※ワヒロ夢アンソロに寄稿していた分を、期間が来たので再録しました



 ゆうせいくん、と彼女は砂糖菓子の様に甘ったるい声で矢後を呼んだ。けれどその甘さが、口に含んだらさっと溶けてしまう類のものであることを矢後は知っていた。優等生の彼女と、喧嘩ばかりの不良。対極にあると言ってもいい二人が出会って、親しいのは病院という共通点があるからだ。似たような器官を患い、似たような余命を宣告されている。けれどたった一つ違うのは、彼女は死ぬ運命にあって、矢後は死ぬ運命を変えられるということだ。

「指揮官候補生です」
 聞きなじみのある甘い声が聞こえて、普段眠ってばかりの矢後の目がぱっちりと開いた。指揮官や神ヶ原の話をいつもうとうとして聞いていない彼が起きて、しかも単語を拾っているのは相当珍しい。隣に立っていた久森が「あ、矢後さん起きた。今日は伝言しなくてもいいな」と小さく呟いたのが聞こえた。
「……あ? なんでお前がここにいんの?」
「今指揮官くんが説明したばかりだろう、不良!」
 普段は温和で紳士的だが、矢後にだけ当たりの強い頼城が矢後を叱責する。けれどそんな言葉を意に介した様子もなく、興味がある一点だけに反応を示していた。その様子を見てヒーローたちは不思議に思った。あまり他人に興味を持たない矢後が、見るからに縁遠そうな指揮官候補生だと紹介されたばかりの少女に反応を示している。いったい二人はどんな間柄なのか、どういうきっかけで知り合ったのか、年頃の少年らしく好奇心を発揮させていた。
「ゆうせいくんはヒーローしてても寝坊助さんなんだね……」
「だから、なんでお前がここにいんの?」
 目の前にいる少女は矢後の昔馴染みだ。病院でよくあって、ちょっとずつ距離を縮めて、矢後が名前を覚えるくらいには親しい間柄の女の子。彼女はろくに学校にも行けないくらい身体が弱く、自身と違って特別な能力を持たない――ましてや血性も関係ない女子だ。ヒーローに関係する組織にどんな縁があったのか。
「……ついさっき説明したんだけど」
「聞いてねえ」
「たまにはちゃんと連絡事項を聞いてくれないかな!」
 パトロールをサボりまくる矢後に苦労させられている指揮官が若干キレ気味で言う。同じく苦労を掛けられている久森は指揮官に同情した。
「ゆうせいくん、大事なことはちゃんと聞かないとだめだよ。他のことならまだしも、ヒーローのことは命に関わることなんだから」
「お前だってセンセーの話をちゃんと聞けよ」
 病院からでたら死ぬくせに、と矢後が言う。ヒーローたちは驚いた表情で指揮官候補生を見つめた。見つめられた少女は「……そういうことは黙ってて欲しかったなあ」と困ったように笑うだけだった。

 指揮官候補生だ、と紹介された少女はそれ以降合宿所とか訓練に姿を見せるようになったが、その数日間黙って少年たちの練習を見ているだけだった。ただ見ているだけなら別に段々存在を忘れていくのだけれど――一般の研究員が訓練を視察に来ることも少なくはないので慣れていたのだ――自分の皮膚の内側まで見透かすような強烈な視線を見た目は平凡な少女が投げかけているのが奇妙で、なんだか落ち着かないのだ。特に感覚強化されてから、少しだけ肌の感覚が鋭敏になった佐海にはたまらないらしく、少しだけトゲのある声で言葉を紡ぐ。
「……あいつ、何してるんでしょうね」
「データを取ってるんじゃないかな」
「スコア持ってるしそうかもしんねーけど、見てるだけって怖くねえ?」
 だって見てるだけで何が分かるっていうんだ、と佐海は言う。確かに普通の人間だったら見てるだけで何も分からないだろう。けれど候補生の彼女は病弱な身体というハンデを持っていてもその若さで候補生としてスカウトされた人材なのだ。そんな彼女が普通であるわけがない。
「貴方たちを解析しているの」
 壁際に張り付いていた候補生がいつの間にか側にやってきていた。あまり気持ちのいい発言ではないにもかかわらず、彼女の佐海を見る目は凪いでいて、それが逆に恐怖を煽った。
「貴方たちのデータ、だいぶ覚えました。証明しましょうか?」
「証明?」
「私の指揮官としての能力です。でもまだ十分じゃないから、対戦カードにはゆうせいくんを入れて欲しいのですけど」
「あ? ケンカの話?」
「うん、ゆうせいくんにケンカして貰うの」
「やる」
「ありがとう」
 候補生は指揮官の方へ歩いて行って、いくらか言葉を交わすと模擬戦が行われることになった。指揮官が選んだメンバーは矢後と頼城で、候補生は頼城の方に指示を出すことになるらしい。面白そうな噂話は瞬く間に広まってヒーローたちが全員終結することになった。
「出会ったばかりで私のことを信じるのは難しいと思うのですけど、違和感を持った指示でもすべて従ってくれると嬉しいです」
「無論だ。これは君の実力を判定する機会になるだろう。そのせっかくの晴れ舞台を俺の感情で台無しにするつもりはないさ」
 矢後と頼城。相性の悪いカードだ。相性が悪いからこそお互いを絶対に倒すつもりで全力でやりあうだろうし、頼城はその性質から指示を違えることはない。候補生にとっては公平に実力を見て貰えるいい機会だ。
「ありがとうございます。信頼の証に貴方に勝利を捧げます」
「それは心強い。俺だけでなく、ヒーロー全体の勝利の女神になってくれることを祈るよ」
 そして試合が始まった。候補生の指示の内容自体は「三時の方向に二十センチ」や「九時方向へ回避」とか大したものではなかった。けれどその通りに動けば矢後の攻撃はすべて躱せたし、最終的に矢後が地に膝をつき、彼の首筋に頼城がサーベルを突き付けるという結果になっていた。わずか三分のその攻防は鮮やかで、自分たちと同じ年若さで候補生の称号を与えられているのも理解できた。この指示があるのなら。自分たちは全力で戦うことに集中することができたら、それはどれほどの革命となるだろう。
「素晴らしいな、候補生く……」
「……っ、……っはぁ」
 しかし、彼らは遅まきながら理解するのだ。矢後と候補生、縁遠そうな二人が一体どこで出会ったのか。病院というキーワードを思いつけば、すぐに想像できたはずだった。たった三分、声を張っただけで頽れる呼吸器系の脆弱さ。きっと矢後と同じくらい、彼女の身体は脆いのだ。だからその優れた才能があっても「候補生」で、その称号が今後取れることは絶対にないのだ。
「……お前には向いてねぇよ」
「それっ、でも……私……は…………っ!」
 何を思って彼女が戦場に立つ決意をしたのか。答えを、彼らが聞くことはできなかった。

「大変ご迷惑をおかけしました……」
 ひょっとしたらもう来ないかもしれない、と思っていた候補生は翌日も合宿所に顔を出した。
「もう大丈夫なのか?」
「はい、元々身体が少し病弱なんです。お医者様からも許可は取っているんですけど、昨日ははしゃぎすぎて少し羽目を外してしまいました……これからは気を付けるので、問題ないです!」
「候補生くんは身体に負担をかけないようにして研究に協力して貰うことを親御さんとも話し合って許可を取ってます。それに、候補生くんの強い希望があるのでこのまま一緒に活動して貰うことになるから皆も気を付けて」
「いえ、それは必要ないです」
 神ヶ原の言葉の途中で強い口調で候補生は遮った。その様子に違和感を覚える。柔らかい口調、砂糖菓子みたいにふわふわした声から受けるイメージからは想像できないほどの強い拒絶だったからだ。
「ヒーローは街の人を救うことを一番に考えてください。こんな、替えのきく部品に気を遣ってパフォーマンスを落とすことの方が問題ですから」
 では、昨日のログを解析するので失礼します――固まったヒーローの視線から逃げるように候補生は頭を下げて部屋を出て行った。彼女の後ろを矢後が追いかけていったのは数人の目にしか留まっていなかった。
「おい」
「……」
「返事しろよ」
「なんですか、ゆうせいくん」
 話したくない、と彼女の声から拒絶が滲んでいた。返事をしたものの、足を止めることはない。自分を無視するような彼女の姿に苛立ちを覚え、矢後は感情に任せて彼女の手を掴んだ。
「なんでお前がここにいんだよ」
「才能があるって言われたからだよ」
「……嫌いだろ、こういうの」
「嫌いじゃ、ないよ」
 ああ、何故こんなにも苛立っているのだろう。矢後はその理由を考える。自分に秘密で勝手に指揮官候補生になっていたから? 喧嘩に明け暮れている日々の中で、彼女はいつも穏やかに微笑んでいたから? 彼女が、どこか遠くへ行ってしまいそうだから?
「喧嘩はやめろって俺に言ってたお前が?」
「だって……っ!」
 やはり本当の理由があるのだ。それを彼女は自分に明かしていない。矢後は、その事に腹を立てていたのだ。
「私、もう少しで死んじゃうんだって」
「そんなの前から言われてただろ」
「そうだけど、今回のは今までとは違うみたいで。先生の反応も全然違って。もうすぐ死ぬんだって思ったら私、全然生きていたことないなって」
 学校にもあんまり行けていないから友達もゆうせいくんしかいないの。生まれてからずっとお母さんたちに心配と迷惑だけかけて、私は何のために生まれてきたんだろうって思ったの。でもね、そのときね、私でも役に立てることがあるって教えて貰ってね――。
「は? そんなの利用されてるだけだろ、ばかじゃねーの」
「……そうかもね。でもいいじゃない、死ぬだけの命が何かの役に立てるなら。しかもそれがみんなのためになることなら。私、死ぬのは怖くないよ。生まれてきてからずっと隣り合わせだったんだもん。死ぬことは怖くないけど、無為に生きてるのが、死んだ後に何もない、何者でもない『私』が忘れ去られてしまうのが怖いよ」
 何者でもないことを恐れているのなら。自分の形を探しているのなら。それは、自分だからこそ与えることができるだろう。小さい頃から知っている彼女は自分の半身のような存在だった。この広い世界で、完全にとは言わないものの自分と同じカタチをして存在してきたもの。同じ虚ろを抱えて生きてきたもの。だから矢後は彼女を好きだったのだ。同じ虚ろでも、春の日の様に麗らかな空気を纏って、花の様に可憐な笑顔を湛えて、どれだけ拒んで拒絶しても自分の日常の一部である病院に穏やかに存在する彼女のことが。好きだ、なんて言葉生まれてこのかた言ったことはなかったけれど、彼女のためならいいかもしれない。
「俺は、俺のもん勝手に使われるのが気に食わねえ」
「え?」
「お前は俺のもんだろ」
 破壊の獣は不器用に愛を紡ぐ。差し出された武骨な手を、少女は泣き笑いで取るのだった。

 それから。せっかく矢後が彼女に「恋人」と云うカタチを与えたのに彼女は候補生をやめることはなかった。少々お気に召さないけれど、彼女が病院に戻ると今よりあえなくなるのは分かっていたし、以前のような無茶はせず控えめに存在しているだけだから許すことにした。指揮官と配置の話し合いをしたりして睡眠時間が不規則になるのは気に食わないけれど。
「あ、お疲れ様です候補生さん」
「お疲れ様です……あれ、アイス食べてるんですね」
「指揮官さんが差し入れで買ってきてくれて……皆さんの分あると思うので候補生さんも食べますか?」
「いいんですか!」
 談話室に矢後が入ったら三津木と彼女の会話が聞こえてきた。彼女が嬉しそうに選んだのはシェアすることが最難関と言われる二個入りのもちもちとしたアイスで、嬉しそうにその大福のようなアイスに同梱されていた棒を刺した彼女の手を掴み、自分の口へと持っていく。
「ゆうせいくん! 駄目じゃない、器官が冷えて喘息出ちゃうよ! あったかい飲み物……!」
 候補生は自分のアイスが奪われたことを怒るでもなく、キッチンの方へすっ飛んでいく。その隙に、と矢後はもう一つも自分の口へと押し込む。……これでもうあいつがアイスを口にすることはないだろう。
「や、矢後さん……」
「いーんだよ。あいつのモンは俺のだから」
 含みのある笑みで矢後は言った。どういうことだろうと三津木が言葉の意味を考えていると、キッチンの方から候補生が戻ってきた。
「はいこれ、あったかいココア」
「いらねー」
「いらなくないの! はい口開けて」
「淹れたての熱湯を無理やり捻じ込む気? 流石候補生サン、慈悲がないねえ!」
「ゆうせいくんが飲める温度に調節してるもん!……あ」
 今誰が言葉を発したのか。自分はすぐいなくなってしまうからと、矢後以外のヒーローとは距離を置いていた候補生は矢後以外の――具体的に言えば北村に敬語を外して喋ってしまったことで冷静になった。
「候補生サンは過保護だね。机の下に落ちてる矢後サンを体格差もあるのに毎回健気に回収してるし?」
「それは……」
「でもキミは指揮官候補生なんだ。一人だけ贔屓するのはよくないと思うぜ」
 北村の言葉は、自覚があったからこそ候補生に刺さった。自分はいつかいなくなってしまうから、皆の心に傷を残さないように――みんな優しい人だから傷は残ってしまうだろうけれど、少しでもそれが浅くなるようにと思って、もうどうしようもないくらい近付いている矢後以外のヒーローと距離をとっているのだ。出来るだけ名前を呼ばないように、どうしても必要なときはヒーロー番号で呼ぶように。その対応に思う所がある人がいるとは思っていたけれど。
「そう、ですよね。すいません」
 しょんぼりと落ち込んだ候補生が、北村から離れたソファに座って俯く。矢後が、候補生が淹れたマグカップを持ったまま彼女の隣に座る。自分が一口だけ口を付けたそれを彼女の前において、自分は彼女の肩に頭を預けて寝始めた。
「そういう所だよ!」
 と、北村は憤る。傍で見ていた三津木は「今のは候補生さんの責任じゃないんじゃないかな……」とぽつりと呟いた。

「指揮官くんはまだ戻らないのか!」
 イーターへのアラートが鳴り響く。北エリアに、西エリアに、東エリアに――挙句の果てには南エリアにも。ここまで大規模なイーターの発生だというのに、事前に検知もできず、佐海の感知にも一切引っかかっていなかった。一体どこのエリアを優先していいのか分からず、せめてもの対応で一番発生個体の多い東エリアと南エリアには代表校の生徒を派遣して、候補生も動員もした。この2エリアではすでに戦闘も始まっていて詳細が届くようになった。北エリアにも先ほど代表校を向かわせたところで、今残っているのはラ・クロワと愛教の四人だけだ。
「それが……その、東成都の外から来たお偉いさんたちが解放してくれないらしくて……」
「どれだけ足を引っ張ったら済むんだろうね、あの人たち」
 イーターの大規模侵攻だというのに肝心の指揮官がいなくて、立ち往生だ。すでに到着したヒーローから嗜好性イーターも存在すると報告があった。
「あの、神ヶ原さん」
「候補生くん?」
「指揮官さんが到着するまでの間、私に指揮を任せてくれませんか?」
「それは……」
「身体のことでしたら問題ありません。今日は調子がいいです。権限の問題でしたら緊急事態として対処してください。能力不足という事でしたら……諦めます」
 候補生の瞳真っすぐ見つめられて、神ヶ原はたじろいだ。体調に不安はあるものの、権限はこっちの采配で何とかなるし、能力面では何の不安もないのだ。そして指揮官が到着するまでの間だったらそれほど長い時間にはならないだろう。しかし、それまでの時間の対処が遅れるとどれだけの被害が出るか。
「分かりました。あくまで指揮官さんが戻るまでの間、候補生さんに指揮を任せます」
「! ありがとうございます!」
「何か必要なものはありますか?」
「では探索用のドローンを全機、すべてのエリアに飛ばしてください。ラ・クロワの皆さんはヘリで担当エリアに向かってくれますか? 向かう途中に愛教の彼を東エリアへと搬送してくれたら助かるんですけど」
「了解した」
「え〜ボクも出るの?」
「東エリアは規模の割に人数が少ないです。通常イーターは候補生でも十分対処できますが嗜好性となるとそれなりに場数を踏んだ人ではないと対処できません。後貴方の戦闘能力の高さは認可校のヒーローと並んでも遜色ないですからね」
「ドローン飛ばすのは分かりましたが、全機となると今いるスタッフだけでは解析が追い付きません」
「大丈夫です。私が解析します。これだけの規模の戦闘になるとイーターの分布とヒーローの配置、それから大型・嗜好性イーターの配置全て必要ですから! あ、それと大型に対応できる候補生を選抜してデータを送っているのでその方たちを向かわせてください」
 堂々とした指示。指揮する人がこうでないと、現場のヒーローたちは不安になる。たとえ自分の采配には不安でも、最善だと自分を信じて指示を飛ばさなければ。そして思い込みに囚われることはなく、常に脳を回転させてその時の最善を探さなければ。そうでないと指揮官にはなれない。候補生は宣言通り、ドローンの解析と、候補生たちへの指示と、嗜好性イーターに対する指示を同時にこなしていた。一体どういう脳の構造をしていればその作業を同時にこなすことができるんだろうと神ヶ原は思う。身体の機能と引き換えに処理能力に特化したナビゲーター。柔軟な発想で新種のイーターへの対応策を思いつくことのできる人。そんな人材は、今の指揮官とこの候補生しかいない。ああ、彼女の身体がもう少し強ければ。その才能で世界は革命されたはずなのに。
「……はぁっ」
 もう息が上がっている。立ち上がる体力もなくて椅子に座ったままになっている。それぞれが撃破したイーターの数を把握して、体力の残りも考えてローテーションを組む。そんな奇跡は彼女と指揮官にしかできないから、休んでくれとも言えないのだった。
「すいません、戻りました!」
 いくら時間が過ぎただろう。指揮官が戻ってきたのと入れ替えに、候補生は椅子から床へと倒れた。体力が限界だったのだ。激しい運動でなくても、人類の限界を超えた脳の処理は、極端に体に負担をかける。
「候補生さん!」
「救護班を! はやく!」
 ――その大規模侵攻は、ヒーローや民間人に負傷者は出たものの、奇跡的に死傷者はいなかった。ただ一人、候補生を除いて。

「……は」
 戦闘から戻ってきた矢後は一人の少女を探した。通信機から彼女の声が聞こえてきたからずっと不安に思っていたのだ。はやくその姿を確認したい。その姿を見て、日常へ戻ってきたと確信したい。こう考えること自体、矢後は何かを感じ取っていたのだろう。
「候補生さんは、亡くなりました」
 眠っているように、穏やかな顔だった。戦場には似合わない、普通の女の子だった。
普通の女の子は、普通の女の子らしく自分の存在意義に悩んだ。年頃の少年少女にありがちな悩みだった。けれど彼女には普通ではない能力と、死に近い身体を与えられていた。
 矢後は死に近い存在だった。好んで死にたいとは思わないけれど、死ぬことは別に恐れていない。それは痛みがないから生を実感できないのもあるだろうし、面白いことも大人たちに制限されてしまうからもあるだろう。痛みを感じないから喧嘩の最中の怪我が酷い状態で無茶をして、そのまま取り返しのつかない可能性もあったし、体の中に抱えた爆弾がいつ爆発するかも分からない状態だった。だから死ぬなら自分が先だと、なんとはなしに思っていたのだ。なのに。なのに。
「お前が先に逝くのかよ」
 春の日の様に麗らかで、花の様に可憐な笑顔で、穏やかな日常の象徴たる彼女が先に死ぬなんて矢後は思ってもいなかったのだ。痛みを感じない筈の自分が、胸を引き裂かれる痛みを感じている。彼女の遺した傷痕は、自分勝手に刻んた彼女の生きた証は痛烈で、鮮烈で。きっと、人生の中でこれ以上の痛みを矢後は感じないだろう。


ethica