美術館ロマネスク
「帰ったのか、焦凍」
「親父」

 篠原との初の外出を終えて帰宅すると、そこには姿も見たくない男がいた。帰ったのかと言われていても、今日篠原と外出することになったのも、すべてはこの男が原因なのだ。

「首尾はどうだ。硝子の心臓は入手できそうか」
「まだ初日だ」
「……盗むのであればあまり時間をかけないほうがいい。ターゲットに情が湧くと何かとやりにくくなる。最速を意識しろ」
「仕事はきちんとこなす。この仕事を最後に、俺はこっちの世界から足を洗える。お互いそれでいいだろ」
「焦凍!」

 まだ何かを言っているクソ親父を無視して部屋に戻った。家はうんざりだ。血筋だから、適性があるから、そう言って俺は小さい頃から親父に特訓をされてきた。中学生までに一通りのスキルを身に付けてからは、やりたくもない仕事を親に押し付けられている。兄ではなく、姉ではなく、なぜ自分なのだろう。一人だけ母が違うからだろうか。この能力を手に入れるためだけに求められた母親が哀れで仕方なかった。

「篠原……」

 彼女との出会いは親父に言われて俺が仕組んだものだった。篠原たち三人が校内を歩いているのを見た時、通るであろうルートを推測しあらかじめ階段にロウを塗っておいた。見事に引っ掛かった彼女を俺が抱きとめ接点を作るという試みだった。人間は運命に弱い。偶然が二度続けば興味を惹かれる。あの場はそっけなく去っておいて、また何かの機会をセッティングして俺から声をかけるつもりだったのだが、緑谷の方からモーションをかけてくれたのは嬉しい誤算だといえるだろう。策を弄する手間が減った。

 俺の仕草一つ一つに反応して、表情をくるくる変えて、「楽しかったよ」と言ってくれた女の子。緑谷と会う以前、同級生と会話すらろくにしなかった俺といてもつまらないだろうに、言葉の一つ一つから心情をくみ取ろうとしてくれた。幼い頃言葉が足りなくて、感情を表せなくて、吐き出せない感情に苛立つ自分を宥めてくれた母のようだった。いい子なんだろうな、と思う。じゃなきゃ緑谷は彼女とつるまない。
 そんな彼女の心臓を狙う自分が浅ましくて、本当に嫌になった。



「ごめんなさい!!」

 やってしまった。やってしまった。週末の轟くんと出かける日なのに、せっかく轟くんの方から声をかけてくれたのに電車の遅延が理由と言えども、盛大に遅刻してしまったのだ。待ち合わせ場所に全力で走っていくと、轟くんはもう来ていた。

「いや、俺も今来たところだ」

 読んでいた文庫本をしまい、こっちを見た轟くんに心臓を奪われた。私服もかっこいいし、浅く腰掛け本を読んでいる姿も一つの彫像のように美しいのに、彼は眼鏡までかけていたのだ。知的な彼に知的アイテムを複数加えるだけで破壊力がマシマシになることは少女漫画できっちり履修していたのだが、やはり現実で直面すると耐えれるものではない。

「そ、そんなことないでしょ……電車三十分も遅れたんだよ」
「事故だったんだろ。仕方ねえ。車でも事故ならそのくらいは遅れるし」
「轟くん、車で来たの?」
「ああ、運転手が連れてきてくれた」
「そうなんだ……」

 電車、乗らないんだ……流石御曹司である。本当に私に構ってくれる理由が分からないな。

「どうした?」
「え、えっと、今日は眼鏡なんだなって思って!」
「ああ……今日は美術館に行くから」
「勉強熱心なんだね!」

 凄いね、と笑顔で言ったら轟くんが変な顔をした。どう表現したらいいんだろう、困惑、のような。罪悪感、のような。そんな違和感は轟くんの言葉によって簡単に消えてしまう。

「俺はあまり同世代と遊んだことがないから篠原が気に入るかはわからないんだが……ミュシャの絵は、女の子でも割と好きと聞いて」
「お姉さんから?」
「姉さんからだ」

 悪戯っぽく笑った轟くんは、私に今日のメインの展示物や画家の説明を分かりやすくしてくれた。チケットだって自然に払ってくれたし、館内に入ってからも一つ一つ丁寧に解説してくれて、自分じゃ楽しめないと思っていたけど、満喫することができたのだった。

「怪盗グラスから予告状……!?」

 館内の展示物を一通り見終えて美術館の庭園で小休憩をしていた時である。異国情緒あふれる庭園にはそぐわない物騒な言葉が飛び込んできた。このご時世に怪盗なんているんだ、と思ったのと同時にこの中世西洋風の庭園には似合うのかもしれないなあと思った。

「怪盗だって、轟くん」
「っ、え?」
「あのね、さっき美術館の人が怪盗グラスから予告状って言ってたの。新しい催し物か何かなのかな? 参加者が名探偵で謎解きとかの防衛戦やって、クリアしたらさっきの絵画のポストカード貰える! っていうイベントだったら楽しそうだよね。さっきの絵も凄かったしそれなら私頑張っちゃう。やってくれないかなあ」
「ああ……そういうやつな。篠原に謎解きなんてできんのか?」
「轟くんがいるから平気だよ!」
「俺がやるのか」
「うん!」

 もう満足したならおすすめのカフェがあるからそこに行こう。
 そういって轟くんは立ち上がり、私に手を差し出した。王子様の手を取る私は、お姫様のような気分だった。

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