※0516に頒布した伊勢崎くんお誕生日おめでとう本の再録です



 吾輩はハムスターである。名前はまだない。マジでない。というのも、私のご主人が私に愛着を持たないよう種族呼びを徹底しているからである。
今現在私は伊勢崎敬と云う少年の部屋で飼われているけれど、元々は私は彼の弟へのプレゼントだったそうだ。良輔と云う少年と彼の妹がハムスターを飼いたいという話を聞いて、ご主人は可愛い弟のために私を準備したそうだ。でもご主人と弟くんはあまり仲がよろしくなく、結局渡すことができなかったのだ。手を伸ばした命に責任を持たないといけないので、世話はご主人の家の使用人がしているものの、私はご主人の元で生を謳歌することになったのだ。
 だから知ってる。私は知っている。色々なもので部屋が混沌としているご主人の部屋に、弟くんに渡せなかったプレゼントがあるのを。彼との思い出の品が未だ大切に保存されているのを。大事なものを増やせないご主人が、私に愛着を持たない様に名前を付けないのを。
 名前とは呪いだ。その他多数と自分を切り分けるものなのに唯一自分で選べないものであり、他人からしか受け取ることができないものであり、名前を何度も呼ぶこと・呼ばれることで人はその個体に愛着を持つ。だからご主人は私の名前を呼ばない。私もご主人の名前を認識しない。私たちの関係はビジネスライクだ、と。この時までの私は思っていた。

01
「わ、こらちょろちょろすんなって」

 いくら体の小さいハムちゃんと言えど、与えられたケージが他のハムに比べると広いものであったとしても、ハムスターとは囚われない生き物だ。へやんぽしたい。餌やり、ケージの掃除はご主人の家の使用人が行ってくれるが、へやんぽをしてくれるのはご主人しかいないのだ。ご主人はヒーローという職に就いているらしく、長期間部屋をあけるときがある。そういう時は仕方ないのでケージだけではなくこの広大な伊勢崎邸から脱走し、外界をお散歩することにしている。なんでそんなことができるのかって? それは、私が天才ハムスターだからだ。知性が他のハムとは違うのだよ、人間くん。

「ギッ」

 ちょろちょろしていない! という反感を込めて鳴くけれど、ご主人に言葉が伝わっているのか不明だ。ハムスターは人間の言葉が分かるのに、人間はハムスターの言葉が分かっていないようだから。ハムスターの方が人間より賢いと思う今日この頃である。だって学校という教育機関で課題を与えられても、ご主人はさっぱりそれが理解できていないようで、現に今も珍しく課題を広げたというのにさっぱり手が動いていないからだ。ここにヒントが乗っているぞと教えようとしてたしたし教科書を叩いて教えているのにちょろちょろするなとはなんて言いざまだ、もう知らない。詫びとしてひまたねを所望する!
 ご主人の大きい手に鼻をおしつけて、きゅうきゅう甘えてみると、私の愛らしさに陥落したのだろうご主人が「しょうがないなあ」と言いながら机をごそごそし始めた。やった。

「俺、明日からしばらく任務でお前におやつやれないもんな。今日はしっかり食べておけよ」

 なんと。という事は、彼が寝付いたら脱走して鞄の中に入っておかないといけない。遠くまでお出かけしようと思うと、か弱いハムちゃんの脚ではなかなか難しいのである。あと天敵もいるし……。ご主人は朝が大変弱いので、毎朝「うわー!」とかなんとか騒々しい悲鳴を上げながらバタバタと出ていくのでケージの中に私がいるかどうかは確認しないのである。ご主人のこの習性を使って私は何度も大冒険をしているのだ。
 その日の朝も運良く荷物の中に隠れ潜み、敷地の外へと脱走することが叶った。

「おい、敬」
「なんだよお一孝。俺今ちょー急いでんの!」

 一孝、と呼ばれた個体はご主人の……友達……? 身内……? だ。この広大な敷地の中で一緒に暮らしているので多分家族だと思うのだが、ここの家の家族関係はやたら複雑なのでまだあんまり把握できていない。そしてこの個体はリアリストな夢見がちで、星座占いというものを信奉しているのである。

「お前、今日から大規模任務だったよな」
「そうだけど」

 だから急いでんだけど、とご主人は言外に匂わせる。

「今日のおうし座の順位は最下位だ」
「だから何!?」
「ラッキーアイテムは不明だが、ラッキーアニマルはハムスターだ」

 つまり、私? なら脱走してきて良かったな、と思う。天才ハムスターはこれだから凄い。運命の先読みまでできるなんて、己の才能が怖すぎる……。

「わかった!」

 多分わかってはいないだろうけれど、ご主人は元気よく駆けだす。揺れて気持ち悪くなるので出来たらやめていただきたいが、脱走している身の上なもので文句は言えないのだ。
 ご主人はいつもの教育機関ではなく、研究機関の方へ向かう。ご主人はヒーローという職に就いているのだ。このヒーローというのはイーターと呼称される外敵を排除する仕事だ。つまり私がお外をお散歩しているときに食われそうになるカラスを排除する仕事みたいなものだ。いくら私が賢いと言ったってカラスを排除することはできないし(せいぜい身を隠してやり過ごすだけだ)、それを思うとご主人はとんでもない偉業を行っていることになる。頭はあんまりよくないけど。
 私が外敵を排除するとなると命懸けだ。いくらご主人が強い個体だったとしても、人間の外敵を倒すとなると大変だろう。ましてや今日はご主人は運勢が最悪なようだ。であれば、ラッキーアニマルとして私が活躍してあげようじゃないか。
 ずっと傍にいることができるように、隙を見て鞄からご主人のポケットに移る。そうしてなるべく大人しくする。存在がバレて引き離されたら意味がないからだ。ご主人は落ち着きがないので、ポケットにいると激しく揺さぶられて気持ち悪くなること間違いなしなのだが、昨日たくさんひまたねをくれたので我慢しようじゃないか。
 ご主人が一緒に仕事をしている人と楽しそうにしていると上司二人がやってくる。指揮官さんと呼ばれている人間と神ヶ原さんと呼ばれている個体だ。指揮官さんという呼称から推測するに、この人間はご主人含むヒーローたちに指示をしているのだと思う。

「交代でパトロールに出て貰うけど、今日はイーターの予報が出てるから気を付けてね。こっちも警戒態勢で待機しているから、何か異変を感じたらすぐに連絡を」
「はい」
「はーい」
「分かった」
 きゅっ! 私がつられて返事をすると、ご主人よりずいぶん小さい個体が「ん?」と反応した。
「今何か聞こえなかったか?」
「えっ、怖い話?」
「いや……たぶん気のせいだ。気にしないでくれ」
 と、言いつつ彼は私が潜んでいるポケットを見つめていたようだ。君のような勘のいい個体は嫌いだよ、人間くん!

 てってってっ、とご主人含むヒーローたちが街中を歩く。パトロールだと言っているけれど、私はこれを勝手に町内マラソンと呼んでいた。天才の名付けだと思うが、あいにく私の言葉を理解できる人間がいないので誰も共感してくれないのが寂しい所である。ご主人たちはどうのこうのとたわいのない話を続けながら街中を見回る。戦闘前だから息を抜きすぎだと注意したほうがいいのか、それとも緊張のし過ぎで普段通りに動けないほうが良くないのか、ハムスターなので分からなかった。

「おい」
「ああ、いるな」

 和やかな空気が一転して、ピリッとした空気になる。一人が指揮官さんとやらに連絡を入れ、ご主人が戦闘の体勢に入る。いざという時に対応できるよう、私はポケットから顔を出した。そうするとご主人より大変小さい個体と目があった。

「ここにも何かいるな……?」
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 いない、いない、何もいない! きゅうと声を出すとご主人に気付かれるかもしれないので(なんと、まだご主人は私の存在に気付いていないのである)、目で全力で訴える。ハムスターという生き物は存外表情が豊かであるので、なんとか小さい個体にも私の感情が伝わったらしい。見なかったことにしてくれた。人間の優しさに感謝しながら、戦闘が開始した。
 あの小さい生き物が一番前に出て、敵の攻撃を一番受ける。私は信じられないものを見る気持ちになった。身体が小さい個体は、弱い生き物だ。ご主人も、ご主人と同じ色の服をまとった人物もとても身体が大きいというのに何をしているのだろうか?
 小さい個体が敵の注意を惹きつけておいて、ご主人が水の塊を飛ばして敵を仕留める。もう一人の個体が小さい個体の補佐をしつつ、敵をじわじわ削る。なるほど、統制の取れた狩りだ。これなら何も心配することはないかもしれない、と私が安心した時だった。

「危ないっ、敬さん!」
「うおっと!」

 二人の間をすり抜けた敵がご主人を喰らおうとする。咄嗟に武器を展開しようとするが、ご主人の武器は遠距離向きだ。間に合わない。
(時間さえ、稼げれば)
 そうすれば、ご主人はあの水で敵を仕留めることができる。私が付いてきたのは今日のこの瞬間のためだと察した。勇気を出して胸ポケットから思い切り飛び出し、そうして――私は、ご主人の代わりにそいつに喰われた。

「えっ!? おまっ、うちのハム輔!」

 驚いたような声が聞けて少し安心した。私はご主人にとっての大切に一応入っていたのかな?

 そいつの胎の中は黒い闇の中だった。一切の光の届かない闇の中では視覚は何の役にも立たない。上下の感覚も、並行の感覚もない純粋な闇の中にいると、自分とその他の境界線が分からなくなってくる。どろどろと輪郭が溶けていく。最初は錯覚かと思った。でもそれは錯覚じゃなく、事実だった。溶けて、融けて、解けた。私はハムスターという一生命体から、世界の理の一部になろうとしていた。この化け物は、人間の外敵は、イーターという名前で星を喰らうものだった。地球に溶けて、ワールドコードに触れて、私は運命というものを理解した。でも今理解したところで何だって言うんだろう。この世界が。私が今存在している世界が#%&($$&)$&#%##だということを知ったところで――。

「わっ」

 完全に「私」が地球に溶けてしまう前に暗闇から放り出された。地面に叩きつけられる衝撃で「私」を取り戻す。ただ、「私」は一度融けて元の存在に再構築されるときにバグが起きてしまったらしく、人間の姿に変換されていたのだけれど。

「待って! 巡ちゃん待って、とどめ刺さないで! ハム輔がまだ食われたままだ!」

 ご主人の声が聞こえる。馬鹿だなぁ、相手を生け捕りにするのはよほどの実力差がないとできない。殺すよりも難しいことだ。そんなことをしていたら、ご主人たちの方が死んでしまうのに。私のことなんて捨て置けばいいのに。非情になり切れないその愚かさがとても愛おしいよ。

「ご主人! 私は大丈夫だ!」
「えっ? でも君人間じゃん……」
「毎日一緒に居るというのにわからないのっ!」

 この馬鹿! と思いきり怒鳴りつけると、ご主人が私の目を見た。そうだ、見ろ。私のこのつぶらな瞳を! そのあまりの愛くるしさで私が人間ではないことに気付くだろう。

「……嘘はついてない」
「馬鹿のくせに何でそう疑り深いんだ……」
「馬鹿って言うほうが馬鹿だ!」

 ああ、埒が明かない。こうなれば最終手段だ。「渡せなかったプレゼントを処分することも名前を付けることもできないやつは馬鹿だ!」と叫んでやると、やっと納得できたらしい。――覚悟を決めたご主人は強かった。一撃で、私を喰ったイーターを仕留めた。それを見て安心したのか、視界がぐらぐら揺らいで、再び私は暗い闇の中に意識を落とすことになる。


02
 目を覚ますとそこで世界の縮尺が変わっていた。ああ、そうか。人間になったんだ。ゆっくりと身体を起こす。空腹を感じて辺りを探したが、食べ物はなかった。死活問題だ。食料を探すため寝ていたベッドから立ち上がろうとすると、四足歩行から二足歩行に急に切り替わったせいでバランスがうまく取れずに顔から地面にダイブしてしまった。

「いった〜い!」
 倒れる際にサイドテーブルも巻き込んだため、想像より大きい音を立てていた。「どうした?」「なに、何の音?」という声とともにこちらへ走ってくる足音が聞こえる。

「……これはどういう状況だ?」
「身体の動かし方がわからなくて起き上がれないの。助けて……」
「ああ、俺としたことが。お手をどうぞ、お嬢さん」

 左右で違う瞳をした男が気持ち悪かったとかではない。むしろ親切な人だな、と好感を抱くほどに彼は感じがよかった。だけど私は極限の空腹状態で、ねじ曲がったはずの運命の修復にあおうとしていた。だから、欲望に負けて、彼の手を思い切り噛んでしまったのだ。

「いっ!?」
「うええん、まずい、まずいよお。お腹減ったよお」
「空腹のあまり何に見えていたのかは知らないが、俺は食べ物ではないぞ、お嬢さん」

 昏倒していた少女が目を覚まし、錯乱していた状態だと思ったのだろう。狼藉にも目を瞑ってくれて、怒りもせず、宥めるような声色で話しかけてくれる。優しい人だ。正しい人だ。私はあなたの血に流れる運命を識った。人の身でありながら世界を開拓しようとする。あなたにはその力があるけれど、無理に切り開かれた未来のねじれがいつかあなたに襲い掛かる。それでもあなたはこの場に立つというのか。その覚悟が余りにも痛々しい。

「ううん。私が欲しいのは運命を変える力だよ。あなたは紛い物だけれど、それを持っているでしょ?」

 はっ、と少年のオッドアイが見開かれる。これは一般公開されていない、ヒーローになった者の、その中でも一部だけが知る秘密だ。優しかった少年は、私に対して警戒を滲ませるようになった。

「君は、いったい何者だ?」
「私はただのハムスターだよ……イーターに喰われ、溶かされ、地球とリンクして運命に触れただけの、ただの一生命体」
「待ってくれ、どういうことだ?」
「言葉通りだよお。ねえ、お腹空いた」
「説明を……」
「ご飯くれたら全部説明するよ。あと私は伊勢崎敬に飼われていたハムスターなので、必要経費はご主人に請求するように」
 ペットを飼うという事は、こういう責任も負うという事だ。

「良く食うなあ。何杯目?」
「今15を超えたところさな」
「……これやっぱり俺の奢りなわけ?」
「お前のハムスターなんだろ、ペットの食費は飼い主持ちに決まってんだろ」
 人間の体の動かし方がわからないとオッドアイの少年――頼城紫暮に訴えると彼はお暇様抱っこで私を食堂まで運んでくれ、そこに食べ物の手配をしてくれた。「それで、ハムスターくんは何を食べるんだ?」「肉!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」という力強い返事により牛丼の出前が頼まれたのであった。牛は初めて食べたけれどいける。
「ふぅ。ご馳走さまでした」
「礼儀正しいな」
「天才ハムスターですので……」
 運命も『理解』っちゃうハムスターですので、これくらいは、ね?
「俺にはどう見ても人間にしか見えないんだがね……」
「俺もです。でも正義さん、俺は確かに敬さんの胸ポケットから飛び出したハムスターがイーターの口の中に飛び込んでいって、敬さんが水球でイーターの腹に衝撃を与えたらこの子が吐き出されてきたのを見たんですよ」
「寿史が嘘を吐くとは思えないが……」
 にわかに信じがたい、という目で私を見る。その気持ちは分からなくもない。でも、信じて貰えなければ話は進まない。
「証明ならできるよ。ご主人、耳」
「へ? なんで?」
「……別にご主人が見て魘されている悪夢の内容とか、私にだけ教えてくれた秘密とか、えっちな本の隠し場所とか、どんなシチュエーションがお好みとか、その他諸々皆の前で洗いざらい暴露していいのなら耳要らないですよ……ご主人の弟くんってここにいらっしゃいます? お耳に入れたいことが」
「ちょっ! まっっっっっっ!」
「わはは、えげつねー! ハムちゃん、後で伊勢崎サンの弱みボクにも教えてよ」
「あなたの秘密と引き換えならいいですよ」
「よくない! よくない!」
 さて、ご主人を揶揄うのもほどほどにしなくては。私よりうんと背の高いご主人が屈んでくれたので、そのお耳にたくさんのことを話した。最初は普通の表情だったのに、途中から赤くなったり真っ青になったりする様子を見て周りの皆さんも嘘をついている様子はないと思ってくれたようだ。よかった。
「お、俺とハム輔しか知らないこと知ってる……」
 さて、これで下地は整った。これから私の身の上に起きた冗談みたいな本当の話をすることにするとしよう。

「私はご主人に飼われていたハムスターで、名前はまだない。ご主人からはハム輔とかハムちゃんとかハムスターとかハムくんとか適当に呼ばれている」
「ハム輔? 女の子なのに?」
「ご主人が私に興味がなかったので……」
「伊勢崎、サイテー」

 ご主人に非難が突き刺さる。そうだそうだ、もっと言ってやれ。私を呪ってくれない男にもっと言ってやれ。一人で生きていくことの出来ない命は、愛されなくっては生きていけない命は、あなたしかいないのに。私の世界はあなたがすべてなのに。あなたはたった一つの呪いを、約束を、願いを、祈りを――くれやしない。

「ご主人がしばらく家を空けると言っていたのでちょっと散歩しようと鞄に潜んでたんです。そうしたら、ご主人の今日のラッキーアニマルがハムスターって言うからポケットに入っていて、イーターがご主人を食べようとしたから守ろうとして代わりに喰われて、そこで地球とリンクして、運命を識って、私という命の因果律が捻じれたので人間になりました」
「最後どういうこと?」
「私は、元はハムスターです。でも今は普通の人間です。これは、『私』という命の運命が変わっているからです」
 これは皆理解していないな、と表情で察したのでさらに言葉を重ねる。
「ヒーローの持つ血性は運命を変えます。死ぬべき未来で生きることができるのを応用して、ハムスターとして生きる未来は人間として生きる未来に変わったみたいですね。ただ、私はヒーローの皆さんと違ってその身体に流れる血に高い血性を持っていない。だからヒーローの誰かから血性を貰うか――さっき頼城さんに噛みついたのがそれですね――食事で補うんです」
 食事とは、生き物が、植物が、生きていた未来を喰らうという事。命を喰らうという事。その生物の生きていた未来を奪って、運命を喰らって、私は人としての身体を保つ。
「じゃあ、その血性が不足したら――?」
「ああ、それは簡単ですよ」
 ごくり、と唾をのむ音が聞こえる。きっと私のさきほどの話で彼らは矢後勇成を想像し、最悪の未来を想定しているのだろう。大丈夫。ここは君たちが本来生きている、人の死ぬ世界の話じゃあない。数ある運命の分岐の中で、捻じれ、捻じくれた運命のその先だ。
「ハムちゃんに戻ります」
 ぽむっ、と漫画だったら煙と軽快な音が鳴ったであろうコミカルな描写で、私は本来の姿に戻った。
「なんと、人語を解する天才ハムスターの爆誕です!」
 コメディ映画のように、ヒーローの皆が崩れ落ちた。

03
「解せんですね」
 人間の姿でいるのは燃費が悪いから元の姿に戻っておけと命令されて、私は愛くるしいハムスター姿でご主人の手の上に乗っている。そんな私のことをご主人は微妙な目で見つめている。
「何が?」
「興味深い事例だから〜ってモルモットにされたことだよ、ご主人! 私はハムスターなのだが?」
「いや……普通にそうなる流れじゃん?」
「はぁ〜? というかご主人もご主人ですよ。ペットの権利を守りなよ!」
「いっで! いっででででで! こら噛むの止めろ! だって、研究に協力したらお前の食費出してくれるって言うから」
「この甲斐性なし……」
「この子、どこでこんなセリフ覚えてきてるんですかね……?」

 昼間一緒に戦っていた少年、御鷹寿史が私の鼻元に指を伸ばしながら言う。御鷹さんには何の恨みもないので、スンスンと匂いを嗅いだ後、痛くないように噛みついた。指をはむはむしていて可愛いなぁというほのぼのとした空気が伝わってくる。私も高い血性を摂取出来て、美味しい。白星という一族は血を連ねて強化してきた。だから天然の血性なのだ。一番最初に私が噛みついた頼城さんの属するラ・クロワの皆は人工物の味がする。端的に言うと、まずい。同じ血性を摂取するのであれば食事か天然のヒーローのほうがいいなあ。

「ご主人がいない日中、あちこちお散歩してるので、そこで」
「えっ、お前いつも脱走してたの?」
「してたよお。ご主人は私に興味がないから知らなかったと思うけどぉ」
「……なんでお前俺にだけそんな反抗的なの?」
「それは」
 ご主人が私を呪ってくれないからだ。それを女である私の口から言わせようなんて失礼にもほどがある。怒りに身を任せ、私は再度ご主人に牙をむいた。
「自分の胸にっ、聞け!」
「いってェ―――――――――――――――ッッッ!」
 本日何度目かわからないご主人の悲鳴が響き渡った。

 移動するときには人間の姿になって、休憩するときには元の姿に戻って。身体を弄られたりはしなかったけど、テストなどはたくさん受けさせられた。私が知っていた範囲では被験体とはとんでもないめにあうはずなのだが、人道的だし、私がテストでいい成績を残すと「凄いねえ」と指揮官さんや神ヶ原さん、研究員さんが褒めてくれるのでちょっと嬉しかったりもする。
 そんなこんなで、私が人間になっていから一週間が過ぎた。
「じゃあ俺家に帰るから」
「え、ご主人なんで私を置いていくの?」
 ヒーローたちは、ヒーロではあるがその本分は学生だ。その時のイーター出現頻度や指揮官さんの命令により長期間ALIVEの合宿施設に泊まることはあるけれど、大抵は一週間程度のローテーションになっている。学校にも通わなくてはいけないので帰宅するのだ。それはいい。私でもわかる。でも、なぜご主人が私を置いていくのかが全く持ってわからない。
「だって人間のお前をうちに置くのは無理じゃん……?」
「元はハムちゃんだって言ってるじゃん!?」
 人間は理性的な生き物で動物は本能的な生き物だとよくいわれるが、人間になっても私の性質は動物に近いらしい。怒るとすぐに必殺前歯をかましてしまう。
「掬った命の責任はとれ!」
「あいっで! お前直ぐ暴力に訴えるのやめろよな……」
「飼い主から教育を受けてこなかったもので……」
「お前直ぐ俺の心抉ってくるのもやめろよな」
 それはさておき、とご主人は言う。私はもう純粋なハムスターではない。ハムスターの姿になれるのかもしれないが、脳裏を人間の姿がちらつく、と。
「人間の女の子をケージに入れれるその神経の方がやばくねえ?」
「……その発想に至るご主人の思考回路がやばいのでは?」
「寿史ぃ……こいつ、ああいったらこういう……」
「あはは……」
 優しそうな人間に助けを求めるではない! 現に御鷹さんは困って苦笑いを浮かべているじゃないか。
「まあとにかく、私はご主人と一緒に帰りますよ」
「えっ」
「え?」
 驚きの声を上げたのは神ヶ原さんだった。
「ええ……ハムちゃん帰っちゃうんですか? うう、僕はこれからどうやってこの仕事の疲れを癒せば……」
「もふもふのいのち……帰らないで……」
「指揮官さんまで?」
 私との別れを惜しんでいるのは指揮官・神ヶ原の大人コンビだった。この二人は若いながらも才能に溢れていて、ALIVEという組織で重要な存在である。重要な存在であるからこそ激務で、ご主人に「明日早朝任務あるのにハム輔が回し車で遊ぶからうるさい」と灯の消えない執務室に隔離されたこともあったので、ここが「ヤバい」というのはハムちゃんながら察していた。人間の姿になっても愛くるしい美少女なのだけれど(人間に愛されてしまう美ハムなので当然である)、元の姿でのマイナスイオンは社会の歯車として疲れ果てた大人には堪らないらしい。私で癒されるのであれば、癒してあげるのは愛玩生物としての務めだと思うのだけれども、この二人は私のご主人ではないのだ。私が愛されたいのはご主人だけなのだ。
「帰らないで……傍にいて……いくらでも齧っていいから」
「僕ならいくらでもおやつあげますから……というのは冗談にしても、研究をしたいので施設から離れないで欲しいんですよね」
「事情は分かってるんですけど、私はご主人と一緒に居たいので……」
 ハム生は人生よりも短いので……と命の儚さを強調すると物分かりがよくなってしまった大人二人はあっさり諦めた。欲しいものを欲しいと、例え誰になんと言われようとも主張し続けることができるのって本能のまま生きている動物に近い、年をとる前の子供の方だ。もう貴方たちは大人ですよという通過儀礼を通り過ぎてしまった個体は、どうしてもそこが弱くなる。だからハムスターである私の我儘に勝てないのだ。

 さすがに剥き出しのまま帰るのはまずかろうという事で、私は定位置となったご主人の胸ポケットの中でゆらゆらと揺られている。人が来たら定期的に顔は引っ込めているので問題はない。
「なあ、ハム輔」
「なんでしょうか、ご主人」
「ほんとーに俺ん家に帰ってくるのでいいの?」
 指揮官さんのとこ行ってもいいんだぞ、とご主人は言う。指揮官さんの方が大人でお前に何でも買ってやれるし、俺より可愛がってくれるし、お前を怒らせたりしないし……と様々な理由を並び立てる。どんなに条件が良くても私が指揮官さんを選ぶ理由にはなり得ない。理性で判断できるのは人間だけなのだ。動物は、ハムスターは本能でしか判断できないのだ。万の言葉で語られようと。億の金を積まれようと、ただ私のご主人がいいというたった一つの気持ちには勝てないのだ。
「ご主人の家が良いの。ご主人の傍じゃなきゃ、嫌なの」
「そんなもん?」
「私の気持ちをそんなもんって言うな。噛むぞ」
「もぉ〜っ! すぐ噛むなよなぁ! 俺の手、ここ数日でいきなりボロボロなんだぞ」
 じゃあさあ、噛まれるのが嫌ならさあ。早く私を呪ってよ、ご主人。


04
「ハム輔ってさ、結構小っちゃいのな」
「何をいきなり」
「いや、俺の服全然あってねーもん」
 ご主人が日中外出しているとき、夜行性である私は大抵ケージの中でぐうぐう寝ている。たまに冒険という名の狩りに出かけたりすることもあるが、その頻度は多くはない。ご主人が帰ってきたら沢山睡眠をとって元気いっぱいの私が嬉しさいっぱいで人の姿になってご主人に甘える、というのが最近のルーチンだった。けれど、ハムスターは毛皮は纏えど洋服は纏わない。つまり、変身した時には全裸なのである。「さすがにそれはまずいっしょ」というご主人の言葉によって私はご主人の服を貸し与えられているのだが、大きすぎてずるずるするし、動きにくいことこの上ない。
「そう思うならまともな服をですね!」
「買えると思う? 俺が」
 自分で言っておきながら、買えないと思う。ご主人は養子とはいえ金持ちの家の子供だし、ALIVEから給金も貰っているが、とにかく計画性がない。貯金もできない。楽しいことが好きで、刹那的に生きているため、欲しいと思ったら即購入してしまうのでいつだってお金がないのだ。
「この甲斐性なし……ロリコン……変態……っ!」
「まったくお前はどこでそんな変な言葉を覚えてくるかなあ」
「敬……さん……?」
「敬、お前……」
 振り向くと、そこには引きつった顔の友人が立っていました。
 ご主人の今の心境を小説の書き出し風に直すとこんな感じだと思う。自室に自分のTシャツ一枚だけを着せた幼女に「ロリコン、変態」って言われている友人を見たらあなたはどう思いますか? やばい性癖を発露したと思うんじゃないでしょうか、私もそう思います。
「えっと、ハムスターくん? でよかったか? そこのお兄さんは危ない。こっちにおいで」
「違う! 待って正義、違う!!」
「何がだ! 状況を見ろ! 現行犯だ!」
「違うって、ほら、ハム輔もなんか言ってくれよ」
「ご主人は私に服を買い与えてくれませんでした……」
「そういうことを言えって言ってるわけじゃないんだけど?」
「光希を連れてこなくてよかった……」
 本気なのか冗談なのか、それすらわからない収拾がつかない状態を少しだけ楽しんだ。こういう時間ってとっても大事だと思うから。

「でも実際問題服は必要だよな」
 ドタバタが終息した後、暴れてお腹が減ったという事でピザの出前を頼んだ。夕食の後に食べるピザとは背徳の味である。背徳って食べたことないけど、それは雰囲気で。最近一日のうち数時間は人間の姿になっているのでお腹が減って仕方がなかったのだ。ピザを囲んで食べながら、ふっとご主人が冷静な顔で言った。真顔の時のご主人は別人に見えてしまうので、慣れない。
「そもそもどういった原理で人間になってるんだ?」
「えっと、運命の数式を理解して、自分という存在を再計算している感じですかね?」
「どういうことだ?」
「運命はすべて決まっているんです。人生の中で選択肢がたくさんあるから無限に近い可能性はあるけれど、数が膨大過ぎるだけで運命は全て記されているのです。その運命の中から私が今生きている運命を理解し、ハムスターだった私が生きているところに人間としての私が入るとどうなるか、を常に演算し続けている感じですね」
 例えば、ハムスターの私が外でご主人と出会ったとする。でも私は身体が小さすぎでご主人に認識されない。それに言葉も通じないから会話によって働きかけることも不可能だ。同じ場所で人間の私が出会ったとする。認識されないという事実はなくなる。人間であるから、会話は可能だ。そして言葉を交わすことができるなら、会話の内容はとても選ばないといけないけれど、ご主人の意識に働きかけることができる。『私』という存在が変質することによって変更した未来をすべて再構築しないとこの改変は成り立たない。
 そして血性というものは運命の改変に置いてチートアイテムなのだ。血性を与えているのは地球だ。惑星クラスの大きな存在からその改変を保証されている。地球に生きているものはそれこそすべて、無機物から血性を与えられているけれど、ヒーローは直接地球の深奥、ワールド・コードに繋がっている。私は一度それに繋がって書き換える方法を知った。けれど書き換えるための力を地球から与えられていないから(ハムスターとして高かったとしても種族として小さいのでどうしても弱くなってしまう)、他人の血性を借りて運命を書き換えているのだ。
「だからエネルギーがいるんです。草から、肉から、生き物から。私が『私』になるための運命の力を得るためにお腹が空くんです……っ!」
「それを言い訳に俺の金で食べたピザ30枚は美味いか?」
「おいし〜で〜すっ! ご主人最高っ!」
 ご主人の膝に飛び乗り、ほっぺにキスをする。こんなに愛らしいハムちゃんが媚びているというのにご主人はと言えば「それはよかったなぁ」と拗ねている。この代金はALIVEの給金から天引きだそうだ。ご主人の顔を見ていると申し訳ないなあという気持ちも沸いて来るけれど、でも、元はご主人が悪いのだ。だって、ご主人が私を呪ってくれないから。
「ハムスターさん、その服どう?」
「動きやすいです! ありがとう御鷹さん!」
「俺の姉の子供のころの服が残っていてよかった」
「ん? それなら敬の義妹の服を借りればよかったんじゃないか?」
「妹? 梨奈のこと? いや〜それは無理だろ、さすがに」
 妹。志藤さんの言葉に、私は運命が交わったのを察した。以前、私が頼城さんの手を噛んだことを覚えているだろうか。私は噛みつくことで――疑似的な捕食をすることでその人間の血性を喰うことができるし、血性を貰うついでにその人間の運命を視ることもできる。冗談に見せかけて、何度もご主人を噛んだ。私は数多の運命を知っているから、ご主人に血の繋がった妹がいる世界線がないことを知っている。でも、義妹がいる世界線なら知っている。私がいるこの世界の様に、捻じれて捻じれて捻じくれた運命の最果て。私は彼女を喰らうためにきた。

 抜き足差し足忍び足……なぁんてことをしなくても、ハムちゃん姿でてってけて〜と歩いて行けば移動に時間はかかるけれど、誰にも見つからないまま夜の伊勢崎邸を進むことができる。その部屋は、外観は普段と同じだった。けれど普段と違うのは、部屋から灯が漏れていることだ。
(ここは、礼司さんの蒐集品を集めていた部屋だったはず……)
 礼司さん、というのは伊勢崎家の当主だ。彼が集めていた秘蔵のコレクションを飾っている部屋は、普段人が出入りすることはない。ましてや、夜中に電気がついていることもない。なのに今日だけは例外だった。来客がありコレクションを自慢していたわけでもなく。その部屋に、誰かが暮らしているような痕跡が見て取れたのだ。
「だぁれ? 敬ちゃん?」
 人間の姿を取りコンコン、とドアをノックすると、幼い少女のような甘い声が聞こえた。他人を疑うことのない無垢な邪悪は、迫りくる猛獣に注意を払うこともなく不用心にもドアを開ける。
「こんな夜中にどうしたの……? あれ、あなた、だぁれ?」
 ヒロインの象徴たるピンクの髪。食べごろの、熟れた苺の瞳。愛されるために創られた、お人形みたいなお姫様。彼女の名前は伊勢崎涙。私と彼女の運命は本来なら交錯しない。そして彼女は本当なら存在しない、どこかの世界でご主人と恋に落ちるはずだった女の子。
「私に名前はまだないの」
「そうなの? どうして?」
「私が――まだ、ヒロインの器じゃないから」
 人間と動物は恋人にはなれないよ。かの有名な美女と野獣だって、呪いが解けたら野獣は人間の王子様になってしまった。異類婚姻譚なんて伝承もあるにはあるけれど、それは外国から来た人間を動物に例えているだけだ。私が私である限り、ご主人は私を愛してくれない。種族が違えばそこに恋は生まれない。だから私は運命を書き換えなければならない。そのためには彼女の存在が必要なのだ。
 地球上にある生命は――時には無機物ですら、運命を身に宿す。草より木。木より人。人よりビル。大きなものにはより大きな運命が宿る。巨大建築物を取り込むのは無理だ。私ができるのは、生き物から運命を横取りすることだけだ。
「もしかして、あなたも敬ちゃんが好きなの?」
 実に恐ろしいのは女の勘だ。根拠なんて微塵もないのに、好きな人のことになると何でも分かってしまうのだ。言わなくてもわかるくらいだから、嘘は通用しない。だからこそ素直に答えるのが一番だ。
「うん。好きだよ」
 だから、私はあなたを喰らいに来た。ご主人に名前を呼んでもらえる女の子なんていらない。同じ施設で育った子も、同じ目線で歩んでいける同級生も、年上の包容力を感じさせるお姉さんも、ご主人と恋に落ちる可能性がある女の子は全員要らない。ご主人が恋に落ちてしまう運命を喰らって来たら、ご主人は愛を持て余す男になってしまった。愛されたことがないから愛って何かわからないのだ。
ご主人は無償の愛を知らない。自分が一番に優先される愛情を知らない。自分より手のかかる年下の子に先生は盗られてしまうし、兄として愛を振りまけば愛情が返ってくることを先に知ってしまった。見た目の美しさに惹かれて寄ってきた女の子は「イメージと違う」と離れていく。ご主人が大切にされているのは、ご主人にとって何の価値もない薄皮一枚で、自分じゃない自分の方を求められてしまうのだ。だから私が本当のご主人を知った上でご主人を求めていることも、信じられないのだ。
ご主人に愛されたくて、か弱い獣は愛して貰えないと生きていけないから、私はあなたを喰らいに来た。
「そっかぁ。一緒だねえ」
 熟れた苺を齧った。見た目はこんなに甘いのに、どうしようもなく酸味が強くて私は顔を顰めた。恋とは甘いものじゃないのかしら。どうしてこんなに、涙が出ちゃう味がするの。
「一緒。一緒かなあ」
 あなたのための女の子、あなたに愛されるためだけに生まれてきた女の子という意味なら同じかもしれない。私もこの子も、ただ唯一、ご主人の愛が欲しいのだ。それは理屈じゃなくて本能で、遺伝子レベルで刻まれた決定事項だった。――私たちは、あなたに愛されるために生まれてきたんだから。


05
 はむはむ、あぐあぐ。苺の味を噛み締める。すると、私の知らないご主人の記憶が私に流れ込んでくる。ご主人のことをとても美しいと思っているという事。彼のことが何としてでも欲しいという事。ご主人が、自分の事なんてきっとどうでもいいこと。恋の味を知ろうとしているのに、どうして涙の味ばかり覚えてしまうのか。愛もきっと甘いはずなのに、こんなことでは先が思いやられる。
 熟れた苺を摘んだ後、私はうっかり人間の姿のままご主人の自室へ戻ってきてしまった。ヒトの気配にご主人は夢から覚醒する。その姿を見て、私は悲しい気持ちになるのだった。野生の獣は眠りが浅い。それは周囲を警戒して生きているからだ。寝ているときが最も無防備になる。自分に近付く存在が自分に害をなすものであれば、命がなくなってしまうから。ご主人が私の気配を感じて目が覚めたという事は私自身を警戒していることになる。でも、それよりもっと悲しいのは、ここが、伊勢崎邸が、ご主人の心休まる場所ではないという事だ。
「お前……ハム輔か。どこに行ってたんだ?」
「お散歩!」
「こんな夜中に……ふぁあ」
「ハムちゃんは夜行性だからね」
 でも人間は違うから、ご主人ははやく寝なさいな。手を伸ばして、ご主人の髪を撫ぜた。所謂毛繕いというやつだ。動物的観点からしたら、ご主人は大して魅力的な存在ではない。ご主人と同じ敷地内に住んでいる志藤さんという人間の方が魅力的だ。だって肉体的にとても強そうだから。でも、ご主人の毛並みは悪くないな、と思ってしまう。
「なにしてんのぉ」
「毛繕いだよ、ご主人の」
「俺は良いって……」
「気持ち良くない?」
「や、きもちーけど」
「じゃあよくないですか」
 気持ちいいこと、人間って好きでしょう。私の言葉には、んん、という音が返ってきただけだった。ご主人は基本的に寝るのが早いけれど、今の時間じゃ十分な睡眠はとれていないはずだ。だから意識は曖昧で、朦朧としている。きっと今すぐ夢の世界に帰りたいはずなのに私の存在が気にかかって戻れないのだ。
「むずかしーこと、いってないで」
「わ!」
「ねろ……」
 ぐいっと腕を掴まれ、強い力で布団に引きずり込まれる。じたじた暴れていると抑え込むように抱きしめられてしまった。体格差と性別の差があって、私の力ではご主人の腕を振りほどけなかった。今から私はパーティナイトなのに。俺たちの夜中はまだまだこれからだ! なのに。なのにご主人は私に寝ろって言う。理不尽だ。理不尽だけれど、今の私にはそれに抗う術がない。
(心臓の、音がする)
 ドクンドクンと一定のリズムを刻む音は心地いい。ご主人の体温も、私の腕に指が食い込んでいるのすら心地いい。産めよ増やせよが野生の本能だ。気持ちいいことは繁殖すること。ただ触れ合うだけなんて、何の意味もないことだ。
(なのに、どうして)
 ご主人の隣は居心地がいいのだろうか。傍に居たいと望んでしまうのだろうか。これが愛じゃないのなら、私の感情は何て定義すればいいの。

「ん、んん……」
 肌寒さを感じて、私は目を覚ました。朝日が眩しい。まだ寝る時間だというのにこの私を叩き起こす不届き物は誰だ? 噛みついてやる。寝ぼけまなこをこすりながら犯人を捜すと、大口を開けてフリーズしているご主人を見つけてしまった。肌寒いのは服を着ていない(人間に変身した後はいちいち着替えないといけないのだが、昨日は手元に服がなかった)からだ。そうして全裸の女の子が自分のベッドに寝ている意味を、ご主人が勘違いしてしまったのだという事も察した。意地悪してやろうと笑んで、私は言葉を紡いだ。
「おはよう、ご主人」
「お、おま、ハム輔。なんで……?」
「昨日はきもちかった?」
「うぁあ……」
 眠かったから、たぶんほとんど覚えていないのだろう。でも毛繕いをしたときにした会話はぼんやりと覚えているから、自分の服が乱れていなくても不安になっているのだ。狼狽える姿がとっても可愛いから、正解は絶対に教えてあげないことにした。


06
 ご主人がALIVEへ呼び出されているときは、私を連れて行ってくれるようになった。それはご主人が私に愛着がわいたからではなくて。
「ああ、一週間ぶりのハムちゃん!」
「おもちゃもおやつもいっぱい用意して待ってたよ!」
 この社畜の極み成人が私を強く所望するからである。良い子も悪い子も寝静まった時間帯ですら書類と戦っている彼らの横でカラカラ回し車を回し続ける私は彼らの癒しなのである。
「指揮官さん、俺が学校に行ってる間、こいつのことよろしくな!」
「任せて〜!」
 ALIVEには基本的に認可ヒーローたちが交代で泊まっている。完全に学校に行かないこともあれば、半日だけ行くこともある。どういう基準でそうなっているのか、私はまだよく理解していないけれど、今日は都合がよかった。
「私も学校に行きたいなあ」
「……ハム輔は一日中人間の姿になってられないだろ」
「人間になれたらいいの?」
 じっと目を見つめると、答えなくてはいけないという圧力を感じたご主人が、絶対になれないだろうという浅い考えで返事をした。
「なれたら、な」
ぽんぽんっとご主人は私の頭を撫でた。無意識のボディタッチに女の子はくらっとしてしまう。私ですら胸のときめきを押さえきれなかった。けれどご主人に何の他意もないのだから、世の中ってうまくはいかない。ご主人とその友人たちを見送って、私は神ヶ原さんに声をかけた。
「一つ、考えていたことがあるんですけど」
「なんだい?」
「リンクユニット、私も使えると思うんですよね」
 史上初、ハムスターヒーロー爆誕なるか? 乞うご期待である――結論から言うと、爆誕はしなかったのだけれど。
「ええと、どうしてそう思ったの?」
「ヒーローたちって、リンクユニットを使って地球と繋がってるんですよね。地球と繋がっているから、リンク中に意識が揺らぐと地球に持っていかれるって聞いたんですけど」
「……だいたいはそうだね」
「私が人間になったのは、地球と繋がったからです。という事は私にも地球と繋がれる能力があるはず。地球と繋がった状態で固定することができればなんやかんやできるのかも……?」
「ふむ」
 憶測だけの物言いだ。けれど、一考する余地があると思ったのだろう。神ヶ原さんは数舜の躊躇いのあと、「予備のリンクユニットはまだあったはずだから、やるだけやってみようか?」と了承してくれた。さすが、柔軟性のある人間は話が分かる。私にはどうしてもリンクユニットを手に入れないといけなかった。リンクユニットの技術にはナノマシンが組み込まれている。ナノマシンはSF作品に多用されているのである程度推測ができるだろうが、ナノマシンとは無限の増殖・物体の生成・破壊等に使われる。その能力を応用して自己修復による不老不死も可能になるのだ。エネルギーの保存の法則からは逃れられないのでエネルギー確保の面で問題があるのだけれど、地球から直接エネルギーを引っ張って来れるとしたらどうだろうか。
 ヒーローは変身にリンクユニットを使う。地球と繋がった状態を維持するために自らの血性を使用しているので、長時間リンクしていると貧血に似た症状になったりするという欠陥がある。私はと言えばほぼ血性を持たないが、一度リンクした時に人間へと身体を再構築することができた。これは私の何かしらがエネルギーとして使用されたのではなく、地球の何かを変換したのではないだろうか。それならナノマシンを体内に取り入れることで私は人間としての姿を保つことができるのではないか。そうしたら、ご主人に呪って貰えるのではないか。そう、微かな希望を、胸に抱いて。

「いっきまーす!」
 軽快に声を紡いで、私はリンクユニットを割る。光が私の身体を包み込み設定された衣装――白星の戦闘服へと変身した。
「成功だ〜!」
 おおっ、と研究員の方が感動の声を漏らす。飛んだり登ったり、その場で簡単な指示をこなすと、研究員の人が「もういいですよ」と変身の解除を命じた。
(――きた)
変身したことで姿を変えることの理論を理解して、ぶっつけ本番ではあるが私は戦闘服を変身前に来ていた服へと変化させた。体内に取り込んだナノマシンは正常に作動している。ああ、よかった。こっちも成功だ。私が変身を解除したとこの場の誰もが勘違いしただろう。童話の中で、いつだって呪いを解くのは王子様のキスだった。運命の相手からの愛の籠ったキスだった。だけど私は解呪なんて望んでいない。再びハムスターに戻るなんて絶対嫌だ。私は、ご主人に呪われたいのだ。
 流れ星になんて祈らない。奇跡なんてもうこれ以上は望めない。地球に向かって落ちていった私こそが流れる星だ。だから、私は、自分自身に祈って願いを叶えるのだ。

「ごしゅじーん! おかえりなさいっ!」
 ご主人が学校から帰ってくるのが待ちきれなくて、芝生の上でそわそわしながら待つ。ハムスターは夜行性だから普段だったらこの時間は眠いはずなのだけれど、リンク状態が継続している今、人間としての性質が上書きされたのか全く眠くなかった。私が私でなくなっているはずなのに、これほど嬉しいことはなかった。
「うわっ、ハム輔! こんな時間に起きてると、夜起きれなくなるぞ」
「大丈夫だよ! 夜はちゃんと寝るから」
「へ? なんで?」
「人間は朝起きて、夜寝るものなんでしょう?」
「そーだけど。でもお前はハムスターじゃん」
「ううん。人間になったよ」
 言ってる意味が解らない、とご主人が視線で訴えてきた。馬鹿なご主人でもわかるように、私は説明をしてあげることにした。
「本当に人間になったんだよ。もうハムスターに戻ることはないの」
 難しい仕組みや理論なんてきっとわかっていないけれど、ご主人は本能でそれが本当だと理解した。次にご主人に襲い掛かってきたのは恐怖だった。私の一方的な愛は、私がハムスターであるという一点で成就することはなかった筈だった。だから安心してご主人は私の感情を放置することができた。でも今は違う。責任を持って、ご主人は私に向き合わなくてはいけないのだ。
「ハム輔、お前まで、俺に好きとか言うの?」
 ご主人は、愛って何かわからない。わからないものって、怖いよ。だから、恐れることは自然だ。防衛本能だ。種を、自分を守るために危機意識を持つことはなんらおかしいことではない。でも、愛を知らないと種の存続はできない。だから、君は、知らないとだめだ。
「うん、私はご主人のことが好きだ」
 私の告白に、ご主人は恐怖に引きつった顔をする。愛情に見返りがいると思っているのなら、私はそんなものなんていらない。他の少女たちがご主人に幻想を抱いて、裏切られたと掌を返すのが嫌になっているのなら、私には関係ない。夜ごとにみる悪夢の内容も、笑顔の仮面に隠された本音も、私は全部聞いてきた。春間と伊勢崎の間で宙ぶらりんになって、名前に呪われていることだって知っている。だから、私はご主人のかんばせに思い切り爪を立ててやった。
「勘違いしないで。私はご主人のこの薄皮一枚になんて微塵も興味がない。いくら美しいとご主人が誉めそやされていたって、私はハムスターだから人間の美醜の基準なんてわからない。そもそも、ハムスター的に言うのならご主人より志藤さんとか戸上さんの方が魅力的だよ。ご主人、ひょろっひょろっじゃん」
「ひっでーな。これでも、俺、鍛えてるんだぜ」
「あんまり筋肉が付かないのは遺伝的な問題の可能性もあるよね」
「それ、なんとなく思ってたから言わないでくれよな」
「でも、それでもさあ。私はご主人が好きなんだよ。種族も、本能すら否定して。私はご主人を望んでいるんだよ」
 私の愛は、私自身が証明だ。どんな言葉を尽くすより、私が「私」としてご主人を求めることが何よりの根拠になる。
「――名前を、つけて」
 ハム輔、というのは名前じゃない。ハムスターという種族名と、ご主人の義弟・佐海良輔に渡せなかった後悔を忘れないために暫定的に呼ばれていたものだ。「私」に対する名前じゃない。
 名前とは呪いだ。その他多数と自分を切り分けるものなのに唯一自分で選べないものであり、他人からしか受け取ることができないものであり、名前を何度も呼ぶこと・呼ばれることで人はその個体に愛着を持つ。「春間」と「伊勢崎」という呪いに縛られているご主人は、きっと誰よりよく分かっている。春を捨てて伊勢崎を選んだ時から、伊勢崎敬と呼ばれるたびに、ご主人は自分という存在を上書きされてきた。春の間は許されてきたことも伊勢崎としては許されない。まっさらな、無限の未来を描けていた自由な過去から制約の多い伊勢崎へと、自分を縛られ呪われて生きてきたのだ。
愛着を持たないためもあるけれど、一つの命に責任なんて持てないから、ご主人は私に名前を付けることをしなかった。呪うことと呪われることの怖さを誰よりも知っていたからだ。
「――   」
 けれど、そんなご主人が私の名前を呼んだ。やっと私を呪ってくれたのだ。
「ありがとう、敬くん」
 だから私も、やっと彼の名前を呼ぶことができた。





追憶、或いはエピローグ
 あるところに一匹のハムスターがいました。そのハムスターは大変賢く、生まれながらに感情を理解することができました。同じ種族の他の個体よりも知性が高すぎたため、その個体は同じ種族の仲間と上手くやっていくことができませんでした。ペットショップのケージの中で、いつも攻撃されていた彼女は店員の手によって他の仲間から引き離されました。攻撃されなくなったことは嬉しいけど、孤独というものを彼女は感じていました。
「お前、可愛いな〜」
 ある日、彼女の前に一人の人間が現れました。人間は、彼女を迎え入れてくれました。ああ、やっと私にも群れの仲間ができる! それとも番かしら? 期待に胸を躍らせていた彼女は、その人間が自分を迎え入れたのは他人に譲渡するためだと知ります。けれどもその人間は、自分を誰かに譲ることができませんでした。その理由を、夜ごと漏らす切ない言葉でハムスターは知っていきます。
 ――まだ夢を見るんだ。あの日、イーター俺たちのいた養護施設を襲撃した日の夢を
 ――良輔にまた嫌われちまった
 ――大事にできるのは、一人一個までだから、これは諦めなきゃ……
いつしか、そのハムスターは一人の人間を愛してしまいました。彼の嘆きを理解してあげられるのは自分だけだと。彼を愛する人はたくさんいても、彼に愛することを教えられるのは自分だけだと、そう思ってなんとか意思疎通を図りました。
 きゅう。きゅう。
――何、さっきご飯は食べただろ。
 ハムスターは絶望しました。ああ、自分が自分の――この毛皮を纏った種族である限り人間に愛を伝えることはできないと。ハムスターは運命を変えるため、こそこそケージを抜け出して、運命を変える方法を探します。けれども方法は見つかりません。それでも諦めず、手段を探します。
ある日。祈りが通じたのかわからないけれど。彼女は運命を理解する魔法にかけられました。運命を知って、彼女はさらに絶望しました。ああ、このままでは彼に愛して貰うことはできない。ヒトはヒトしか愛せないのだと。彼女はさらに足掻きます。王子様を救うために。魔法をもう一度かけて貰うために。
「――   」
 そうして。彼女の努力は見事に成就して。二度も魔法にかけられ、やっと人間になることができたのです。


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