「お」
「おお?」
「来夏か、珍しいな」
「しょーちゃんどっか行くの?」
「お母さんのお見舞いに」
「ンンッ!?」

 体育祭の翌日のこと。自宅を出ると家の庭でなにか作業をしていたらしい来夏と偶然はち合わせる。いつものように、子犬が飼い主を見つけたような顔で声をかけてきたと思ったら奇声をだして変な表情になった。姉さんも驚いていたけど、そうか。そんなに衝撃か。来夏が何を思っているかなんて簡単に分かる。表情に出ているからわかり易いのもあるが、こう見えても長い付き合いだから、家の事情を知っているのだ。

「昨日からずっと言いたかったんだけど、それ、体育祭で左側使ったことに関係してたり……する?」
「ああ」
「そ、そっか……」

 何か言いたげ。でも飲み込む。好奇心は殺す。昔から変わらない来夏の性質だった。急にいなくなった母親のこと、俺の火傷のこと。気になっただろうに俺が言い出すまで来夏は聞いてこなかった。その空気感が心地よくて、だから俺は来夏から離れることが出来ずにいる。

「来夏はいつから言いたかったんだ?」
「え? えっとの、昨日のお昼。声かけたとき」
「あの時か。遠慮なんて柄じゃねぇのに何やってんだ」
「だってしょーちゃんは本戦控えてたし」
「来夏は、」
「聞かないでよ! ていうかわかるでしょ! 予選50位だったよ」
「頑張ったじゃねえか」

 本心から思った言葉だった。だけど来夏はしかめっ面をして「頑張っても結果が出なかったら意味ないよ……」と小さな声で、けれど確かに反論した。
 来夏が遊び半分で体育祭に挑んでなかったのは知っている。朝早くに起きて走り込みをしている姿は何度か見ていたし、俺にどんな訓練をしているか聞いてきたこともあった。昨日の昼のときの予選に負けたと告げた顔の悔しそうなことと言ったら、数年は見てないレベルだった。だからせめてレクリエーションくらいは勝ちたいって意味かと思って気心も知れて足も速い俺に声をかけたのかと思っていたのに、まさかああいう事だとは思わなかった。八百万に勘違いで迷惑をかけてしまった。

「使ったの、緑谷くんと戦った時だけだよね。騎馬戦のときと本戦のとき」
「ああ」
「緑谷くん、最後の試合負けるな頑張れって叫んでた。爆豪くんとは幼馴染だけど仲悪いって聞いたし、あれってしょーちゃんに向けてでしょう」
「どうだろうな、本人から直接聞いたわけじゃねえし」
「うううう、もう、まだるっこしい! 私はしょーちゃんが心配です! 何かあったなら話して欲しいです! でも私に言いたくないなら全然気にしないのでそう言ってくださいっ!!」

 ああ、愛おしいなと思う。腫れ物に触るような気遣いではなくて、絶妙なバランスの気遣いだ。これが他人だったら突っぱねただろう。いや、気持ちは嬉しく思うが打ち明けることはできなかっただろう。来夏だから。家族よりは他人で、でも他のやつよりは近しい来夏だから俺は甘えることができたのだ。そう、来夏は俺の特別なのだ。

「緑谷に『君の力だろ』って言われたんだ。やりあって、俺のなりたかったもん思い出したんだ。昔お母さんに言われたことも思い出したんだ」
「うん」
「ヒーローになるために逃げたままじゃいられねえと思って。お母さんと会うのは十年ぶりくらいだ。流石に俺も……」
「緊張する?」
「バカみたいだろ。自分から逃げてきたくせに」
「バカじゃないよ。仕方ないよ、だってあの頃はしょーちゃんも小さかったんだもん。小さい頃にできる優しさは……」

 来夏は絶対に俺を否定しない、頑張ったね、凄いねといつも肯定する。けれど、今、俺が欲していることは違うと察したらしい。おずおずと問いかけてくる。

「ねえ、病室の外まで私も付き合っていい?」
「そうしてくれると助かる」
「荷物とってくるっ!!」

 くるりと身を翻して来夏は家に駆け込んでいった。中学の時から伸ばし始めた髪はだいぶ長くなっていて、駆け出した勢いで風になびいた。たったそれだけのことなのに、ああ、来夏も成長したんだなあと感じる。優しさはそのままなのに、見た目はどんどん綺麗になっていく。

 今までは狭い世界で生きてきたから来夏は俺のそばにいてくれただけだ。一度クラスに来ただけなのに女子と仲良くなってるし、女子はいいとしても上鳴をはじめとした男子何人かとも連絡とってるみてえだし。上鳴は「来夏ちゃん可愛いよな、付き合いたい」とよく発言しているし。男と絡むのはいい気はしない。だけどこんなつまらない事で縛って嫌われでもしたら生きていけないからそっと飲み込んでる。

(変わらないで欲しい)

 変わらず、ずっと傍にいて欲しい。他のやつのところに行かず、ずっと俺のところにいて欲しい。
 白い扉に向かって伸ばされた震えている俺の腕を、励ますようにそっと触れた来夏の体温を感じて、強く思った。

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