※現代パロディ。主人公と大倶利伽羅は学生
01
お母さんには年の離れた弟がいる。私は長谷部おじさんと呼んでいる。お母さんとおじさんと私はだいたい十歳差間隔なのでお互いちょっと距離感がある。ある程度年が離れていれば世代が違うからって割り切れるんだけど、割り切るには近いし、仲良くするにはちょっと遠い微妙な距離なのだ。だけどおじさんは私のことを可愛がってくれるので、好きな方だったりする。
私のお母さんの家はそこそこ名家で、名家というよりはお金持ちっていう感じなんだけど、そこの跡取りとして長谷部おじさんは生まれたのだった。末っ子長男、しかも年の離れた女兄弟に囲まれたら甘やかされて我儘に育ちそうなんだけど長谷部おじさんは違った。成績優秀、運動神経抜群、生徒会長などもつとめあげ先生からの信頼も厚い。ルール違反は絶対しない。こっちが心配になるくらいストイックで、有名大学卒業後大手企業に就職しどこまでも理想的な育ち方をしたのだけれど、ちょっと厳格すぎた。そろそろ身を固めてもいい歳なのに恋人の一人もいない。しかも有能なのと期待に応える性格が重なって社畜へと進化してしまった。どれぐらい社畜かっていうと、ご飯が、栄養が取れるまっずいスティックとゼリーって言えばわかるかな?
「国重が心配」
あ、国重って長谷部おじさんのことね。親族の間で話題になって、せめて食生活だけでもと思ったのに本人は改善する意思がないし恋人の影もない。そこで白羽の矢が立ったのが私だった。今年高校一年生になって長谷部おじさんの家から近いところに学校があるのだ。家からだと電車で長い時間かけて通学しないといけないので花嫁修業も兼ねて国重にご飯を作ってあげてって放り出されたのだ。
年頃の女の子を一人暮らしの男の家にぶん投げる普通!? 信じられないと思ったけど、長谷部おじさんの今までの歩みを思えば間違いなんて起こるはずもないのだった。あと一緒に暮らしてもいいなってくらいおじさんは私に優しい。そんなこんなで、私は今、セキュリティが異常に頑丈で高級そうなマンションの中にいる。
「長谷部おじさんこんにちは〜なまえです」
なまえを住まわせるなんていったら絶対に反対されるからって荷物は業者に頼んで問答無用に運ばれている。あとは私がなに食わぬ顔で行けば私に甘い長谷部おじさんは許可するだろう、というのは親族の見解だった。
「おじさん? いないの? 開けちゃうよ〜?」
日曜日にいったのにいないとはこれが社畜の実力……社畜、恐ろしい子っ! ダメもとでドアを開けるとあっさり開いた。無用心だなと思いつつも容赦なく家に上がり込む。だって外で待ってるのは視線が痛いんだもん。
「……誰だ」
「えっ?」
誰もいないと思った部屋にはしかし、先客がいた。私と同い年くらいの、褐色肌の、ちょっと髪が長い男の子。当然見覚えはない。鋭い眼差しとこのオーラ、はっきり言ってヤンキーです本当にありがとうございます!!!!!
「誰だ」
「なんで? 長谷部おじさんは? あれ??」
大混乱。部屋を間違えたのかなって慌てて表札を確認したけれどちゃんと長谷部って書いてた。誰だ。誰だこの子。親戚にこんな感じの子はいないし長谷部おじさんの友達にしては若すぎるしいったいどういう関係なんだ……!
「長谷部の知り合いなのか」
「う、うん。私長谷部おじさんの姪のみょうじなまえって言うの。今日からここにお世話になるから来たんだけど……」
「長谷部からは聞いてない」
事後承諾だもん。と言ったら絶対追い出されると思ったので黙った。
「そっか……おじさんはいつ帰ってくるかな。私のことわかると思うから会ってお話したいの」
「多分夜だ」
「仕事?」
「だろう」
ちゃんと返事してくれるけど最低限のことしか言わないなこの子! 名前も名乗ってくれないしな!!
拒絶されてる感じはしないので椅子に座って寛ぐ。見知らぬ男の子は何も言わない。私から視線を逸らして、じっと黙っていた。
「……」
「……」
「……」
それからどれくらい時間が過ぎただろう。男の子は何をするでもなくソファの上で体操座りして膝の上に顔を押し付けている。なんでそんなに窮屈な体勢とるの! おじさんの家一人暮らしとは信じられないくらい広いんだからもっと寛ぎなよ! 私の家じゃないけどそれくらい許すよ!! 沈黙に耐えかねて私は彼に声をかけた。
「ね、ねえ。そう言えば君なんて名前なの? どうしてここにいるの?」
見知らぬ彼はゆっくりと顔を上げて、爆弾を落としていった。
「倶利伽羅。ここに住んでいる」
「え……?」
どういうことなの、ほんと。
「す、炊飯器がない……」
あんまりにも帰ってこない長谷部おじさんに嫌な予感がして倶利伽羅くんに「おじさんはいつ帰ってくるの?」と聞いたのが先ほど。「遅い」と返事が返ってきてこれはおじさんが帰ってくるまで待っていたら食いっぱぐれると本能が警告してきた。同い年くらいの女の子は平然と晩御飯を抜いたりするのだけれど、私はそんな女子力なぞ持ち合わせていないので無理です。申し訳ないと思いながら台所を物色していると、包丁とフライパン、あと鍋は出てきたけど他がなかった。当然のように冷蔵庫に食材もなかった。とどめとして、炊飯器すらなかったので作れる料理の幅がかなり狭まった。
だって男の人二人いるんでしょ? どれだけ食べるか分からないけどお米なしおかずのみで耐えられるとは思えない。晩ご飯何がいいのかな。
「ねえ、晩ご飯……」
「いらない」
「う、う〜ん。倶利伽羅くんシチューとか食べれる?」
「食える」
あっこの子長谷部おじさんタイプの人間だ。放置したら死ぬ奴だ。
「お腹すいたしご飯作ろうと思うんだけど、よかったらスーパーまで案内してくれない? この辺よくわからなくて」
そうお願いすると、倶利伽羅くんは無言で立ち上がって玄関へ向かった。喋らないだけでめちゃくちゃいい子なんだな……。施錠はどうするか悩んでいると、合鍵を持っていたらしい倶利伽羅くんが行ってくれた。無言のまま彼は歩きだし、遅れて私がそのあとを付いていく。スーパーは思ったよりも近くにあった。
何もない、つまり明日の朝すら危ういし飲み物もあるかわからないので大量の食材をカゴへ放り込む。お米を買おうか非常に悩んだのだが、持ってくれと言いにくかったのでまた今度にすることにした。ペットボトルもたくさん買ったから重いし。会計を済ませると、傍に控えていた倶利伽羅くんが私の手から買い物袋を奪い取った。
「わっ、いいのに」
「俺は非力じゃない」
「ならお願いしようかな。ありがと」
いい人だなあ。好感度が跳ね上がる。第一印象がとっつきにくかったからどうしようかと思っていたんだけど、ちょろい私は既に彼に懐いてしまった。だって同年代の男子って子供ばっかりだからこんな優しくされたことないもん。ドキドキしちゃうの当たり前だもん。
「ね、ね、倶利伽羅くんは何年生?」
「今年入学する」
「高校だよね。なら同い年だね! 私はおじさんの家の近くの県立なの〜」
「そうか」
「ちょっと厳しかったんだけどね、制服可愛いし頑張ったの」
「可愛い?」
「知らない? シャツの色もネクタイやリボンも選べるの! あとね〜鞄とか靴とか指定全くないの」
「よかったな」
「うん! あ、倶利伽羅くんはおじさんとどういう関係なの?」
「……血の繋がらない、叔父、のような」
帰り道は私が一方的に話し続けた。そっけなくはあるけれどちゃんと話を聞いている返しなのがいい。年頃の女の子は些細なことで恋に落ちてしまう単純な生き物だ。そして一度恋をすると止まらなくなる。ロミオとジュリエットのように、破滅まで一気に駆け抜ける生き物なのだ。好奇心を殺しきれず、ちょっと踏み込みすぎかなと思ったけれど、気になっていたことを聞いた。今までと違って間があって、機嫌を損ねたかなって心配になった。
「そう。複雑なんだね」
「ああ」
血の繋がらない叔父、か。ふとおじさんの顔が脳裏によぎった。顔が悪いわけじゃない。むしろおじさんは整っている部類だ。内緒で付き合っていた人がいたとしてもおかしくはない。その人にはきょうだいがいて、事故か何かできょうだいともども死んでしまって、残された倶利伽羅くんを黙って引き取って、でも親戚には言えないからこんなことに――?
まさか、と思って倶利伽羅くんの顔を見る。
「なんだ」
びっくりするほどイケメンだった。
じゃない。不幸そうな顔立ちをしている(ように見える)。しかもよく見たら腕が細い。足も細い。これってもしかして両親を亡くしたショックで食欲がなくなっているのでは――?
「倶利伽羅くん」
「なんだ」
「おいしいごはんを食べて、幸せになろうね……」
「……?」
たかだかシチューだけれど。具材にあれこれ工夫してうんとうんと美味しくしよう。そう決意した。長谷部おじさんは、家に帰ってごはんを作っている最中に帰ってきて、私の包丁の音をBGMにお母さんと言い争いをしていた。
結局言いくるめられた長谷部おじさんを見て、いつの時代も女が強いのだなと痛感した。私の住む部屋がなかったので、思いため息を吐く長谷部おじさんとあいもかわらず無表情の倶利伽羅くんと楽しい物置の大掃除を開始することになった。物置といっても、別段部屋が狭いわけじゃない。ベッドや勉強机を運び込んでも結構生活ができそうなくらい広い部屋だ。そこに昨晩発掘できなかった炊飯器をはじめとした生活に必要であるだろうものが雑多と詰め込まれた部屋を彼らは物置と称しているのだった。電化製品全部買うといくらかかるのかと心配していた私にとってこれは嬉しい誤算だったと言える。か弱い女の子に力仕事は向いていないので山を切り崩すのと私の私物を運び込むのは男ふたりの仕事である。私の仕事は使えるものとゴミに分けること。男手があるのは最高だ。
「まったく……なんでこんなことを俺が」
「日中にこれでも倶利伽羅くんが頑張ってくれたんだよ、おじさん!!」
「俺は仕事をしていた」
いきなり有給は取れなかったらしい。あまりにも家の中がごたついているので近いうちにとってくれるらしいけれど、果たして社畜マンの長谷部おじさんは休みを勝ち取れるのか。
「おい、力を抜くな! 俺に荷重がかかっている」
「……抜いてない」
ベッドは重たいだろうなあ。仲が良さそうな二人のやり取りを聞きながら私は晩ご飯の準備にかかった。とは言ってもまだそんなにレパートリーは多くない。通学が短くなったのだからその時間を使って料理を習得しなさいね、これが花嫁修業ですよとお母さんには言われている。文明の利器を片手に検索し、これなら作れそうだと思うものを探し出すのが至難の業だ。というか冷蔵庫の中身と相談しなくてはいけないから意外と大変。徒歩での買い物のため貧相な冷蔵庫の中身を見て、煮物くらいならできるかな、と発掘したばかりの鍋を片手に準備を始めた。
「……なまえ、意外と食べれる物を作るんだな」
「意外とってなに、長谷部おじさん」
「いや……昔はあれほど、その、不器用だったから」
「子供は成長する生き物なの!」
美味しいって言われなかったあたりが私なのだけれど、長谷部おじさんは取り繕うことを知らないのでまずいと言われなかっただけすごいと思うことにした。これから卒業までに上手くなる予定なので何の問題もない。
「今更なんだけど私ここに住んでも良かった?」
「もう住むしかないだろう」
「だよね。ごめんね〜あと倶利伽羅くんっておじさんとどういう関係なの? どうして倶利伽羅くんはここにいるの?」
会話は少なくとも和やかな空気だった空間が突然凍りついた。二人はアイコンタクトを交わし、私の様子を伺い、諦める気がないと悟ったらしい。おじさんが箸を置いて、改まった顔で話し始める。
「血縁上は他人だ」
「だよね。親戚の集まりで見たことないもん」
「だが――甥のようなものだと、思っている」
「その辺、詳しく聞いてもいい?」
「今は、まだ言えない。だが、いつかは、と」
「分かった。待ってる。お母さんには言わないほうがいいよね」
「そうしてくれると助かる」
「分かった」
おじさんにとっての、私のような存在。年が離れていて、血も繋がらないのに、積み重ねた時間もないのに、それほど親しく思われる理由はなんだろう。男同士にしかわからない何かが二人にはあったのだろうか。とりあえず恋人ですとかそんなオチはなさそうで安心した。だってそんな展開だったら気まずいにも程があるし、芽生えたばかりの恋心を諦めるのは辛いもんね。
02
秘密って、いいものだと思っている。同じ秘密を抱えることで共犯者になることで、どうやったって仲間意識が高まるものだから。私は彼の秘密に触れたい。今ある秘密だけじゃ全然足りない。なんで倶利伽羅くんのことが好きになったのかもわからない。顔立ちはそりゃ整っているけれど纏うオーラはどちらかと言えば近寄りがたいものだ。それでも出逢ってすぐ好きになってしまった。それはきっと、彼がアンバランスだから。青年と少年の狭間。未成熟な心と体。だけどきっと彼は闇を知っている。何もかもに恵まれてのんきに育ってきた私とは違って、憂う瞳はきっとこの世の闇を知っている。人間は自分にないものを持っている人間に、どうやったって惹かれてしまういきものなのだ。
「ね、倶利伽羅くん」
「ああ」
相変わらず自分のことは何も語ってくれない倶利迦羅くんだから、代わりに私は私のことをたくさん話す。きっと倶利伽羅って名前もうそだよねって思いながら、ちょっと泣きたい気持ちになりながら、それすら触れずににこにこ笑って彼の心を絡めとろうとする。無邪気な女の子を演じて、ご飯で胃袋を掴んで、周りからそっとそっと、彼に近づいていく。
まだ入学式まで数日猶予があるので、服とか、鞄とか、引越しですっかり忘れていたものを買いに行くことにした。荷物持ちを強請ると倶利迦羅くんはあっさり一緒に出かけることを許諾してくれたから、人ごみは平気なのかと、意外に思った。
「せっかく受験も終わったしたくさん買物しようと思うんだ」
「そうか」
「倶利伽羅くんもなにか買わないの?」
「俺は特に」
「せっかくかっこいいんだから服とか買えばいいのに」
「……俺が?」
中心街の方へ二人で向かいながら雑談をする。私の発言に驚いた倶利伽羅くんが歩みを止めた。合わせて私も歩みを止めて、そのまま見つめ合う形になった。こちらが照れてしまうくらい、倶利伽羅くんはまっすぐ瞳を見つめてくる。最初は純粋な驚き。それから探るように。
「うん。お世辞じゃなくてとってもかっこいいと思うよ」
「……初めて言われた」
「そうなの?」
「ああ」
「私が初めてなの、ちょっと嬉しい」
私の言葉に答えずに歩き出した倶利伽羅くんはきっと照れていたのだと思う。ほんのり赤みが増したように見える肌に、頬を緩めながら、走って彼の隣に並んだ。
「……もういいか」
「うん! いっぱい持ってくれてありがとう」
「構わないが、これは俺がいなくても買うつもりだったのか」
「そうだよ〜必要なものだしね」
主に私の買ったもので両手が埋まった倶利迦羅くん。主に、というのは途中で倶利伽羅くんのお洋服も買ったから。私のお気に入りのショップにメンズもあったから、カップルで同じ系統のコーデ着るの憧れるなと思って試着をしてもらったのだった。そうしたら予想をはるかに上回って似合うものだから、長谷部おじさんに連絡して買う許可をもらったのだ。聞けば、おじさんの服を借りて適当に来ていたので自分の服はあまり持っていなかったらしい。丁度いい機会だったと思う。服や鞄が主だから重さはたいしたことはないだろうけど、かさばって大変そうだ。もっと持つよと声はかけたのだけれど、渡してくれたのはたったの二個。同年代の男の子からの女の子扱いに胸がくすぐったくなった。
近道で商店街を抜けていると可愛い雑貨のお店があった。可愛いお弁当箱に興味を惹かれて立ち止まる。私の気配に気づいた倶利伽羅くんが声をかけてくれた。
「どうした」
「高校生はお弁当だし、お弁当箱持ってなかったなって……」
「見ていくか?」
「いいの? 荷物重くない?」
「これくらい増えてもたいした重さじゃない」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
今日は倶利伽羅くんに甘えてばかりだな、と思う。店内に入ると、新学期直前だからか、お弁当箱のコーナーが大きめだった。
「長谷部は作れないぞ」
「お弁当? 大丈夫だよ、私が作るから」
「凄いな」
「たいしたものは作れないけどね。倶利伽羅くんもお弁当?」
「……考えてなかった」
「もし、よかったら、だけど。私が作ろうか」
自然に言えただろうか。緊張して汗ばんだ手で服の裾を掴んで誤魔化す。返事が何もなくて困惑していると、倶利迦羅くんは真っ直ぐに私を見つめていた。本日二度目だ。言葉は少ないくせに、なんで彼はまっすぐ見つめてくるのだろう。心の中まで見透かされそうでなんだか落ち着かなくなる。
「いいのか」
「いいよ」
「手間じゃないのか」
「一人分も二人分も変わらないよ」
「迷惑じゃ、ないのか」
あ、これ、本音だ。
倶利迦羅くんの心の中にしまいこんだ秘密、もしくは柔い部分に私は今触れている。彼の過去は知らないし、だから何があったのかわからないけど、何を求めているかは推測できる。
「そんなこと思うわけないよ。お揃いのお弁当ってなんだか家族みたいで照れるね」
だから私は彼の欲しい言葉を上げる。代わりに、秘密を少し貰う。そうして仲良くなって、私たちは家族に近づいていくのだ。
「そうだな」
「同じ学校だったらきっとからかわれちゃうよね」
「違う学校で良かった?」
「かもね!」
笑いながら私はお弁当箱をレジに持っていった。男物も買わなきゃなあ、と呟くと倶利伽羅くんはわずかに嬉しそうな顔をした。
03
「連絡取れないと不便なんだけど」
新学期が始まって一ヶ月近く。私も倶利迦羅くんも学校生活に馴染んだ頃、とある問題が発生した。買い出しの問題だ。理想は長谷部おじさんの車が使える週末に一週間分買い込むことなのだけれど、まあ安定の長谷部おじさんだしその案はなかったことになった。ということは、必然的に私か倶利迦羅くんが買出しをすることになる。倶利迦羅くんが料理を作るわけではないので買い出しは頼めないし、私一人じゃ荷物が重いし、倶利伽羅くんに手伝ってもらいたいのだけれど、学校が違う上に彼はスマホを持っていなかったのだ。
「そうだな……倶利伽羅もそろそろそんな年か」
「いや俺は」
「おじさん凄くお父さんみたい」
「訂正しろなまえ。俺はそんな年じゃない!」
なんてやり取りをしつつ倶利伽羅くんにスマホが与えられた。真っ新な連絡先に一番最初に登録されたのが私で、それが特別な感じがして嬉しかったのである。さっそくダウンロードしたSNSで「今日の放課後迎えに行く」ってメッセージをもらって、カップルみたいだなあと幸せに浸っていたのだった。
「あれえ? なまえちゃん嬉しそう。何かあったの?」
「ううん、何もないよ」
「うーそっ。スホマ見てニコニコしてたよ? あ、もしかして彼氏?」
ちょっとハスキーな声と、さらさらとした長い髪のこの子は乱くんという。女の子の制服を着ている(校則には制服着用とだけで性別にあったとは書いてないので許されるらしい)けどれっきとした男の子だ。最初は女の子と間違えて声をかけて仲良くなった、大事な友達のひとりである。
「乱、野暮なことは聞きなさんなって。あの顔見りゃわかんだろ?」
「な〜! なまえも隅に置けねえな!」
なんて悪乗りしてきたのは薬研くんと厚くん。なんと乱くんと三つ子だそうだ。全く似てない三人だけれど、一卵性ではないのならばそうなのかもしれない。乱くんを通して知り合ったこの二人も、私の大事な友達だった。
「で? その彼氏さんがなんて連絡してきたんだ?」
「か、彼氏じゃないよ!」
「えー、じゃあどんな関係なの?」
「ううん、血の繋がらない、弟みたいな……?」
体格差から言うと完全に兄だけれど。あの危うい雰囲気は構ってあげたくなるし庇護欲がそそられるから間違ってないのかもしれない。私の答えになぜか沈黙しだした三人は、乱くんの明るい声によってまたやかましさを取り戻した。
「あっねえ、あの校門のとこにいる学ランの人なまえちゃんの彼氏?」
「待ち合わせてた人だけど、彼氏じゃないってば……!」
「放課後デートたぁやるねえ」
「倶利伽羅くんはそんな人じゃないの!」
「倶利伽羅……?」
「ねえねえ、あれって大倶利伽羅じゃない?」
わっと盛り上がった三人。そのまま私の手を引っ張ってなぜか一目散に校門へと向かっていったのだった。
「……遅かった、え?」
「倶利伽羅〜〜!」
「お前もいたのか!」
「わーい、久しぶりっ」
一緒に走っていたはずが、コンパスの差か純粋に男女の差か、大きく引き離されていた。息も絶え絶えに私が皆のもとへたどり着いたときはもう盛り上がっていて、少しだけ疎外感を覚えた。倶利伽羅くん、友達いたんだ。私がいなくても別にいいんだって、なんて傲慢な感情も抱いてしまったのだろう。倶利迦羅くんは別にものじゃない。彼氏でもない。万が一付き合っていたとしても、彼は人間だ。私の所有物ではないのだ。
「なまえ」
「……びっくりした。まさか皆が知り合いだったなんて」
ぐちゃぐちゃの感情のまま彼を見つめていると、倶利伽羅くんは私に気づいてくれた。名前を呼んでくれた。それだけで気分が上昇するのだから、恋する女のことはなんて複雑で厄介な生き物なのだろうか。本音を隠したまま当たり障りのないことを問いかける。
「学校の連れと厚が知り合いで、な」
「それよりなまえちゃんだよ! まさか倶利伽羅と知り合いだったなんて。なんで教えてくれなかったの?」
「つーかどうやって知り合ったんだ?」
「なまえは長谷部の姪だ」
「えっ長谷部!? 長谷部までいんの!?」
「光忠もいるぞ」
「世間せめーな!」
長谷部おじさんは、なんで私と同年代の子たちと知り合いなの……? 恋人がいないのってまさかねえ、とあらぬ疑惑が長谷部おじさんを襲う。倶利伽羅くんといい、謎が深まるばかりだった。
「今日は急いでいるから、また今度でいいか」
「でた、馴れ合わない発言」
「殴るぞ……なまえ」
「あ、うん! みんな、また明日ねっ」
乱くんたちに挨拶をして、まだどこか遠くにある倶利迦羅くんの背中を、私は必死に追いかけるのだった。
「ちょっといいか」
「はい……って骨喰先輩。どうしたんですか?」
お昼休みに廊下を歩いていると、色素の薄い落ち着いた感じの先輩に声をかけられた。一つ上のこの先輩はやっぱり乱くんたちの関係者だった。彼らは粟田口一家と言って、本家と分家に分かれているけど繋がりの強い一族らしい。その関係で、というか彼らがあまりにも私のことを話題に出すものだから従兄弟である骨喰先輩たちも私の知り合いになったのだ。骨喰先輩と鯰尾先輩が双子で、彼らの弟に別のクラスの後藤くんがいる。他にもまだたくさんいるらしいけれど、もう大学生だったりまだ中学生だったりと年齢が違うらしい。
「薬研にこれを返しておいてくれるか?」
「いいですよ。でも骨喰先輩が忘れ物なんて珍しいですね」
「鯰尾が借りたんだが、一緒に返しに行く最中にやつはいつの間にか消えていた」
「なるほど。一緒にいないの、珍しいなって思いました」
「そうか?」
「そうです」
賑やかな鯰尾先輩と物静かな骨喰先輩。性格も外見も正反対だけれど、馬は合うらしい。そういえば薬研くんたちも似ていないけど仲はいいし、血の繋がりってやっぱり目に見えない絆みたいなものがあるんだろうか。全く異なる人間なのに、自分を受け入れてくれる居場所になるのか。血の繋がり以外で絆は結べないのだろうか――なんてことを考える。考えたところで私には兄弟がいないからわからないけど。
「そう言えば、長谷部の姪なんだって?」
「はいそうです。叔父と知り合いで?」
「いち兄……いや、本家長男が同じ学校で」
「世間は狭いですね……」
「本当にな。一つ、訪ねたいんだが」
表情が変わらないからわからないけど、心持ち普段より鋭い空気を纏った先輩に緊張してしまう。なんで私の周りの人達は、こんな、殺気みたいな恐ろしい一面を身の内に隠しているのだろう。
「長谷部に恋人はいるのか」
「それ、うちでも心配されているんです」
「そうか。不躾な質問をして済まなかった」
「いいえ。よかったらお兄さんから叔父にキツく言っておいてください」
「伝えておこう」
長谷部おじさんがキーだということだけは確かである。おじさんの所へ行ってから出会った人達が全員おじさんを通じて繋がっているのだから、彼らの内の誰か、もしくは全員が倶利伽羅くんの秘密を知っているかもしれない。長谷部おじさんはきっと何かを隠している。私はそれを暴きたかった。倶利伽羅くんに嫌われたくないからと言って物分りのいいふりをして私は本音を飲み込んだ。でも私は彼の秘密が欲しかった。だってもう一緒に住み始めて三ヶ月近くも経っているのだ。私の作ったご飯を食べて、ひとつ屋根の下に、家族みたいに生活しているのだ。そろそろ心を許してくれたっていいじゃないか、ねえ?
「あ、雨だ……」
悶々とそんなことを考えていたらいつの間にか雨が降り出していた。そろそろ梅雨の季節だというのに傘を持ってこないなんて、失敗したな。土砂降りの雨がまるで私の気持ちを表しているようで少し笑えてきた。
「さむっ」
あれから家まで全力で走ったものの、やっぱり全身濡れ鼠になってしまった。シャツは換えがあるからいいけど、スカートは乾くだろうか。なんてことを心配しつつ私はお風呂に入る準備をする。通路を少し濡らしてしまったが、倶利伽羅くんは今日バイトだし、後で拭けばいいだろう。
芯から冷えた体にお湯のぬくもりが染み渡る。湯船には不思議な力があって、とりとめのないことを考えてしまう。私の料理が美味しかったときの倶利伽羅くんの顔、一緒に買い物に行って仲のいいカップルだとからかわれたこと、だんだんと一緒にいても警戒されなくなったこと。これ以上彼と仲良くなるにはどうしたらいいんだろう。
「ん?」
不意に大きな物音がして思考が中断された。続く足音。つまり家に誰かがいる。
玄関の鍵を締めたかというところに思考が飛んで、締めていないとの結論が出た。いつもならきちんと施錠するのに今日は余計なことを考えていたからそこまで気が回らなかった。もしかしなくてもこれはやばい。ただでさえ女の身の上なのに、今は何も身にまとっていない状態だから逃げ出して助けを呼ぶこともできない。音がしないようそっと浴槽を抜け出して、そっと服を身に付け……。
「えっ」
「……」
「えっちょっと、まっ」
「……済まなかった」
倶利伽羅くんだった。
人間は驚きすぎると悲鳴を上げることもできないらしい。パニックになった頭の端で、思ってたより長風呂してたんだなあとか大きな物音は私が作った水たまりで倶利伽羅くんがすべったのかなあとか冷静な判断を下していたのだった。
04
倶利伽羅くんがそっけない。原因にはしっかり心当たりがある。お風呂のラッキースケベ事件である。あのことについてちゃんと謝って貰って全ては解決したように思ったんだけど、どうも倶利伽羅くんが一人照れているようなのである。シャイボーイか。こっちが気にしていなくてもあっちが気にしていると釣られてなんだか恥ずかしくなるからやめて欲しいものである。しかしこんな悩みは誰かに相談しにくいので、気まずいまま日々が流れていくのであった。
(女の子って意識してくれってるってことかな)
そうだとしたら嬉しいんだけど、このままの状態も困る。どうやって前みたいに意識せずに話せるようになるか考えているのだけれど、生憎そっち方向の経験があまりにもないので全く思いつかなかった。
「なまえちゃん」
「乱くん」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「いいよ。なぁに?」
「大倶利伽羅と何かあった?」
「うっっっっっ」
ストレートな言葉のせいで頬杖をついていたのが滑って机に顔をぶつけてしまった。この反応から察した乱くんは「何かあったんだね!?」と目をキラキラさせている。乱くんはその可愛らしい外見のせいか、男の子というのは分かっているのだけれど、どうしても女友達というイメージが抜けないのだ。だからちょっとだけなら言ってもいいかなって気持ちにさせられてしまうのだが、これを言ったら厚くんや薬研くん先輩たち、挙句の果てには顔も知らぬ彼らの兄弟のもとへと噂が広まってしまうのが分かっているので誤魔化しきりたい。
「ねえねえ、教えて教えて! 協力するから〜」
「プライバシーに関わることだから無理です!!!! ノー!!」
ケチー!!なんてやり取りを続けていると、鞄の中でスマホがちかっと光ったのが見えた。SNSの通知で、倶利伽羅くんだった。内容は今日家に友達を連れてきてもいいかというものだった。そんなに二人きりになりたくないのか……と思いながら、「いいよ」と返事を返した。
「大倶利伽羅関係だね?」
「なんで」
「今ちょっと残念そうな顔をしたもん!……なんて?」
「今日家に友達を連れてきてもいいかって」
「えっ、大倶利伽羅の友達!? 誰なの?」
「そこまでは聞いてないけど」
うさぎの耳のついたカバーをつけたスマホを取り出して、乱くんはすごい速さで文字を打った。たぶん相手は倶利伽羅くんだ。返事を見て、厚くんたちの方へ駆けていく。乱くんが話した内容で大盛り上がりをしている。若い子は元気があっていいな、なんて年寄り臭いことを考えてしまった。
「なまえ、今日俺らも遊びに行っていいか?」
「いいけど……?」
今日、いったい誰が来るというのだ。そしてリビングにそんなに人が入るだろうか。
「……ただいま」
「倶利伽羅くんおかえり〜」
「お邪魔しまーっす!」
「邪魔する」
「こんちわ!!」
学校からコンビニでちょっと寄り道したものの、倶利伽羅くん御一行よりは早く家についていた。金髪ロングの人や、やたら身長の高い人や、顔に傷のある人が一斉に入ってきたので正直死ぬほど吃驚した。男の子がたくさんいるから緊張するのか、はたまた彼らの雰囲気のせいか。類は友を呼ぶというか、ヤンキーなんです……? 硬直していると、後ろから乱くんたちが彼らを迎えた。
「皆久しぶり〜!」
「っておお!? 乱か? それに厚や薬研も!」
「獅子王は知ってたけどたぬきや杵がいるのは知らなかったぜ」
「大倶利伽羅も来るなら来るって教えてくれればよかったのに」
「……俺も今知った。なまえ」
「はい!」
「机出すから手伝ってくれ」
「喜んで……」
まさかの倶利伽羅くんのお部屋訪問イベントがここでくるとは思っていなかったのである。一緒に住んで入るけど基本はお互い不可侵で、リビングに居るときはお話したりするけど自室には入ったことなくて、ああ、緊張する!! 私を入れるのが嫌なわけじゃないんだと思うと少し嬉しくなった。
ドキドキする心情を顔に出さないようにしながら、彼についていく。整理されているというよりは圧倒的にものが少ない部屋だった。座卓の上に置かれた勉強道具だけが、倶利伽羅くんの色を宿している。それを見て、切ない気持ちになる。だってこれじゃまるで、いつでもここからいなくなる決意をしてるみたい……。
「部屋、片付いてるんだね。男の人って散らかすものかと思ってた」
「長谷部もそんなことしないだろう」
「うん、そうなんだけど」
「テストが近いから、勉強会する流れになった。だが、この調子だと無理そうだな」
「やばいの?」
「……俺は苦手科目だけだが、他の奴らが」
「テストいつなの?」
「一週間後」
「私の所より早いんだね。よかったら教えようか?」
「そうしてくれると助かる」
そう言って倶利伽羅くんは薄く笑った。私に教科書だけを渡して、賑やかなリビングへと机を運び始めた。優しげな笑に打ちのめされた私は、呆然と立ち尽くしていた。
05
呪いをあげようと思ったのは、倶利伽羅くんがキーホルダーをくれたからだった。なんの前触れもなく突然に渡されたそれ。理由を問えば、無事にテスト期間が終わって、この間家に遊びに来てくれたメンバーで遊びに行って、その時にゲームセンターに寄って、とったからと答えが返ってきた。なんでも、自己採点した結果かなり点数が出ていたのだと。だからそのお礼だと倶利迦羅くんは言ったのだった。男の子が使うには愛らしすぎるそれを見て、わざわざ私のためにとってくれたことが嬉しかった。
しかも、それだけじゃない。部活に入らずバイトをしている倶利伽羅くん。食費も入れているし、きっと今長谷部おじさんに出してもらっている学費なども将来的に返すためのバイトだろう。そんな状態なのに、私に対して気を遣ってくれた、それが嬉しかったのだ。
「……自惚れてもいいのかな」
私が倶利迦羅くんにとって特別だと。長谷部おじさんの――お世話になっている人の名だから気を遣っているのではないんだと。私には彼の心の内がわからない。それはきっと私が彼に自分の心を曝け出してないのもあるだろう。今の関係の居心地が良すぎて壊れるのが怖くなるからできないのだ。でも、その恐怖を振り払って私が一歩を踏み出さないと倶利迦羅くんとの間にある透明な壁は振り払うことができない。ここまま卒業してしまえば何も跡を残さず倶利伽羅くんは消えてしまうだろう。その前に捕まえなければ。
「倶利伽羅くん、これ、この間のお礼」
「お礼?」
長谷部おじさんが帰ってくる前。バイトから帰宅した倶利迦羅くんにラッピングされた包を渡した。別に礼を言われることなんてしていない、と倶利迦羅くんは突っぱねたが、せっかく買ったのだからと無理を通す。
「……マグカップ?」
「うん。シンプルでいいでしょう。色違いで長谷部おじさんと私の分も買ったんだよ。だからお礼とはちょっと違うんだけど……」
友達とお揃いで買った筆箱が変えにくいと思ったときに思いついたのだった。誰かとお揃いのものは枷になる。
「そういうことならありがたく使わせてもらう」
「えへへ、ありがとう。嬉しいよ」
倶利伽羅くんは優しいから、私の気持ちを無下にすることはないだろう。その読みは当たった。今日から早速使おうね、一回洗いたいから貸して、とあげたものを再び受け取った。
渡されたマグカップを見て、こんなに割れやすくて軽いけれど重りになってくれたならいい、と思う。私が倶利伽羅くんのくれたキーホルダーを見るたびに胸が締め付けられるのと同じように、食卓でこのお揃いのマグカップを使うたびにここが自分の居場所だと思い知ればいい。いつか出て行く時に、ここでの思い出や持っていくものがいっぱいで重くて動けなくなればいいと、そんな気持ちを込めて私は倶利伽羅くんを呪ったのだった。
「なまえちゃんここ教えて〜〜」
「俺英語頼む」
「任せてください!!」
予想以上に深刻だった倶利伽羅くんのお友達のテスト勉強会。私の学校はまだ少し後なので危機感のない乱くんたちがお菓子食べよ〜ゲームしよ〜と妨害もしてきたのもあって勉強会というよりなんとか課題を片付ける会になってしまった。倶利伽羅くんは苦手科目だけで済んだので主にお友達に教えることが多かったのだけど、みんな優しくて気さくな人で楽しかった。また遊びに来て欲しいなあ。
「……伝えておく」
「えっ」
「口からでてたぞ」
私の顔が赤くなったのは恥ずかしさのせいなのか、柔らかく微笑んだ倶利伽羅くんを見たせいなのか。倶利伽羅くんは基本的に表情が動かない。幅もない。仏頂面がデフォルトで怒った顔は見たことないし、私が見たのは照れた顔と、切なそうな顔と、たまにこうして優しく笑う顔くらい。勘違いされやすいんだけど、実は優しい人なんじゃないかって思っている。
「ありがと……あの、友達、いい人ばっかりだったね」
「喧しいけどな」
「に、賑やかなのはいいことだと思うよ」
「そうだな。ひとりでいるより、ずっと……」
あ、遠い目をした。何かに思いを馳せている。それはきっと良くない記憶だろう。男性にしては細い腕と血縁関係でもない長谷部おじさんに引き取られたこと、それから些細や優しさに過剰に反応することからなんとなく察している。彼が心を許してくれるまで触れてはいけない。分かっているけど私は知りたい。倶利伽羅くんの家族に――暖かい居場所になりたいと思っているくせに、自らの欲望の方を優先させてしまう、そんな人間なのだった。
「一人だったの?」
なんでもない世間話を装って尋ねた。心臓がバクバクしている。彼はこの質問で傷つかないだろうか。嫌がられないだろうか。拒絶されないだろうか。心配なのは私のこと? 倶利迦羅くんのこと?
「長谷部に引き取られるまでは」
「その、言いにくいことだったらいいんだけど、ご両親は……」
「まだ生きてはいる。が、俺には興味がないみたいだ」
なんの気まぐれだろうか、倶利伽羅くんは彼の昔話をしてくれた。両親が不仲だったこと。子供にはあまり興味がなかったこと。少ないながらもお金はおいていてくれたから飢えて死ぬことはなかったけど、寂しかったこと。偶然、小さい頃近所に住んでいた長谷部おじさんと再開して、家庭環境を心配して養子として引き取ってくれたこと。その際に、両親は一切の反対を示さなかったこと。
「そうなんだ」
「昔のよしみというだけであの地獄から救ってくれた長谷部には感謝してる。今はまだ無理だが卒業したらすぐ働いて、色々返したいと思ってる」
「長谷部おじさんはそんなこといらないって言うよ」
「ああ」
だからなんだなあ。部屋に荷物が少ないのはここが自分の居場所じゃないと思っているから。借り暮らしだと思っているから。邪魔だと言われたらすぐに出ていこうと思っているから。そんなの寂しいなって思う。平凡な家庭で平凡な幸せを与えられて育ってきた私にはわからないことだけれど、与えられなかった分を、私が埋めてあげたい。
「家族なんだから、そんなの必要ないよ」
「かぞく」
「血の繋がりがなくたって倶利伽羅くんは、もう、私の家族だよ」
どうか気持ちが伝わりますようにと祈りながら、腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう」
おずおずと遠慮した様子で背中に回された腕が、たまらなく愛おしかった。
06
刹那的な生き方をしているけれど、もう少し賢い人だと思っていた。けれど倶利伽羅くんに対するそんな印象は改めなくてはいけないようだった。
「その顔どうしたの」
「なんでもない」
「どうしてそんなことになったの」
「なんでもない」
「なんでもなくないでしょ!!」
電気もつけずに座り込んでいた倶利伽羅くんの顔は青痣がくっきり付いていたし、赤く腫れていた。顔にこびりついているものは鼻血だろう。汚れた服からも派手にやりあったことがわかる。呆れと、怒りと、心配と。いくつもの感情が交じり合って私は一瞬どうしていいかわからなくなってしまった。
「冷やさなきゃ……いやその前に洗ったほうがいいかも。あと病院」
「いらない」
「でももし何か怪我してたら」
「いらない」
清潔なタオルを、と思って立ち上がりかけた体は不自然な状態で止まった。抜き身の刀のような、鋭い殺気が私に飛んでくる。こんな倶利伽羅くんは初めて見た。恐怖もあったけれど、悲しみから私は泣き出してしまった。こんなに心配しているのに、倶利迦羅くんは私の気持ちを突っぱねるだけなのだ。押し付けている好意はただのエゴかも知れない。日々かけている呪いは重荷かも知れない。でも、私は、あなたのことを心配しているだけなのに。
「怖いか」
「怖くなんてない」
「泣いてる」
「これは悲しかっただけだよ」
「なんでなまえが悲しいんだ?」
本気でわかってない様子で倶利伽羅くんは尋ねてきた。育ってきた環境が、愛を与えられないものだったから、倶利伽羅くんは自分に向けられる愛というものを存在しないと思っているのかもしれない。だから長谷部おじさんの優しさをきっちり清算しようと思っているし、私の気持ちにも気づいてくれないのだった。
「倶利伽羅くんが悲しい思いをしているから」
「別に俺は」
「でも、痛いでしょ? 喧嘩したってことは、殴られたってことは、誰かから悪意を向けられたってことでしょ? この間きた子と喧嘩したのでも別の人でも、悲しいでしょ」
「……たとえそうだったとしてもなまえまで悲しくなる理由がわからない」
「倶利伽羅くんが好きだから」
金色の瞳が、まるくなった。
初めてみた表情だった。私の知らない倶利迦羅くんはまだまだたくさんいるのだ。だけど、私はあなたの全部を知りたい。
「だから、家族になろう。私と結婚して長谷部おじさんの本当の甥になっちゃおう。ここが借り物の家じゃなくて、本当の家になって、そして家族三人で暮らそう」
「本当の家族……」
「うんって言ってくれたら、私たちは家族になれるんだよ……」
倶利伽羅くんの返事は言葉じゃなかった。噛み付くような、キスだった。
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あれから数年経って、私たちは大学を卒業して社会人になっていた。長谷部おじさんの家を出て行って二人で暮らしていたのだ。学生の時は狭いところに住んでいたけど、収入を得るようになって、それより広い家に引っ越すことができたのだった。
「三人だった家族が二人になったな」
「そうだね。寂しい?」
「前の家にいたときは長谷部と暮らしていた時と広さが変わらなかった」
「今の家は大きいもんね……でももう少ししたらきっと狭くなるよ」
「え」
金色の瞳が、まるくなった。
あまり見せないその表情に私は嬉しくなる。
「また、三人暮らしになるね、お父さん」
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