が存在しているのではないか? 妖精の生態を知ることができれば,私も自身の魔力に頼らずに魔法が使えるようになると思った.最もここからの着想はあまりうまくはいかなかったんだが……」

 上手くはいかなかったし,挙句に呪われもしたし,とルシアは飄々とのたまう.
 脈打つ呪いを視てレオナは渋い顔をして聞いた.

「なぜ解呪しない.お前なら余裕だろう」

 ルシアはレオナを見上げてゆるりと目を細めたが,何も言わなかった.代わりに,時計を見てこう言った.

「そろそろ時間かな? 講堂に向かおうか」